ised議事録

12-126.設計研第1回: 共同討議 第1部(4)

D1:共同討議 第1部
(開催:2004年12月12日 国際大学GLOCOM/ 議事録公開:2005年2月11日)

はてなはどこへ向かうのか

東浩紀(以下、東):

 そこでもういちど近藤さんに話を戻したいと思います。さきほど石橋さんは、はてなは小さいとおっしゃられた。これは運営側の人数を指したものだと思いますが、コミュニティのユーザも部分的に組織を運営していると考えれば、はてなのコミュニティはむしろ十分に大きいと思うんですね。

 にもかかわらず、はてなダイアリーがもっているコミュニティの感覚、あるいは共通する常識や文化的な基盤のようなものが、かなり遅くまで維持されていたと思うんです。今年(2004年)はじめごろまでのはてなは、巨大なコミュニティのわりには、荒らしも少なくユーザ相互の信頼関係も厚い「上品な」場所として知られてきた。はてな評議会とかはてな市民、なんて呼称がその上品さを示してますね。

 これはなぜかといえば、さきほど近藤さんが指摘されたように、リーダーシップとオーナーシップが分離されていなかったから、つまりは、はてなユーザの方でもはてなという場を自分のものだ考えていたからだと思います。つまり、ユーザのあいだでオーナーシップの感覚が共有されていたからこそ、ガバナンスがうまく行った。

 しかし、そこであらためて問いたいのですが、いまはてなのコミュニティは、次のステップを踏み出していないでしょうか。最近では住所登録問題などがある*1。コミュニティと運営側に大きな齟齬が見られた事件でした。そこに象徴されているのは、規模の拡大によってガバナンスの質が変化しはじめているし、今後は運営側としてその変化への対応を迫られる、ということだと思うんです。

東浩紀
D1:東浩紀

 ここではてなmixiを比較してみるのもいいかもしれません。僕ははてな派をつねに公言していますが(笑)、その理由は、はてなが、コミュニティが存在しない場所に強引にコミュニティを作り出した実験場のように思えるからです。他方で僕は、mixiは、よくできたサービスだとは思うけれども、知的には興味がない。というのも、mixiという共通するアーキテクチャのうえで、たがいに巧みにゾーニングされた「マイミク」や「コミュニティ」が林立する、というあのサービスのシステムは、現代社会の欲望をあまりに正確に反映してしまっているからです*2。けれどもはてなには、そのような複数のコミュニティを強引に繋いでしまうキーワードリンクがある。完全なゾーニングを不可能にし、はてなという大きなコミュニティを維持することに対して、とても情熱がある。この春に『波状言論』でインタビューをしたときも*3、僕は近藤さんに対して、そこがはてなのもっとも面白いところだ、と指摘させていただきました。

 今後、はてなガバナンスはどこに向かうのでしょうか。

近藤淳也(以下、近藤):

近藤淳也
D1:近藤淳也

 たとえば完全に営利目的として行われるものと、そうでない目的とがあると思うんですが、はてなではそもそもの目的というものをあまり固定したかたちで置いていないということなんだと思うんです。さきほどはうまく表現できませんでしたが、要はリーダーシップとオーナーシップが一緒であるということは、その目的がいかようにも設定できるがゆえに非常に自由なんですね。

 いま実際に東さんがご指摘された通り、はてなではいま18万人くらいユーザがいまして、そこをどうやってガバナンスしていくかっていうのは大きな問題だと思っています。そして、少なくとも今回の住所登録の件では二点感じたことがあります。まずひとつめに、経営側である自分たちが知っていること・判断できることだけでは十分ではないという原則を改めて感じたということ。ふたつめに、ユーザは単なるユーザではなく、コミュニティの一部であるということ。このことを僕たちは認識しました。ですから、たとえば外部からなにかクレームが来て情報を消す/消さないという判断をするとき、私たちではこのような過程を踏みましたといった情報を公開し始めています。というのは、このコミュニティにいる人たちに経営側を監視をしてもらおうという意識があるんですね。僕たちは不完全で、必ずしも正しい判断をし続けるとは限らない。そのとき、もっとルールを明文化してガチガチにしていこうという方向ではなく、コミュニティユーザにきちんと監視され、どんどん意見を上げる仕組みというのを作ろうとしているんです。

東:

 具体的には、2ちゃんねるの「削除人*4に相当するような人たちを育んでいこう、ということでしょうか。つまり、はてなというコミュニティを維持するために、自発的にメンテナンスしてくれるボランティア・チームを育てていく。

近藤:

 かもしれないですし、あるいは全くそうした中間的な組織を介せずに、いうなれば一種の全権委譲型といいますか、「近藤がOKならその間は近藤がやっているけれども、だめならすぐに取り替える」というようなことが可能なシステムかもしれない。

 要はなるべく沢山の人が幸せになれるような正しい判断をし続けていきたいという思いが一番大きいんですね。そのとき、「正しさ」を計る目的というものを、必ずしも僕たちは営利には置いていないという自覚が今回起こりました。それではそういう判断をし続けられるガバナンスの仕組みとは一体どういうものかというとき、それは多くの人がある程度意見が言える環境でなくてはならないと思うのです。

