ised議事録

01-085. 倫理研第2回: 共同討議 第1部(2)

E2:共同討議 第1部
(開催:2005年1月8日 国際大学GLOCOM / 議事録公開:2005年3月12日)

『市場の論理』とアーキテクチャ設計――ぱどタウンNAVERブログのケース


鈴木謙介(以下、鈴木謙):

 では、その常識について話をシフトしていきましょう。情報社会では常識が欠落していくというのは、東さんの二層構造でいう、上部のコミュニティの島宇宙化という事態を指しているわけです。そして常識が複数のコミュニティをまかなえなくなるとき、代わってアーキテクチャの層が法を守らせようとする。これが白田さんによって法の完全実行と呼ばれていた事態につながるわけです。

 しかし、その完全実行はすでに歪みをもたらし始めている領域があります。たとえば、著作権問題ですね。白田さんも以前波状言論での対談*1でおっしゃっていたように、本来ならば緩く運用されていた法の境界領域が、法の完全実行を目指す動きの隆盛によって「これも違法、あれも違法」というかたちで厳格化されてきている現状があると思います。つまり、音楽コンテンツの消費者の側の常識、たとえば「「いままでコピーできたし、出来るものだと思っていた」といった感覚が、生産者の側の「法にだめと書かれているから禁じるまでだ」という法の完全実行によって狭められていると表現できるでしょう。

 そこで加野瀬さん、こうした最近の著作権をめぐる最近のネットワーカーの事例を紹介していただけますでしょうか。

加野瀬未友(以下、加野瀬):

 そうですね、最近ですと「ぱどタウン」と呼ばれる小中学生たちがメインのネットコミュニティがあるのですが、彼らのある種のネット上での素行の悪さが話題となり(笑)、「ぱど厨」なる呼び方も生まれました。そこで「画像の無断交換」が問題となったんですね*2。昔ならばノートに歌詞を書いてそれを友達に渡すという行為に対してとくにおとがめはありませんでした。しかしサイト上で画像をやりとりするということは結局誰もがそのコンテンツを閲覧できてしまうわけですから、この著作権侵害を厳しくみるか緩くみるかが改めて問題となってきているわけです。しかし、どちらに振れていけばいいのかの指針というものが、いまはなかなか見えない状況だと思うんですね。

 著作権法に照らせばたしかに違反ではあるんですが、いままでの常識でみれば「それって従来見逃されていた話じゃないの?」と考えることもできる。ただアーキテクチャ上の変化によって、あくまで内容は第三者には漏れることのない「通信」であったものが、第三者にも公開される「放送」になってしまったのだと考えれば、それは問題ということになる。いくら対象にする相手が少なかったとしても、誰でもアクセスできる場所にコンテンツを置くのは放送にあたるんだとして問題化されているわけです。

鈴木謙:

 常識から照らしての反発としては、たとえばCCCDを巡る問題で「いままでだってコピーできていたじゃないか」というものがあったわけですよね。これは波状言論で白田さんが指摘されていたことですが*3、ところがこれは音楽の世界だからこそ消費者の反発も起きているという見方もできると思います。たとえばゲーム業界や映画業界にいくと、CCCDのような消費者反対運動はあまり見られない。なぜならこれまでコピーできたという経験をしてこなかったからだ、というわけです。

 つまり、常識の積み重ねがあれば法の完全実行に対して反発の起きようはあるわけです。しかし、常識がないということになれば、完全実行でいいんだということになってしまうということでもある。

 そこで金さんにお話を伺いたいと思います。さきほど「ぱど厨」という話が出ましたけれども、「ぱどタウン」で画像をやり取りしていた小中学生が、いま「NAVERブログ」に大挙して移住している(笑)といわれていました。そこでも画像交換がなされてしまっているということで、経営者としても非常に頭の痛いところだとは思うんです。こうした著作権問題についてお考えになっていることをお伺いしたいのですが。

金亮都(以下、金):

