ised議事録

12-127.設計研第1回: 共同討議 第2部(1)

D1:共同討議 第2部
(開催:2004年12月12日 国際大学GLOCOM/ 議事録公開:2005年2月11日)

“loyalty”なき社会における問題発見という問い

東浩紀(以下、東):

 それでは共同討議第2部に入りましょう。まず、井庭さんから問題提起をいただこうと思います。よろしくお願いします。

井庭崇(以下、井庭):

井庭崇
D1:井庭崇

 さきほどの鈴木謙介さんのお話のなかで「目的の設定」というお話があったかと思います。設計する時にはなんらかの目的を設定し、それにあう手段でつくっていくということですね。であれば、その目的を誰が設計するのか、という話が重要になってくると思います。つまり目的を設定する人と、それを具体化する人という二者がいるわけですね。ここでは、場の設計を考えるときには前者の話にも焦点を当てるべきではないか、という話をしたいと思います。

 まず前提として、ことわっておきたいことがあります。さきほどの話では、ゲーム理論の観点から話すことが僕に期待されているようですが、僕はあまりゲーム理論に通じていないですし、そもそもゲーム理論の方に入っていこうとは思っていないんです。それはなぜかというと、決められたルールの下で何が最適であるかという話はもちろん重要ですが、それよりも新しいものが生まれてくるフェーズの方に僕は興味があるためです。つまり、いまここに存在しているもの同士がどうやって最適化をはかるかとか、どのように資源は分配されるべきかといった問題よりも、新しいなにかが生まれてくるということ。僕の興味は最適化とは異なる軸のほうに興味があるのです。なので、そのような観点から話をしていきたいと思います。

 さきほど、システム論の話が出ましたが、河本英夫氏によれば3つの段階があると整理されています。第1世代、第2世代、第3世代というものです。まず第1世代というのは、一般システム理論やサイバネティクスの時代です。「逸脱すると戻る」というフィードバック回路を通じて、秩序がどう「維持」されるのかというものです。次に第2世代は、散逸構造やシナジェティクスと呼ばれるもので、秩序がどう「形成」されるのかというものです。第2世代の場合にはまず初期設定ありきで、たとえば容器に化学物質があって、そこに他の化学物質を加えると結晶ができましたというような秩序形成が主に語られてきました。そして第3世代になると、オートポイエーシス複雑系といった議論になってきます。ここでは、システムがシステムをどのように自己再生産していくのかということが取り上げられるようになってくるわけです。さきほど言及された機能構造主義を提唱したルーマンも、自らの社会システム理論にこれらの考え方を採用しています。ちなみに、僕は複雑系のシミュレーションの研究*1をしているのですが、同じく鈴木健さんもこの第3世代のシステム観に関心をもっているということで、さきほど同じグループの立場として指名されたわけです。

 さて、ここでもうひとつ他分野から取り上げたい考え方があります。アルバート O. ハーシュマンという開発経済学者・政治経済学者の論です。ハーシュマンは、1970年に著した『組織社会の論理構造』という本*2のなかで、voice(抗議)とexit(退出)とloyalty(忠誠心)という視点を提案しています。これは、社会を変える力にはどのようなものがあるかということを論じているものです。それには大きくわけてふたつあるといいます。まずひとつがvoiceというもので、これは「発言」とか「告発」です。つまり、「ここが悪い」というふうに意見を表明するということです。もうひとつがexitで、「退出」とか「離脱」、つまりそこから抜けていくということです。その場合はどういうことになるかといえば、組織からexitすることで成員が減りますね。そのことでリーダーは間接的に問題があることを知るわけです。ハーシュマンは、どちらかというと政治の場合にはvoiceが多く、経済の場合はexitが多いといっています。

 ここから、このハーシュマンの論から発想を得て、さきほどの目的の設定の話につなげていきたいと思います。ハーシュマンにとってvoiceというのは、不満をもった人が発言するという意味合いがあります。ここではそれにとらわれず、voiceには3種類あると拡大して考えてみたい。1)クレーム:不平不満があるということを訴えるvoice。これはハーシュマンのvoiceのもともとの意味です。2)アイデア:何か設定されている目的に対して、どう実現すればいいかなどのアイデアを発言するvoice。そして最後に、3)ヴィジョン:目的を形成するvoice。この3つです。

 ここでさきほどのシステム論と比較すれば、1番目の「クレーム」はそれを告発することによって改善点をフィードバックしていくというものですから、第1世代あるいは第2世代に近い。つまり、新しい何かを生み出す刺激にはなりうるが、その方向性には直接的には関わらないのです。次に2番目のアイデア、あるいは方向性に言及する3番目のヴィジョンの発信は、新しいものを生み出していくところに直接的に参加していくことになるわけです。

 Linuxオープンソース開発を例にみると、皆が寄って集ってものをつくっていくときに、リーナスがある種のヴィジョンをだしてレールをひいたわけです。OSというものはすでに世の中に存在していたけれども、まず「こういったUNIX的なものをつくるんだ」という声が提起され(3番目のヴィジョン:voice)、それをどう実現するかというアイデア(2番目のアイデア:voice)がオープンソースコミュニティの開発者によって実装されていった、と。

