ised議事録

02-124. 設計研第2回: 共同討議 第1部(2)

D2:共同討議 第1部
(開催:2005年2月12日 国際大学GLOCOM / 議事録公開:2005年4月9日)

フリーソフトウェアからオープンソースへ=規律訓練から環境管理

東浩紀(以下、東):

 それでは共同討議に移りましょう。前回までは共同討議はすべてフリーディスカッション形式でしたが、今回から多少趣向を変えて、第1部では、まず八田さんの講演内容について簡単な質疑応答を行ったうえで、楠さんと鈴木健さん、それに井庭さんから、長いコメントをいただこうと考えています。

 まずは僕からの質問――というか、お願いです。今日の講演では、フリーソフトウェアオープンソースの違いや、「オープンソースの定義」(OSD Open Source Definition)の内実など、いくつかの用語について基本的な説明が省略されていました。戸惑っているからもいらっしゃると思うので、補足していただければ、と思います。

八田真行(以下、八田):

八田真行

 わかりました、話せば長い話になるんですけれども(笑)。まず、そもそもの話の発端として、昔は大型汎用機(メインフレーム)が一般的で、いまのパソコンのように個人で所有できるようなものではありませんでした。ハードウェアがものすごく高価だったので、ソフトウェアはほとんど無料で手に入るといいますか、つまりどうでもいいものだったわけです。また当時ソフトウェアというのは自分でコードを入力して動かすのが当然でしたから、ソースコードは公開されるのがそもそもの前提だったわけです。フリーソフトウェアコピーレフトなどで著名なストールマンは、こうした時代に育ったんですね。彼はMITのエンジニアで、非常に優秀なハッカープログラマーでした。

 しかし80年代頃からパーソナルコンピュータがでてきて、それが一般のひとにも普及し始めました。マイクロソフトビル・ゲイツに代表されるように、ソフトウェアの内部設計図であるソースコードを非公開(プロプライエタリ)とし、その頒布にお金を取る。しかもお金を取らない頒布は禁止するというビジネスモデルが生まれました。つまり、ちょうど現在のソフトウェア産業が生まれつつあったんですね。これによって、ストールマンはいままでのハッカー文化が崩壊してしまうと危機感を抱いたわけです。彼の考えでは、ハッカーは他人のソースコードを見ていじくること(=ハックhackする)によって、新しい知識が生まれたり、プログラミングする喜びや楽しみを得ていました。しかしソフトウェア産業が主流になると、プログラマーたちは金銭動機に動かされ次々と研究機関から抜けていってしまった。

 こうした状況に対してカウンターを入れたいと考えたストールマンは、1984年にGNUプロジェクトを始め、また翌年にはFree Software Foundation(FSF)という団体を立ち上げました。彼が考えたのは、要するにフリーなソフトウェアがなくなってしまうのならば、俺がこれからフリーなソフトウェアを書いて、それを皆が使えるようにすればいいというものでした。そこでGNUシステム(これはUNIXを似せたものだったのですが)をつくり、フリーで公開しはじめたんです*1

 その頃から彼はそのGNUのソフトをフリーソフトウェアと呼び始めました。フリーソフトウェアの定義では「4つの自由*2を定めています。

  • 目的を問わず、プログラムを実行する自由。
  • プログラムがどのように動作しているか研究し、そのプログラムにあなたの必要に応じて修正を加え、採り入れる自由。
  • 身近な人を助けられるよう、コピーを再頒布する自由。
  • プログラムを改良し、コミュニティ全体がその恩恵を受けられるよう あなたの改良点を公衆に発表する自由。

 これらの大前提として、ソースコードが自由に入手可能であることを定めています。こうした、いま我々がオープンソースという名前で知るような自由を確保されたソフトウェアというのは、このフリーソフトウェアと名付けられたものなんですね(ちなみに、このフリーというのは無料の意味ではなく、「自由な」という意味のフリーです*3)。

