ised議事録

05-142. 倫理研第4回: 加野瀬未友 講演(2)

題目:「個人サイトを中心としたネットにおける情報流通モデル」

E4:加野瀬未友 個人サイトを中心としたネットにおける情報流通モデル

2. 情報流通モデル

 以上の歴史をふまえたうえで、ネット上の問題を理解するために、情報流通モデル*1を提案したいと思います。このモデルは、筆者が実際にARTIFACTというブログを運営し、長年にわたる経験や認識の上に提唱するものです。なので、データによる検証などはないため、厳密性や普遍性には欠けるかもしれませんが、あくまで日本のネットの認識の叩き台となればいいと思っています。

 また、わかりやすくするために、ブログ以前の「2ちゃんねる中心モデル」と、ブログブーム以降の「ブログ中心モデル」に分けています。もちろん、すべての事例をこのモデルのようにきれいに分けられる訳ではなく、大体は両者の中間に位置しており、「どちらのモデルの傾向が強い」といったかたちになります。

2-1. 2ちゃんねるモデル

 まず、2ちゃんねる中心のモデルから行きましょう。

 ただ、いきなりモデル図を見てもわかりにくいと思うので、このモデルを理解するための代表的な事例を先に紹介したいと思います。それは、2003年5月に起きた「JOY騒動」です。この騒動の発端は、JOYというハンドルネームのとある主婦の日記に、次のような内容が、まるでいいことでもしたかのように喜んで日記に書かれていたことがきっかけでした。「居酒屋で子供の行儀の悪さを店員に指摘され逆ギレし、その店員を全員並べさせて子供にどいつかを確認し、夫と一緒に暴行した」というものでした。

 なぜこの日記が騒ぎの原因になったかというと、2ちゃんねるの「既婚女性板」いわゆる「鬼女板」に晒され、「なんだこいつ」ということで祭りに発展したんですね。JOY本人も2ちゃんねらーとしてそのスレに降臨したり、削除依頼の申請を2ちゃんねるに行ったりしたのですが、2ちゃんねらー側もこうしたJOYに対して応戦し、たとえば問題の居酒屋を探し回ったり、JOYのメールアドレスから個人情報を探したりといった、集団ストーキング的な事態にまでなった。これが簡単な「JOY騒動」の一連の流れになります。

図:2ちゃんねる中心モデル
図:2ちゃんねる中心モデル

 この流れを、モデル図とともに説明しましょう。まず、JOYの日記が、一番下の「一次情報のサイト」にあたります。それが2ちゃんねるのスレッドで書き込まれ、情報が集まってきたところで「まとめサイト」をつくる人が出てくる。これはどういうことかというと、ある程度書き込みが続くと、2ちゃんねるの掲示板は1000個が書き込みの限界で落ちてしまい、閲覧もできなくなってしまうんですね。それを「DAT落ち」と呼んでいます。そこで流れを追いかけ保存するために、2ちゃんねるのスレッドのリンク集や、キーとなる書き込みなど切り抜きする「まとめサイト」が出てきます。利用する側としては、2ちゃんねるのスレッドを見るだけではわかりにくいので、なんとなくここを定期的にウォッチしていれば、事件の概略がわかるようになるわけです。

 まとめサイトによって情報が見やすくなると、今度はそのまとめサイトを通じてこの事件を知った個人サイトの管理人が、「この事件は面白い」と紹介して、まとめサイトにリンクするようになります。こうした個人サイトのなかでも、特にアクセスの多い「個人ニュースサイト」が取り上げると、さらに個人サイトの世界に広く伝わっていき、さまざまな人間がこの事件をウォッチするようになるわけです。その成長過程で「荒れる」ということも起きます。