鈴木謙介(以下、鈴木謙):

 ちょっといまのイメージをもう少し具体的にお聞きしたいんですね。たとえば削除人のように経営側とユーザ側のあいだに中間集団がいる、これは既存のネットコミュニティのガバナンスを見てもイメージできるんです。しかし、通常は合意のもとに全権委譲的に運営されていても、ひとつ間違えればすぐに首を変えられる。いうなれば中国の王政のような(笑)イメージというのは、具体的にはどういうものなんでしょうか。

近藤:

 そうですね……、まだ漠然としていて、そうするかどうかももちろん決まっていないのですが、ときどきはてなのユーザから「ユーザは全部平等であるべきだ」というような理想を感じることがあるんですね。たとえばキーワードへの書き込み権限をもつはてなダイアリー市民のような、ある種の特権をもつユーザが存在することが許せないという感覚を感じる時があるんです。そうしたときのガバナンスの課題を解決するには、絶対的な決定権がある一人と全部平等なユーザという構造しかないのではないか、ということをひとつ考えていたんですね。

石橋啓一郎

 なるほど、大統領選挙のような(笑)。

鈴木謙:

 はてな大統領ですね(笑)。

楠正憲

 たとえば、スラッシュドットのような仕組みをどうご覧になっていますか? あそこも似たような悩みを抱えていて、たとえばカルマシステムに見られるメタモデレーション*5のように、掲示板ガバナンスの肝であるモデレーションの工夫を頑張ってきたような気がしているんですけども。

近藤:

 そうですね。ただコメント欄の管理というのは必ずしもうまくいっているようには見えないんです。もう少しこうバッサリというか、そういう判断も必要なときがあるかな、と。

東:

 具体的な回答は経営戦略もあるので、お答えいただくのが難しいかもしれません。

 そこでもう少し抽象的で将来的な話をお聞きしたいのですが、今後もはてなというサービスは、ひとつのコミュニティとして提供していくおつもりでしょうか。つまり、はてなサービスそのものは、価値中立的でもいいと思うんです。現在のはてなサービスは、ひとつのノウハウの集合であり、技術的なシステムですよね。だから、そうしたインフラからさきは、複数のコミュニティを選択できるようにしてもいい。キーワードリンクが機能しないコミュニティ。あるいは、コメント削除がとても厳しいコミュニティ。逆にあまりにも無法地帯であっという間に潰れていくコミュニティがあってもいい。

近藤:

 ……難しいですね、今の質問は(笑)。

鈴木謙:

 いま東さんが聞いたのはおそらくこういうことではないでしょうか。つまり、はてなに参加すること自体が何となくこうはてな的なものである価値をもっている、といまはイメージできるわけです。たとえばこないだ別のところで近藤さんがおっしゃっていたように、はてなポイントでわざわざ地震被災者への義援金を払ったりするという例に見るように、はてなに帰属することに価値を感じられているという事態がある。しかし、そのような価値観をもたないユーザであっても、はてなコミュニティを使えるというように展開するのか。たとえば、はてなのさらに下に複数並列的なサブコミュニティがあってよいというかたちにするのか。それともはてなという枠を維持しつつ、そこに共通の価値を見いだすユーザが集まってくるようにコミュニティを維持・拡大していく方向でいくのか。どちらなのでしょうか、ということではないかと。

東:

 そうですね。そういうことです。言い換えれば、はてなmixi化ということです。ゾーニングをきちんとし、コミュニティ・サービスの面を充実させる。

近藤:

 ただ逆にですね、いまの「はてなっぽさ」のようなものを、自分たちが明確に意図的に作ったというわけではないんですね。そもそも最初からそういう意図を込めたわけでは無かったといいますか、自然といまのようになったという側面はすごく大きいと思っています。なので、「今後もこうあるべきだ」という方向性が自覚的にあるかというと、そういうものではないという気はしています。

東:

 なるほど。やはりそこも、ユーザの意見を聞いて、ということになるわけですね。

村上敬亮(以下、村上):

村上敬亮
D1:村上敬亮

 いまの近藤さんのお話はすごく面白かったと思います。というのは、「リーダーシップ・オーナーシップ両方もっているから目的を自由に再設定できる」という台詞が出たところが僕はポイントだと思っているんです。そうした自由を保持しながらも、今後はてなはどこに向かっていくのだろうというところに皆さんの関心があるということですね。

 さきほど鈴木謙介さんがマックス・ウェーバーの定義した組織=官僚制と言及された部分と、EAPDCAサイクルを回しながらそのPDCAサイクルを大きく成熟させていくという部分での組織ではおそらく意味が違うと思うんです。昔流に言うとその後者というのは、イリヤ・プリゴジンの「自己組織化」というときの「組織」に近いのかもしれないのですが。