 そして彼は着々とフリーソフトウェアを書いていったんですけれども、爆発的に普及するには至りませんでした。その要因は、まだインターネットが普及していなかったであるとか、カーネルというOSのなかでも非常に重要な部分が完成しなかったなどの理由が考えられます。ともあれFSFストールマンは強い影響力を持っていましたが、彼らのプログラムが広く一般まで普及するということはなく、結局マイクロソフトのWindowsが一般的に普及していまに至るわけです。

 次にオープンソースですが、1991年頃にリーナス・トーヴァルズ(Linus Torvalds)というフィンランドの学生がLinuxカーネルというカーネル部分*4を書きました。これはGNUシステムと組み合わせることが可能で、しかもそれがPC/AT互換機という普通のパソコンで動いた。さらにインターネットの普及と時期が重なったわけで、このLinuxが普及し始めたわけです。こうしたLinuxをめぐる現象は新しいのではないかと注目されはじめたとき、エリック・レイモンドが『伽藍とバザール*5という論文を1997年に発表しました。彼は古株のハッカーたち、つまりストールマンFSFと、リーナスたちのLinuxの比較をしたんですね(正確にはLinuxカーネルではなくFetchmailをはじめとするLinuxコミュニティが開発していたソフトウェアを分析しています)。

 FSFの、事前にきっちりと必要なソフトウェアを洗い出し、設計し、少数精鋭でつくるというスタイルは、インターネットの普及を前提にするとうまくいかないと彼はいいます。これを、大聖堂(カセドラル Cathedral)のような設計図ありきで巨大建築をつくるスタイルになぞらえ伽藍(カセドラル)型と称しました。そしてレイモンドはこれに比べて、インターネットの時代にはバザール型の開発手法が優れていると論じます。つまりバザール市のように、どこからともなく皆が集まり自由にゆるい統合を保ち、ガチガチの事前設計なしにコーディングをし、まわりのユーザーの協力をもらってデバッグを重ねるほうが、結果として効率がよいのだ、と。

 この伽藍型モデルを企業戦略としても採用しようという動きがでてくるのですが、そこでエリック・レイモンドたちは次のようなことを危惧していました*6。そのときはまだオープンソースという言葉はなく、伽藍型モデルとバザール型モデルは開発形態こそ違えど、ライセンスなどの点ではストールマンフリーソフトウェアとほとんど同じものを採用していたため、先行物であるフリーソフトウェアと同じようなものと理解される可能性があった。しかしフリーソフトウェアには非常に強い思想的色彩、つまり講演のなかで述べたストールマン主義のようなものですが、これは強い反商業的な色彩を帯びていました。ですから、それと混同されることはビジネス連携の障害になるとレイモンドらは考えたわけです。そこで彼らは新たに「オープンソース」という名称をつくった。つまりライセンスなどの内実はほとんど同じなんだけれども、ストールマン風の反商業主義的な色彩を抜いたわけです。

 こうしてレイモンドたちは1998年にオープンソース・イニシアチブ(OSI)を設立し、オープンソースを打ち出しました。彼らはそのころマイクロソフト社のブラウザInternet Explorerとの競争に負けつつあったネットスケープ社にこの話を持ち寄り、Netscape Navigatorオープンソースのライセンスで公開させました。これがMozillaプロジェクトになるのですが、当初はまったくうまくいかずという話*7がありまして、このあたりはややこしいので省略します(笑)。いや、現在はうまくいっているのですが*8

 そして今回の講演で主張したかったことは、このフリーソフトウェアからオープンソースの移行には単に反商業的な性格を抜いたというだけではなく、実は規律訓練型から環境管理型への移行があるのではないかということなんですね。こうした補足でよろしいでしょうか。

東:

 ありがとうございます。

 ほかに委員の方から質問がありますか。

石橋啓一郎(以下、石橋):

