ised議事録

10-304. 倫理研第1回: 共同討議 第1部(2)

E1:共同討議第1部
(開催:2004年10月30日 東京大学本郷キャンパス / 議事録公開:2004年11月30日)

日本における「2ちゃんねるの時代」を振り返る

鈴木謙介(以下、鈴木謙):

 加野瀬さん、いまの話を聞いてちらっと思ったんですが、いわゆるネットの匿名・実名是非論というものがありますね。つまり簡単にいってしまえば、匿名であれば責任を取れず、実名なら取れるといったものです。いま日本でもblogやソーシャルネットワーキングサービス(SNS)が出てきて、実名でサイトを運営するとか、顔写真をさらすという行為がこの1年くらいで普通のことになってきています。これをもって日本のネットでも、発言の責任性が増してきているという風に感じていらっしゃいますか?

加野瀬未友(以下、加野瀬):

 そうですね、まず実名というなかに、実名ではなくても固定したハンドルネーム(コテハン)を継続して使う人というのを入れた上でのお話ですが、たしかに継続した名前の下でネットで発言すると慎重にならざるをえないような気がします。これは一定の抑制力になっているのかなと。

東浩紀(以下、東):

 なるほど。それはここ1,2年での印象ですか?

加野瀬

 ここ1,2年というよりは、逆にもともと昔の個人サイト時代の世界では、完全匿名性というのはなかったんですね。僕も97年くらいでしたか、自分のサイトの掲示板に、まったく名乗らない書き込みが来て、非常に怖かったという体験があります。その頃はまだ、2ちゃんねるというか匿名掲示板というものはなくて、インターネットと言えどパソコン通信の感覚の延長でしたから、非常に異様で怖いという印象がありました。しかし逆にそれ以降は匿名が普通になってしまったので、ここ1,2年で実名・仮名的な流れが強くなってきたというよりは、「並列」になったという印象です。

 以前は本当に匿名の方が強くて、たとえば個人サイトの管理人が2ちゃんねるに対して何か言うというのは、すごく危険なことだという認識があったんですよ*1。何をされるかわからなかったわけです。いまはそこまでの感覚はないですね。というのも、いまは2ちゃんねる全体の規模が巨大化し、板によっては住人も非常に少ないというようにまばらになった印象です。実際、端的な例でいっても、2ちゃんねるに自サイトがリンクされても、平均で100人来るか来ないかというレベルですね。一方、個人ニュースサイトとかにリンクされると1万を超えてしまいます。

 これは余談ですが、最近ネット上でリンクを流し込む力を持っているなと実感したのは、個人ニュースサイトではなく、動画ファイルナビゲーターというアダルトサイト情報を紹介するサイト*2でした。ここはおまけ的に娯楽的なニューストピックスに毎日リンクをはっているんですが、ここに掲載されたときは1日で6万アクセスを超えました。いま、ここにリンクされてしまい沢山の人が訪れたことで、サーバーが止まってしまうところもあるくらいです。以前であればスラッシュドットジャパンにリンクされるとアクセスが跳ね上がる、といった話がありましたがいまやその比ではないですね。

東:

 ところで話を元に戻すと(笑)、この前の日本の人質事件では2ちゃんねる的なサイバーカスケードに再び注目が集まったと思うんですが、実際のところ日本で2ちゃんねるが一番強かった時期というのは、2,3年前という印象があります。これはつまり、この時期だけが非常に特殊だったと考えるべきなのでしょうか?世界的に見ても、日本のネットの歴史のなかでも、という意味においてです。

加野瀬

 そうですね。アメリカでもっとも巨大な掲示板コミュニティといわれるスラッシュドットでも、匿名を使うことは"Anonymous Coward(匿名で発言する臆病者)"とシステム上呼び習わされていますし、完全匿名がこれだけ盛り上がったというのは稀有な事例であったと思いますね。

東:

 スラッシュドットに詳しい高木さんは?