 このように、2ちゃんねるからまとめサイト、そして個人サイトへという多段的な情報の流れが起きるのが、この「2ちゃんねる中心モデル」です。ここで重要なのは、まとめサイトと個人ニュースサイトの存在ですね。まとめサイトを見ていれば、なんとなく皆が情報共有できますし、どこまでが共通の認識なのかを把握することができます*2。そして個人ニュースサイトのなかでも特に大手の存在、たとえば「カトゆー家断絶」や「かーずSP」、(またインターネットウォッチという法人のITニュースサイトではありますが、その性格は個人サイトに近い)「やじうまWatch」などは、リンク先に大量のアクセスを流し込む機能を果たしています。たとえば「カトゆー家断絶」は、一回リンクを張られると約3000程度アクセス数が増えますし、その後ほかのサイトもリンクを重ねますから、1日200アクセス程度のサイトも2万程度のアクセスにまで膨れることが多々あるわけです。

 このモデルによって、2000年初頭から中盤までにかけて、2ちゃんねるが強かった時代における、個人サイトの情報流通の流れが表現されています。

2-2. ブログ中心モデル

 それでは次に、時期としては2000年代中盤、つまりここ最近の現象を元にした、ブログ中心モデルを提示しましょう(図:ブログ中心モデル)。こちらのモデルでは、一次情報となる情報がJOY騒動のように普通の個人サイトではなく、コメント欄やトラックバックなどの機能がついたブログになっています。

図:ブログ中心モデル
図:ブログ中心モデル

 このモデルのポイントは、最初になにか面白いブログを発見したひとは、2ちゃんねるなどに書き込むのではなく、いきなり自分のブログで「これ面白いよ」と発信するわけです。そこでコメント欄などが増えていくと、「盛り上がってるじゃん」と人が集まってきて、さらに紹介されていくわけです。さきほどのモデルと違う点は、それほど大きいアクセスを持っている個人ニュースサイトのような存在がなくとも、一次情報のブログに対するコメントやトラックバックなどの「祭りへの参加形態」を通じて、少人数でも情報の連鎖と集中が起きやすいところにあります。そして、しばしばそこで「炎上」が起きてしまうわけです。

 もちろんブログの世界でもアクセス数の大きいサイトはありますし、そこがリンクをすれば大勢の人は流れます。それは2ちゃんねるモデルとも変わらない。ただ、より小さいアクセスのレベルでも、騒動や祭りといわれてきたような現象が起きやすくなっているということなんですね。そのことを表現するために、「ブログ中心モデル」と提示しているわけです。

 こちらも実例を紹介しましょう。「らくだのひとりごと」というブログで、「席を譲らなかった若者」という記事が話題になりました。これは2ちゃんねるなどは介在せず、ブログの世界のみで盛り上がった事例ですが、とある電車のなかでの高齢者と若者のやりとりを観察したというショートストーリーで、こういった内容でした。「土曜日に座席がほぼ埋まり、立っている人がちらほらいる電車のなかで、ハイキング帰りらしい高齢者の男性が一人、女性が二人いた。彼らの前に、若者二人が座っていたが、高齢者の男性が『最近の若い者は年寄りを立たせても平気なんだから』とイヤミを言い始めた。若者はそれに対して、『ハイキングに行く元気があるのに電車では立てないのか? こっちはこれから仕事に行くところで、自分みたいな人間が土曜も働いて、あんたたちの年金を作ってやってるんだ』と反論した。」

 「らくだのひとりごと」にこの話が載ったところ、大量のコメントとトラックバックがつきました。このときコメントが747、TrackBackが410となっています*3。もちろん重複もあるため実際にはこれより少ないのですが、この「らくだのひとりごと」というブログは、決してブログ論壇的な有名サイトではなく、もともとアクセス数の多いサイトだったわけではない。普通の個人サイトの規模としては、これは脅威的な反応規模といえます。ただ、おそらく今後こうした事例は稀有な例でもなくなっていくでしょう。

 この事例の場合、とくにアクセス数の多いサイトがリンクしたわけではないにも関わらず、大量の反応がつきました。その理由としては、モデルのなかには組み込んでいないのですが、「はてなダイアリー注目URL」や「はてなブックマーク」の影響ではないかと考えています。こうした「いまどのサイトが数多くリンクされ、注目されているのか」を知るためのツールが、以前はまとめサイトや大手の個人ニュースサイトなどが果たしていた機能を、代替しているということです。

