ised議事録

02-1211. 設計研第2回: 共同討議 第2部(4)

D2:共同討議 第2部
(開催:2005年2月12日 国際大学GLOCOM / 議事録公開:2005年4月9日)

さいごに――社会工学のオブジェクト化

井庭崇(以下、井庭):

井庭崇

 話を近藤さんの話まで引き戻したいのですが、「人文系オープンソース」の話はすごく面白かったんですね。それで思い出したのが、ソフトウェアのモデルや設計図さえ描けば、プログラムコードを人間が書かなくても、コードを自動生成するという話なんです。ソフトウェア開発の最先端では、「モデル駆動型アーキテクチャMDA: Model-Driven Architecture)」とか「実行可能UML(Executable UML)」といったもの*1として知られています。

 そこでオープンソースは今後どうなるかというと、ソースコードが公開されてどうこうというより、そのモデルが公開されることになります。これは人文系オープンソースのイメージに近いと思うんですね。つまり結局オープンソースというのは開発フェイズの諸々が公開されているということであり、さらにユーザーのフェイズでも、ユーザーのシステムに対する議論は公開されている。はてなというのは、開発フェイズもユーザーによる再定義も、両側の意味でオープンになっているということであり、人文系オープンソースの雛形としてよく理解できたということです。

 また、環境管理型権力という議論にどこかしっくりこないものを感じていたんですが、今日の議論を聞くうちになんとなくわかってきたんです。つまり環境管理型権力を、強制的で権力的なものとして構えるのか、それとも束ねるためのルールであり、「僕らはそれに従っているんです」と楽にリラックスして構えることができるものなのか、という違いがあるのかなと思ったんですね。その違いは、八田さんが最後に「再定義可能だということを周知する必要がある」という条件を挙げていたことに通じていて、変えられるということを参加者が信じられるかどうかでその態度は決まるのではないか。

東浩紀(以下、東):

 うーん。そこで「信じられるかどうか」という話になると、ふたたび価値の話になってしまう。

井庭:

 信じるという表現が微妙だったかもしれませんが、まさにどのような仕組みをビルトインできるかだと思うんですね。

 引き続き信じるという言葉を使ってしまいますが、たとえばオープンソースの場合は、実際ライセンスを定義している人々は強制力を持っていない。誰も管理されていない。もうひとつは変更サイクルやフィードバックの速さでしょう。そこがまず信じられるかどうかのポイントになるような気がします。ここを実装できれば、社会システムにも応用できるのではないか。

 また、ここまでの話で欠けていると思ったのは、裏切りやフリーライドをする人間をどう抑制できるかというところですね。そこをやらないと権力の話につながらないのではないか。というのも、そこの議論がないとどうしても脆弱なものになってしまう。逆にそこをカバーできれば、オープンソース的な社会システム論は可能だと思うんです。

東:

 なるほど。ちょっと具体的にお訊きしたいんですが、オープンソースの世界でもウイルスやセキュリティの問題はあるわけですよね。ソースがオープンになっているということは、フリーライダーも発生したすいし攻撃もしやすい、と素人的には思うんですが、実際はどうなんでしょう。

楠正憲(以下、楠):

楠正憲

 ソースを公開しなくても、脆弱性を見つける人は見つけちゃいますからね。ただ興味深いのは、LinuxBSDと比べて成功した理由について、フリーライダーに対する扱いといいますか、作法を大事にしろという文化はLinuxのほうにあったんですね。BSDのコミュニティはどちらかというとフリーライダー的なユーザーは入りにくい雰囲気がありました。たとえばコミッターやコアチームといったヒエラルキーがあったり*2、不用意にパッチを投稿しても無視されそうな雰囲気があったりしたんです。

 となると、フリーライダーを戦略的に巻き込んでいくことが必要なのではないかと思うんですね。おそらくフリーライダーも、集まってくるとそれによってネットワーク外部性が働いて、むしろそのプラットフォームを強化していくこともありうる。もちろん、コミュニティを壊してしまうようなものもあると思うんですが。

東:

 善意のフリーライダーはよいとして、悪意のフリーライダー、つまりテロリストはどうでしょう。

鈴木謙介

鈴木謙介

 多様性のパラドクスについて、東さんは多様性はメタ価値だからそれは擬似問題だというツッコミがありました。たしかにロジカルにはそうかもしれませんが、自分のなかで引っかかってるのは、まさにそのテロリズムの問題なんですよ。結局、多様性それ自体では多様性を破壊する行為を防ぐことができない。

