ised議事録

05-149. 倫理研第4回: 共同討議 第2部(1)

日本社会と2ちゃんねる――「ネタ化」という文化的作法

東浩紀(以下、東):

 それでは共同討議の第2部をはじめたいと思います。

 白田さんからどうぞ。

白田秀彰(以下、白田):

白田秀彰
 加野瀬さんの提案は、アクセス・コントロールによって公/私の区別をつけてくべきだという話でした。これは前回の北田さんの議論を受けたものですね。しかし、問題はそもそも公/私の区別だけではないと思うんです。

 たとえば2ちゃんねるで起きている現象もそうですし、ブログが瑣末化してメタ的な炎上が起きている状況などを見ますと、これは公衆と私人という構図のみならず、さらに大衆という第三項があると私は考えています。そしていま巨大化しているのはこの公でも私でもない大衆的な領域であって、公的な議論が行われるはずの場がむしろ侵食されているのではないか。この問題こそが重要だと思うんです。

 たしかに、炎上を防ぐためにアクセス・コントロールを導入するのも重要かもしれません。しかし私が危惧しているのは、いまの状態のままアクセス・コントロールを完全にしていった場合、かえって公的な議論の場が殺される方向に向かうことなんですね。いまネットは大衆化の途上にあって、ネットの公的要素が死につつあるのではないか。そして、ブログのアクセス・コントロールはかえって大衆化を進めてしまう悪い影響があることを表明しておきたいと思います。

 簡単に歴史を振り返っておきましょう。まず草の根BBSの頃は、状況的にメディアではあまり取り上げられなかったと思うんです。おそらく、BBSごとに性格や作法が異なるために、草の根BBSというものをまとめて取り上げにくかった状況があったのではないでしょうか。つまり、ネット的なものは当初コミュニタリアニズムからスタートしたわけです。

 それに対して2ちゃんねるはいかなる機能を果たしたのかというと、要するにBBSというものの一般モデルをつくったわけです。2ちゃんねるのなかにも数多くのBBSがあるけれども、「これが2ちゃんねるでしょ」と言及可能になった。するとマスコミの側も、「電子掲示板とはこういうものだ」と取り上げることが可能になって、一般にも認知されていくわけです。

 加野瀬さんによれば2ちゃんねるはある種の共通の規範意識を生み出したとのことですが、規範というよりは独特の文法・作法を一般化したこということですね。それまで各草の根BBSでばらばらだった文法を、2ちゃんねる的な文法が侵略しながら変えていった。おそらく草の根BBS時代、つまりコミュニタリアニズム的な性格があったときには、けっこうマジな政治的議論をするBBSもあったし、ガチガチな開発談義をやるBBSもあったし、もしくはネタ的に遊ぶBBSもあったと思うんです。しかし、北田さんのいうところの「2ちゃんねる的な嗤う感覚」が流入することによって、あらゆる場所が2ちゃんねる的作法に覆われているのではないか*1。つまり、ネットは開かれてはいるけれども公的な場ではなく、遊技場化されつつある。これを「総ネタ化」と呼んでおきたいと思います。

 このネタ化とはなにか。たとえば加野瀬さんは「ブログにおいて受け手や書き手が成熟すれば、炎上は無くなる」とおっしゃっている。つまり自分が批判されたときにはスルーして流してしまうというような、ある種の大人の感覚を持つということですね。要するに「すべてをネタ的に扱え」、と。つまり、なにを書かれたとしてもネタなんだという感覚です。ということは、ネット上でユーザーが成熟するということは、2ちゃんねる的な嗤いの感覚を一般化し、総ネタ化してしまうこととイコールではないか。

 さらにネタ化ということであれば、2ちゃんねるでブログや他のサイトを観察する行為を「ヲチ(ウォッチ)」と呼びますね。ここに表明されているのは、自分たちは誰かがやっているベタなネタ、つまりベタなコンテクストを高みから見下ろすんだという感覚です。こうしたネタ化というのが、おそらく2ちゃんねる的なコミュニケーションの感覚と呼べるものでしょう。

 このように、北田さんが『嗤う日本のナショナリズム』で示した嗤う感覚なるものが一般化すること、つまり総ネタ化という現象が、いまインターネットを侵食しつつある。ここに私は危惧を抱いているんです。いまや日本においては、ベタになにかを議論するという公的なニュアンスよりも、すべてをネタ化していくなかで自分たちを高みに立たせようという感覚が支配的になりつつある。利用者が成熟するということがこの総ネタ化とイコールであるとすれば、それは問題が解決しているのではなく、私の認識ではむしろ状況が悪化しているということを意味している可能性がある。だから、むしろマジに受け取って炎上しているほうがマシなんじゃないかと思うんですね。

