ised議事録

04-095. 設計研第3回: 共同討議 第1部(3)

D3:共同討議 第1部
(開催:2005年4月9日 国際大学GLOCOM / 議事録公開:2005年6月11日)

情報社会の競争政策としての「可視化」――村上敬亮からの応答

東浩紀

 それでは、村上さんのコメントに移りたいと思います。

村上敬亮

村上敬亮

 昔から、完全な社会の設計者たりえた人もいませんし、さりとて市場機能も万能ではない、ということは議論の前提としてしっかり持つ必要があるように思います。たとえば60年代から70年代の産業政策というのは、いかにも経産省が産業の設計者として振る舞ったかのように語られる場合もありますが、それが出来たのは、モデルになるような先例が海外にあったからにすぎません。それを参考にしながらあるべき産業構造を特定し資源の再配分や技術開発に取り組んできましたが、それは自分たちでゼロから設計したというような立派な話ではない。他方、市場機能が自律的にヒト・モノ・カネを的確に再配分できるかと言えば、有為な人材が不憫な職場で数多く眠っているのを見るまでもなく、情報の不完全性の問題*1など外部不経済性はついて回る。それをパス・ディペンデンシー(Path Dependency 経路依存性)といってしまえば理屈として整理はつきますが、議論としてはそれで終わってしまう。

 そこで注目したいのは、70年代80年代よりもむしろ現在の方が不透明感が高まっているのはなぜか。逆に、産業政策の名のもとにエセ設計主義なるものが昔の政府に成立していたかのように語られることがあるのはなぜか、ということです。

 ひとつのポイントは、かつては産業界、供給側からある程度見通すことの出来たイノベーション・サイクルが、産業界側と消費者側のイノベーション・サイクルにおける位置づけの逆転によって見えにくくなっていること。消費者がコアを形成するネットワーク・セントリックな流れに、生産者側も消費者側も皆がぶら下がるという新たな構図ができつつあること、というのがその答えを解く鍵だと思います。

 さて、「設計とはなにか」という問題についてですが、次の3つに分けるべきだと思います。すなわち、①ミッションを設計する。②それを達成するためのプロセスの大枠を設計する。③実際の実行を設計する、もしくは実行を担う。

これらの問題は別々に存在していて、仮に政府が設計するというとき、これらを別々に議論しないと、3つ全部をやるか・やらないかの二元論で語ってしまうと議論が見えてこなくなると思うんですね。

 それからもう一点強調しておきたいのは、政府が設計するというとき、政府という機能に対して「設計」を期待するのか、政府に所属している僕みたいな「個人」そのものに設計能力を期待するかどうかは、まったく別の問題だということです。もちろん能力のある個人が政府機関内部にいるならそれでいいんです。しかし、たとえば僕自身のケースでいえば、著作権法の改正をやり、著作権条約交渉をやり、ソフトウェア特許の審査基準を書き、ということをやってきましたけれども、僕自身の能力だけでやってきたという実感はない。わかりやすく言えば、全部人に教えてもらったことを僕は単に編集しただけであって、僕自身に設計能力そのものがあったわけはない。ある種の政府の正当性というギミックに情報が集まり、そこに乗っかって、僕自身もひとつのプロセスとして仕事をしただけです。つまり、政府による設計というのはこういうことです。政府の正当性というギミックに集まる情報に、市場の不完全性を補う編集能力を乗せるのか・乗せないのか。その社会的コンセンサスがあるとき、それを「政府による設計主義」と表現しているだけなのではないでしょうか。

 さて、設計についての前提をお話しましたので、先ほど触れた「産業界側と消費者側のイノベーション・サイクルにおける位置づけの逆転」へと進みます。

 この産消逆転の流れというのはなにか。昔はこういう風に議論されたと思うんです。「テレビってなかなかネットワーク化しないし、色々なネットワークビジネスプラットフォームにもなりませんね。なんとかプラットフォームになるように、機器をなんとか工夫して、端末同士をうまくお互いつながるようにすれば、きっと立派なものになるんです。さあ、がんばりましょう」というもので、まだ根強い支持のある議論ですね。しかし、消費者側の動きを無視していて、供給側がきちんとした標準化さえできれば、万事が上手く行くんだといった、いまや半ば思いこみに近い議論だと思うんです。

