ised議事録

05-1413. 倫理研第4回: 質疑応答

質疑応答

山崎一幸:

 山崎と申します。使われていた用語について指摘しておきたいと思います。白田さんが「チラシの裏に書く」という言葉を出されましたが、これは公共的な場所に書く・書かないという意識の問題ではないんですね。2ちゃんねるでこのフレーズが出てくるときは「空気を読め」という意味なんです。つまりその場に適した文脈を判断しろという意味であって、プライベートな場所に書くという意味ではありません。たとえば白田さんがご自身のサイトで書かれたことを2ちゃんねるにコピペすれば、それは「チラシの裏」なんですね。

 また叩かれ強さという話がありました。これについては、ネット上の人格とはなにかについて考えておく必要があります。そこでネット上の人格というとき、現実社会の名前とリンクした完全な実名もありますし、コテハンという固定的なハンドルネームもあり、“名無しさん”のような匿名もあることを考えなければいけない。つまり、完全な匿名から完全な実名まで、匿名性には無段階のグラデーションがあるわけです。ここでどこに境界線を置くのかで意味が変わってしまうんですね。そうでなければ、匿名性をめぐる議論は上滑りしてしまう。

 たとえば電車男の例でいえば、彼は最初コテハンで出てきている。これは一般には匿名ということになりますが、電車男コテハンを使って書き込み続けることで、ある種の人格を固定していった。そして、電車男の彼は、こうなった以上この人格を捨てないでしょう。つまり、彼はもう匿名的存在ではない。映画化されて、お金まで稼いでいるコテハンなんです。この点を踏まえなければ、匿名性をめぐる議論は全体としてあいまいになってしまうと思います。

東浩紀(以下、東):

 ありがとうございます。これは質問というより、今後の要望ですね。検討させていただきます。

 では次に崎山さん。

崎山伸夫:

 最後のあたり、辻さんがオープンネスとパブリックネスは違うという問題提起をされていましたが、本当はオープン/クローズとパブリック/プライベートという別々の軸があって、単純計算で4通りの答えがあるわけです。それぞれについて議論をする必要があると思いますが、積極的にいえば、それぞれが区別できるようにアーキテクチャを設計するのも、ひとつの考え方ではないかと思います。しかし、その一方で北田さんの話のように、主観的には道徳的でも客観的には動物的と、認識が外と内でぶれることもありますから、ちょっと難しいかもしれません。

 また石橋さんがされていたアクセス制御の話を自分なりに考えてみたのですが、アクセス制御と表現せずに、「出会い」と考えるとわかりやすいのではないでしょうか。たとえばmixiのような大規模SNSが今後向かう方向として、そもそも争ってしまうような人とは出会わない、非常に友好的な人としか出会わないというように、プロフィール情報をもとに検索できるようになるとすれば、それは石橋さんが求めているものかもしれません。いまのmixiには、名前を入れればその名前の人が全部見つかるというように、きわめて単純な検索しかありませんね。しかし、検索―というよりマッチメイキングと呼ぶほうが正確かもしれませんが―の機能が発達すれば、いわば「Googleで引っかからないものは存在しないことと等しい」かのように、炎上を起こす者同士が出会うことのないアーキテクチャをつくることができるのかもしれません。

東:

 オープンとパブリックの違いについて、辻さんいかがでしょうか。

辻大介

 パブリック/プライベートという軸と、オープン/クローズという軸を掛け合わせると、なにか面白いことが見えてくるのではないかというお話ですね。私もそう思います。もともと、パブリックとプライベートという軸自体が一元的な軸ではないんですね。それはいくつかの軸が複合的に絡まって定まったものであって、パブリック/プライベートという軸とオープン/クローズという軸はこれまで並行的だった。しかしネットという空間によって、そこによじれが生じてきているわけですね。これは整理する必要があるんじゃないかと考えています。

東:

 ありがとうございます。

 では石橋さん、アクセス制御というよりも出会いの場と考えたらどうかという話について、いかがですか。

石橋啓一郎

 はい、崎山さんは検索という言葉を使われましたが、僕は同じものをアクセス・コントロールで実現することもできると思っていたわけです。さらに違うアーキテクチャでも可能でしょう。たとえばいま辻さんのおっしゃった、いくつかの軸の組み合わせという話もアーキテクチャのかたちで提案できるはずです。

 これは第3回の設計研で議論されたことなんですが、簡単にいって、現代においてはいろいろな人がニーズを考え、その技術を提案し、それが消費者のニーズに合うと爆発的に普及する、といった競争が日々繰り広げられているわけです。たとえばmixiというのは、日本人の特質とニーズに適合しているために、爆発的に普及したと考えられます。しかし競争がある以上、すべてがそこに固定してしまうとは考えにくいわけです。たとえばパブリックネスの公論だけをやりたい人たちの集まりやすいアーキテクチャの提案というは可能だろうし、ある程度の普及も可能だというのが僕の考えです。

東:

 次の方どうぞ。

酒井泰斗(ルーマン・フォーラム):

 酒井(id:contractio)と申します。白田さんにリクエストを。

 「繋がりの社会性」あるいは「陰口で繋がる自由」が存在し、それを実現する場を欲している人たちがいる。あるいは、そういう人たちを増やす潜勢力があって、そのアーキテクチャとして2ちゃんねるが用意された──というところで、ひとつオチがついたように思います。

