ised議事録

01-0811. 倫理研第2回: 質疑応答(2)

E2:質疑応答
(開催:2005年1月8日 国際大学GLOCOM / 議事録公開:2005年3月12日)

質疑応答(2)

鈴木謙介(以下、鈴木謙):

 では、次の質問にうつります。

新井俊一(FreeKaneko.com - 金子勇氏を支援する会):

 FreeKaneko.comの新井と申します。白田さんは、民主主義はもうこれからのルール決定プロセスとしてうまく働かないのではないかと問題提起されていましたが、新しいルールや法をつくるにあたっては、そのための運営方法や体制がまず必要だと思うんですね。これまではとにかく民主主義でやりくりしてきたわけですが、それが働かないとなると、まずはルールをつくるためのルールが必要になってくるのではないでしょうか。この点についてどのようにお考えですか。

白田秀彰(以下、白田):

 そうですね、宗教法から近代法に移行する際に、助走と離陸という過程があったと思うんです。いまは民主主義がだんだん機能しなくなる傾向にあるけれども、まだ我々の国家は民主主義で動いていることになっているし、そんなに無茶苦茶なことにもなっていない。つまりまだ新しいシステムへの助走期間で、完全に民主主義から離陸しているわけではないわけです。だから、いまのうちに何とかするしかない、としか言えません。これはレッシグもまったく同じ発想だと思います。民主主義のシステムが動くようなアーキテクチャを法律によって構築しよう、と彼は言うわけですから。

鈴木謙:

 逆に言うと、このままではやばいと。

白田:

 放置すれば完全管理の方向に向かい、民主主義のプロセスが動かない状況にまで行き着いてしまいますから、まだ動いているうちになんとか動くようにしておきましょう、という感じではないかと思うんですね。

 たださきほど東さんが、完全管理をしても空爆がないのであればその方がいいという論理を提起されていたのが印象深いんですね。その論理で攻められたら確かにそうかもしれないと説得されるかもしれないと思っているところです。

東浩紀(以下、東):

 多少補足しますと、僕がいったのはあくまでも共存のための管理です。多様な人々を共存させるためのメカニズム、となると、結局これは民主主義の理念に近いような気もします。

高木浩光(以下、高木):

 しかし、管理をしたところでテロリストのような人たちは必ずまた抜け道を探るものですし、しかも技術的にたいてい抜け道があるものでして、管理をしたところが肝心のものは防げずに、善良な人たちがただ管理されるだけ。これがいつものパターンになってしまっている。

 たとえば企業から新しい監視・管理技術が出てきたとき、私の仕事としてはそこにプライバシーの問題があると指摘するわけですが、必ずこうした問題構図を突けば突けてしまうんですね。分かりきった構図なのに、どうしてこんなずさんな管理技術を導入するのかが謎なのですが、要は導入者の側は何も考えていないんですよ。単に技術が進みつつあるからそれで商売がしたい、産業の育成がしたいという動機でしか動いていないだけなんじゃないのか? と思うわけです。

東:

 おっしゃるとおりです。その点は繰り返し指摘していく必要がありますね。

 僕や白田さんの主張は、ひとことで言えば、管理強化には目的意識が必要だろうということです。その目的が、白田さんであれば民主主義の実現だろうし、僕であれば多様性の確保になる。

鈴木謙:

 それでは次の方お願いします。

坪田知己(慶應義塾大学大学院 以下、坪田):

 いまの東君の話を敷衍するかたちでコメントしたいんですが、法を裏打ちする「強制力」という話がありました。これは極端にいえば武力ということですね。しかし、強制力をもつためには大義名分や正義が必要です。そして正義というものは単なる飾りとしての正義ではなく、人類の長い歴史でみたときそこには繁栄のメカニズムが裏打ちされているものです。つまり、産業や経済のレベルも伴わない正義では、長期に渡る権力を維持できない。

 近代という時代が可能であったのも、ごく教科書的な話でいえば産業革命とフランス革命のような市民革命が両立したからですね。そして、アメリカで資本主義が確立したということです。いまアメリカが世界を引っぱっているということの内実は、強大な武力と資本主義だというわけです。こうした裏打ちがあってはじめて民主主義という正義は担保されている。