 それはどういうことか、東大の岩井(克人)先生をはじめ、何人かの先生が議論を始めておられますが、競争の構図が段階的に変わってきているということだと思うんです。それを次の3段階に分けて説明してみましょう(図:イノベーションサイクルの比較)。

図:イノベーションサイクルの比較
図:

  • 1)安い労働力の流入を前提に、規格化商品の大量生産・消費を実現。

 たとえば中国はいまだに大陸部からの大量かつ安価な労働力の流入を前提に、規格化されたテレビをハイアールなどで大量に生産し、それを大量に消費してくれる消費者がいる、という構図です。ところが80年代の日本が直面したように、さすがに地方からの安い労働力も頼れなくなります。すると、必ず技術革新ということを言い始め、次の段階に進みます。

  • 2)技術革新とその成果の規格化で、独占的競争を展開

 さて技術革新を言い始めるとき、状況としてはこうなってきます。たとえばレコードがCDになり、CDがDVDになり、DVDが次世代DVDに……と規格が次々と割れていく。さてそこで競争はどうなるかというと、その規格によってマーケットのフレームをピン止めしてしまうことで、特定複数メーカーの間で独占的競争を展開してレントを蓄積し、それを次世代規格の投資につなぐ、という流れです。そのプレイヤーがソニー、松下、SANYOといった企業であることに、本来なんら正当性はありません。ただ、独占的競争のプレイヤーとしてそこに座ることに対して、ある種の社会的保証が実態的に与えられる以上、各社ともに雇用もちゃんと維持しましょうね、といった暗黙の論理がそこにある。

  • 3)知識の囲い込みにより、革新性の早さを競うスピード競争を展開

 さて、日本は2番目の競争モデルだけで21世紀も頑張るという人が多いんですが、90年代のPC市場を反省するとそれは難しいと思うんですね。なぜなら、この分野で成功を収めたWintelは、イノベーションのシーズをすべて自分で提供していたわけではなく、Windowsを使って勝手にアプリケーションやサービスを作り込む人たちを呼び込み、彼らの知恵をもらうことでイノベーションを促進し続けた。その方が消費者にとって付加価値の高い市場を作れたからなんですね。

 一方DVDの場合、たとえば大手メーカーの研究開発部門が全部自分で設計と規格を決めなければ次に進めないわけです。途中からお客さんに「こういうアプリ乗せたいんですけど」と言われても、「DVDってそういう製品ではありませんから」で終わってしまう。しかし、PCの場合はそうではありません。「あれもやりたい、これもやりたい」と途中から乗っかってくるプレイヤーをどんどん受け入れる。もしくは、自分の知らないところで新しい用途が勝手に広がっていく。裏返せば、セキュリティが悪い、インターフェースが悪いと常に文句を言われ続けてしまう面もあるわけですが。

 ともあれWintel型の競争モデルというのは、PCというアーキテクチャのなかにお客さんが乗っかる構図をつくることで*2、イノベーション・サイクルのいいポジショニングに入っていく。そしてWintelは、私たちのアーキテクチャを使わないと乗れませんよと囲い込みをすることで、そのサイクルを強化するというものです。