 細かい質問になってしまいますが、2点あります。まず、その環境管理型権力の規制対象になっているのは今回の議論ではプロジェクトリーダーや原著作者にあたるのでしょうか。

八田:

 基本的には、開発者全体です。ただ、そのなかにいろいろな属性があるわけですよね。今回はフォークの事例を出したので、特にリーダーというか、プロジェクトをしきっている人間が議論の中心になりましたが。

石橋:

 フォークがあるために「優しい独裁者」にならざるをえないという話が八田さんの講演にあったので、基本的にはその独裁者のあり方に対する環境管理型権力をめぐる議論として受け取ったのですが、関わっている者全体に対してだと考えてよいと?

八田:

そうですね。

石橋:

石橋啓一郎

 わかりました。もうひとつなんですが、レイモンドらが設立したOSI(Open Source Initiative)という任意団体が、オープンソースの定義であるOSD(Open Source Definitions)を決めていますね。これ自体はライセンスではないんだけれども、オープンソース・コミュニティ全体に対する一種の参照モデルとなっており、ある程度共通の「オープンソース・ソフトウェアってこういうものだ」という認識を支えているというお話でした。ただ、これはどういう根拠に基づいて皆に正当だと思われているんでしょうか。

八田:

 そうですね、OSDに関してさきほどの話の続きをしましょうか。オープンソースという名前をつけてレイモンドたちが売り出そうとしていたときに、たまたまDFSGというライセンスがあったという話をしました。これはDebianというディストリビューションが使っていた基準なのですが、なかなか按排がいいということで、これを基にOSDを定めることになりました。

 またその当時から、実はいろいろなライセンスが存在していました。たとえばQTと呼ばれるライブラリのライセンスなども存在していましたが、当時はFSF的なフリーソフトウェアの考え方とは相容れないものでした。あるいはPerlというプログラム言語がありますが、当時これに適用されたアーティスティックというライセンス*9も、FSFはフリーとはみなさなかった。こうしたなか、FSFの定義するフリーなライセンスからはこぼれ落ちてしまうもの*10も取り込んだかたちでオープンソースというものをやりたいという話になったとき、DFSGがたまたまあったに過ぎないとも言える。

石橋:

 たまたまということですと、なぜ皆が「OSDならいいよ」といってくれたのかが不明瞭だと思うんです。

八田:

 うーん、そうですね、なぜでしょうか。オープンソースはたしかにFSFから反感を食らったりもしましたが、特に強力に反対するひともいなかったですね。あとは、Debianの周りに、たまたま発言力のあるうるさい人が集まっていたんですね(笑)。そのうるさい人がオープンソースをつくるときの議論に参加していたために、DFSGを定めた時点で大方の議論はかなり片づいていたのかもしれません。

東:

 それに関して僕も訊きたいのですが、ストールマンは一種のカリスマですね。レイモンドにはそういうカリスマ性はあったんでしょうか?

八田:

 個人的に優れたハッカーであるとは思いますが、それほど有名なひとではなかったと思います。

東:

 FSFにおけるストールマンと、Open Source Initiativeにおけるレイモンドでは、立場が異なるわけですか?

八田:

 いや、設立者という意味ではパラレルです*11

東:

 もし立場が同じなのにもかかわらず、一方がカリスマになり、他方がカリスマにならなかったのだとしたら、そこにこそまさに規律訓練環境管理の違いが現れているように思います。

 今日の八田さんの講演を聞くかぎりでですが、フリーソフト運動がもし規律訓練的だというならば、その中核はストールマンへの人間的な紐帯にあるのではないか。彼らのハッカー倫理というのは、要は「俺のなかのストールマンがこれは許さない」というかたちで形成されていたのではないか(笑)。これはわかりやすい話ですよね。そのあたりが事実関係としてわからないのでお伺いしたいな、と。

八田:

 そういう意味では、フリーソフトウェアが普及したことに関してストールマンが果たした役割は大きいと思います。なぜかというと結局ライセンスというのは単なるライセンスですから、なんらかの乗り物が必要なわけですよね。そして実際ストールマンEmacsであるとか、GNUソフトウェアの中核的な部分のコードを書いてきたわけです。ただレイモンドについては、彼が書いたソフトウェアもいくつかあるけれども、たとえばオープンソースとなったMozillaを書いたわけではない。そういう意味でレイモンドは重要な役割は果たしていない*12

東:

 なるほど。

鈴木健

 最後にコピーレフトの話があったかと思うんですけれども、Linuxの有名な対抗馬としてMac OS Xも採用しているBSD*13がありますよね。BSDライセンスは商品として組み込んで販売することを認めているライセンス、つまりコピーレフトではないライセンスです。環境管理型への移行ということで考えると、GPLは比較的その歴史は古くBSDのほうが新しいですし、とにかく商業的にもマッチしやすい。しかし実際にユーザーの数を見ると、Linuxのほうが多いわけですよね。これは逆説的に見える。八田さんは、コピーレフトとそうでないもののとの違いをどう考えているのか知りたいんです。

八田:

 たとえば現状理解として、SourceForgeというオープンソース・プロジェクトの管理を支援するサイトのデータによると、2004年度には登録されているプロジェクトが約9万あるのですが、その69%程度がGPLを適用している。この数字は確かに多いですよね。

 ただ個人的には、BSDが普及しなかった理由は偶然の産物だと思っているんです。BSDはUCB(カリフォルニア大学バークレー校)で開発されていたためBerkeley Software Distributionという名前がついていますが、もとはAT&Tが開発したものでした。そこで両者のあいだで訴訟があり、訴訟自体は93年にカタがついたんですけれども*14、それ以来BSDは無闇に触ってはいけないという雰囲気が大学のなかで醸成されてしまったらしいんですね。特許の問題があるので、触れるとやっかいなことになるだろうという意識が生まれてしまった。こうした偶然的な背景もあって、BSDは普及しなかったのではないかと思います。

鈴木健

 もし逆にストールマンが最初にBSDのようなライセンスをつくって、そのあとにGPLのようなライセンスをつくったとしたら、いまのGPLのように69%も占めることにはならなかった可能性はあるんですかね。

八田:

 どうでしょう。しかし、もしストールマンが最初からBSDのような、つまり商用製品に取り込んでクローズドにしてもよいというライセンスを採用していたら、おそらくフリーソフトウェア運動のようなものはかなり早い段階でポシャっていた気がします。ですから、そこをifで語っても仕方がないのかもしれない。

東:

 ちなみにGPLというのは――と僕が説明するのは変ですが(笑)――、ストールマンが始めたGNUプロジェクトの「一般公衆使用許諾書」(General Public License)のことですね。これがいつできたものかも、説明お願いできますか。

八田:

 すいません(笑)。第一版は1989年になりますね。ストールマンFSFを設立するのが1986年のことですから、実は少し後のことなんです*15。その段階では、Emacs GPLといったように、プログラムごとで個別にライセンスを書いていました。ただしコピーレフトのような条項はすでに入っていましたが。

鈴木健

 話を戻したいんですが、さきほどの僕の質問の意図というのは、八田さんが講演の最後に「事前の制度設計はそれほど重要ではない、事後的な偶然性に左右される」とおっしゃっていた点についてなんです。つまり、最初の一撃としてのGPLを発明したのはストールマンその人であって、このストールマンが最初にGPLを出したという事実が、制度設計と呼べるかどうかはわかりませんが、ある種の大きな力を後世に働かせてしまったという見方も可能ではないかということなんですよ。

八田:

 確かにいまから振り返れば、その事実は大きいんです。しかし、途中でFSFGNUがポシャっていた可能性も十分にあったと思うんですね。その部分は偶然的な要素が大きく絡んでしまうので。制度設計のはじめの一歩、イニシャルステップについての分析はしていない・できないと講演で言ったのはそういうことなんですね。