 そうですね。発言する前に、まず立場的に私は非常に微妙だなとずっと感じていまして、いろいろな意味でいまマージナルな立場にあると思うからなんですね。つまり、いわゆるアカデミックの世界とビジネスの世界の境界、そしてビジネスにおいても既存の産業界とIT産業という狭間にいる。ただ、いまから述べるのはどちらかというと「NHN Japan」という企業の代表者としてではない、ということを一応お断りしておきたいと思います。
金亮都
E2:金亮都

 問題になっているのはNAVERブログの「スクラップ機能」だと思うんですが、我々がblogサービスを開発したときの率直な状況についてお話しましょう。最初はアメリカでblogというサービスが流行しており、個人メディアとして可能性があるということで、日本や韓国でも展開できないかというのが最初の動機でした。最初は本当に純粋に、インターネットというのは個人の能力を拡張させるためのメディアと捉えていましたから、blogは非常にいいサービスになるという意欲を燃やして始めたわけです。もちろん、これはいまでも思っていることですが。

 その際に意識したのがやはり個人ホームページの文化でした。日本ではほかの国にくらべて個人ホームページが数多く存在するという特徴的な状況にありましたが、個人ホームページを継続的に更新するのはなかなか一般には難しかったわけです。そこでそのコンテンツをどうやってより更新しやすくするのか、というのが我々のblogサービスの狙いとしてひとつあったんですね。

 また、blogがいままでの個人ホームページと異なっていたのは、個人ホームページでは検索エンジンや友人同士のリンクといったネットワーキングくらいしかなかったところに、トラックバックRSSなどのネットワーキング機能があらかじめ組み込まれていたわけです。

 こうした誰でも更新できて、誰もが繋がることができるメディアをつくるというとき、ビジネスの視点としてはさらなる差別化を考えることになります。我々のサービス開始は後発でしたからなおさらでした。そこで、もっとコンテンツを更新できるような仕組み・機能として、「スクラップ機能」というのを入れたわけです。我々は普段、ニュースとか記事とかをみながら、いろいろ考えを巡らし、コメントをします。ですからそれが簡単にできれば道具として便利ですし、さらには他人が何を考え、どこに関心をもつかが蓄積される構造になると思ったわけです。

 しかし、それが結果としては画像の無断利用の呼び水になってしまったというわけなんですね。

鈴木謙:

 わかります。設計側の意図を越えたユーザ側の利用が行われてしまったということですよね。

金:

 我々企画者の立場としては、利用のしかたに関してはユーザに任せたいという思いがあるんですね。たとえば検索エンジンのロボットが画像ファイルを自動巡回で収集して検索可能にした場合にも、これもやはり著作権の問題があったわけです。例えばGoogleイメージという画像検索サービスがありますが、これは法律的に著作権問題に触れていないという判断があるからなのかどうなのか。

加野瀬

 イメージ検索に関しては、表示するものがサムネイルならばOKという判決がたしか米国であったと思います*4。つまり、画像本体を見るための誘導であるのならOKという価値観ですね。逆に、画像を丸ごとコピーしてサーバに置いてしまうのは問題だよね、と。しかし、たとえば歌詞や動画といったコンテンツはそうした対処が難しいと思います。なぜならいったんそれを見てしまえば、コピーであってもオリジナルとほとんど同じことになりますから「誘導」にはならないわけです。NAVERのスクラップ機能の場合は、簡単に画像なりムービーなり何なりを自分のところで全部見せられるようにできてしまうという機能があったために、引っかかってしまったんですね。

金:

 そういうことですね。ただ我々は問題が起こったときそれをコントロールできるだろうというある種の確信はあったわけです。たとえば、削除なりいろいろな方法があるわけですね。

 またこうしたグレーゾーンでないと、既存のサービスとの差異化という意味で、インターネットサービスとしては成功し難いというテーマがIT企業にはあるんですね。もちろん法的遵守は当然のことですし、サービス開始にあたってグレーゾーンに踏み込んでいないか弁護士さんに相談していますが、明確に白黒がはっきりとすることは少ないのです。