楠:

 ただ、おそらくフリーライダーよりもコントリビューターのほうがそれなりに優秀であれば、コードが見れるからといってバグを見つけられないはずなんです。ただ現実には、テロリストのネットワークにも非常にイノベーションが起こっていまして、ウイルスやトロイの木馬のようなものオープンソース・プロジェクトが山ほど地下にあって、簡単なパラメータを入れていくだけで自分専用のスパイウェアなんかが作れてしまう現実があるわけですよ。こんな例もあります。おそらく世界でもっとも最初に商用レベルに乗っかったグリッド・コンピューティング*3のビジネスというのはBotnet*4というんですが、何万台ものコンピュータにスパイウェアを入れ、何万通ものフィッシングphishing*5メールを一瞬で出します、と。それをASPモデルで請け負うというビジネスらしい(笑)。

鈴木健

 それってビジネスとして成功しているのか(笑)。

石橋啓一郎(以下、石橋):

 結局、プログラムに穴がいずれは見つかるという意味では、ソースをオープンにしてもクローズドにしても同じでしょう。となると、それに対処する人がオープンに集められるか、あるいはクローズドな組織のなかで調達しなければいけないかの部分が違うということでは。

楠:

 ただ組織的にはビジネス的な評判を維持しなければいけないという別のインセンティブもありますから、開発者がオープンに集められれば脆弱性をすぐに直せるのかというと、そうとは限らないと思いますよ。

石橋:

 あとはもう、たとえば有名なOSほど攻撃されやすいわけですよね、単に(笑)。そういったパラメータがたくさんあって、結局そのバランスでどれが脆弱なのかということが決まっている、と。

八田真行

 あと、やっぱりヒューマンリソースは有限なわけですよね。人材には市場メカニズムが働いていて、要するに非常にユーザーが多くて重要なソフトウェアに関しては、それを触れる人も多いですからやばい穴が見つかる可能性も高くなる。あるいは、どうでもいいようなソフトウェアは穴だらけかもしれないけれど、放置されるわけです。

東:

 といったところで、今後の議論に向けてさまざまなヒントがばらまかれている状態ですが、そろそろ今回の討議は終わりたいと思います。最後にもういちど村上さんと近藤さんにご意見をうかがいたいのですが、いままでの議論を聞いていかがでしょうか。

村上敬亮

村上敬亮

 ひとつ前提として議論しなければいけないかもしれないと思ったのは、社会システムの設計といいますか、社会工学的な側面において、ある種の「オブジェクト化」のような現象が起きてるんじゃないかと思うんですね。この議論をかませることで、今日の議論はもう少し整理しやすくなるかもしれないと思ったんです。

 なぜかというと、従来的なソーシャルエンジニアリングの世界と、社会システムのオブジェクト化された世界とでは、価値の問題や管理の問題が別様を示してくるからです。

 たとえば設計と価値は別である、と東さんが述べておられたのはその通りだと思うんですね。従来的なウォータフォール型*6ライクなソーシャルエンジニアリングの世界では、設計者というのはあくまでも機能とプロセスを設計するものであって、価値の設計は別物でした。設計者というのは、常に自分を社会に対してメタレベルに置きながら機能を設定し、それを最適化するためのプロセスを作るのが社会工学における設計だったわけです。従来のウォータフォール型といいますか、ある程度縦割り管理をすることが可能だった時代には、どのレベルの設計者を一番活性化させれば社会全体がどうなるのかという管理も比較的容易に可能だった。というのもそこには階層構造がはっきりとしていて、おそらくすべての設計者は、自分よりメタのレベルからは被設計される立場にあるというヒエラルキーがあったからです。また縦割り構造もはっきりしていますから、どのレベルの設計者が一番活性化しているかがわかれば、その社会におけるどの価値観がいま一番表に出ているかが見えた。そこには深い相関関係があったと思うんです。

 しかし問題は、そうした階層構造・縦割り構造が崩れ、社会システムのオブジェクトコード化*7が進んだときです。実はメタ構造だと思っていたところが、きわめてリージョナルなところのオブジェクトに実は束縛されていた、といったような問題がでてくる。オブジェクト化された社会設計では、メタレベルの再定義がむしろしづらくなっているという事態が発生しているんじゃないかということなんです。

