ised議事録

06-116. 設計研第4回: 共同討議 第1部(3)

新たなる「説得のためのメディア」――その必然性と動機づけを探って

鈴木健(以下、鈴木):

 ありがとうございます。

 ここで近藤さんに振りたいと思います。近藤さんは、はてなを起業される前はもともとカメラマンになろうとしていて、プログラミングはそれほどしっかり学ばれていたわけではなかったそうです。しかし人力検索はてなをつくるために、そこからプログラミングをみっちり勉強して、自分ではてなというサービスをはじめた。つまり近藤さんは、こうした素人的な視点と玄人的な視点をもちながら、テキストベースのシビアなプログラミングをやられていると思うんです。

 そこで今日井庭さんや江島さんがお話してくれたようなツールによって、プロシューマー的なソフトウェア開発のような現象が起こるかもしれないというリアリティを感じられたのかどうか、お聞きしたいと思います。

近藤淳也(以下、近藤):

 そうですね。まずコラボレーションということでいえば、かなり大規模なものが可能になってきているという実感があります。実際にはてなというコミュニティを運営して思うんですが、会員が25万人いるなかで、かなりの人数のユーザーから声をいただきながら運用しています。それは従来この規模ではあまり実現できなかったはずです。また最近は、ユーザーからの要望を受け付けることに特化した「はてなアイデア」というサービスをつくりました。サービス上のここをもっと変えて欲しいということは、すべてここから受け付けるというかたちでサポートしています。そのユーザーだけでも1000人以上いて、かなりアクティブにアイディアを出していただいている。

 ただこうしたコラボレーションは可能になる一方で、彼らが全員プログラムを書くようになるかというと、まだわからないと思います。少なくともはてなの場合、実際につくるユーザーは多くない。使うだけのユーザーですが、しかしコラボレーションはしているというのが現状ですね。

 実はそれはシミュレーションに近いという感じがしていて、要するにこれは人を使ったシミュレーションだと言えると思うんですね。シミュレーションというと、そこからさらに現実のものに置き換えるようなことをいうと思いますが、はてなというのはずっと実証実験をやるという方法で進んでいるのかな、と漠然と思います。

 今後の落ち着きどころとして、どこまでを人がつくりこむのか、あるいは、つくる人というのは交換可能にすぎなくて、大多数のつくらないひとたちからアイディアを吸い上げる方向に進んでいくのか、というのはまだわからないですね。

鈴木:

 なるほど。いまのお話は、はてなの現実をベースにしたものでした。では、一般論としてこういう方法論は使い物になりそうという気がしますか。それとも、まだまだかなという感じでしょうか。ぶっちゃけでお願いします(笑)。

近藤:

 ぶっちゃけですか(笑)。ただ、なにをつくるかが非常に大きな問題になると思うんです。たとえばトンカチで木と木をつなぐ方法というのは、みんな習うわけです。でも、誰も普段から釘を打ったりはしていない。それと一緒で、いざとなれば手をいれることができる可能性がある、ということを知る意味はたしかに大きいと思います。ただ、日常的に、となるとそれは別の問題になる可能性が高いんじゃないか。たとえば、自分が使うブラウザをみんな自分でつくるという世界はおそらく来ないでしょう。

鈴木:

 その動機はなにかという問題ですね。

 さて、井庭さんのお話では、社会シミュレーションを政策の議論で用いることができるようになるのではないか、というお話がありました。政策の現場に身を置く村上さんに、こうした未来像がありうるのかどうかお聞きしたいと思います。

村上敬亮

 井庭さんがおっしゃられる、「プロトタイプを作成・共有してコミュニケーションを図るためのメディア」、「つくるためのコミュニケーション」、それに、その後鈴木さんが提案された「なめらかなプロセス」、いずれも、論理的にはできると思います。ただ、それを最初に始めようとする人の動機付けという問題は、やはり非常に難しいと思うんです。