 すでにある構造を分析することで、後から制度設計をファインチューニングすることはできると思うんです。たとえば、今後のソフトウェア特許の問題に対処するための方針を導くということはできると思うんですよ。ただ、最初の時点の制度設計の段階では、うまくいこうがポシャろうが、どっちの可能性もあったとしかいいようがない。ですから講演のなかでは、最初の制度設計について考えるよりも、事後的な制度の再定義のほうに着眼を置くべきだと主張したんですね。

鈴木健

 なるほど。わかりました。





*1:註:このあたりのストーリーについては、八田によるjapan.linux.com | GNU GPL登場前夜(1) (2) や、井田昌之「Gnu の誕生まで (Bit Emacs 解剖学草稿 96.10)」、海上忍「【特集】History of GNU - GPLとはなにか (1) History of GNU - GPLとはなにか (MYCOM PC WEB)」などの文章を参考のこと。

*2:註:フリーソフトウェアの定義 - GNU プロジェクト - フリーソフトウェア財団 (FSF)

*3:註:ストールマンもこの点をよく強調することで知られる。たとえば以下の講演記事など。→R・ストールマン講演「ソフトウェア特許は技術の進歩を阻む悪」

*4:註:OSの基本的な機能のこと。→IT用語辞典 e-Words : カーネルとは 【kernel】 ─ 意味・解説

*5:註:isedキーワード伽藍とバザール」参照のこと。

*6:註:レイモンド自身が「伽藍とバザール」の「エピローグ:Netscape もバザール方式を受け入れる」や、「真のプログラマたちの回帰」のなかで「オープンソース」という言葉の誕生の背景について語っている。また、1998年に書かれた梅田望夫のコラム「オープンソースとは何か」などが当時の動向を簡潔にまとめている。

*7:註:たとえば以下の記事などを参照のこと。→IT Pro ニュース : AOLがNetscapeの歴史に事実上の幕,200万ドルの「手切れ金」でMozillaを解放

*8:註:現在、MozillaプロジェクトのFirefoxThunderbirdなどが好評のもと受け入れられている。

*9:註:以下参照のこと。→アーティスティック・ライセンス - Wikipedia

*10:註:以下にリストされている。→ライセンスの一覧 - GNU プロジェクト - フリーソフトウェア財団 (FSF)

*11:註:レイモンドは現在OSIの会長を辞任している。→ITmedia エンタープライズ:E・レイモンド、Open Source Initiativeの会長職を辞任

*12:註:以下参照のこと。→佐々木裕一・北山聡の『Linuxはいかにしてビジネスになったか』(NTT出版、2000年 asin:4757120451)では、レイモンドの捉え方が異なる。Linuxのビジネス的な成功は、レイモンドという人間がLinuxコミュニティとビジネスという本来相容れないものの間を架橋する役割を積極的に果たしたからであると論じる。すなわちネットコミュニティは既存の組織にはなしえない情報の編集(バザール型開発などに代表される)を行うが、その編集価値は得てして市場での価値とは相容れない。しかし、コミュニティから生まれた編集価値をビジネス的な価値に変換・翻訳する「バリュー・コンパイラー(レイモンドはこれに当たる)」を介することで、コミュニティと企業がアライアンス(融合ではなく連携)を組める、というもの。 参考:NTTデータ経営研究所 - バリュー・コンパイリング収益モデルについて

*13:註:以下の記事を参考のこと。→IT用語辞典 e-Words : BSDライセンスとは 【BSD License】 (Berkeley Software Distribution License) ─ 意味・解説

*14:註:以下の文章を参考のこと。→バークレー版UNIXの20年

*15:註:以下の記事を参考のこと。→【特集】History of GNU - GPLとはなにか (5) GNUは一日にして成らず (MYCOM PC WEB)

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