 ただ、今後全ての市場が、2)型の段階から3)のオープンな段階に全部移行するわけではないと思っています。特にものづくりの場合、巨額の設備投資がついて回りますから、2)のように、一旦市場の構図を規格化によってピン留めし、安定的にレントを回収するという構図を捨てきることは難しいと思います。実際、2000億円を投じて半導体の工場作っている限り、すべてが3)の競争原理に移るとはいえない。結局、2)と3)をどうハイブリッドさせるのかが産業政策上の大きな悩みです。少なくともこうした現状下で、ローカルハイエンドの部分ではユーザー自身がイノベーション・サイクルに積極的に参加する、End to Endなビジネスモデルが動き始めている。ただ問題は、ハイエンドで起きているある種C to C的な付加価値の生成の局面、すなわち3)の競争段階の萌芽になる動きと、DVDのような2)の段階の競争モデルに基づき従来型のものづくりをしている局面とが、連続的につながらないところに、現在の日本の空中分解状況があるのではないか。これが経済産業省としての悩みどころだというわけです。

 この問題を解決するにはどうするか。私たちはプラットフォーム*3という概念を鍵として挙げ、タテの連携とヨコの連携をつなげることを提案としています。

図:プラットフォームの課題:タテの連携
図:プラットフォームの課題:タテの連携

 まずタテの話をしましょう。上の図を見てください(図:プラットフォームの課題:タテの連携)。これは液晶を例に取った場合で、下半分の台形は、セットメーカーから一番下の部品メーカーまで、ものづくりのハードの部分を表しています。この部分では、強みのある上流工程とのすり合わせを上手く活かし、独占的な力を持とうという、垂直連携・摺り合わせ論議が頻繁に行われています。他方、上半分は、これらのハードを活用したサービスを提供する側です。本来は、ハードの設計・製造・販売と、それを活用したサービスとは、密接に連携してビジネスモデルを組まねばなりません。しかし、現在、この上下の台形は事実上分断されていて、下の台形に属するメーカーは、家電量販店を介した価格競争で利益率が上がらず苦労しているわけです。

 しかし、たとえば、テレビを例にとっても、別に放送用の道具に限定することはなく、ディスプレイだと思えば、遠隔医療、遠隔教育、あるいは生活安全のためのモニターかもしれないわけで、色々とサービスはある。また、こういうビジネスと積極的に組んでいかなければ、画面の大きさなどのスペック競争だけで製品の高付加価値化を図っていくことは非常に難しい。結局、価格競争と体力消耗戦にはいることになる。しかし、いつまでたってもこの上下で対話をする気配がないわけですね。これがタテの連携不足ということです。

図:プラットフォームの課題:ヨコの連携
図:プラットフォームの課題:ヨコの連携

 次にヨコの連携不足についてです。この図は日常生活においてどういうサービスの広がりがあるかを示したものです(図:プラットフォームの課題:ヨコの連携)。たしかに、おしゃべりやインターネットを介した株取引など、携帯電話やPCを活用した分野では、上のコンテンツ・サービスから下のインフラまで垂直統合的につながっている例があります。ただし、それぞれが、独自方式の課金システムで市場を専有しようとし、囲い込みを目指したビジネスをやっているわけです。この結果、消費者から見ると、それぞれのサービスが独自方式の課金や認証で分断されていて一向に利便性が向上しない。だから、余程必要性のあるサービスでない限り、「ちょっとやってみようか」という感じにもならず、かつ、それぞれの間での競争が厳しくなればなるほど消費者から見れば「わかりにくく、つかいにくい」市場になってしまう。

 加えて、生活時間の大半でテレビやインターネットを見て過ごしている訳ではありませんから、そもそもサービス化されていない生活時間はたくさんあるわけです。実際、医療・教育・就労といった分野を見ると、ITを活用したサービスが食い込んでいるとは言えない。つまりITの活用分野にはまだまだ偏りがあって、今後のライフ・ソリューション・サービスの発展を考えるとき、こうした未開拓の分野をきちんと広げていく基礎を作るためにも、ヨコの相互運用性をもったプラットフォームを形成する必要があるわけです。

