ised議事録

03-129. 倫理研第3回: 共同討議 第2部(1)

E3:共同討議 第2部
(開催:2005年3月12日 国際大学GLOCOM / 議事録公開:2005年5月14日)

2ちゃんねる/ブログ・SNS――リベラリズム実装の観点から

東浩紀(以下、東):

 第1部では抽象的な議論が中心になりました。第2部では、それを受けて、ではリベラリズム情報社会において実装するためにどうすればいいのか、具体的な議論をしていきたいと思います。

 まずは鈴木さん、お願いします。

鈴木謙介(以下、鈴木謙):

鈴木謙介
鈴木謙介

 具体的な話をということでけっこう悩んでしまったのですが、僕は2ちゃんねる・ブログ・SNSのすべてにどっぷりとハマってきたので、その過程について語りましょう。というのも、北田さんの図式でいうと、僕はどんどん多元的コミュニタリアニズムに退却し、着実に動物化していることになるのですが(笑)、北田さんが「2ちゃんねるにはアイロニーがあった、それは80年代的なメディア的なものだ」とする部分には同意できないんですね。

 なぜかというと、これは北田さんの『嗤う日本の「ナショナリズム」』にもなされた批判ですが、ニュー速的なものだけが2ちゃんねるではないからです。実際、たいていの板ではアイロニカルゲームをやっていたわけではなくて、どちらかというと多元主義的でひきこもり的方向へと向かっていた。たとえば2003年の大規模オフなどがまさにそうですが、僕の言葉でいうと「カーニヴァル的(祝祭的)」*1な退却へ向かっていったんです。「マトリックスオフ」という巨大なオフを主催していたある人は、「オフ板は2ちゃんねらーが最後に行き着く場所だ」と実際に語っていた。

 世代論にしてしまう気はないんですが、少なくとも2ちゃんねるにアイロニー・ゲームを見出していたのは30代だけだと思っています。20代以下は、わりとカーニバル的な、つまりサッカーの応援と機能的に等価な祝祭へと雪崩こんでいった。その後2ちゃんねるの大規模オフは下火になったのですが、ブログやSNSなどを通じて、この動きは分散しつつも拡大しています。SNSのなかで起きていることはなかなか表に見えにくいのですが、たとえばmixiを通じてオフ会をやりますといったら、100人くらいが集まるのは容易になった。3年前だったら、2ちゃんねるのオフで50人集まったらそれこそ祭りでしたが、いま100人規模のオフでさえも頻繁に行われている状態です。つまり、閉じているけれども、それゆえに規模だけはどんどん大きくなっているという状況がある。

 アイロニーゲームとしての2ちゃんねるというのは、前回の設計研でも話題になったことですが、たとえばハッカー倫理的なものがインターネットで共有されていたのと事情が似ていると思うんです。しかし、もはやそうした内面的な規範は機能していないし、カーニバル的な共同性へと流れ込んでいる。そして僕も、個人的には動物化の快楽にどっぷり浸かっていますし(笑)。

東:

 僕もすっかり動物化してますよ(笑)。

加野瀬未友(以下、加野瀬):

 なんで動物化を競っているんですか(笑)。

鈴木謙:

 もうひとつ、そもそもインターネットは世代論をしやすくする構造があるんじゃないか。つまり、「ここには自分と同い年の奴がいる」と見えやすい空間ではないかということです。何をしゃべっても、自分と同世代を代表してしまう、と思える、思いこんでしまえるかのような議論になってしまいかねない。そうした反省的契機を繰り込むと、ここでの議論も安易な世代論で片付けるわけにはいかないと思います。ただしこれは実証された命題ではないですし、そもそも僕自身が20代的な2ちゃんねるしか見ていない可能性はもちろんある。

北田暁大(以下、北田):

北田暁大
北田暁大

 2ちゃんねるについてはこの1年半くらい何度も話しているんですが、かなり曖昧な態度をとり続けています。もちろん、肯定否定どちらかに立たなくてはいけないものでもないと思うのですが。

 ただですね、私が2ちゃんねるを否定しきれないのは、マスメディア的情報をひとつの契機としてコミュニケーションを紡ぎだしていく、その「最良」の形態のような気がしていているからなんですね。つまり僕らが教室で楽しんでいたような「世界への距離化ゲーム」が、ネットではこんなに楽しく、大規模な形でやれる、というわけです。せいぜい教室内でしかできなかったある種の「批評的態度」を、より広い場において、共同的に実現することができる。また、あのスレッドフロー方式というのはかなりよくできていて、サンスティーンがいうような「他なる価値観との出会い」は、2ちゃんねる上でもある程度実現できている(いた)んじゃないかとも思います。つまり、2ちゃんねるはもちろんネタを収集するレベルにおいてマスメディアに依存しているところがあるけれども、マスメディア的言説空間の自足性に茶々をいれる点において、非常にささやかながらある種の「公共性」を作り出していたともいえる。他者と共有すべき情報は何かを模索しつつ、玉石混交の議論の場をとにもかくにも共同構成していく。たんにコミュニケーションを紡いでいる、というだけではなく、どういうことが話題になっているのか、話題とすべきなのかということに関してのメタ・コミュニケーションも同時に遂行する。マスメディア的なアジェンダ設定の方法とは異なる形で、アジェンダの多様性、あるいはアジェンダ設定の政治性を視覚的に指し示しているわけです。「age(あげ) / sage(さげ)」*2へのこだわりとかもそうしたメタ・コミュニケーションのひとつだと思うんですね。80年代テレビ的なノリをどこか哀愁をもって語っているようにみえる部分があるとすれば、そういうところに引っかかっているからなんだと思います。まぁ、最近は巡回スレだけ見る、という人も多いでしょうからそういう議論は成り立ちにくくなっているとは思いますが。