 そして私が白田さんの講演をお聞きして思ったのは、市場という資本主義の原理とアーキテクチャが接合したときの問題についてでした。たとえばカセットテープなどの録音機具が産業として普及したとき、我々はあまり意識していませんでしたが、その値段のなかには「コピーしてもいいよ」という含みがあったわけです。こうした市場価格での調整によって、コピーという慣習が法的に厳密に禁じられることなく折り合いがついてきたわけです。

 では、インターネットの普及でこれからどのように落ち着いていくのかはやはり気になるところです。いまP2Pや画像の不正交換といったものに対してセンシティブになっているのは、裏を返せばこれから新しいビジネスモデルが生まれるかもしれないということでもあると思うんですね。

鈴木謙:

 いま金さんから市場というお話が出たんですが、市場原理とは競争の原理であるわけですね。たとえばNAVERブログのスクラップ機能のように、競争のなかで差別化をはかるべく実装されたアーキテクチャが、結果として著作権的に問題があると指摘されてしまうこともあるだろうし、新しいイノベーションやビジネスモデルのきっかけとなるケースもこれから当然出てきますよね。白田さんのなかで、この市場原理というものをどのように位置づけているのかお聞きしたいのですが。

白田秀彰(以下、白田):

 市場というものが、私の図式のなかでどこに当てはまるのかということについてお話します。まず、経済とは「オイコス」というギリシア語からスタートしたという話がよく参照されますが、これは本来の意味としては「家政」を意味していますね。つまり、資源をうまく配分することで、永続的な人類社会の幸福を実現するというのがもともとの経済の意味だったはずです。そしてそれをサポートする具体的なシステムとして市場があった。
白田秀彰
E2:白田秀彰

 ところがみなさんもよくご存じのとおり、いまの市場はマネーゲームといいますか、貨幣という価値単位を追求するための場になっている。その追求のためには、東南アジアがどうなろうが、地球が砂漠化しようが構わないというレベルで暴走しているわけです。ここには規範的な部分が抜けてしまっている。ゲームのゴール地点が貨幣の蓄積に設定された段階で、残りの要素はすべて捨象されたためでしょう。

 またかつての市場とは、コミュニティを統合することによって最大効率をあげるというものでした。そして近代化の過程では、国民経済をつくるために中心的な国家が周辺国をどんどん取り込んで、市場域を拡大していく運動が起こったわけです。ところがいまは、情報技術のサポートを受けることで、むしろOneToOneマーケティング*5のように個人に向けて細分化されたサービスを提供することが可能になりました。画一的な商品を受け入れる統合的な市場をつくるというよりは、できる限り最大の利益を生み出すために、ひとりひとりに合わせて商品を差別化して、どんどん売り込んでいくことがいまは可能になった。これはまさにポストモダン的な状況といえるでしょう。

 ここで質問に答えます。「経済」は永続的な人類社会の幸福という、もしかすると永久に解決不能かもしれない価値の問題を追求しながら、資源の配分を行うというギリシアっぽい意味で把握したいと思います。ところが、「市場原理」のほうは、そうした価値の問題とは独立して機械的に動作するシステムとして理解しています。ですから、外部からのコントロールが無ければ暴走する危険を常にはらんでいる。それゆえに、市場原理は「至上」に取り扱われるベきではなく、つねに「経済」の支配下にあるべきだと考えています。

東浩紀

 議論を整理するために、さきほどの図(図:ポストモダンの二層構造)をもう一回お見せしたいのですが、よろしいでしょうか?