高木浩光
E1:高木浩光

高木浩光(以下、高木):

 スラッシュドットですか? えーと、2chにも詳しいんですけどね(笑)。さておき、やはり2ちゃんねるというのは大きな「実験」だったのかなと思いますね。日本でもインターネット以前のパソコン通信時代では、ビジネスとして運営されている大手BBSのなかの世界でしたから、名誉毀損などの訴訟が起きるという体験を経由しながら、「書けないことがあって当然である」という感覚が自然になっていました。

 ただしそれがある種の抑圧を生み、「コレは言っちゃダメなんだろうけど、言ってみたい。挑戦したい」というような心情がそれとなく生まれているなかで、ひろゆきさんが2ちゃんねるという形でポンとそういう場を実現してしまった。これにみなが追随し、「匿名でどこまで行けるのかやってみよう」という実験的なムードが推進されたと思うのです。さきほど加野瀬さんがおっしゃっていましたが、自虐的に「ここは2ちゃんねるなんだから、みなさんあんまり信用しないで下さいよ」という暗黙の前提というかエクスキューズの下で、「あくまで実験としてこういう言い方もできるはずだ」と振る舞うわけです。もちろん、決して堂々とこうした考えを実名で主張する気はないけれども、あえてこういう言い方をすれば、みながどういう反応するかというのを見たい、と。

加野瀬

 まさにそれが、いわゆる「釣り」という行為*3ですね。もはや2ちゃんねる上でどんな発言を見ても、それって「釣り」なんじゃないのかと疑ってしまう。

高木:

 もう最近では絵しか出てこないんですよね。釣り針でクマが釣られている(笑)。

加野瀬

 最近では「釣堀」の場所も変わって、読売の大手小町のような他の大きな掲示板に拡散していることも多いようですね。

高木:

 ともあれ、この実験はある時期おおいに盛り上がったわけですが、次第にこうした前提のない人たちがどんどん入ってきてしまったためにそのテンションも薄れて普通になってしまい、廃れていったという面があるのではないかと思います。また、1年ちょっと前に2ちゃんねるIPアドレスのログを保存するようになり*4、完全匿名ではなくなった点も重要ですし、あと爆破予告等の威力業務妨害などもあります。結局こういった外部からの規制がどこまで入るか、そして参加している成員間の共通前提があるかどうかということがポイントになっているのではないでしょうか。

 さっき加野瀬さんも怖かったとおっしゃっていた、実名でやっているブログに匿名の書き込み攻撃がやってくる、という事態は困るので避けたいんですが、決して普段から起きるようなことではない。基本的には、皆その場の暗黙の共通ルールの下でコミュニケーションをしている。ところがスラッシュドットはちょっと特殊な状況になっていまして、本来は半実名の固定ハンドルを基本とする形でやっていたはずが、だんだんとAnonymous Cowardで発言する機能を濫用する人が増えてきてしまって、実名の人と匿名の人が同じ場所議論することは本質的にできないのだなあと感じました。発言が釣りなのか本気なのか分からなくなってしまうとか、いろいろ原因があります。そしてどうなったかといえば、結局、ほとんどの発言はAC(Anonymous Coward)になってしまった。このような事態に終着したことで、「ここはもう終わった」ということになってしまう(笑)。

東:

 なるほど。日本での匿名性をめぐる経緯をコンパクトにまとめてくださったと思います。ところで、白田さんは匿名のコミュニケーションについては否定的で、実名のコミュニケーションを重んじる立場ですが。

白田秀彰
E1:白田秀彰

白田秀彰(以下、白田):

 えっ!? いままったく違うことを考えていたのでまともにリアクションできずに申し訳ない(笑)。匿名性に関してはですね、匿名であろうがなんであろうが、発言に対する検証可能性が担保できる仕組みであればいいというのが私の立場です。今度『新聞研究』(日本新聞協会)で掲載していただく記事であるとか、また情報メディア学会で6月に発表した内容*5では、匿名か本名かはあまり問題ではなく、ある発言に関して「それがどういう裏づけを持つのか」であるとか、「あんたが言ったのか、言わなかったのか」といった事項が確認できればそれでいいんじゃないか、と。

東:

 それは、発言の内容に関して検証可能性があればよいということですか?

白田:

 それが担保できれば、匿名だろうと顕名だろうと構わない、というのが私の立場になるわけです。

東:

 なるほど。

白田:

 というのは匿名でなければ書けないことがあるのも事実なわけです。ただ、ある発言に関して誰がどういう根拠で言ったのかが確認できないようなアーキテクチャだと、流言蜚語が飛び交う状態になってしまう。それを防ぐためには、発言の根拠を遡行して確認できる「システム」であるとか、あるいは「倫理」のどちらかが担保されていればよいのではないか。

東:

 それは、発言者の「名前」についての検証可能性はなくしてもよいが、発言の「内容」についての検証可能性は確保しろ、ということですか?