2-3. まとめサイトの重要性

 それでは、両モデルの比較検討を深めていきたいと思います。そこで重要になるのが、2ちゃんねる中心モデルにおいて重要な役割を果たしていた、まとめサイトの存在について再確認しておきましょう。

 これは先ほど指摘したことですが、2ちゃんねるのスレッドというのは、そのままでは事情を知らない人間が見ても、すぐには理解できません。そこで2ちゃんねるの盛り上がったスレッドでは、初心者対策としてたいていFAQが確立されるのですが、このFAQをテンプレートにする(コピペしやすい文章)という行為がよく行われます。このように2ちゃんねるというのは、こういう意味で情報伝達の効率性を上げることに意識的なんですね。そしてこのテンプレートがスレッドの冒頭に収まりきらないくらいに長くなると、まとめサイトとして独立するわけです。

 従来の2ちゃんねる中心のモデルのときには、観察者がスレッドで報告し、その情報が増えてきたところで、まとめる人間が出てきました。たいていサイトが作られるのは、Yahoo!ジオシティーズやinfoseekなどの、無料サーバーサービスでした。

 ただ最近は、ブログの運営者が自分のブログでまとめを公開することも多くなりました。そして、そのまとめ記事がリンクされるというかたちも増えています。しかし、ブログ中心モデルにおいては、そもそもまとめサイトが作られない場合も増えています。たとえば先ほどの「らくだのひとりごと」の例でも、特にまとめサイトというのは存在しません。しいていえば、一次情報のブログ自体がまとめサイトになったといえます。

 あるいは、すでに継続的に更新されているブログでまとめサイト的行為が行われない場合は、観察者が一時的にブログサービスを使う場合もあります。無料サーバーサービスの代わりというわけです。

2-4. 2ちゃんねるモデルブログモデルの比較

 それでは、両モデルの比較を行いたいと思います。2ちゃんねるモデルにおいては、このまとめサイトの存在によって「レイヤーが可視化」されていました。つまり、2ちゃんねるの内側で盛り上がっている場合と、その外の個人サイトの世界にも拡大する場合という大きく二段の流れが存在し、まとめサイトがそのあいだをブリッジしていたというわけです。しかしブログモデルの場合、個人個人が勝手に一次情報の対象に向かことができてしまう。比喩的にいえば、2ちゃんねるモデルでは階層的かつツリー的に情報が流通していましたが、ブログモデルではリンクがしやすくなったことで、よりリゾーム的*4になっているといえます。(図:レイヤー・リゾーム)

図:レイヤー・リゾーム
図:レイヤー・リゾーム

 ほかにも2ちゃんねるの特徴としては、次のようなことが指摘できます。2ちゃんねるでは、ある程度興味を持つ人間が複数いなければ書き込みは増えないため、、自動的にスレッドはなくなってしまっていました。その物理的条件が、一種の情報流通のフィルターの役目を果たしていたわけです。

 外部に対して、2ちゃんねるジャーゴンアスキーアートなどを使って荒らしてはいけないという規範意識も存在していました。もちろん逆に、2ちゃんねる経由の荒らしも存在していましたから、外部を荒らすべきでないという規範を持った人たち、か、それとも外部を荒らしまわる困った脱規範的存在の人たち、どちらが多かったのかは検証できないため明言しません。しかし、少なくとも2ちゃんねる内部には独特な規範意識が強く存在していたことは事実です。

 また、いわゆる「祭り」の現場は2ちゃんねるのスレッドが中心でしたが、このことには、祭りの対象になっているサイトの掲示板を直接荒らすことを防ぐ効果もありました。つまり、2ちゃんねるの内部でガス抜きができたわけですね。

