ised議事録

10-3011. 倫理研第1回: 共同討議 第3部(3)

E1:共同討議第3部
(開催:2004年10月30日 東京大学本郷キャンパス / 議事録公開:2004年11月30日)

さいごに

東浩紀(以下、東):

 ここまでの話を聞いていて、金さん、いかがでしょう。日本のネット社会が行ってきた実験の意味がいろいろと議論されてきたと思うんですが、そもそも韓国ではP2P交換のソフトウェアはどういう状況にあるのでしょうか?


金亮都(以下、金):

 いろいろなサービスがあり、課金という形でやっているサービスもあります。ある意味日本よりも表向きのものになっています。

金亮都
E1:金亮都

 いままでの話を聞いていると、日本のP2Pやケータイは非常に特殊だな、と感じます。たとえば、ケータイの話でも、日本ではケータイでeメールをしますが、韓国や中国はeメールではなく単に同じキャリアのなかでのメッセージ交換(SMS)が主流です。eメールはインターネット上でやるという考えがあります。なぜそういう風になったかというと、まずはインターネットが流行してからケータイが普及したからです。

 日本で逆の状況になっているのは、NTTなどの経済政策のおかげというか、そのせいとでもいうべきものだと思うんですね。ISDNは日本が一番先に普及していて、相当力を入れてきたんですが、その後ADSLが入ってきた時に、NTTはそれを排除しようとしましたね。一方韓国では、先にADSLを入れてブロードバンド化しました。おそらくこのブロードバンドの遅れの合間に、日本ではi-modeなどのケータイでのインターネットが一挙に普及して、若い人たちはケータイだけでも十分にネットをやっているという感覚を持っている。しかしケータイ上ではできることというのは限られている。

 そういう観点から見ると、日本的な特殊性といったものが、経済産業的なマクロ面から生み出されてきたような部分があると思うんです。

高木浩光

 狙ってやったわけではなく、結果としてそうなってしまったということですね。

金:

 そうですね、つまりNTTが既得権を守ろうとした結果、回りまわってこういう状況が生まれたのではないか、と。過去の場合であれば、もっと新しいものに賭けるという強さが社会的にあったと思うんですね。

 またネットゲームにはまっている人間は韓国のほうが多いですけれど、ネットゲームでお金が稼げるという仕組みは、表向き合法ではないけれどもでき上がりつつあります。若者たちの文化は、そのような経済条件がどうなるかといったことによっても、アーキテクチャの活用のされ方も変わっていくという気はすごくするんですね。

東:

 ネットに限らず、「脱社会性」という問題は韓国ではどうですか?

金:

 おおざっぱに言いますと、経済的な成長を極めた段階で「脱社会性」というものが顕著に現れると思うんですね。ただ、韓国はまだその途中なので脱社会性があまり表面化していません。ただこれからそういう問題はたくさん出てくると思います。そこで韓国、日本、中国と見ると、日本が先に進んでいて、そのつぎに韓国、そして中国という構図だと思います。

東:

 そう考えると、日本では、1990年代の不況と情報社会化が重なった、という偶然が大きな意味を持っていそうですね。ニートとITの間に別に親和性があるわけではないけれど、日本では、たまたま、ニート的存在を大量に生み出す経済的環境が現れたタイミングで、ITというインフラが整備された。その結果、ネットワークに脱社会的存在が集中することになった。

金:

 ですから、発表のなかでもあった保守主義とかそういう枠組みのなかでもっと経済・社会的なマクロな水準でも議論されるべきだと思いますね。

東:

 それはとても重要な指摘ですね。ここで、加野瀬さんはいかがですか?

加野瀬未友(以下、加野瀬):

 そうですね……。

東:

 脱社会的存在を代表する委員として(笑)

加野瀬

 そ、そんな(笑)。いま金さんの話を聞いて思ったのは、韓国でネットゲーム内で流通しているお金をリアルマネーにするという仕組みができつつあるという話が、なぜ日本でできないのかなということでした。韓国でもゲーム会社自体はそれはやめて欲しいわけなのに、オークションみたいな感じで法人化しているところもあり、そのような形で仕組みが形成されつつあるわけです。日本だとまだサイトができたぐらいですが、今後の展開がどうなるのか興味があります。

 つまり、言い換えるとネットゲームにハマっているのを脱社会的に見るのか、脱社会的ではなく実は社会的な存在であるという見方*1を韓国ではできるわけですね。日本だとそうはならなくて、ネットゲーマー=廃人だから、イコール脱社会的だという単純な見方があるように思います。

鈴木謙介
E1:鈴木謙介

鈴木謙介

 辻さんは脱社会的なものを反社会的にみなせるということをおっしゃっていましたが、おそらくネット全般で起こっていることはそれほど単純化してしまっていて、とにかく外側からは不透明で見えない、何が起こっているかよくわからないわけですね。一方でネットユーザーは脱社会的な欲望にもとづいて色々やってるんだけども、それが社会的にもなりうるんだという選択肢すら思いつくことに至らず、ネットを苦々しく思う側は、「ネットとかやってるやつはとりあえず運動場とか走らせとけ」ぐらいの話になりかねない(笑)。

 それぐらいに我々のインターネットのコミットの仕方というのは、世代によっても経験の差異によっても、またネットに入った時期によっても全然違うということになっている。ここに集まっている委員のみなさんを選ぶ時に、たとえばケータイに詳しい人を入れたいということで色々考えていたのは、こういう世代差でした。僕らの世代くらいまではインターネットでコミュニケーションして、ネット上でコミュニティーをつくる2ちゃんねるみたいなものはありうるだろう。しかしその下の世代は、もはやネットすらやっていないのではないか、あるいはケータイがそのメインになっているだろう、というような考えがあったからなんです。

 こうしたケータイがメインになっている社会というのは、もはや自分の世代からも見えないわけですよね。そういう多層的で相互不透明な社会という風景が問題の根底にあって、脱社会であるかどうか以前に、単に見えない、見えてない、存在していない。そして存在として現れた時には、単に反社会的な存在、Winnyであれば「おたくのハッカーWinnyをつくって犯罪行為を企んでいた」というような話に収斂してしまう。

東:

 ……というわけで、今日の討議では、韓国と日本のネット事情の比較から2ちゃんねるを振り返ることから始まり、社会思想史的な抽象論を経て、Winnyという事例に回帰し、日本の情報社会化が抱える問題点をさまざまな角度から検討した形になったと思います。ここで最後に、質疑応答に移りましょう。



*1:註:社会心理学者池田謙一の2003年のネットRPGゲームに関するユーザ調査では、新聞などの社会的メディアへの接触度が高く(ITMedia - 「オンラインゲームユーザー=オタク」ではない?)、ゲーム内の相互信頼性は高い(ITMedia - 「ゲーム社会を“信頼”するリネージュユーザー」)などの結果が出ている。

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