村上敬亮
村上敬亮
 むしろ、なめらかなプロセスは、かつての70年代80年代の日本企業の中にはあったと思います。基礎研の研究所でシーズの開発をし、それを事業部につないで大きなマーケットに持ち込むというプロセスでは、その目標がとても明確だったし、現実味を帯びていました。ですから、そういうヴィジョン・ミッションに対して、基礎研の人から営業の人まで、大企業の人々もなめらかなプロセスをシェアするモチベーションと、プロセスを共有しているという実感を持つことができた。

 しかし90年代を通じてなにが変わったのかというと、なめらかなプロセスをつくりたくても、つくるための知見を持っている相手が企業のなかから見つけられなくなってしまった。いくら松下やソニーのなかだけでがんばっていても、尖ったユーザーやまったく異なる技術的知見を持った他企業の人材を取り込みながら、なめらかなプロセスの再編集をする必要がでてきた。そうでないと、実際に企業のミッションとしての売り上げすら達成できないし、実際問題、やっている本人としてもおもしろくないわけです。「なぜ俺はこの会社にいるのか。生活のためと割り切ったとしても、いたたまれないような思いがする」という感じを持つ人が着実に増えていると思う。

 ではどうすればいいのか。前回までの話とも絡んでくるのですが*1、やはりPCというアーキテクチャがつくった世界は興味深いと思います。たとえばPCではなくDVDという商品の場合は、それを使って「なにができるか」「どういうサービスができるか」というところも含めて、DVDを開発企業がすべて提供しなくてはいけない。ですからなめらかにDVD開発に入るためには、尖ったユーザーや新しい知見を持ったソフト開発者など全てをDVD開発企業の社員にし、さらにその事業部に組み入れなければならない。そこで一歩間違えて、別の事業部に行ってしまったら、「つくる」プロセスとしては断絶してしまう。こういう構図に叩き込まれてしまうわけです。

 一方、PCの場合、常日頃からセキュリティが悪い、出来が悪いと文句をいわれてしまうけれども、そのかわり、PCというアーキテクチャに乗って新たなサービスをつくろうと思った場合、別にマイクロソフトの社員にならなくてもいい。Internet Explorerを使う前提でいろいろなサービスをつくることで、なめらかに参入できる。このコミュニケーションの違いが、ビジネスの面でもなにがしかの新しさを感じさせているわけです。そしていま情報家電だといっているのは、こうしたコミュニケーションスタイルにシフトしていくことで、日本の家電業界も次にいけるんじゃないかということですね。

 では、こうした「つくる」ためのプロセスを改めてゼロから作り直す動機はなにか、という質問に戻りましょう。つまり、PC型の企業の枠組みを超えたなめらかなプロセスで儲かるようになる、ということがフィージビリティをもてばいいわけです。少なくともここに行けばやらせてもらえそうだ、と思える場さえできれば、動機付けも持てるようになるでしょう。一方、あいかわらずの日本型経営モデルと、日本型技術開発の成果を市場に持っていくモデルで留まっているうちは、みんなそれに対して絶望して、モチベーションのある人は海外に行ってしまうでしょう。場合によっては、いまの時代なら中国や韓国のほうがやらせてくれそうだ、というわけです。現にコンピュータメーカーから韓国・中国に大量に人材は流れている。これは別に高齢労働者への対策というだけではなくて、モチベーション・デザインにいまの日本企業が失敗しているからです。この流れにうまく棹差すものができれば、「つくる」ためのプロセスの日本国家規模での再編集は、現実味を持つと思います。

鈴木:

 なるほど。

 いまの近藤さんと村上さんのお話ですと、逆に現状においては「万人がつくる社会」「万人がプログラミングする社会」への動機付けはあまり存在しないという感触を抱かれているようでした。ただ実はですね、僕は江島さんのASTERIAという製品のライバルにあたる、DataSpiderという製品を別の会社でつくっていて、江島さんとはライバル関係だったんです。展示会なんかでパチパチ火花を散らしているような関係だったんです(笑)。