 そこで実際はてなはどっちのフェーズにいるのだろうか。いま、どちらにも向かえるフェーズにいるんだと思うんですね。どういうことかというと、EA的に目的をフィックスしてしまえばそこに大きなPDCAサイクルを描く余地が出てくるし、外からも内からも、「もっとあそこにコミットしよう」というひとが増えてくるかもしれない。しかし目的が再設定できる自由度を享受しているうちというのは、逆にそういう成熟へ向けたサイクルであるとか、いまのはてなの枠組みを超えて大きくなる内的な論理は出てこないのかもしれない。そこで皆さんの関心というのは、それでははてなは目的をフィックスする方に向かうのか、いまのツールとしてのあり方をとりあえず維持する方向に向かうのか。そのどちらなのかというところに問題意識が集中していたのではないかと僕はいまお話を伺いながら感じていたところです。

鈴木謙:

鈴木謙介
D1:鈴木謙介

 つまり、こういうことでしょうか。井庭さんや鈴木健さんたちのように、複雑系やシステム論に詳しい方がこの場にいるのでこういう言葉を使うんですけれども。社会学のなかでは、ある種のマックス・ウェーバー的なハイアラキカルな組織というのは「構造機能主義」と社会システム論的にモデル化されています。つまりシステム全体の構造を確定することで、それに寄与する部分の機能が決まるという順番なんです。この前提であれば、構造の確定あるいは目標の確定というのは欠かせないということになる。しかし二クラス・ルーマン以降のオートポイエティック(自己創発的)な社会システム論においてはそれが反転され、「機能構造主義」と呼ばれます*6。つまり複数の機能が乱立している状況のなかで、その場合や状況に応じて構造化して捉えることが可能であるのが、現在議論になっているような新しい組織や集団の概念である、と。

 いま議論になっているのは、その後者の方に力点を置いたような事例というのがいくつか登場してきているのではないかというわけですね。少なくとも、ある種の国民国家的なものが上からすべて目標を設定して構造を決定するといった構造機能主義的な枠組みから、いま変動が起きていると整理することができるのではないかと。

東:

 つまり、EAというのはここでいえば構造機能主義的なのでしょうか。

村上:

 「リステイトし続ける」構造機能主義ですね、オートポイエティックな。

東:

 オートポイエティックな構造機能主義である、と。なるほどそれは逆説的ですね……。

村上:

 構造主義が脱構造主義にむかって相対主義に落ちこみ進歩を止めてしまったのと、ある種同じ可能性をもっているとは思うんですけれども、要するに一度フィックスした組織についてのステイトメントを何らかのヴィジョン・ミッションに対してリステイトし続けながら、脱・組織を続ける循環を作りたいと主張しているわけなんですね。しかしそれを可能にするようなヴィジョン・ミッションというのは、本当に世の中に存在しているのか? この部分についてまだ皆さん確信がもてないものですから、何となく胡散臭い印象を抱かれていらっしゃる方も多いと思うんです。ただ、部分局所的に見ればやらないよりやった方がいいだろうと思っています。

東:

 ミッションは存在しうるのかもしれない。しかし、僕がこだわっているのは、EA的発想が、構成員に強い規律訓練ディシプリン*7を要求するように思えるからです。実際、EAの業務計画書を拝見しましたが、これがえらく分厚い。よほど自意識をしっかりもっているひとでなければ、あの計画にはついてこれないのではないか(笑)。

 というわけで、そろそろ休憩を入れる時間です。後半はいよいよ井庭さんと鈴木健さんに登場していただいて、「EA的なもの」と「オープンソース的なもの」――話を簡単にするために両者をあえて対置させるとして――の差異について、より抽象的かつ原理論的に議論していきたいと思います。井庭さんと鈴木健さんが専門に行われているゲーム論や複雑系オートポイエーシス論やシステム論が見せてくれる世界観というのは、今日の話に繋げれば、「ひとびとがいっさい反省的な自意識をもたなくとも、組織や社会秩序は創発してくるし、それで問題ないのではないか」というものではないでしょうか。

(左から)鈴木健井庭崇鈴木謙介
D1:鈴木健、井庭崇、鈴木謙介

井庭崇

 いやいや、そういうことでは・・・(笑)。

東:

 もちろんお二人の生き方の話ではありません(笑)。といったところで、休憩にしましょう。



*1:註:以下を参照のこと。→ARTIFACT ―人工事実― | はてなの住所登録問題―個人情報の開示基準編 悪徳商法マニアックスとウェディング社の件について―はてなの住所登録問題―法律編―

*2:註:isedキーワードmixi」参照のこと。

*3:註:波状言論2004年4月号「近藤淳也インタビュー はてなが拓くネットコミュニティ」

*4:註:削除人については、以下のガイドラインを参照。→「2ちゃんねるガイド:応用」。また削除人以外にも、板によっては、スレッド乱立を防ぐ「記者」などの、ある種の自発的協力を求める代わり特権を与えられた存在がいる。

*5:註:スラッシュドットという掲示板では、ユーザー同士によるコメントのレイティングを行うことで、投稿の選別・淘汰を行う仕組みが実装されている。以下を参照。→Slashdot モデレーション

*6:註:isedキーワード機能構造主義」参照のこと。

*7:註:isedキーワード規律訓練」参照のこと。