 こうして見てきたとき、いまインターネットが何を生み出しているのか。これは産業革命みたいなものだと言われているわけです。であるならば、新しい繁栄を牽引するメカニズム、新しいビジネスモデルをどのように構築するかということもいま問われている。ただ今回の話のなかには、セキュリティや伝統の話はあったんだけれども、繁栄や経済という視点は見られなかったと思いますので、今後の議論に含めて頂ければと思います。

東:

東浩紀
E2:東浩紀

 ありがとうございます。ぜひとも議論していきたいと思います。

 ところでひとつ応答したいのですが、近代の二本柱として産業革命とフランス革命があるという指摘、これは僕の言葉で言えば、動物的快楽(繁栄)を与えつつ近代的人間(理念)を生み出すということなんですね。そういう意味で、近代社会では必ず繁栄が理念を裏打ちしていた、という坪田さんの指摘はまさにそのとおりです。ただ、僕がポストモダンの二層構造ということで言いたいのは、その両輪がいま切り離されているということなんです。ポストモダン社会では、繁栄は理念を必要としなくなっている。今日の議論で繁栄の視点がなかったのは、そういう事態の反映だとお考えください。

坪田:

 もちろんそうなのですが、もう一段メタなレベルで理念が必要だと思うんですね。昔のようなガチガチの理念ではなく、なんというか柔らかな理念がこれからは必要なんじゃないかと思いますね。

東:

 うーん、難しい(笑)。検討させていただきます。

鈴木謙:

 最後に福島さん、お願いします。

福島直央(一橋大学大学院修士課程):

 一橋大院生の福島です。白田先生の提案された伝統主義について質問したいと思います。いまインターネットの世界には、すでに独自のルールが存在していますね、たとえば設計研の第1回でも出てきた“Rough Consensus and Running Code”のようなものです。そこで白田先生のいう伝統主義というのは、こうした新しい論理が暴走しないよう制御するために、現実の側から呼び出されるものなのでしょうか。それとも、こうしたインターネットで自生してきた慣習や論理を組み込んでいくことを含むのでしょうか。

白田:

 少なくともネットワーク独自のルールは、環境に適合したかたちで生まれているわけですから、その論理はきわめて強固に働くわけですね。そうした論理を組み込んでいくことはもちろん重要です。しかしそれがリアルワールドと整合性を保てなくなったときには、すり合わせをしなくてはいけない。このときいくら現実の側から伝統主義を叫んでネットワークに介入していったとしても、基本的には自生的な論理、すなわちネットワークの慣習や論理のほうが強いでしょう。ですから、現実の側からの伝統主義は、あくまで暴走を止めるというネガティブなものに留まってしまうのかもしれません。

東:

 ネットワーク独自に発生したルールといえば、Winnyが顕著な例ですよね。あれはネットワーク環境にきわめて適合するかたちで生まれてきた著作物交換のルールであるがゆえに、ネットワークの外部にとっては大きな脅威になっている。

白田:

 一般に著作権というものは「コピーを禁止する権利」だと思っている方も多いと思うんです。だから、ネットワークで自由にコピーができてしまうのはけしからんので、その暴走を止めねばならんという話になっている。しかし、なぜコピーライトという権利が生まれてきたのかその歴史を遡っていくと、それは一言でいえば「その環境に応じたもっとも最適な情報環境を、市場原理を使って実現するために発生してきたもの」なんですね、私の研究によれば。であるならば、歴史的視点から見ても、コピーが安価かつ完全に可能なネットワーク環境において、コピーを禁止するというのはきわめてナンセンスなことなんです。こんなことを言ってしまうと、どこからか首を狙われそうですけれど(笑)。