 そのDataSpiderを触っていると、なぜだか離れられなくなるような感覚があります。これはもはや身体的な感覚で、そこに動機はないんです。動機はつくるものであって、それを一度使い始めると離れられなくなる、ということをどれだけの人に体験してもらうのかにかかっている。おふたりの反応を見ると、デモンストレーションだけではそのリアリティを共有してもらえないのかもしれないな、と勝手ながら思いました。

 さて、村上さんのいまのお話がおもしろかったのは、なめらかは昔からあったんだけれども、いまは変わってしまった。そこに実は動機づけのヒントの源泉が潜んでいる可能性があるという点だったと思います。

 それでは、次に楠さんお願いします。

楠正憲

 DataSpiderやASTERIAを触るとすごく楽しいという感覚は、あくまで企業のなかでバラバラになっているデータをつなげたいモチベーションがあってこそ、それを簡単に連結できるから生じるものだと思うんです。ですから、そもそもバラバラに点在したデータを持っていない人にとっては、やはり興味の対象にはなりえない。

楠正憲
楠正憲
 ただ、こうした議論は70年代末か80年代にかけて、エンドユーザー・コンピューティングの分野で行われてきました。そこで結局なされたのは、いかにコーディネーション・コストを小さくしていくか、つまりやりたいという動機を持っている人と、それをプロデュースする人をより近づけることだったんです。これによって一貫して世界はよくなってきました。あいだに人が入れば入るほどお金がかかるし、あきらめなければならないことが増える。つまり、やりたいと思っている本人ができる、というのはすごく大事なことなんです。

 それを実感したのは、今年ベンチャー支援のプロジェクトで岐阜県と一緒にいろいろとやったんですが、そこでバスケットボールのソフトウェアをつくっている専門学校生に出会ったときのことです*2。彼は実際にバスケットボールの選手で、一日500回くらい腹筋をやって、同時にばりばりFLASHでプログラムを書いている。バスケの世界にはすでにいくつかの採点ソフトはあるんですけれども、そのどれと比べても彼がつくっているソフトの質が高かった。なぜかというとこれは簡単な話です。選手からいろいろ話を聞きながら、要件定義をしてソフトを設計しているのでは、時間もかかるしお金もかかる。一度完成したら、それを売るためにしばらくバージョンをフリーズして、というサイクルになってしまう。しかしバスケットボールのソフトを自分がバスケットボールをしながらつくる場合は、そこにはトランスレーション・コストやコミュニケーション・コストがないわけですよ。これなら、絶対にいいものができる。

 おそらく、こういう話も含めて動機が問題になるのは、ある特定のソフトウェア、たとえばデータ統合ソフトなどの話をするからにすぎません。本当に大事なことは、やりたいと思ったその人に、実現する手段を提供することなんです。つまり、大事なのはいかにエンパワーメントしていくかである、と。

 そして井庭さんは分業よりもコラボレーションを重要視するのですが、分業はやはり社会のなかで重要な側面が強いと思うので、つくるということそれ自体が目的ではないような気もします。

鈴木:

 なるほど。つまりこういうことですね。文字の専門家という存在が昔はいたが、いまは誰でも文字を書けるようになった。バスケの事例はまさにそれのプログラミング版ということで、非常に面白い見解だったと思います。では、ここでいったん井庭さんに戻しましょう。

井庭崇(以下、井庭):

