ised議事録

10-08倫理研第6回 予告

辻大介 講演「開かれた社会へ向けて存在の匿名性を擁護する」


辻大介 TSUJI Daisuke

http://homepage3.nifty.com/dt/
関西大学社会学部 助教授

 1965年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程中途退学。専門は社会学、社会心理学、コミュニケーション論。共著書に『子ども・青少年とコミュニケーション』(北樹出版、1999年)、『日本人の情報行動2000』(東京大学出版会、2001年)、『メディアとことば1』(ひつじ書房、2004年)など。言語行為における虚構性・現実性についての理論研究、および、現代社会における若者のコミュニケーション、対人関係、そして情報行動について、一貫して計量的調査・分析を行う。インターネットやケータイが普及した現代情報社会は、マスメディアにおいては得てしてネガティブな面ばかりが強調され不安惹起的に伝えられるが、計量的データに基づいて冷静にリアリティを捉えている社会学者としてised@glocomに参加。

 東浩紀[2003]は、匿名性について「表現/存在」の区別を導し、情報社会における後者――存在の匿名性――の問題の大きさを指摘した。表現の匿名性とは、個人の能動的な表現活動においてその責任の所在を知らしめないものであり、それに対して、存在の匿名性とは、特に表現や伝達の意図もなくふるまっているとき、その個人がだれであるのか、つまり、だれがどのように“存在”しているかを知らしめないものである。

 具体的には、たとえばアマゾンのおすすめシステムを考えればよい。そこでは、だれが何を買ったか(表現・伝達の意図のないふるまい)がデータベースに「知られ」、統計的なデータ解析によって、各個人向けにカスタマイズされたおすすめが提示される。そこでは利便性と引き替えに、気づかれにくいかたちで存在の匿名性が失われている。

 このような存在の匿名性の「侵害」については、もちろん、個人情報の保護、そしてそれを理念的に支えるプライバシーの保護という観点からの批判がある。しかしまた、複雑化する社会/情報環境のなかで、限定された合理性(bounded rationality)しかもたない人間は、存在の匿名性と引き替えに情報技術の支援を受けることなくして、その複雑性を処理・縮減しきれないのではないか、という考え方もありうるだろう。

 前回の倫理研では、実際このような指摘がなされ、むしろ個人情報の提供(存在の匿名性の放棄)を容認することを前提に、プライバシー保護という価値観の見直しを含め、これまでの倫理の軸・尺度を新たに組み立てなおすという方向性が示唆された。

 それに対して、本講演では、改めて情報社会における存在の匿名性を擁護することを試みる。ただし、それは、近代的なプライバシー理念の維持を目的とするものではなく、存在の顕名化に基づくアーキテクチャが暴走する危険性に歯止めをかけることを目的とした、限定的な擁護である。

 アーキテクチャ=情報機械の暴走とは、たとえば次のことを指す。「命題A=“命題Aは偽である”は真か偽か」という問題をコンピュータに与えるとしよう。命題Aが真であると仮定すると→命題Aは偽であることになり→だとすると命題Aは真であることになり→……、という具合に、命題Aの真偽値の計算は永遠に終わらない。いわゆる自己言及性のパラドクスである。人間と異なり、コンピュータはこのようなタスクを無限に繰り返すことはできるかもしれないが、答え(真偽の決定)にたどりつけるわけではない。無意味なタスクを無限に繰り返すだけだ。これは端的にコンピュータ(情報機械)の暴走というほかなく、そもそも与えた問題が不良設定(ill-posedproblem)なのである。

 社会の複雑性の縮減というタスクを情報機械に与えた場合も、同じように不良設定に陥る危険性がある。講演では、そのことを、ダブル・コンティンジェンシー状況のもとで、ある存在が殺人を犯すリスクの計算という例で示す。殺人を例にとるのは、そのリスク回避のためとなれば、個人情報提供=存在の匿名性の放棄の必要性が最も説得力をもつからであり、東が「情報自由論」において明確に指摘するように、そうしたリスク不安こそが、環境管理型権力(によるセキュリティ保障)を強く招請しつつある最大の要因にほかならないからだ。そのリスク計算がおそらく不可能であることを示せれば、それは、環境管理型権力の暴走への歯止めに――存在の匿名性の擁護に――つながるだろう。

 さて、プライバシーという理念は、限定された合理性しかもちえない人間にとって、(近代化にともなって)増大した社会の複雑性を縮減する機能を果たしていた可能性がある。そのことを稲葉[1999:pp.9,15-6]を参考に示し、プライバシーという理念自体ではなく、その機能の面から、存在の匿名性を擁護する議論をさらに追加する。

 しかしまた、多様な「小さな物語」の島宇宙が並立するポストモダン状況のなかでは、見知らぬ他者の不透明感が増しており、それが他者への不信=リスク不安を強め、顕名的な存在から成る島宇宙への内閉という流れを生みだしていることも事実だろう。そこでは、存在の顕名性が一定の機能(複雑性の縮減)を果たしていることも、一概に否定されるべきものではあるまい。問題はそれが社会空間の内閉化(島宇宙の分断)を過度に推し進めかねないことにある。それに対して模索されるべきは、見知らぬ他者への信頼を確保し、社会空間を開かれたものにする方策、およびそれを支援するアーキテクチャの構想ではないか。そのヒントとなりそうな事例を取り上げつつ、存在の匿名性/顕名性のあるべきバランスについて考えてみたい。

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