 さて、だいたいこういう話になると、「家電をネット化するための標準を」という議論になりがちです。ただ、僕は標準化という動き方そのものは議論の答えを生み出さないと思う。といいますか、標準競争のように見えているのは仮の姿だと思うんですね。そこで今後重要になるのではないかと考えているのは、ネットワークセントリックという概念です。さきほどタテ・ヨコをつなぐプラットフォームという話をしましたが、これは課金認証なり権利処理なり、上下左右どちらを向いても「このプラットフォームに乗ったほうが得だ」と思わせるなにかがある、ということです。そしてプラットフォームの側は積極的に外部に開放していて、それがネットワーク外部性を積極的に解消している。そして、ある種の潜在的な貸し借り関係の連鎖の鍵になる部分を、オープンなかたちで保証している。こうした動的なネットワーク関係を静的に捉えたとき、標準競争として見えるのではないかと思うんです。

 ただし、産消逆転と述べましたが、ここで難しくなっているのは、供給サイドが主役だった時代と較べて圧倒的に全体が見えにくくなっているということですね。なぜかといいますと、サプライサイドがキープレイヤーだったときはプレイヤーの頭数が限られていましたから、編集可能な程度の情報でギミックをつくることができた。ところが、いまやディマンドサイドがプレイヤーとしてメジャーになり、イノベーション・シーズの鍵を握りつつありますから、そのすべてを超越的な視点から見えるようにしたいといっても、政府にも民間にも不可能な話です。だからこそ、すべての人々の関心事は、潜在的な貸し借り関係によってつながっているところに、どうやってうまく乗っかるかということになってしまっている。全体は見えないけれども、ある種のネットワークそのものに対する求心力に、いかに効率的につながっていくかということです。

 そこで重要になっているのは、それぞれのネットワークは、いかなる正当性に拠っているのか、そしてなにをミッションにしているのかをはっきりさせたいということですね。実現手段はなんでもいいけれども、せめてその部分ははっきりしたいということです。逆に、ネットワークの中心人物を無理矢理特定し意思決定させようとするよりも、そのネットワークが何を目指しているということでお互いがつながっているのか、そのことがハッキリしていること自体が重要になってくるということです。

たとえばWindowsは狭義のプラットフォームといえますが、その良し悪しは別として、Windowsではなにが可能で、なにを実現しようとしているのかはとてもはっきりしている。ですから、乗る・乗らないというゲームも明確に見えているわけです。

 さて、ものづくりの議論において「タテへのすり合わせ」については藤本隆宏*4さんなどを筆頭になされているんですが、その摺り合わせが先ほどの上下の台形の間で分断してしまっていることに加えて、「ヨコの寄り合わせ」がとても難しくなっていると思うんですね。つまり消費者サイド側に鍵となるプレイヤーが増え、全体の情報の編集が難しくなっているという現状がある。そこで必要なのは、情報に共通の意味づけを与えるということ、そして情報の信頼性を担保するというふたつの仕組みだと思います。そうでないと、ユーザーはユーザーで色々なことを考えて、色々なイノベーション・シーズを持っていたとしても、それぞれ自分の言葉で語っているだけですから、社会全体から見たとき知識として意味を持つものにならない状態が続いてしまうと思うんです。

 タテの擦り合わせとヨコの寄り合わせを両方実現するプラットフォーム、つまりプラットフォームというのはある種のネットワークセントリックな流れをつくる必要があるということです。そうした組織循環が生まれ、しかもその組織循環のプロセス成熟度がどれだけ上がっていくかということが、おそらく今後の日本全体の競争力につながっているんだろう。私たちの仮説ではそう考えています。この部分は、本年4月に公表した産業構造審議会「情報経済・産業ビジョン」に詳説してありますので*5、是非ご覧ください。

 さて、このままでは、ちょっと抽象的過ぎるので、一般の方にどう説明すべきか悩んでいます。産消逆転、ネットワークセントリックな動きを、現象面からどう説明するか。そこで別の視点からキーワードとなるのが「品質から信頼へ」という流れではないかと思うんですね。