 また、著作権は情報の流通を支配する権利としてみることができます。ところが、これをネットワーク環境に適用してしまうと、誰にどういう情報を与えるのかを緻密にコントロールする技術と結合し、検閲が行われているのと類似した状況を生み出してしまう。事実、かつての著作権制度は検閲制度とセットで実現していたわけですし*1。そこで、検閲をやらずに、かつ著作再生産のインセンティブを保障し、さらに消費者に対して適切な情報資源の配分を行うために、近代的著作権法は生まれてきたんですね。そして1700年頃からおよそ1900年あたりまではその理念を維持していた。しかし著作権制度の雲行きが怪しくなってきたのは、何も情報化が言われる最近のことではなくて、20世紀に入ってからのことなのです。

(左から奥へ)白田秀彰北田暁大金亮都石橋啓一郎
E2:白田秀彰、北田暁大、金亮都、石橋啓一郎

 そこでいま問題になっているのは、コピーが完全に自由に配布できる環境で、どうやって再生産のためのインセンティブを保障するのかということです。そこでいまは、とにかくコピーを止めてしまえばいいと短絡されてしまっていると思うんですね。しかし私の提案する伝統主義によればそうではないんです。そもそもなぜ著作権制度があるのかというところにまで遡ったうえで、新たに登場してきたコピーフリーなネットワーク環境において、そもそも著作権が何百年にもわたって保持してきた機能をいかにして再構成するのかが思考される必要がある。それはコンテンツにIDを振って、完全に著作権者が流通をコントロールするシステムを実装すればいいという話ではないと思うんです。

 そこで設計研鈴木健さんに期待しているのは、新しい貨幣システムを導入することでこうした問題を積極的に解決するということなんですね*2。新しい貨幣システムで解決できるかもしれないというのはまったくの勘に過ぎないのですが。というのも、『貨幣システムの世界史』(黒田明伸、岩波書店、2003年 asin:4000268414)という、そもそもなぜ貨幣ができたかについての歴史の本を読んでいたんです。その本を読みながら思い当たったのが、プライバシーの問題やアクセス設定の問題を匿名状態で処理するためのシステムとしての貨幣の性格だったんですね。

 いまのDRMはガチガチの管理形態を目指しがちで、一般的な普及を考えると現実的でないものが多いのが難点です。しかし、適切なネットワーク上の貨幣システム設計を行えば、匿名性を担保したままに、著作権の理念を損なわないDRMが可能になるのかもしれない。

東:

 この話は、まさに設計研に持ち越して議論されると思います。貨幣――とくに紙幣ではなく硬貨――の重要な特徴はまさに匿名性です。市場とは、匿名で効率的な資源配分ができるほとんど唯一のシステムで、だからこそ資本主義はこんなに強いわけです。

鈴木謙:

 高木さん何かありますでしょうか。

高木:

高木浩光
E2:高木浩光

 暗号応用の研究分野では、貨幣の匿名性を維持したままに電子マネーをどう実現するかという研究が少し前から盛んに行われてきました。単純な電子マネーのシステムでは、お金の捏造をできないようにするために、ひとりひとりが貨幣をどうやりとりしたかをトラッキングすることで実現できますが、そうすると匿名性が失われてしまう。そこで、暗号技術を用いて匿名かつ捏造不可能にしようという研究が進むわけですが、しかし現実にはというと、そういった研究成果が省みられることなく最もシンプルな方法、たとえば全部ユニークIDで管理された電子マネーといったものが普及してしまうんですね*3。いつものパターンなのですが、この流れを覆すにはどうすればいいのかと日頃から頭を悩ませているところです。

鈴木謙:

 今日は質疑応答も活発に交わされ、設計研と関連する論点も数多く提起されるなど、大変熱気に満ちたものだったと思います。みなさんありがとうございました。




*1:註:白田の著作権の歴史的研究については、その修士論文の一部がオンラインで公開されているので参照されたい。→白田秀彰『コピーライトの史的展開』

*2:註:設計研委員である鈴木健のプロジェクト“PICSY”を念頭にした発言。

*3:註:高木浩光@自宅の日記 - Suica番号がメールアドレスと結び付けられ始めた, Edyナンバーをいろいろ流用するのが花盛り

トラックバック - http://ised-glocom.g.hatena.ne.jp/ised/03110108