ised議事録

02-127. 設計研第2回: 共同討議 第1部(5)

D2:共同討議 第1部
(開催:2005年2月12日 国際大学GLOCOM / 議事録公開:2005年4月9日)

つくり方のつくり方のパターン――井庭崇からの応答

東浩紀(以下、東):

 それでは最後に井庭さん。井庭さんのコメントは本当は予定に入っていなかったんですが、今日になって急に「僕もコメントを」とおっしゃっていただけたんですね。

井庭崇

井庭崇

 はい、さすが鈴木さんという感じのコメントに続けて、いくらか議論の重なるところがありますのでコメントさせていただきたいんですね。また、次々回に予定されている僕の講演の案についてもちょっとだけ話せればと思います。

 さっそくコメントに移りたいのですが、いましがた生産プロセスの可視化というお話がありました。僕も同じようなことを考えていたんですが、オープンソースが決定的に重要だったのは、社会における消費とか生産といった、今まではごく限られた一部の階層に限られていたものがオープンになってきたことにあるのではないか。特に生産のほうは、どうしても組織のなかの一部の限られた人々の技によるところが大きかったけれども、それがオープン化され誰でも参加できるようになったのが非常に重要である、と。もちろんソフトウェア開発はプログラムのできる人しか参加できませんが、企業が商品開発に消費者を巻き込むといったレベルではなく、よりプロシューマー*1的に生産に参加できるという点からみてオープンソースは非常に新しかった。

 しかし、そこでクオリティをどうコントロールするのかが重要な問題になってきますね。そこで八田さんの発表にもあったのですが、オープンソースでは、プログラムが動くかどうかがとにかくわかりやすい基準なわけです。さらにソースコードをチェックできますから、フィードバックを受けつつ質を向上させることが比較的やりやすい。さらに生産プロセス自体もオープンになることが、質の管理に寄与している。たとえばプログラムにはコーディングパターンなりデザインパターンなり、なんらかのソフトウェア設計の方法論といいますか、うまいやり方のようなものが共有されていることが大きいと思われます。たとえばコードの書き方にしても、さきほども八田さんが汚いコードだと恥ずかしいと言うように、どういうコードがキレイなのかという価値観がある程度共有されているわけですね。

 それに関連して、僕はクリストファー・アレグザンダーという建築家の「パターン・ランゲージ*2という考え方をよく引き合いに出すんです。これは熟練者のノウハウをパターンカタログという形でまとめ、シェアできるようにするというものです。もともとは建築の分野で、ある地域に住む住人たちが、自分たちで自分たちの家や街を設計できるようにと考えられたものです。もちろん住人たちは建築の専門家ではないので、専門家に自分たちの考えを伝える語彙がない。そこでパターンという形態で問題と解決の組み合わせを記述してあげることで、自分たちで自分たちの家や街をデザインできるよう支援するという発想だったわけです。これをソフトウェアの世界に応用したのが、エリック・ガンマたちのデザイン・パターンというものです*3

 さらに、これは僕の研究室でやっていることなんですが、たとえばコンピュータ・シミュレーションのモデルをつくるためのパターンを記述してみよう、あるいはゲーミング・シミュレーション*4という学習目的のための一種のロールプレイ的な体験ゲームがあるんですが、このゲームをつくるためのパターンを記述してみようであるとか、またクリエイターやプロデューサーのパターンというのはないかといったかたちで展開しているんですね。こうしたパターンが他の分野にももっとあれば、オープンソース的なやり方を適用することで全体的な底上げをすることができるんじゃないかと思っています。

井庭崇

 今回の八田さんの話にインスピレーションを受けて考えたのは、こういうことです。ものづくりには、「もののつくり方」というものがその背景にはある(図:もののつくり方をつくる)。暗黙的か形式的かはさておきです。ということは、一段メタに「もののつくり方をつくる」というフェイズもあるわけです。この後者の議論を突き詰めることで、今日のオープンソースを理解するといったテーマがクリアになる気がします。

 たとえば、いまオープンソースの話というのが通常でてくる場合には、まずもって「もののつくり方」すなわちソフトウェアのつくり方がバザール型であったという点が注目されるわけです。そこで、ソースをオープンにしてシェアするといった部分を、なんとか模倣しようとする。しかしそれではだめで、今日の話の全体を通じて聞いていると、図でいうと赤く囲っている部分である「つくり方をつくる」フェイズが重要であるというわけなんですね。たとえばライセンスを決める、ネット上で議論するといったことがすごく重要であったと。つまりこれは前回の設計研前回の設計研の言葉でいえば「設計の場を設計する」ということですよね。ただ、つくり方のつくり方、そのつくり方……と無限にその先をのばすことができますが、そこになにがあるのかはちょっとわからない。

図:もののつくり方をつくる
図:もののつくり方をつくる

 またさきほどのフォークや進化生物学の話がありましたが、片方にソフトウェアの進化やプロジェクトの進化があるとして、同時にもののつくり方のつくり方の進化、たとえばライセンスの進化のようなものがあるのではないか。そして両者の相互作用を考えていくということだと思うんですね。ただもちろん進化の話というのは、事前になにかを予測するのはできませんし、後から見てこういうツリーになったということしかわからないとは思いますが。

