ised議事録

05-147. 倫理研第4回: 共同討議 第1部(4)

炎上からコメントスクラムへ――公園(2ちゃんねる)/自宅(ブログ)のメタファーを手がかりに

東浩紀(以下、東):

 炎上の話といえば、やはり、小倉さんに一度振らないと会場は納得しないかなと思います。お願いします(笑)。

小倉秀夫(以下、小倉):

 まず、私は基本的に炎上という言葉は使わないんです。というのも、2ちゃんねるに代表されるような掲示板で行われるものと、ブログで行われているものとは、性質的に異なると考えています。私の理解では、「フレーミングflaming=炎上」とは掲示板で起こる現象を示す言葉であって、ブログのコメント欄に対して起きるものは別の表現を与えるべきです。そこで私は「コメントスクラム」という言葉を使っています*1。「コメントラッシュ」のほうがいいと提唱されている方もいますが。

 フレーミング(掲示板)とコメントスクラム(ブログ)のもっとも大きな違いは、掲示板では悪口や荒らしを言われていてもスルーしやすいという点なんですね。つまり、しょせん2ちゃんねるなど見ている人はそんなに多くはないかもしれないし、とくにその問題のスレッドを見ている人は非常に少ないわけですよね。仮にそのスレッドを見ていたとしても、「あなた、この間2ちゃんねるでこんなこと書かれていたけど、本当ですか?」だなんて、恥ずかしくて聞けません。2ちゃんねるの書き込みを信頼しているというのは、まともな世の中では恥ずかしい行為ですから(笑)。

 ところが、その本人のブログのコメント欄でわけのわからない悪口が書いてあるとなると、自分のことを知っている人が見ている可能性が高いし、なかなかスルーしにくいわけですね。コメントスクラムをやっている人々からも、どうも「このブログ主を潰してやれ!」という印象も強く受ける。僕のところにも「早く閉鎖しろ」あるいは「コメント欄を閉じろ」といったことがよく書き込まれているんですが、これまでの炎上と異なるのは、この直接相手に対して明言する度合いがかなり激しい点だと思います。

東:

 つまり、コメントスクラムを書き込むひとは、圧力団体のように振る舞っているということですね。

加野瀬未友(以下、加野瀬):

 いま小倉さんは2ちゃんねるを例に出されましたが、たとえば個人サイトの掲示板に書き込みが集中する・荒れるという場合はどうですか。これは本人に直結していると思うんですが。

小倉:

小倉秀夫
 私はもともと炎上というと、どちらかといえばそういうものを思い浮かべていましたね。

 2ちゃんねるの場合、おそらくこの委員のなかでスレッドが存在するのは、僕と北田さん、東さん、高木さんなどですが、存在したところで別にどうということはない。かなり悪口は言われているけれども。

加野瀬

 2ちゃんねるの「本人スレ」のことですね。

東:

 なるほど。小倉さんがコメントスクラムとおっしゃるのは、自分で開設しているサイトに大量の人間が殺到することに限定しているわけですね。家宅侵入みたいなイメージでしょうか。自分のホームグラウンド=私的領域にどっとなだれ込んでくる、と。

小倉:

 リアル空間に例えると、別に公園で悪口を言われていても気にならないけれども、自分の店に入って悪口言われるとやはり気になる、といった感じですね。

 公園では話を聞いている人もいるし、噂話している人もいるかもしれないけど、知らなきゃ知らないでいい。たまたま通りかかって噂話を聞いても、立ち止まらずにどっか行っちゃえばいいだけの話なんです。

 しかし、自分の店で自分の悪口をえんえんと毎日言い続けている人が来ると、これは放置しにくいわけです。しかも悪口を言いに来る人は覆面をかぶっていて、自分が誰だか分からないようにしている。これはやはり対策をとる必要があるでしょう、と。

東:

東浩紀
 それは面白い感覚で、すごくよくわかります。加野瀬さんの講演というのは、2ちゃんねるは擬似的な公共性を形成していたということなんですが*2、公園というメタファーからもわかるようにやはり公的空間だったということですね。そして一方のブログは個々人の私的領域であるということです*3。だからこそ、2ちゃんねるでいくら話題が盛り上がったとしても関係はないけれども、私的領域=個人のブログで盛り上がる場合は、2ちゃんねるとは異なる対処が必要だということですね。これは法的対処も含めてでしょうか。

小倉:

 そうですね。あとウォッチサイトというのも、やられている側としては気持ちが悪いものです。自分は相手のことを知らないが、相手は自分のことを知っていて、常時自分がなにをやっているのかを把握している。これは、リアルの世界であればストーカーの典型ですね。もちろん恋愛感情はないのでストーカー防止法におけるストーカーにはあたらないんですが、相手に対して「自分はお前のことをずっと監視しているぞ」と告げるというのは、行為類型としてはストーカー行為と同じではないか。

加野瀬

 ちょっとびっくりしたんですが、もし小倉弁護士のウォッチサイトがあったとして、それに対する法的な対処はやろうと思えばできるんですか?

小倉:

 それはできません。なぜならストーカー防止法*4がつくられるときに、マスメディアが自分たちの行動をストーカーだといわれるのを避けるために、「恋愛感情があること」を要件にしてしまったからです(笑)。

東:

 それはアツい話ですねえ(笑)。

 ともかく、いまの小倉さんのコメントでいよいよ問題は明らかになってきたという気がします。公園というメタファーを通じて、2ちゃんねるがある種の公的な場だったというコンセンサスが浮かび上がってきた。

 同時にここまでの議論によって、私的空間の捉え方に差異が生じています。小倉さんの考えによれば、ブログは私的領域であって、そこでコメントスクラムが起こることには法的対処が必要だということになる。それに対して加野瀬さんは、アクセス・コントロールのかけられた空間のみが私的領域であって、ブログでも公開している以上公的領域だとみなされている。いかがでしょうか、加野瀬さん。

加野瀬

 以前、「Weblogのコメント欄は誰のもの?」というエントリーを書いたことがあります。そのとき、ブログはかなり公的な場ではあるが、本人の裁量はあっていいだろう、と考えていました。ただ、それはブログ運営者がどういうスタンスかという話です。問題は実際にそこが私的領域である以上、法的対処をすべきかどうかという話になってきますよね。僕としては、そこは個人レベルで対処できると思うんです。ただ、もちろんそうもいかない初心者もいるだろうから、初心者はアクセス・コントロールなどで最初のうちはひきこもったほうがいいのではないか、ということだったんですね。

石橋啓一郎(以下、石橋):

石橋啓一郎
 ちょっと議論を整理したいと思います。2ちゃんねるモデルブログモデルを改めて見直すと、加野瀬さんがここで注目しているのは、個人サイトやブログから発せられる一次情報に、コメントやリンクでどのような反応が「返ってくるか」という部分だと思うんですね。つまり、一次情報を発信している人が自分の場を持っていて、そこに反応が返ってくるメカニズムに照準をあてている。ということはつまり、たとえば2ちゃんねるで自分のスレがあったとしても、そこで話題がまわるだけならば問題ない。自分のサイトに人や情報が流れて来ないのであればいいということですよね。炎上という定義もそのような解釈が入っていたと思うんですが。

加野瀬

 そうです。炎上の定義は、やはり本人の領域に訪れることを意味します。

石橋:

 すると問題なのは、仮に2ちゃんねるが公的な場所だと認識されていたとしても、いかなる経路を通じて一般の人の反応が返ってくるのかが問題だと思うんですね。

 そこで実際にモデルを見てみると、2ちゃんねるモデルの場合であれば、情報が戻ってくる経路で重要な役割を果たしているのはサイトを持っている人たちですね。一方、ブログ中心モデルでは、サイトを持っている人の重要性が減っており、むしろサイトを持っていない人がどういう経路で来るのかが重要な役割を果たしているように見えます。

図:2ちゃんねる中心モデル
図:2ちゃんねる中心モデル

図:ブログ中心モデル
図:ブログ中心モデル

加野瀬

 2ちゃんねる中心モデルに限らず、掲示板やコメント欄に書き込むのはサイトを持っていなくてもできる行為です。

石橋:

 つまり、サイトを持っている少数と、サイトを持っていない多数というのは、実はかなり異なる行動をしているのではないでしょうか。サイトを持っていない人たちの行動というのも、炎上させられる側としては気にしているポイントじゃないかと思うんです。

東:

 石橋さんが指摘されたのは、コメント欄がアーキテクチャとして導入されることによって、情報やユーザーの流れが変わったので、それをモデルに反映させる必要があるのではないか、ということだと思います。

 そこでこそ、ブログモデルにおけるコメント欄の位置づけが重要になってきます。コメント欄の出現によって、サイトを持っていなくてもそのままダイレクトに反応を返すことが可能になった。個人サイトを持つという高いハードルがなくなり、なんとなく足跡を残すという感覚で読んだ瞬間にコメントが書き込めるため、コメントがどんどん増殖してしまう。

加野瀬

 そうだと思います。たしかに機能的に見れば、掲示板もブログのコメント欄もほとんど同じです。しかしその大きな違いとして、ブログのコメント欄は「そこが一次情報である」という感覚が強くなる点にあると思います。掲示板はその個人サイト全体に対して存在していますから、特に書き込まなくてもいいという感情が働く。一方、ブログのコメント欄は、そのエントリーの対象を直接見ているので、感想を反射的に書けてしまうわけで、閲覧者側のハードルも低くなっていると思います。これが「記念足跡書き込み」という問題ですね。

石橋:

 さらに関連させていうと、ブログモデルで悪さをしているのは加野瀬さんも指摘されるようにpermalinkだと思うんです。かつての個人サイトでは、トップページにリンクを要求する人が多かった。それによって文脈を作っていたわけですよね。ところがpermalinkによって文脈がなくなり、直接記事を読んで反応されてしまう。

加野瀬

 そのとおりです。コメント欄+permalinkというのはつまり、戦場が一箇所になったということですね。北田さんが前回おっしゃったように、たしかにコンテクストの分断がブログでは起きやすい。以前から読んでいれば分かる話でも、ちょっと刺激的なフレーズを書くと、そこにだけ脊髄反射でコメントをするという人がすごく増えてきている気がします。つまり、東さんのいう動物化です。

東:

 ありがとう(笑)。

 ここまでの話を整理しましょう。ここで問題となっているのは、アーキテクチャ、つまり技術的な実装によって規範意識も変化していく、ということだと思います。2ちゃんねるの時代においては、一次情報のサイトと炎上場所の2ちゃんねるが離れていたために、議論のコンテクストをつくりやすかった。しかも、2ちゃんねるではずっと同じスレで議論が続くわけですから、なおさらです。このコンテクストの形成のしやすさが、実は炎上を防ぐ装置になっていた。

加野瀬

 そうですね、2ちゃんねるでガス抜きされていた、ということです。

東:

 しかし、ブログにはpermalinkがある。かつての個人サイトには、トップページから日記へリンクするという文脈があって、これも一種の安定化装置として機能していた。その日記をどう読むべきか、コンテクストを作ることができたからです。しかし、ブログでは個々のエントリに直接コメントがつく構造になってしまったことで、そうしたコンテクストが形成されにくくなる。それが炎上を容易にしている。

*1:註:isedキーワードコメントスクラム」参照のこと。

*2:註:isedキーワード2ちゃんねるモデル」参照のこと。

*3:註:同様のメタファーとして、たとえばブログ的なアーキテクチャを先駆的に実装した「関心空間」の前田邦弘は、『ネットコミュニティビジネス入門』(松岡 裕典編著、日経BP社、2003年 asin:4822210618)のなかで、ブログ(のような構造)を持った関心空間のことを、「自分の部屋や本棚(私)をしょってパーティ会場(公)に参加する」と表現していた。またはてな近藤淳也は、「日本人にはBlogより日記」、はてなの人気に迫る - CNET Japanのなかで、「日本では「我が家へようこそ」というのがホームページに対する認識ではないか」と指摘している。

*4:註:ストーカー行為等の規制等に関する法律

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