 また、2ちゃんねるでは「そんなことはチラシの裏に書け」という煽り文句があります。ネットはもともと構造的にパブリックですし、とりわけブログは公的な議論をやることもできるツールとして出てきたものですよね。しかしmixiに代表されるように、見せたい人に見せる、閉じた身内だけに見せるという方向に移行しつつある。たしかにアクセス・コントロールは便利でしょう。しかし、それはせっかくパブリックなツールとして現れたはずのブログを、あえてチラシの裏化してしまうことになってしまう。それはいかがなものか。アクセス・コントロールがない頃であれば、一応なにかを書くとき「これが公的な部分に出ていくんだ」という覚悟をもつべきだ、という意識があったはずです。ところがそうした覚悟を持たない人々が流入してくることで、チラシの裏的なくだらないことを書く人が増えてきた。そして、そのくだらないことに関してヲチをしつつ、ときには総攻撃を加えて炎上する状況になってきたわけです。

 ここで私は近代主義者ですから、「ブログというのはパブリックな領域で議論するためのツールとして出てきたんだから、そのリテラシーを身につけなさい」という規律訓練型の発想をしてしまうんですね。一方、それに対して親切にアクセス・コントロールを精緻に可能にするアーキテクチャを与えるのは、環境管理型の発想といえましょう。そして後者の道を進むことは、より一層の発言の瑣末化、そしてそれに対する反応の世間化、大衆化を獲得することになってしまうのではないか。

 つまり結論として、アクセス・コントロールという処方箋はネットワークを公的な議論の場としては殺していく方向にあると思うんです。その背景には、ネットはあくまで開かれてはいるけれども遊技場である、そして総ネタ化するんだという価値観があると思う。いちおう基礎法的なところからもの考える私としては、せっかくのインターネットという公的な場としてのツールを総ネタ化する流れに対しては、異議を唱えなければいけないと思います。以上です。

東:

 これもまた、迫力のある意見をいただきました。実は僕は、委員のみなさんはご存じだと思うけど、最近友人関係でトラブルがありまして、やはり人間には規律訓練が必要だという意見に傾いてきている(笑)。そういう局面が来ているので、深くうなずきながら聞いていました(笑)。

 冗談はともかく、とても白田さんらしいとともに、重要な問題提起だと思います。加野瀬さん、いかがですか。

加野瀬未友(以下、加野瀬):

 僕も白田さんの考えに基本的には賛成なんです。ただ、それができる人は僕が使う言葉でいえば「強い人」*2だと思うんですよ。やはり、すべてがそんな人ばかりではない。もちろん強い人は勝手に出てくるだろうと思うんですが、同時に「弱い人」のための保護策はあったほうがいいんじゃないか、というのが僕の提案だったんですね。

東:

 加野瀬さんは、公的な議論の場と遊技場的な場は並列すべきだという意見ですね。公的な議論を行う人はもともと強いのだから、弱い人間がいくらネットを遊技場化しても、勝手に議論の場は作れるはずだ、と。

加野瀬

 そうです。だからいま白田さんがおっしゃったように、遊技場は大衆化すると思います。もちろん、遊技場側の影響力が大きくなるのは、怖いといえば怖い。しかし、これについては公的な議論をする側の人たちが、影響力といいますか人に伝わることを意識して意見を出していくしかないと思うんです。

白田:

 私がそこで大衆という言葉を使っていたのは、どうしても大衆のほうが数が多いところなんです。弱い人たちがネットを遊技場化するというのは、たとえばチラシの裏的な書き込みを大量に行い、そのなかで総攻撃をやって互いに潰しあって、しかも全部はネタだとみなして、高みから楽しく遊ぶわけですね。つまりコミュニケーションがゲーム化している状況がある。その状況の数が圧倒的に多いとなると、どうしてもそこに目が行ってしまうわけです。

 いままで既存メディアであれば、相当のフィルタリングをくぐりぬけたお金をとれる人しか発言しなかったので、クオリティの高い言論が残ってきたという考え方がありますね。あまりに状況が大衆化してしまうと、クオリティの高い議論をしている人たちが埋没し、かえってポジションを下げてしまうという危険があります。

 強い人と弱い人の棲み分けということでいえば、たとえば私は95年頃からウェブに自分が書いた論文を載せていますけれども、褒めもされないし、けなされもしないんですね。たぶん原稿用紙100枚以上のテキストがあると、単に誰も読まなくなるんだと思うんです(笑)。まともな評論には意外と攻撃は来ない。やはり突っ込みやすいのはいわゆるチラシの裏的な書き込みに対してであって、そこにたくさんの攻撃が一気に加わってしまうのではないでしょうか。