 講演では10年20年先の未来を提示したわけで、いますぐ企業や政府で使えるかといわれると、ちょっと辛いところはあります。

 ひとつ、さきほど講演でいいそびれたことは、こうしたシミュレーションはなにが得意なのかということです。シミュレーションは、ボトムアップでなにか秩序が生まれてくる、創発していく*3という話を扱うのが得意なんですね。たとえば鳥の群れはそのひとつです*4。鳥の群れには、誰か指揮官がいるわけではなく、鳥たちが自分の周囲を見ているだけで、ボトムアップに群れという秩序が生まれている。これをシミュレーションで再現することができます。鳥たちは、自分の視野を持ち、危険範囲があって、自分にあまり近づかないように注意を払う。そしてその視野のなかで、周りの鳥についていこう、向きを合わせようとする。こうした振る舞いを簡単な式にして演算するだけで、全体としてはきわめて複雑な群れの動きが再現できるというものです。有名なboidというモデルがあって、クレイグ・レイノルズという方がつくっています*5

 たとえば人間社会においても、いろいろな人が相互作用をローカルに行い、その結果全体的な秩序が創発するという話があります。たとえば物々交換をローカルにしているところに、すこし「記憶」という変数を持たせてあげると、貨幣のような交換力の強いものが突如生成するといわれる*6。こうしたローカルなインタラクションの結果、なにか秩序ができたり崩壊したりするという説は、言葉で説明されてもにわかには信じがたいわけです。しかし、シミュレーションで実際に目の当たりにすると、その通りになっている。それを体感するためのメディアとして、シミュレーションはいいと思うんですよ。

 たとえば火事のときに避難しますが、この通路は狭いんじゃないか、ここに非常口をつくらなければいけないんじゃないか、といった話は、まさに建築の分野で物理的なシミュレーションが行われています。ボトムアップで秩序が生まれる現象は、複雑になってしまってとても予想がつかない。そうしたことをぱっと表現するのにシミュレーションは適しています。ですので、まずは個人間のコミュニケーションよりは、やはり企業などで使われることにはなるとは思いますが。

江島健太郎:

 つまり、「説得のためのメディア」という感じでしょうか?

井庭:

 そうですね。さらに内部を見ていじることができるメディア、ですね。

鈴木:

 そして設計もできる、というわけですね。議論が多岐にわたってきましたが、ここでいったん討議第1部を切りたいと思います。

*1:註:設計研第1回: 共同討議 第1部(1): 情報家電産業政策をケースに――EA(エンタープライズ・アーキテクチャ)という方法論設計研第3回: 共同討議 第1部(3):情報社会の競争政策としての「可視化」――村上敬亮からの応答

*2:註:以下のプロジェクトページを参照のこと。→ソフトピアジャパン SOFTOPIA JAPAN - 学生ベンチャー支援

*3:註:isedキーワード創発」参照のこと。

*4:註:創発現象の例として、ほかにも蟻の群れなどがよく用いられている。たとえばスティーブン・ジョンソン『創発―蟻・脳・都市・ソフトウェアの自己組織化ネットワーク』(ソフトバンクパブリッシング、2004年 asin:4797321075)などを参照。また、公文俊平による紹介は以下。→情報社会学序説―ラストモダンの時代を生きる: 5.1.1. 創発(イマージェンス)

*5:註:boidの参考として、レイノルズ自身のウェブサイトでの解説・Boids (Flocks, Herds, and Schools: a Distributed Behavioral Model)ほぼ日刊イトイ新聞 - がんばれ森川くんの遺伝子くん井庭による講義資料でのboidのシミュレーションモデルの解説など。

*6:註:安冨歩『貨幣の複雑性』(創文社、2000年 asin:4423851016)などの議論を受けた発言。この著作のなかで安冨は、既存の経済学理論が社会的交換(経済)行為のダイナミクスを正確に把握できていないと批判、複雑系理論によって新たな経済理論の構築を標榜する。そして経済学者 岩井克人の『貨幣論』(ちくま文庫、1998年 asin:4480084118)の議論(マルクス資本論に準拠しつつ貨幣の「無根拠性」とハイパーインフレーションの可能性を論じた)を踏まえつつ、貨幣の自生と自壊の様子をシミュレーションで表現した。またそのシミュレーションによる再現については、井庭の講義資料、「「企業と市場のシミュレーション」 - 貨幣の生成と崩壊モデル」を参考のこと。

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