白田:

 そうですね、固定ハンドル、つまりコテハンの使用はその例だと思うんですけどね。そのコテハンがリアルの誰かに関連づけられてなくてもいいけれど、その発言がどのソースから出てきたのか、というのが確認できる方法があればいいのではないか。結局自分の話はコテハンでいいんではないかという話になるんですけれど。

鈴木謙:

 つまり「出処」がわかればよいと。

白田:

 そうです。そして、もうひとつの必要な考え方としては、2ちゃんねるには「どうせ2ちゃんねるですから」といった自虐的な感覚があるとさきほどおっしゃっていたけれど、「検証ができないようなニュースソースに関しては誰も信用しない」ということが社会道徳として実装できれば、だいぶ問題は軽減するのではないか。

加野瀬

 いまや2ちゃんねるでも、フレーズとして「ソース出せ」っていうのが出てきてますね。

白田:

 そう、それと同じだと思うんですよね。

高木:

 鈴木さんの講演のなかにも、ネットではあれほど盛り上がるのになぜリアルでは10人しか集まらなかったのか、というお話がありましたが、逆にいえば、みなちゃんとそれなりにわかっていたのではないでしょうか。

東:

 リテラシーが上がってきたということですかね。

鈴木謙:

 面白いのは、抗議デモをやろうといって抗議デモに集まったのは十数人。しかし、その抗議デモを見物に集まった人はそれより多かったわけです(笑)。みんな単に、ヲチ(=ウォッチ=傍から見物、の意)したいだけ。

加野瀬

 なるほど、2ちゃんねるのなかにいる自分たち自身もヲチしたい、というメタな構図になっているわけですね。

鈴木謙:

 そうです。だから結局、「十数人しか集まらなかった」という報告だけはいっぱいネットにあがってくるわけです(笑)。なんだそりゃ、みたいな。

東:

 ここまでの話を総合すると、日本のネットには「2ちゃんねるの時代」なるものがたしかにあったが、実はそれはかなり特殊な時期だったと。ところが、その時期にたまたまインターネットが急速に普及したもので、ネットといえば2ちゃんねるというイメージができてしまった。しかしその時期はすでに終わりつつあって、他方、2ちゃんねる的なものに対するリテラシーもかなり確保されはじめている。……はからずも、日本の匿名掲示板文化についての総括めいた話になってきているわけですが、北田さんはいままでの話を聞いて、どう思われますか?

北田暁大
E1:北田暁大

北田暁大

 はい、僕もまったくその通りだと思います。最近だと『電車男』というものがありましたが、これを見ても「もう最期だなあ」と思うんですね。というのは、つまり、もはやこれは2ちゃんねるでなくともいいんですね。2ちゃんねる的な論理のなかででき上がってきたものだとは思いますけれど、しかしそれは2ちゃんねるでなくともできることだし、実際に他の所でも、似たようなことはこれからも起こってくるでしょう。それを考えるときに、2ちゃんねるはある意味で「使命」を終えたな、と――使命があったのかどうかわかりませんけれど(笑)――思います。

 内的にも2ちゃんねるのなかの情報を鵜呑みにする人は、まずいないと思います。それはアイロニーがあるからとかではなくて、端的にもう情報として信頼できないわけです。信頼できるかできないかは、マスコミ情報との関係次第。結局マスコミにリンクされていないことには、ソースとしてまったく見極められない。――もはやこの事実を前提にした上で、コミュニケーションが積み重なっている。そうすると結局『電車男』的なものを生み出す、独身男性板のようなまったりとした、マスメディア的媒介を必要としない板だけが残っていく。僕が『世界』で書かせてもらったときに念頭においていたのは、ニュース速報板(「ニュー速」)だったのですが、「ニュー速」的なものこそが2ちゃんねるである*6と思える時代は終わりつつあるのかな、と思います。

東:

 なるほど。そうだったんですね(笑)。自分も最近「ニュー速」を見ても、いまひとつ面白くないと思っていました。



*1:註:isedキーワード個人サイト」参照のこと。

*2:註:isedキーワードネット世論の階層モデル」参照のこと。

*3:註:isedキーワード釣り」を参照のこと。

*4:註:isedキーワード「2ちゃんねるIPログ保存?」参照のこと。

*5:註:新聞研究 目次一覧情報メディア学会第3回研究大会 シンポジウム「情報やメディアをとらえる眼」

*6:註:isedキーワードニュー速」を参照のこと。

トラックバック - http://ised-glocom.g.hatena.ne.jp/ised/00041030