ised議事録

01-0810. 倫理研第2回: 質疑応答(1)

E2:質疑応答
(開催:2005年1月8日 国際大学GLOCOM / 議事録公開:2005年3月12日)

質疑応答(1)

小倉秀夫(東京弁護士会 以下、小倉):

 著作権関係を主に扱っております、弁護士の小倉と申します。大陸法、とくにヨーロッパを見ますと、その法体系や法空間の構成は、まずEUという体系があり、その下に国家が、その下に州が、そして県、市町村……と体系が連なっています。そして村と村の法律が抵触する場合には、県単位で調整する法律をつくる。国と国とで抵触する場合にはどちらを優先させるかを決める抵触法理がつくられていく、という具合に物事が進んでいるんですね。

 これと同様に、我々がそれぞれリアルワールドで形成している法律と、サイバー社会のなかの領域・集団で活用されている法律との間の抵触関係は調整できないものでしょうか。つまり、いわゆる国際法的な観点で現実社会とサイバー社会との間のルールを決めていけるのではないかと考えているんですね。

 もうひとつ必要なのは、どちらを優先させるかはそれぞれの領域の代表者が話しあうことが必要ですが、サイバー社会からも誰かが代表者として出てくる必要があるということです。

 こうした運用イメージについては、白田先生いかがでしょうか。

白田秀彰(以下、白田):

白田秀彰
E2:白田秀彰

 まずサイバースペースに関する統治機関はいまのところないわけで、あらゆる法的問題を国際私法にならった法の抵触 (Conflict of Laws) の考え方*1で片づけてしまうのは、いまのところまず不可能でしょう。ただ、電網界の島宇宙化はきわめてスピーディだけども、それに関して法の抵触の問題で対処していくことは、私は今回の発表のなかでも一応可能であるとしているんですね。つまり「手続きとしての法律」を用いて、あるふたつの法律が抵触した場合どのような適用をするのかという取り決めを定めることはできる。そして、それでオーライだという立場も私はありうると思うんです。

 たとえば皆がばらばらの島宇宙で暮らしていて、たまたま集団間の抵触が起きた場合には、純粋にプロトコルにしたがって問題に対処していくという感じですね。実際アメリカでは法の抵触の問題はすごく重要です。なにせ50州もありますから。ただ、アメリカにせよEUにせよ、抵触するとはいえ文化基盤はそれなりに共有されていたわけですね。

 もし仮にAとBの間で抵触が起こったとして、両者の常識がまったく異なっている場合に、手続き的にこの紛争に関してはAとBの間にAの側の法律を適用すると決めるとします。しかしBには納得するための常識のベースがないとなると、Bとしては「なんだそれは。俺たちそんなのは知らん」となる。そうなったときにはルールに従わせる強制力はあるのかが問題になりますが、国際法の場面でも見られるように、上からゴツンと叩く主体がいなくなる審級というのがあるわけです。情報社会における問題はまさにこうした点にあると思うんですね。

鈴木謙介(以下、鈴木謙):

 補足しますと、ヨーロッパであればローマ帝国にまでさかのぼる「汎ヨーロッパ」なる観念が成り立ちますが、島宇宙化していくコミュニティではそうした伝統の存在を期待できません。また、どちらの法律を適用すべきかというレジティマシーの問題も重要なのですが、より問題なのは「誰かと調整をするプロトコルが存在するということ自体が許せない」という存在が現れたときにどうするかなんですね。これはまさにグローバリゼーション研究でリアルに提起されている問題なのですが、つまり「我々の神は絶対だ」と主張する他者をどうすべきか。彼等に対して「わかった、あなたたちの神様も尊重するよ。我々の神様と同じくらいに」と言ったとしても、そう言われること自体が彼等にとっては許せないわけです。

 つまり、調停プロトコルがあればよいとしても、そこからこぼれおちてしまう人々……

東浩紀(以下、東):

 テロリストの問題ですね。

鈴木謙:

 そうです。そしてこうした存在がグローバリゼーションのなかで増大してきているという事態が指摘されている。こうした事情も考慮すると、手続きによる調停も厳しいのではないかという印象です。

小倉:

 ただ、ヨーロッパがそれほど均質的な価値観をもっているかといえば必ずしもそうではありませんね。とくにヨーロッパ社会ではカトリックプロテスタントとの戦いのなかで国際法秩序が形成されており、おそらく彼らは心情的には互いに相容れない存在だと感じていたはずです。100年、200年ぐらい前までは相手を殲滅してやりたいと思っていながらも、それを実現しようとすると全員自滅しかねないと、歴史を通じて身に染みてわかったわけですね。

 そういう意味でいけば、確かにテロリストはそもそも法に従わない存在ですから無理だとしても、初端から法を無視するのではない他者とのあいだのルール調整であれば、可能ではないかと思うんですね。

鈴木謙:

 貴重なご指摘ですね。ありがとうございました。他に質問のある方はいらっしゃいますか。それでは崎山さん、お願いします。

崎山伸夫(JCA-NET):

 白田さんが今回提案された伝統への遡行は、部分社会説や四規制力説を含む既存の説の弱点を克服するためのものだと理解しています。既存の説の弱点には複数国家による電網界の分割管理という問題が含まれているので、伝統への遡行という形でこれを解決できる、つまり世界的なレベルで適用できるということになるはずですが、その点について若干の疑問があります。

 「伝統で呼び出す」といった場合、それは誰の伝統なのかという問題です。普通に考えると、伝統というものは地理的なものに依存してしまうと思います。一方、話の前提からいけば、アーキテクチャは単一で地理的性格を持たない、のっぺりとした存在であるわけです。この伝統とアーキテクチャの関係が微妙であるという気がします。

 たとえば、伝統に基づいて実装をしましょうという段になったとき、実装するリソースは国際的にフラットではありません。どうしても先進国とそうでないところでは偏りがある。

 そこでフラットにつくろうとすれば、これはグローバリゼーションの横暴だという抵抗が必ず起こるでしょう。一方、地域に応じて各々の伝統に基いて実装を行おうとすると、まだ世界の地域によっては人権思想的にみて問題のある伝統のうえにアーキテクチャが実装されることもあるでしょう。このとき、先進国のリソースを人権的に問題のある伝統に基いた実装にコミットさせることが政治的・倫理的に許容されうるかというと、これもグレーです。このように、どちらに転んでも厳しいところがあるのではないでしょうか。

白田:

 見事に問題点を突かれたと思います。確かに世界の各国を見渡せば、いわゆる近代法の原則に沿っていない地域は山ほどあって、そこは今回の提案ではカバーできないんですね。

 というのも、近代法を受け入れている国であれば、少なくとも法律のロジックは私が最初に説明したような方法で構築されています。ですから、あのローマ法を解析したドイツの方法論を、そこにいままで蓄積されてきた法的素材やその地域の判例に適用すれば、それほど遠く乖離したものは出てこないはずなんですね。

 ところがそうでない国の場合では、ご指摘のとおり我々が信じている近代的ロジックからはまったく外れたルールが無数に存在していて、それらをひとつの体系のなかに組み込もうとすれば必ず地域分割が起きてしまうんですね。この近代法の原則に沿ってない国の場合をどうするのかが、今回の話で最大の欠陥ですね。それは正直に認めるしかありません。

 そこを乗りこえることは可能なのか。おそらく乗りこえられないと思うんですね。あくまで近代というのもひとつの宗教に過ぎません。ただ、近代化を受け入れたところまでの土壌ができていれば、今回提案した手法は通じるところがあると思うのですが。

東:

 たとえばインターネット・ガバナンスの問題ですね*2。ルートサーバを中国が管理するとき、近代合理主義とは異なった中国的な伝統を呼び出される可能性がある。

白田:

 その可能性はあると思います。しかし、現在のところ逆の傾向が見られるように思います。資本主義の市場論理の世界的拡大はグローバリゼーションと呼ばれ、それは広く批判の対象になっていますが、新しいアーキテクチャをつくるための土台をならしているともいえます。中国も、いままで近代的法律の整備が著しく立ち遅れていたような状態から、国際経済ネットワークに参入するために、ここ10年ほどでいわゆる「スタンダード」な法典が整備されてきたと聞きます。あくまで近代法を前提とする立場からみればこれは望ましいことなんです。アンチグローバリゼーションの方々からすると批判されてしまうかもしれませんね。

 ですから、またまたトリッキーかつアクロバティックなのですが、市場経済の駆動力を経由して近代法を支えているものと同じロジックが普及していっているという状況を見るならば、いきなりある特殊な伝統に基づいたルールが設定される危険はそれほど大きくないのではないかと考えます。ただ、全世界が近代のルールに染め上げられるとも思えないわけです。

鈴木謙:

 僕が考えていたのはまったく逆のことでした。ジョン・グレイなどの政治学者が「グローカリゼーション(glocalization)」*3という現象を指摘しているのですが、これはつまりグローバル化するからこそ人々は自分たちのローカルな美点を伝統として再発見し、かえって伝統が強化されるのではないかというものです。ですから、アーキテクチャをつくるための地ならしをすればはたして状況はよくなるかというと、それは怪しいのではないか。

白田:

 今日の講演では出てこなかった話なんですが、私は近代のロジックすなわち合理性が通じない人が存在することが正直怖いという話をよくするんです。それは、私にとって合理性・論理性が統一的なシステムをつくるための最後の砦であって、そこを越えた話をされてしまうと、それは東さんの図式で言うところのテロリストだと感じてしまう。こういう発言をすると「白田はやっぱり帝国主義なんだな」と言われてしまいそうで、確かにそれはそうかもしれない。ただ逆に合理・論理以外のやり方があるのか。あるというなら、それをぜひとも聞きたいんですね。

東:

 できるだけ多様なテロリストが共存できるように、しっかりと環境管理をするしかないんじゃないでしょうか(笑)。

白田:

 しかしそれでは、ますます管理の方向へ向かうわけですよね。

東:

 そうですねえ……。

 ただ、あえて露悪的な話をしますと、もし世界中の人々がバイオメトリクスGPSで徹底的に管理され、民間データベースも何もかも統合されて世界政府に一元管理されているとして、そのせいでアフガン空爆イラク戦争が回避されるというのであれば、それはそれでありだと思うんですよ。そこまで監視社会化が進んでいれば、ビン・ラディンの居場所も正確に分かるわけで、無闇に爆弾を落とす必要はないはずですよね。実現可能かどうかはともかく、そういう未来を夢見る立場はありうると思うんです。

 しかし現実はそうではない。現在のアメリカは、空爆はする、イラクは侵攻する、そのあとも次の「悪の枢軸」を探し回っている。そして同時に、世界中の人間の指紋も取ろうとしている。これではどうしようもない。監視技術を無闇に敵視するのではなく、こうした際限のなさこそが批判されねばならないと思うんですね。




*1:註:「法の抵触」を解決するものは国際私法(=抵触法)と呼ぶ。「国際法」は国家間の調停を行うもの。→国際私法講義ノート: 国際私法の概念

*2:註:日経ネット時評 - 会津泉「世界情報社会サミットとネット社会のガバナンス」

*3:註:「グローカリゼーション」という言葉はRonald Robertson“Glocalization:Time-Space and Homogeneity-Heterogenity",1995.などで使われ始めた、globalizaionとlocalizatonを合わせた造語。ジョン・グレイはロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)のヨーロッパ思想史教授。著書に『グローバリズムという妄想』(日本経済新聞社、1999年 asin:4532147565)など。LSEはギデンズやベックなどの社会学者などで著名。

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