 それでは、いまの例のようにヴィジョンを一部の人がつくるのではなくて、ヴィジョンを皆でつくっていく、ということは果たして可能なのだろうか? この問題が情報社会の設計というとき、非常に重要になるのではないかと思います。こう改めて問うとき、民主主義や市場メカニズムというものはあくまで調整メカニズムであって、新しいヴィジョンやアイデアを生むということに直接役に立つしくみとはいえないなぁと思うわけです。では、どういった場をつくれればそのようなヴィジョン形成がうまくいくのか。そういう空間をつくっていくにはどうすればいいのか。そういう議論の方向性を提案したいと思います。

 最後にもうひとつ付け加えますと、ハーシュマンがvoiceとexitというとき、voiceにはそれを為すための労力がいると言っています。つまり直接何かをいうとなれば、もしかしたら相手から反撃的な被害をこうむるかもしれないリスクも負うわけですし、一生懸命声を前に張り出していくにはコストもかかるわけです。しかし、それに比べてexitは簡単です。そこから単に降りてしまえばそれでよいわけですから、あまりコストがかからない。しかし、そうであるにもかかわらず、ハーシュマンは人間社会においてexitはあまり発動されないということも指摘しています。なぜかというと、その組織に対してloyalty――つまり忠誠があるからだ、というわけなんです。loyaltyがあるからこそ、組織にとどまってvoiceをしようという力が働くんだ、と。

 この話は、組織の場合はわかりやすいのですが、それがオープンなコラボレーションになった場合には再検討が必要になります。オープン・コラボレーションの場合には、忠誠の対象である組織がふつう存在しないわけです。それじゃあ、まったくloyaltyの入る余地はないか、というと、忠誠の対象は組織だけでなく、新しいコンセプトでもムーブメントでもいいということに気づく。組織へのloyaltyでなくても、コンセプトやムーブメントへのloyaltyでもうまく働きそうです。たとえばはてなでいうと、そのサービスや運営方針のコンセプトに対して皆が共感し、loyaltyをもってどんどん参加していく。そしてもし文句があればexitしないでやり方についてvoiceしていけばいい。あるいはLinuxの開発のときも、占有ソフトに対するアンチという意味でのムーブメントへのloyaltyがあったといえます。つまり、これは倫理研で第1回目に出てきた概念ですけれども、「反社会的」というものは別種の社会的なものであるというように、アンチ的なものはバラバラではなく、ひとつの求心性をもつことができるので、loyaltyの対象になりうるわけです。

 問題は、社会的でもなく反社会的でもなく脱社会的な人々についてです。脱社会的であるということは、そもそも社会形成から抜ける、つまりexitする傾向ももつ。こうした傾向をもつ人々をつなぐloyaltyというものは、情報社会においてはどこから出てくるのか、それとも出てこないのか、自分にはまだわからないところなんですね。みなさんはどうお考えでしょうか。

東:

 倫理研で交わされたのは、まさに僕たちの社会が、そういった「脱社会的」な存在が前景化する社会になってきている、という議論でした*3

井庭:

 そうですね。僕が思うのは、人はloyaltyをもっていないと、どこかにとどまってヴィジョンやアイデアをvoiceしようというモチベーションを持ち得ないのではないかということです。こうしたloyaltyを調達できない、つまりexitがたやすくなってしまった状況において、どのようにしてvoiceを引き出せばよいのか。そのための設計というものは、どういうかたちでありうるのか、ということなんですよね。


楠正憲(以下、楠):

楠正憲
D1:楠正憲

 一点だけ、Linuxの歴史的経緯について指摘してよろしいでしょうか。Linuxにアンチ商用ソフトという考えがあったのではないかという例があげられていましたが、おそらく歴史的にいうとLinuxのアンチテーゼというのは当初は商用ソフトに対して向けられていたものではなくて、教育用OSとしてのMinixを過度に複雑にしないために、機能拡張への要求や機能追加のパッチをはねのけ続けたタネンバウム教授に対するアンチテーゼだったんですね*4。つまり「俺たちはもっと使い勝手のいいOSが欲しいんだ」というのが第一のモチベーションだったのではないでしょうか。

 ただ、いまのご指摘にあるような商用ソフトに対する反発というのは、たとえばSSHが商用化した時にOpenSSHが出てくる、商用のMotifやQtのQPLに反発してGNOME/GTK+が開発されたというような事例の背景には明らかにあると思うので、一般論としては正しい見解だと思いますけれども。

井庭:

 なるほど、補足ありがとうございます。そこでちょっとお聞きしたいことがあります。「アンチ」であれば紐帯するものが出てくるわけですが、「なんでもあり」のようなところでは人々を束ねるものがなくうまくまわらないように思います。では、オープンソース運動のなかで、アンチ精神ではないものを軸にしてうまく成功したものはあるのでしょうか? たとえば、いままでにない新しいものを、強力なヴィジョンをもって誰かが提唱し、それに対してオープンソースでみなが参加して成功したものというものはあるのかということです。

八田真行(以下、八田):

 既存のプロプライエタリな製品に対するアンチ的な置き換えではなくて、なにかオリジナルなものが生まれてきたのかということですか?

