ised議事録

02-123. 設計研第2回: 共同討議 第1部(1)

D2:共同討議 第1部
(開催:2005年2月12日 国際大学GLOCOM / 議事録公開:2005年4月9日)

環境管理型権力の条件と監視社会の公準

東浩紀

東浩紀

 ありがとうございました。第1回の設計研では、石橋さんがIETFを例としてプロジェクト運営や場の設計について講演を行い、それを受けて、「全体最適」主導型の例としてEA、「部分最適」主導型の例としてオープンソースという軸を立てつつ、情報社会における組織設計のありかたについて議論を行いました。今回の八田さんの講演は、オープンソースのケースをより詳細に紹介してくださったものです。

 他方で、いま倫理研のほうでは、規律訓練型権力の凋落と環境管理型権力の浮上という問題が議論されています。前回(第2回倫理研)の白田さんの講演では、環境管理型権力が強まるなかで法はどのような役割を果たしていけばよいのか、が問われました。それを受けて北田さんより環境管理型権力をよりよくコントロールする条件とはなにか」という本質的な疑問が提示されたのですが、八田さんの今回の講演は、それに部分的に答えるものにもなっていると思います。

 さて、本来であればただちに共同討議に移るべきなのですが、今日の講演のキーワードになっている「環境管理」はそもそも僕が提案した言葉なので、少し補足をさせてください。講演で最後に環境管理型権力の条件が挙げられていましたが、これが実は、僕が最近考えていた「監視社会=情報社会公準」と共通する部分が大きいので、ぜひ紹介したいと思います(図:監視社会=情報社会公準)。

図:監視社会=情報社会公準
図:監視社会=情報社会の公準

 このスライドは、ほかの講演用に作ったものの一部なのでちょっとわかりにくいかもしれません。ここで示した「監視社会=情報社会公準」というのは、監視社会=情報社会環境管理型権力の暴走をどのような理念に基づいて歯止めをかけていけばよいのか、現時点での僕の考えを簡単に記したものです。

 僕はその基準は3つあると思います。

 第一に、多様性の実質的な確保です。これは前回の倫理研でも述べました。アーキテクチャの層での管理を強めるのならば、そのかわりに価値観の層で多様性や自由が拡大しなければ意味がない。八田さんの講演では、オープンソースのコミュニティでは多様な価値観が許容されており、内面には立ち入らない(ストールマン主義をとらない)と述べられていました。それがこの基準と近いのかな、と思います。

 第二に、リスクの理性的把握と情報公開です。僕のこの文章は、セキュリティ・ビジネスの暴走を念頭に置いています。国家や企業は、人々の不安を煽ることで、安全という商品を売りこんでいる。資本主義の社会は、ひとびとの商品への欲望をさまざまなかたちで駆り立てます。1980年代には「差異の戦略」ということが言われました。使用価値が同じ商品でも、広告そのほかによって記号的な差異を際だたせ、付加価値をつけて売ることができるというわけです。それに比して言えば、いまは「安心の戦略」が台頭しつつあると思います。つまりは、ひとびとの不安やリスク意識を際限なくかきたてることが、利潤の源泉となり始めているということです。こうした動きには、リスクの理性的な把握と情報公開によって歯止めをかける必要がある。この部分は、八田さんが述べた「存在周知」「目標周知」にあたるでしょう。

 そして最後に、僕はここで、匿名であることの権利、言い換えればネットワークから切断する権利を提案しています。これは、具体的には、ユーザーがその見返りとして提供されるサービスやアクセス権を欲していないのであれば、個人情報の提供は求めるべきではないということです。いま実際に、治安対策の面で、個人情報を提供しない人間は原則としてハイリスクな存在だと見なされるようになっていると思います。そういう状態を制限するために、人間には基本的に匿名になれる権利を認めるべきだ、というのが僕の考えです。八田さんは、同じ発想を、フォークの事例を出しながら「退出可能性の確保」という言葉で表現されていたと思います。



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