 たとえば最近フィッシングphishing)詐欺の話などを扱ったり、さきほどのBotnetの話を聞いていても、こうした問題を強く感じるんですね。もはや管理できない状態というのが現実に発生していて、そこにテロリズムが介在した場合にはどうするのか。脆弱性を管理するというのは、早い話がイタチごっこのスピードでどっちが速いかということでしかない(笑)。そういうゲームが、実際には局地戦ではあるものの始まってしまっていると思います。

 そうだとすると、問題はこう捉え直すことができます。社会制度設計におけるオブジェクト化の進行するにしたがって、オープンソース型のモチベーションドリブンでスピード重視の社会制度設計でないと太刀打ちできないのか、まだまだ縦割り的なガバナンスのなかで決めて管理できるところなのか。この分水嶺に差し掛かってきているというところに、今回のオープンソースモデルを社会制度設計と比較してみることの面白さがあるのではないか、と。

東:

 なるほど。「社会設計のオブジェクト化」は重要な問題提起ですね。次回以降に引き継いで検討したいとともに、ぜひ村上さんの講演でも扱っていただきたいと思います。

 近藤さんはいかがでしょうか。

近藤淳也

近藤淳也

 はてなについては、たとえユーザーがコードを書けなくとも、はてなのシステムを改善したいというモチベーションさえあればコミットできる。人文的オープンソースというのは、コードの部分はオープンでなくともオープンソース的なものは可能だということでした。そして、そのレイヤーがどんどん上がっているような気がしているんです。たとえば、これまではアプリケーションのレイヤーと、コミュニティのレイヤーまでがオープンだったとすれば、さらにその上のビジネスモデルのレイヤーがあってですね、たとえばはてなを儲けさせるための議論もオープンソース的に展開されるんじゃないか(笑)。もちろんどうなるのかまだわかりませんが、どのレイヤーまで今日の議論が今後広がっていくのか、期待してみたいところですね。

東:

 はてなが儲かるための議論がはてなで盛り上がる、それは本当にすごいコミュニティですね(笑)。

 今回は、オープンソース・コミュニティの組織論的な含意の再検討を中心に、八田さんの講演、楠さん、鈴木健さん、井庭さんのコメントと続き、さらに共同討議ではそれぞれの委員が多様な立場を代表して発言され、あちらこちらへと脱線しながらも、とても刺激的な議論ができたと思います。「生産過程の可視化」「環境の再定義可能性」「人文的オープンソース」「設計者の設計」「社会設計のオブジェクト化」といったキーワードも出そろってきました。これらの言葉は、今後、倫理研設計研を通じ議論の焦点になっていくことと思います。まさに「コミュニケーション・メディアとしてのオープンソース」という状況にふさわしく、多様で活発な話が展開されました。

 といったところで、今回は僕のほうではあえて結論を提示することなく、議論を次回以降に開いていきたいと思います。それでは、質疑応答に移りましょう。






*1:註:以下の記事を参照のこと。→@IT:特集:MDAをツールで体験する (前編)

*2:註:こうしたヒエラルキーについては、以下で簡単に解説されている。→FreeBSD プロジェクトについて

*3:註:以下の解説を参照のこと。→IT用語辞典 e-Words : グリッドコンピューティングとは 【grid computing】 ─ 意味・解説

*4:註:以下の記事を参照のこと。→1万台を超えるパソコンで構成された“攻撃用ネットワーク”が確認される : IT Pro ニュース

*5:註:以下の解説を参照のこと。→IT用語辞典 e-Words : フィッシングとは 【phishing】 ─ 意味・解説

*6:註:ソフトウェア開発の方法論で、「基本計画、外部設計。内部設計、プログラミング、テスト、運用」と上流工程から下流工程まで、後戻りするロスをなくして一段ずつ工程を固めてから進めていくモデル。その、一段ずつ、逆流しない様を滝に喩えたもの。

*7:註:ソフトウェアのアーキテクチャの概念で、オブジェクト指向モデルのことを指している。カプセル化モジュール化と類比したもの。以下を参照のこと。→@IT:連載:ここから始めるオブジェクト指向 第1回