加野瀬

 それこそisedの議事録に対する反応がわかりやすい事例ですね。議事録が公開されたときは特に反応がなかったのに、週刊アスキーの「仮想報道」で「2ちゃんねるの終焉」と取り上げられた途端*3、いきなり盛り上がった。お前ら要約しか読んでないな、というわかりやすい反応でした(笑)。たしかにネットの大半の人々にとっては、ある程度分量のある文章は視野に入っていない傾向にあります。

東:

 ちょっと議論からずれますが、それは「反応」の定義によると思います。長い文章を読み、時間をかけて考えるというのも反応のひとつのかたちだと思うけれど、ブログにコメントを書くというアーキテクチャが生まれたことで、新しいかたちの反応が生み出されてしまい、それが一気に大衆化してしまった。

 たとえば本の世界では、書評が5個も出ればそれはもう大変なことです。ふつうはそのままスルーで、読者からちょっとハガキが届いて終わり、という感じですね。そして3年ぐらい経つと、本がどこかで引用されるかも、というぐらいのものです。でもそれでも影響関係は続いていく。そういう反応の世界もあるわけです。

 それに対して、ブログで求められる反応はたいへん早い。ネットが遊技場化していくのはこれが大きい。インターネットの問題は結局スピードなんじゃないか、というのは、さきほどチャットでも意見がのぼりました。

加野瀬

 つまり、リアルタイム性がなければネットじゃない、という風潮になっているんだと思います。よくネットでは、1週間経つとその議論はすごく昔のことのように感じるといわれるんです。しかし昔であれば1週間くらいは普通に待っていたわけですよね。

東:

 さて、さきほどの白田さんのお話に、ネットでの「成熟」とは結局ネタ的なコミュニケーションに長けることなのではないか、しかしそれは本当に成熟なのか、という重要な指摘がありました。ここは北田さんにお聞きしたいのですが、いかがでしょうか。

北田暁大(以下、北田):

北田暁大
 そうですね。加野瀬さんが「強い人」という表現をされていましたが、おそらくふたつの「強さ」があると思います。ひとつは、いわゆる通時的な責任をきちんと引き受けることができる自律的な主体であるということ。つまり白田さんが想定されているような意味での強さですね。そしてもうひとつは、いまのこの日本のネット社会と呼ばれるもののなかで生きていくために必要とされている強さで、それは2ちゃんねる的な「スルーする力」といいますか、一種のタフネスみたいなものだと思うんです。

 たとえば炎上が起きると、そういう強さを求めるメタコメントが多く見受けられますよね。「この人はなんでこんな細かいことにいちいち反論して自分で事を荒立ててるんだ」とか、「スルーできない人は結局弱いんだ。自意識過剰なんだ」とか。自意識過剰だ!という極め付きに自意識過剰な批判がなぜ批判たりうるのか、そもそも不思議なところですが(笑)。

 ともあれ、2ちゃんねる化された身体性を求めるというか、2ちゃんねる的な意味での「成熟せよ」という要請がいまは非常に強いと思うんです。それは白田さんのいう意味での強さとはまったく異なるにもかかわらず、両者は混同されているのではないでしょうか。自律的主体として反論するという振る舞い自体が、その人の言説主体としての「弱さ」、スルーする力の欠如の証拠として回収されてしまう。「スルーする力」の規範化は自律としての強さを駆逐してしまいかねない。

東:

東浩紀
 これもまた重要な指摘だと思います。いま北田さんは、2ちゃんねる的な意味での成熟とおっしゃったんですが、僕は個人的には、そのような「攻撃されてもやりすごす強さ」は、日本の出版メディアで育まれてきたものだと思うんです。たとえば、いまはなくなりましたが、『噂の眞相』という雑誌がありましたね。僕も何度か記事になったことがありますが、普通に考えてそれはまあ腹は立つわけです。しかし、編集者のあいだには、『噂の眞相』の一行記事でなにを言われていても、「そんなものに敏感に反応しているのは馬鹿だ。スルーして勲章だと思え」といった雰囲気があった。そして、その感覚を若い作家や批評家に押しつけるわけですね。それは日本の言論界をたいへんスポイルしてきたと思います。

 いずれにせよ、2ちゃんねる的な「強さ」を求める風潮というのは、実は日本の出版文化が以前から持っていたものだと思うんです。いかがでしょう。

北田:

 まさにそういうことなんです。80年代以前からも実はそうなんですが、とりわけ80年代以降において、ネタ化する/される感性というものが規範化してくると思うんですね。やり過ごす強さに、過剰に倫理・道徳的価値を認めるようなコードができてしまったのではないか。その意味で2ちゃんねるというのは非常に80年代的文化の正当な後継者である、といえるでしょう*4

kachigokachigo2005/08/14 23:262ちゃんねるって,奥が深いんですね.

トラックバック - http://ised-glocom.g.hatena.ne.jp/ised/07090514