図:ポストモダンの二層構造
図:ポストモダンの二層構造

 ここで僕は上部構造のほうに「市場の論理」を、下部構造のほうに「セキュリティの論理」と記しています。これはどういうことなのかというと、ポストモダン社会の二層構造は、それぞれに対応した二種類の論理で規制されているのではないか、ということなんです。一方には、ひとつのアーキテクチャからできるだけ多様なコミュニティを生成させようとする「市場の論理」がある。そして他方には、アーキテクチャの保守そのものを至上命題とした「セキュリティの論理」がある。この2つが争っているわけです。

 僕はこれは、いま話題になっている知的財産権の問題でも言えると思います。デジタル技術とネットワークの整備の流れのなかで、当然のことながら、著作物の流通をできるだけ平易かつ自由にしようという「市場の論理」がある。しかし、他方には、それでは著作物の生産過程そのものが壊れてしまうと考える「セキュリティの論理」がある。

 プロパテントは実際には資本主義の権化だと考えられているので少しねじれた比喩になってしまいますが、僕は、プロパテントとアンチパテントの争いというのは、現代社会のあちこちで展開されているセキュリティの論理と市場の論理の衝突のひとつの局面だと思うのです。実際、レッシグがどこかで引用していたように、アメリカ映画協会(MPAA)の会長が、P2Pユーザとの戦いをテロリストとの戦いに喩えたことがありますね*6。この比喩は本質的です。いまや著作権の侵害は、テロと同じように、アーキテクチャへの攻撃そのものだと見なされているようになっているわけです。

 いずれにせよ、ポストモダン社会は、一方には市場の論理があり、他方にはセキュリティの論理があって、そのバランス感覚で動いている。しかしそこには、規範や伝統的な価値観が入る余地がほとんどない。ここまで著作権絡みの話題が多いのに、著作権とは何なのか、といった本質論が空疎に響いてしまうのは、そのせいですね。

白田:

 そうなんですよ。




*1:註:波状言論2004年10月号 白田秀彰×真紀奈17歳×鈴木謙介×東浩紀 「知的財産権とネット・コミュニティ」

*2:註:ぱどタウンでは、そのユーザ層が低年齢であることから、従来のネットユーザ文化とは異なる文化が形成されていると観察されてきたが(その潜入調査は風野春樹氏によるものが有名。→読冊日記 2004年 6月中旬 ぱど厨になってみる)、画像の無断転載という振る舞いなどが問題視されていた(◇『ぱ●タウン』 直リンク無断転載について◇)、こうした問題に対する運営者側の対処として、外部への画像参照をアーキテクチャ的に禁じた(ぱどタウン - リンク制限の実施について)。これによって、画像利用を行いたいユーザが、NAVERブログに移住し、再び画像転載が問題になっている(NAVER Blog転載対策室)。

*3:註:波状言論2004年10月号 白田秀彰×真紀奈17歳×鈴木謙介×東浩紀 「知的財産権とネット・コミュニティ」

*4:註:サムネイル表示は著作権侵害に該当せず、リンク表示は今後の課題に (MYCOM PC WEB)加野瀬による考察は以下を参照のこと。→ARTIFACT ―人工事実― | 画像引用はどこまで認められているのか?

*5:註:e-commerce(電子商取引)や、ITを導入した顧客対応などのマーケティング手法を総称・象徴したもので、インターネットの普及とデータベースの低コスト化に伴い、従来はデータの取得・管理コストから実現できなかったような顧客ひとりひとりへの個別対応(パーソナライゼーション)や、データマイニングによる購買ルールの発見と逐次的なプッシュ広告手法などを指す。80年代の消費者と企業の関係が「内面的に」消費者の欲望に訴える広告を通じたものだったとすれば、情報社会におけるマーケティングは、常に消費者を監視・管理するし情報を的確に消費者に提示することで購買確率を上げるという、まさに内面に関与しない「動物的」なものと表現できる。解説は以下などを参照のこと。→特集:One-to-Oneマーケティングツール

*6:註:Wired News - RIAAも「衝撃と恐怖」作戦、違法ファイル交換の学生4人を提訴 - : Hotwired

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