 一方ブログでは、たしかにアクセスの多いサイトが話題を広めるという点は2ちゃんねるモデルと同じなんだけれども、Permlinkがもたらすリンクのしやすさによって、その該当記事に直接アクセスできるようになりました。そして一次情報のブログにはコメント欄があるため、閲覧者が足跡的な書き込みを残しやすくなった。観光地に行って、記念に「○○参上!」と書き込むアレですね(笑)。また、「おれたち2ちゃんねらー」というような規範意識は、特にブログの世界には存在しません。より雑多な人たちが集まっているために、かえって祭りが加速しやすいと思われます。またブログモデルにおいても2ちゃんねるは存在するのですが、もはや2ちゃんねる上で報告スレッドが盛り上がるわけでもなく、単なる外野的な一観察者の立場となります。単にメタな存在となってしまい、その祭りの場面で、情報を流す・整理するといったような、なにかの役目を果たすということは少なくなっているということです。

 ここでこの両者の比較を整理してみましょう。(図:2ちゃんねるモデルブログモデル

 まずリンクについてですが、2ちゃんねる中心の時代の個人サイトは、permalinkの仕組みもまだなく、リンクしにくい状態でした。これをアクセスビリティが低いと表現しています(2ちゃんねるモデルというとややこしいですが、これは2ちゃんねるのスレッドへのリンクの話ではありません)。それがブログになると、permalinkの仕組みがツールの普及によって整備され、情報に直接アクセスできるようになります。

 閲覧者の反応について比較すると、サイト外の掲示板で書かれるのと、ブログのコメント欄に直接書かれるのとでは、確認のしやすさが大きく異なります。

 また、2ちゃんねるモデルでは、まとめサイトがない話題は広がりにくいのですが、ブログモデルでは、ブログ自身がまとめサイト化するため、特に存在せずとも話題が流通しやすくなりました。ブログでは、まとめサイトのような人力に頼るのではなく、ブックマークサービスなどの仕組みに取って代わられているのが現状だと思います。

 そして最後の規範意識についてですが、2ちゃんねるはよかれあしかれ独特の作法を共有していました。2ちゃんねるに集い、まとめサイトをみんなでウォッチし、個人ニュースサイトをチェックすることで、共通の意識を持ちやすかったというわけです。マスメディア的機能というか、一種の公共的な場としての役割を果たしていたとでもいえるでしょう。しかしブログには、そうしたものは見受けられません。

図:2ちゃんねるモデルブログモデル
図:2ちゃんねるモデル、ブログモデル

2-5. 「炎上」「荒れる」のメカニズム

 以上で、モデルの説明はひとまず終わるのですが、このモデルを使って考えたいのが、さきほどから言及してきた「荒れる」「炎上」という現象です。ここでは個人サイトやブログが「炎上する」「荒れる」*5とはどういうことなのか、考察を加えておきます。

 炎上するというのは、ブログ以前であれば、掲示板がついている個人サイトの掲示板に多数の書き込みが殺到し、あるいは誹謗中傷などの発言によって荒らされることで、対応できずにそのサイト自体が閉鎖してしまうなどの状態になることを指します。また現在では、ブログのコメント欄に、管理人による個別のレスができなくなるほどに書き込みが殺到することを指しています。*6

 では、なぜ書き込みが殺到するのでしょうか。まずブログモデルになって、簡単に人が集まりやすくなったことが理由として挙げられます。そして内容的に問題となりやすいのは、生活レベルだといわゆる「うっかりした話題」が多いんですね。たとえば未成年が飲酒したといったことを書いてしまい、それに道徳的な指摘が殺到するといったものです。また政治的な話題に関しては、大げさにいえば、いわゆる「戦後民主主義」的な価値観に欺瞞性を感じている人たちがこぞって炎上をしかけているという印象です*7。このあたりは面倒なので明言を避けます(笑)。

 また最近の「炎上」のきっかけは政治観の違いもあるのですが、たとえば「記者ブログ」のような、ネットの作法に慣れてない従来メディアの人たちによく起きているという印象があります*8。これは北田さんが前回の倫理研*9や「ユリイカ」で指摘されていた*10ように、ネットでの「語り口」「作法」をめぐる炎上だといえます。たとえば記者ブログの場合、書き込みが殺到したとしても、コメントをピックアップして対応すれば納得して落ち着くものですが、かえって偉そうなコメントで一蹴しようとすることで挑発的に取られてしまい、「なんだコイツ」とさらに盛り上がってしまうというパターンですね。