 こういうことです。サプライサイドにイノベーションへのイニシアチブがあって、それを消費者がモノとして消費していた時代であれば、そのモノが与えてくれる性能や品質について、マーケットの根っこの価値観が認められてきたんだと思うんです。

ところが世の中全体がサービス経済化していくと、モノの品質よりもサービスに対する信頼へと価値観の主軸が大きくシフトします。そこで安全から安心へといった議論も出てくる。その信頼を鍵とした日本の強みをどのようにつくっていくかが問われている。もともと「安全」は日本のお家芸だったわけですが、これからは高信頼なプラットフォームを日本のイニシアチブでつくっていけるのか。こうしたスローガンをたてれば、やれネットワークセントリックだ、タテ・ヨコの擦り合わせ・寄り合わせだだといった難しいことを主張せずとも、全体の動きを糾合していけないだろうか、と考えているところです。

 いずれにせよ、そのためのアプローチは設計主義でも自由放任でもありません。それはあくまでその時代時代の状況が、官民のギミックな役割分担を仮説として決めているだけのことです。当時の人がどう思おうが、歴史がどう評価しようが、我々がやりたいことは次の3つになります(図:政府の役割)。

図:政府の役割
図:政府の役割

 1)第一に、産消逆転によってユーザー側のプレイヤーが増え、全体が不透明化しているとき、とにかく徹底して可視化をやるということです。これはおそらく個々のマーケットのプレイヤーがやってもあまり利益につながらない部分でしょうから、政府がやるべきでしょう。ただし繰り返しますが、これを政府がやるというとき、たとえば役人である僕がやるということに限らない。政府がやるという意思の下で、その能力を持った人が実行していただければいいのであって、役人がやるかどうかは別問題です。

 そのために必要なのは、それぞれのプラットフォームのミッション自体を上手に社会的なコンセンサスにしていくことです。そのミッションの出来がいいとき、政府がどこまで踏み込むかはケースバイケースです。たとえばEAや参照モデルを提案しながら、個々のミッション達成のために必要なエレメントやアーキテクチャの配置まで政府が担当すべきか。それはそのとき次第でしょう。

 さらに、そこで出来上がったものをプロセスへと汲み上げていく必要があって、その成熟度を上げていくという作業も求められます。これも政府が踏み込むかどうかはその都度の話です。

 いずれにせよ、「可視化・見える化」のニーズが強いところに向けて、全体はこういうことになっているんじゃないかと仮説を提示していく。たとえばメーカーさんは「情報家電が売れない」とおっしゃるけれども、それは要するに上半分の台形を乗せて考えていなかったからじゃないか、といったような仮説を出していくことで、全体の構図を可視化する作業をやっていく。

 2)第二に、全体の構図が見えるようになったら、次はそこに欠けている縦の連携と横の連携を円滑化させる必要があります。しかし、これはまさに生産要素自体をどこにアロケーションしていくかという話になるので、あまり政府自身はコミットしたくない話なんですね。ただ、「そんなものは計れないよ」というニーズがありますから、それならたとえばスキル標準のような、ヒト・モノ・カネの評価を計るメートル原器のようなものを再設定してみようと思うわけです。ないしは、そうした試みに対して、政府がわずかながらにまだ持っているかもしれない正当性のクレジットを積極的に与えていく。

 3)第三に、新しいメートル原器を再設定するだけではなく、流動性の確保を邪魔しているような規制や制度があれば、それは積極的に取り除いていく。

 我々としては、プラットフォームをできるだけ民間オリエンテッドに形成していただきたい、と思うわけですが、ガバメントリーチがあるフィールドであれば、政府自身が自分でつくるケースがあってもいいのではないかと思います。たとえば電子カルテの例です。病院間だけでなく、健康サービスをやっている事業者やプライベートビジネスをやっている事業者も共通に使えるように、電子カルテの共有ネットワークをやりたいとしましょう。しかし、これはそう簡単には実現できない。それならば、PPP(パブリック・プライベート・パートナーシップ)*6のようなフレームを政府の側で用意しつつ、プラットフォーム形成については各自各論でコミットメントしてもらう、というアプローチはありうる。これは常に民間からの市場化テストのような厳しい評価に晒されることで、本当に良いのか悪いのかを考えながらやっていくしかないでしょう。