 鈴木健くんのコメントにあったコードの自律性の話は、まさにいま僕の研究室で二クラス・ルーマンなどを読んでいたので、今度の発表では果敢にもチャレンジしてみたいと思っていたテーマなんですね。つまり、オープンソース開発というものを、どんどんコードがコードを生産していくようなオートポイエティックなシステムとして捉えることはできないか。僕はそれを支えるパターン・ランゲージのようなものに着目していきたいと考えています。

東:

東浩紀

 ありがとうございました。八田さんの講演を受けながら、楠さん、鈴木健さん、井庭さんに長いコメントをいただきました。それぞれ、コメントというより講演のような、たいへん刺激的で情報量の多い発表をしていただけたと思います。みなさんの講演は今後に予定されていますが、その内容を予感させるものでもありました。それぞれのコメントに対して僕からもメタコメントを加えたいのですが、司会である以上、そうもわがままを言っていられない(笑)。そこで、問題点を簡単に整理して、共同討議の第2部に繋げたいと思います。

 前回(第2回倫理研)の白田さんの講演に、「閉鎖系」と「開放系」というキーワードがありました*5情報社会以前の人間社会では、白田さんによれば法秩序の「閉鎖系」が成立していた。たとえば、地理的な限界によって人間のコミュニケーションや想像力の限界がおのずと定まり、その限界がまたひとびとの生きる範囲を決める、というフィードバックが成立していた。それが法や制度の基盤になっていた、というわけです。しかし、情報技術が可能にした地理的な限界を超えたコミュニケーションは、それを「開放」してしまう。コミュニケーションや想像力が地理的限界に依存しなくなることで、フィードバックが働かなくなり、法や制度の構築原理がきわめて恣意的に選ばれてしまう、それこそが問題なのだ、というのが白田さんの主張でした。

 井庭さんと楠さんのコメントは、このキーワードを軸に捉えると理解しやすいと思います。ソフトウェアの生産の現場においては、もののつくり方自体のつくり方、のつくり方の、のつくり方の……とどこまでもメタレベルにいってしまえるし、またそれが魅力なのだという話がありました。これは言い換えれば、ソフトウェア開発の世界では、環境の変数を何回でも再定義可能だということですよね。だからこそ、試行錯誤のなかで最適なものを発見できる。つまり井庭さんは、白田さんが「開放系」と呼んだ特徴を肯定的に捉えているわけです。それに対して楠さんは、それは現実の社会では無理なのではないか、とおっしゃっていた。なぜなら、現実社会は「閉鎖系」なので、環境の再定義が不可能だからです。

 閉鎖系だけで成立していた社会秩序のなかに開放系的発想を招き入れる、おそらくそれこそが情報技術の可能性なのだと思いますが、その評価のよしあしの難しさがここに現れています。一方では、社会制度が恣意的になることでアノミーが訪れると考えることができる。白田さんの考えはここに近い。あるいは楠さんのように、情報社会では環境をあるていど再定義できるがゆえに、その定義を独占するエリートの力が強まる、と問題提起をすることもできる。これは民主主義にとっては危機的です。しかし他方、そのような再定義可能性こそが新しい自由をもたらすと考えることもできる。たとえば、従来とは異なるコミュニケーション、もしくは生産のあり方を提案できるというように。井庭さんと鈴木健さんは、こちらを強調する立場かと思います。

 鈴木健さんは、第1回設計研の最後で、情報社会の本質はオブジェクトレベルとメタレベルを同じコードとして扱えるため、無限のメタ化*6が可能になることにある、とおっしゃっていました。今日のコメントにあったようなソフトウェアの自立的進化が可能になるのは、そのような「開放系」的特徴をもつからですね。僕は、ここにこそ、倫理研設計研を繋ぐ共通の問題意識があると感じています。情報社会倫理と設計について考えるうえで決定的に重要なことは、要は、ここではつねに再設計可能な環境のなかで倫理とはどのような機能を果たすのか、という問いだと思うのです。言い換えれば、つねに環境そのものを再定義できる環境のなかで、権力をコントロールする方法はどこにあるのか、ということですね。

 続く第2部では、このような問題を受けて、フリーディスカッション形式で議論を進めていきたいと思います。




*1:註:isedキーワードプロシューマー」参照のこと。

*2:クリストファー・アレグザンダー『パタン・ランゲージ 環境設計の手引』(鹿島出版、1984年 asin:4306041719

*3:註:以下の記事を参照のこと。→@IT:オブジェクト指向の世界 (7)

*4:註:www.jasag.org 日本シミュレーション&ゲーミング学会

*5:註:講演中では、「情報技術によって地理的近接性の足かせが無効化し、常識を形作ってきたフィードバック・サーキット(帰還回路)が解放されてしまう」といった論旨。

*6:註:isedキーワード無限のメタ化」参照のこと。

トラックバック - http://ised-glocom.g.hatena.ne.jp/ised/04070212