 また、なぜブログは閉鎖されてしまうのでしょうか。一度多数の書き込みが殺到する経験があると、次にまたなにか言われることを恐れて、更新する意欲を失ってしまうことが多いと推測できます。

 さて、こうした「祭り」や「炎上」をめぐる議論についてはこの後でも検討しますが、つまり私が今回の講演で主張したいのは、「ブログ中心モデル」に移行すると、むしろ小さな「祭り」や「炎上」が頻発するようになるのではないかということです。ただ、これには違和感を持たれる方も多いだろうと思います。というのも、一般には、特にマスメディアレベルの理解であれば、匿名掲示板よりも、個人の見えやすいブログモデルのほうが、荒らしなどのネガティブな現象も起きにくいと考えるのが普通でしょう。

 しかし、私の提示した「2ちゃんねる中心モデル」では、2ちゃんねるそれ単体で見るのではなく、まとめサイトや個人サイトも含めた全体として捉えることを提案しています。なぜなら、そのことによってもたらされる情報流通の階層が、むしろ公共的な感覚を担保しつつ、サイバーカスケード的な急激な展開を避ける役割を果たしていたとみなすことも可能だからです。この点については、この後触れることにします。

*1:註:またその他ネット上の情報流通・世論形成モデルとして、歌う脳髄しぶしぶのオタ日記:逸脱サイト情報の集約と分配政策空間: 不定期連載「ギコ猫亭日常」(第3回)ネットの「速さ」と「パワー」の威力とは何か:ネット右翼問題を題材になどが見られる。→isedキーワードネット世論の階層モデル」参照のこと。

*2:註:この「どこまでが共通の認識なのかを把握すること」を可能とする機能を、のちに「擬似的な公共性」と呼ぶ。

*3:註:2005年5月時点で調査したもの

*4:註:フランス語で「地下茎」のこと。竹や蓮の根のように、特定の中心、始まりと終わりを持たず、高度に交錯したネットワーク構造をあらわす。ドゥルーズ・ガタリが『千のプラトー』(河出書房新社、1994年 asin:4309241514)において近代的思考=ツリー(樹形・ハイアラーキー)にリゾームを対置させ、ポストモダン思想の文脈では著名なメタファーとして知られる。

*5:註:isedキーワード炎上」参照のこと。

*6:註:これを倫理研委員の小倉秀夫は、掲示板時代の「炎上」と区別し「コメントスクラム」と呼ぶことを提案している。isedキーワードコメントスクラム」参照のこと。

*7:註:たとえば鈴木謙介は、「ネット右翼」と呼ばれるような若者の一見ナショナリステッィクに見えるパタンは、必ずしも本来の意味で「右翼的」ではなく、学校空間における日教組的な価値観(学級会的民主主義)に対する嫌悪・辟易感から、<反左翼的>に振舞っているにすぎないと分析している。→鈴木謙介「若者は「右傾化」しているか」(「世界」2005年7月号、岩波書店

*8:註:たとえば、共同通信「署名で書く記者の「ニュース日記」」でのライブドア批判をきっかけにした炎上など。また加野瀬木村剛氏のブログでのトラックバックの「解釈」について以下のような興味深い指摘をしている。「ブログ時評は、時事の話題に関して、検索エンジンなどを使って参考になる意見をまとめてくれるのかと思って期待していたんですが、お題を出してご意見は TrackBackで通知してください、というもの。え、ネットを新聞の投書欄と同じだと思っているのか!と思って脱力感を味わってしまいました。」作法だけでなく、そのメディアやツールの捉えかたもネット上では一様ではない。

*9:註:ised@glocom - ised議事録 - 2. 倫理研第3回: 北田暁大 講演(2)での、「コンテクストをめぐる闘争――CMCにおける「繋がりの社会性」の前面化」を参照のこと。→isedキーワード:「コンテクスト闘争の前面化」参照のこと。

*10:註:北田暁大「『ブログ作法とは何か』とは何か」(『ユリイカ』2005年4月号 特集*ブログ作法、青土社 asin:4791701321

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