 討議の後半で東さんが繰り返し問題にしていたのは、大量に存在するそうした「弱い人たち」のことを織り込むと議論はどうなるか、ということでした。その流れを踏まえた上で、しかし白田さんには「強い人たち」あるいは「守るべきもの」の側の話をうかがいたい。公的なものを大衆的なものが侵食している、あるいは公的なものが育たないような風潮がある、と白田さんは危惧されていました。その点もう少し具体的に、どういうことを心配しておられるのか、どんな場を守りたいと考えているのか、教えていただければと思います。「べき」論は抽象的な話になりがちなので。

白田秀彰(以下、白田):

 具体的に、ということですね。おっしゃるとおり、私の心配の中心は、公的な領域を大衆的なものが侵食しているというところにあります。インターネットは、幅広い人々が公的な議論するのに使えるテクノロジーとして登場し、事実そうした期待もあったと私は理解しているんです。しかしながら、2ちゃんねる的な発言のモード、受容のモードといったコンテクストが日本では一般化してしまったために、そういう領域が失われつつある。これが私の心配のコアなんです。そこで具体的な例というと……思いつかない(笑)。

高木浩光(以下、高木):

 その例としては、第1回でもちょっと話題に出た、スラッシュドットがありますね。

白田:

 そうですね。スラドが全然活性化しないということですね。

高木:

 なぜそうなったかは検討に値すると思います。最初はスラッシュドットが公論の場になるとたくさんの人々が期待していたと思うけれども、いまはそうではないかもしれない。その原因として一時話題になったのが、2ちゃんねる的な人たちが流れ込んだからという説がある。しかし、スラッシュドットもそれなりに2ちゃんねらー的な存在を排除しようとしていましたし、それほど原因として強いとは思えません。またシステム的には、スラッシュドットは実名ではなくて基本的にハンドルネームでしたが、このあたりが問題だったんでしょうか。

白田:

 スラッシュドットには発言の価値の重み付けをするシステムが導入されていたので、これはまともな議論ができるに違いないと思われていた。しかし、あまりパッとしていないのは事実ですね。

高木:

 むしろ逆に、そのシステムが悪さをしていたのかもしれない。

加野瀬未友(以下、加野瀬):

 いわゆるモデレーション・システムが機能しなかったということですね。

白田:

 もしかすると、公的な議論の場は草の根BBS時代には存在していたのかもしれないし、どこかに小さくはあったかもしれないんだけれども、やはり潰されてしまったんだと思うんですよね。つまり、私が見るまでもなく消えていったのかもしれない。なので、具体的な例を出して論証してほしいといわれても、ちょっとわからない。

 私がインターネットに最初に触れたのは、おそらく93年に最初のブラウザMosaicがでてきた頃でした。少なくともその当時のノリとしては、直接民主制とはいわないまでも、これでもうすこしはパブリックな議論ができるようになって、世の中がマシになるんだという期待感はあったと思うんです。期待感があったということは、実践された方々もいたに違いないと推測します。ですので、インターネットやオープン・ネットワークはネタ化していくのが運命だといわれれば、そうかもしれないとしかいえません。

加野瀬

 ただ高木さんが前半に指摘されていたのは、そうした公的で正常な議論のスタイルがあるべきだという理想こそが、理想的な作法の要求をするメタコミュニケーションの争いを導いてしまい、結局トラブルを生んでしまうのではないかということでした。たしかに小倉さんのブログに批判的なコメントが集中した際も、「お前のその議論のしかたはおかしい」という書き込みが一番多かったのではないかと思うんですね。そこはなかなか解決しがたい問題だと思います。

東:

 たいへん興味深い議論ですが、さすがに時間もなくなってきましたので、ここでいったん切りたいと思います。

 最後に、次回の設計研の講演者の井庭さんからひとこと。

井庭崇

 今日の議論は、炎上サイバーカスケードも含めて、「すでにあるものに対する批判や悪口で繋がることによって、コミュニケーションが連鎖していく」という話だったと思うんです。ではその反面、その「すでにあるもの」がなければ批判もしえないわけで、「ものをつくる」ということに情報社会がどういうふうに関わってくるのかという視点も必要ですね。その底上げの話として、ツールと教育の話をしたいと思っています。つまり情報社会のポジティブな側面として、ものづくりのコミュニケーションを取り上げたいということです。また今日の議論に出てきた、掲示板やブログやSNSといった情報社会のインフラ以外にも、コミュニケーションを媒介するツールやスキルはあるということで、その紹介もしたいと思います。次回の設計研にはこうしたかたちで接続できるのではないかと思います。

東:

 すばらしいですね。いま反省するに、倫理研こそネガティブな悪口で繋がっているような感じもするので(笑)、設計研ではぜひポジティブな議論を期待したい。次回の倫理研は、設計研と同じ日に合宿形式で行われます。今日の議論はいままででもっとも白熱したものになりましたし、つぎはおそらく、なにか質的な飛躍が訪れるのではないかと、いまから楽しみです。

 今日は長い間ありがとうございました。

antiECOantiECO2005/08/20 10:45意見を、http://d.hatena.ne.jp/antiECO/20050820/1124501973というエントリーに纏めました。ご連絡まで。

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