井庭:

 そうです。なにかライセンスなどの制約をはずそうとか、似たような機能だけどフリーなものを、という形ではなくて、まったく誰もがつかったことのない、ニューコンセプトのものがでてきたことはあるのか、ということです。

東:

 井庭さんの問いは、宮台真司鈴木謙介風にいえば、「まったり」*5していても新しいものはでてくるのか、という問いかけですね(笑)。

井庭:

 そうですね(笑)。

楠:

 それは、たとえばBSD UNIXとか、DNSサーバのBindやメールサーバのSendMailであったり、あるいはWWWブラウザのMosaicといったものはまさにそうだと思います。ただ、ではそれが再生産メカニズムとしてOSS(Open Source Software)がうまくいっていたかというと、これらが生まれてきた背景には明らかにDARPAからの資金援助があったんですね。ですから、僕が知っている非常に新しくて革新的なオープンソースというものには、だいたい政府機関等からのファンドがついていたといえると思います。

八田:

八田真行
D1:八田真行

 いまひとつ思いついたのは、スパムフィルタソフト*6があります。まずSpamMailKillerはオープンソースで、ベイジアンのロジックをつかったのは新しいといえますね。要するに、オープンソースのような考えかたの浸透と「スパムをなんとかしたい」というニーズが生まれてきたあとで、ポール・グレアムベイジアンをつかったらどうかという話を出してきた。そしてBogofilterが実装されたものでは一番早かったと思いますが、その後McAfeeがSpamAssassinというこれもオープンソースのソフトウェアをエンジンに組み込んで商用化したという流れがあります。おそらくSpamAssassinの製作者にはファンドを払っているのではないかと思いますが。

 ただ、たしかにアンチとして生まれたソフトウェアのほうが多いのは確実ですが、最近ではオリジナルなものが出てきて逆に商用化されるという流れも珍しくないといえるとは思います。

石橋啓一郎(以下、石橋):

 また問題解決型のソフトウェアについては、けっこう例があると思います。たとえばインターネットの初期にあったような「日本語がつかえないからなんとかしよう」という非常に身近な問題で、はっきりゴールが見えているというものに対してはやはりアクションは取りやすいわけですよね。こういうものについては、アンチでなくても生まれてきています。

井庭:

 なるほど。あとは、たとえば最近であればソーシャル・ネットワーキング・サービスSNS)のように、一部のひとが場を実装し、それをみなが利用するというのもありますね。でも、実際には、場の設計というとき、新しいヴィジョンやコンセプトをつくっていくのは難しいんでしょうかね。

井庭崇
D1:井庭崇

 なぜこの問題にこだわるのかというと、こういうことなんです。たとえば政策的な話をするときに、「シリコンバレーがよかったから日本にもそういう場をつくってみよう」としたところでたぶん失敗する。「Linuxがよかったから僕らもオープンソースでやってみよう」といっても誰もついてこない。こういう話はすごく溢れていると思うんですね。じゃあ、どうすれば、借り物のヴィジョンやコンセプトでないかたちで、新しい場づくりができるのか。ここで言いたいのは、人のマインドの話ではなく、どのような組織化を行っていけばよいのか、そしてそれをどのように実現することができるのかということなんですよ。

石橋:

 それはつまり、脱社会的な環境のなかでやっていくにはどうすれば、ということでしょうか。

井庭:

 いま現状がそうであるとしたら、という意味では。そもそもこの設計研の前提として、社会に積極的に参加している人が場を設計していけばいいんだ、という話なのか、それとも、exitしてしまっている脱社会的な人たちからvoiceを引き出してつくっていくのか、ということを考えないといけないわけです。そして、その場合にはどういう仕組みが可能なのだろうか、と。



*1:註:ホームページに掲載された論文や、シミュレーションのアプリケーション開発を行うBoxed Economy Projectを参照のこと。

*2:註:『離脱・発言・忠誠』(ミネルヴァ書房、2005年 asin:4623043746) = Albert O. Hirschman,"Exit Voice and Loyalty: Responses to Decline in Firms, Organizations, and States", Harvard University Press, 1970. また井庭自身によるハーシュマンについての解説として以下を参照のこと。→SFC-GC:井庭崇「モデリングシミュレーション入門」第02回

*3:註:倫理研第1回 共同討議第3部:「脱社会的存在とウィニート(Winny+NEET)的社会」

*4:註:リーナスとタネンバウムの論争は以下に抄訳されている。→Linux is Obsolete.(Linus Tanenbaum Debate):『ディベート:リナックスは時代遅れだ』Linuxの「生みの親」は本当にトーバルズか?--疑問を呈するレポートが発表へ - CNET Japan

*5:註:isedキーワード脱社会的」参照のこと。

*6:註:電子メールに大量に送られてくるスパムを自動的に選別するためのソフトウェア。以下の解説などを参照のこと。→BkASPil for Becky!2 総合案内:スパムフィルタの概要

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