 鈴木さんもおっしゃったように、私の2ちゃんねる話で一番出される反論のは、「そうは言っても2ちゃんねるは、ほとんどがまったり生きているよ」というものです。それはそうだと思うんですが、それだけでは片付けられない部分があって、それがマスメディア的情報をネタ的にいじるというニュー速的なものだと思うんですね。反社会的な行為を何らかの形で回避できるような工夫さえできれば、2ちゃんねるは案外よくできたシステムなのではないかという気はいまだにしています。ブログもそれに近いものを感じているんですが、mixiのような閉じられた空間に「退却」していく流れもあるわけですよね。それを否定するつもりはないけれども、「ニュー速」的なものがもっていたアジェンダ設定をめぐるメタ・コミュニケーションは希薄化せざるをえないのではないか。

鈴木謙:

 退却がいいものだろうかという話は、私もロジカルにはわかります。ただ、そこに論点を持っていくと、北田さんも批判的に検討された、討議公共圏的なものに対するYes / Noという議論しかなくなってしまうと思うんですよ。

 たとえばネット・ジャーナリズムの議論を挟んでみましょう。海外の場合、ブログは立派なオルタナティブ・ジャーナリズムだという認識ができあがりつつあるようです。公共圏的な討議ということであれば、イラク戦争の際にも、賛成派と反対派のブログのネットワークがトラックバックなどを通じてできあがって、オンラインでの公開討論会などもやられたという。

 こうしたネットにおける公共圏的な議論のありかたは、ずいぶん昔から社会学やメディア論のなかでは理想だと言われてきたんですが、日本人はどうも議論しないともずっと言われ続けていたわけですよ。そこでブログブームもふたを開けてみるとやっぱり退却していると解釈してしまうと、「日本じゃネット公共圏論なんてウザいし無効だよね」という話で終わってしまうと思うんですね。ただ、はたしてそういうロジックでいいのかどうか。

 そこまで切りこまないと、「ネット公共圏論ウザい」とは違う意味でのネット公共圏論批判はできないのではないか。つまり、公共圏モデルにかわるものを提案することもできないんじゃないか。そうでないと、公共圏から退却する奴らは動物的でけしからん、儀礼的無関心などと言ってないでパブリックな議論をガンガンせよ、といった素朴な話にしかならないと思うんですよ。

北田:

 実際、お祭りなんかは2ちゃんねるが主戦場ではなくなっていて、ブログやmixiのほうが頑張っている気がしますよね(笑)。ただ、それは抽象的な言い方をすれば2ちゃんねる的な「複雑性の縮減」の方法論が落ち着いてきたからなんだと思います。ブログのほうがある意味でまだ「発展途上」で、コンテクストが複雑に絡み合う状況のなかで、お祭りジャーナリズム、抵抗ジャーナリズム的な機能を果たしている。ブログについては「退却」というよりは、むしろさきほど述べた意味での「ニュー速的なもの」の継承者と考えています。アメリカでは、それが幸福なことかどうかは別として、マスメディアのキャスターが降板に追い込まれたりしていますしね*3

鈴木謙:

 日本のブログ界隈でいえば、切込隊長トラックバックを送って炎上させるみたいな事態が生じているわけですよね。こうしたブログ流の祭りの作法について、北田さん的にはなんらかのタガをはめる必要があると思われますか?

北田:

 いや、タガはかけようがないし、そうする必要もないと思います。それに、「討議倫理的な発想 VS アナーキズム」――あるいは「ネット左翼 VS ネット右翼」でもいいんですが――という対立図式を強調する必要はないと思うんですよね。そうした対立図式の多くは思想的なものに由来するというよりは、それぞれが別々のコミュニケーション様式、コンテクストを前提にしており、そのあいだで調整がうまくついていないから生じている、と私は考えています。繰り返しになりますが、私が必要だと思っているのは、価値をメタレベルから調停するリベラリズムではなくて、異なる行為の様式を調整していくようなメカニズムです。

鈴木謙:

 必要なのかどうかといえばそこは微妙で、僕は実はアナーキーでもいいんじゃないかとも思います。なぜかというと、インターネットで人を殺せないからですよね、結局。インターネットでフレーミングされても、たしかにへこむ奴はいるだろうし、落ちこんで自殺するということはあるかもしれない。しかし、基本的にはインターネットで直接人は殺せない。つまり、リベラリズムの「他者に迷惑をかけないならばその自由は尊重されるべきだ」的な格率に照らせば、全然OKという考え方もありうると思います。

北田:

 反社会的な行為にまで及ばなければ、ということですね。

鈴木謙:

 サンスティーンが危惧しているのはもっと過激な例ですよね。キリスト教ファンダメンタリストらが、人工妊娠中絶に賛成し、実施した医師を賞金首のようにして、ネットで顔を晒す、住所を晒すといったところまで及んでいる。だから、たしかにネット上のエクストリーミズム(過激主義)はまずいよね、と。日本でネット右翼ネット左翼だと騒いでいても、単にコミュニケーションのレベルでぐちぐち言っているだけじゃん、といえなくもない。

北田:

 道徳的にそれらを調整すべきという話ではないんですね。いまおっしゃったように、反社会的行為に及ばない限りにおいては基本的には放っておく。これがリベラリズムの基本的立場です。リベラルな人格類型こそ道徳的に素晴らしいのだ、という完成主義的なリベラリズム観を私はとらないんだと述べましたが、それは要するに「行儀よく喋る」ということを求めるのがリベラリズムではないということです。事後的に行為を正当化する、正当化させる可能性、あるいは行為主体の同一性をある程度特定化する可能性が担保されていれば、反社会的な挙動に及ばないかぎりにおいて、個々の行為の中身にかんする道徳的評価は行うべきではない。

東:

 だとすると、2ちゃんねるでもIPアドレスはばっちり保存して、反社会的な行為はきちんと逮捕しようということになりますが。それが北田さんの立場ですか。

鈴木謙:

 それは2ちゃんねるが実際に辿った道ですね。2ちゃんねるではIPを取ってガンガン犯罪予告したやつを逮捕していますから。

加野瀬

 たとえば、コメント欄で「お前を殺す」と書いた時にどう対処するかという話がありますよね。北田さん的にはどうなのか。

東:

 どうですかね、「お前を殺す」はNGですか。

北田:

 NGだと思います。

鈴木謙:

 つまり、殺すというネタは許容されないということですよね、そこでは。

加野瀬

 実際、2ちゃんねるにネタのつもりで「殺す」と書き、逮捕された人がいますよね。

東:

 しかし、だとすると、北田さんの立場は、リベラルよりむしろ規制推進派に近い。2ちゃんねるIPアドレスを取り始めた*4ころにもそういう議論はありましたが、当時北田さんはどういうお考えでしたか?

北田:

 なんとなく嫌だな、くらいのものだったと思います。もっと緩いやり方もあるだろう、と。しかし、白田さんがお書きになっているように、「少なくとも発言の検証可能性を担保する程度の連絡先を明示する、責任ある慣習を成長させる必要がある」とは思う。そうした慣習の成長をどういう方法でもって促すか、そこは政治的選択の問題だと思います。

東:

 だとすると、実は北田さんと白田さんの意見はほとんど変わらない。話のわかる奴が好き勝手なことするのはかまわん。ただ、話のわかるように教育しなければいけないし、とりあえず反社会的なことやったらガンガン取り締まろう、ネットも社会なんだから、というわけですね。そこで規制の理由として出てくるのが、白田さんであれば民主主義や共和主義の維持であり、北田さんだったらリベラリズムの理想だ、という違いでしかない。それに対して鈴木さんは、もっとアナーキーでいいという立場ですか。

鈴木謙:

 リベラルや保守であれば、少なくともアナーキーはどうしても許容できないと思います。アナーキーなものを許容しつつどこまでが限界なのかを考えたときに、少なくとも日本の状況に限定すればIPを取って即逮捕というのはちょっと行き過ぎではないか。ネットで人が殺せない以上、いや、もちろんレイプ予告のような深刻な問題もありますが、日本ではサンスティーンが危惧するような極端な動きというのはさほど起きていないし、祭りもネタのレベルが大半なわけですから。





*1:註:isedキーワードカーニヴァル化」参照のこと。

*2:註:2ちゃんねるの取るスレッドフロート型掲示板では、あるスレッドに書き込むとそれが最上位に移動する仕組みになっている。ただし投稿時、メールアドレスを書く欄に「sage」と入力しておくことで、そのスレッドを浮上させずに=sage(下げ)状態で書き込むことができる。たとえば板の上のほうに浮上し、そのスレッドが目立つことを避けたい場合などに、「sage進行で」と表現される。

*3:註:以下参照のこと。→ネットは新聞を殺すのかblog - 「日本ではブログ炎上、米国では記者廃業」

*4:註:以下の記事を参照のこと。→IPログ保存で2ちゃんねるは変わるか - CNET Japan

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