 まとめます。設計主義でも自由放任でもなく、しかも設計のなかにはミッションだけの設計、プロセスの設計、実行までの設計といった複数の階層があるなかで、その時々色々の状況で自分の役割を決めていくしかないわけです。ただ、いまのフェーズにおいては、産消逆転によって市場の情報の非対称性が上昇していますから、政府の役割としては、可視化・見える化にコミットし、生産要素の流動性が滞っていればそのぶち抜きを行い、政府自身でも政策的コーディネーションによってプラットフォームづくりも試してみる。このように政府の役割を設定できるのではないかと提案するものです。こうした活動を、人によっては「政府が標準策定をやっている」と見えたりするのかもしれませんが、僕の見方はそうではないということを説明した次第です。

楠正憲

楠正憲

 品質から信頼へというのは、非常に重要なブレークスルーだと思います。というのも、エンジニアはどうしても品質で考えてしまうんですね。先ほども出した例ですが、純粋に暗号鍵の桁を増やしていけばいいという話に耽溺してしまう。ただ、信頼というのは確率の話ではないわけです。信頼性、あるいはリスクというとき、それは本来的には数字の世界ですよね。たとえば原子力発電所で事故が起こる確率は何%である、ペースメーカーが携帯電話の影響を受けるのは20cm以内に接近して2%の確率である、ということは実際に評価できる。たとえばペースメーカーであれば、これはもう携帯電話と共存しなくてはいけないわけですから、より携帯電話の影響を受けにくいペースメーカーが開発されてくるはずです。しかし、単に数字を出して「もう安全ですよ」といっても信じてもらえるかというとそうではなくて、信頼というものは長い時間をかけて積み上げなくてはいけないものです。

 一方で信頼性のファクターはものすごい勢いで変わっているし、品質から信頼への移り変わりというのは、個別の設計をしている人にとって大きなブレークスルーになる。というのも、それは設計に対する興味ではなく、それを受け入れる人の想像力をどこまで広げていけるか、ということを意味するからです。それを実現していくとき、可視化のような政府の役割というのは出てくるわけで、非常に期待したいと思うんですね。

 ただ、こういった物語の上に、どういった政策が個別にインプリされていくのか。常に設計者の悩みだと思うんですが、その担当者がたとえば村上さんのような背景を共有しているのかという問題があります。というのも、それが政策としてインプリされたとして、周りのステイクホルダーは「政府はこう思っているんだろう」という予期を働かせないと動けない。そこでどうやってフィロソフィーを共有することができるかという議論も必要と感じます。




*1:註:isedキーワード情報の不完全性」参照のこと。

*2:註:アナベル・ガワー、マイケル・クスマノ『プラットフォーム・リーダーシップ』 (有斐閣、2005年 asin:4641162328

*3:註:isedキーワードプラットフォーム」参照のこと。

*4:註:プロフィールは以下。→RIETI 経済産業研究所経営学者。日本の自動車産業を対象に、日本の「ものづくり」の力について研究する。主著に『生産システムの進化論』(有斐閣、1997年 asin:4641160023)『能力構築競争』(中公新書、2003年 asin:4121017005)『日本のもの造り哲学』(日本経済新聞社、2004年 asin:453231139X)など。

*5:註:産業構造審議会 情報経済分科会報告書「情報経済・産業ビジョン」の発表について 報道発表(METI/経済産業省)

*6:註:官民協力。官と民がパートナーを組んで事業を行うこと。以下の解説などを参照のこと。→PPP(パブリックプライベートパートナーシップ) | 5分でわかる経営キーワード | 最新キーワード解説 | wisdom Business Leaders Square

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