ised議事録

08-201. 倫理研第5回: 高木浩光 講演(1)

題目:「蔓延るダメアーキテクチャ

倫理研第五回:

高木浩光 TAKAGI Hiromitsu / 倫理研第一回~

http://staff.aist.go.jp/takagi.hiromitsu/
産業技術総合研究所 情報セキュリティ研究センター 主任研究員

 1967年生まれ。名古屋工業大学大学院博士後期課程修了。博士(工学)。専門は、並列分散コンピューティング、プログラミング言語処理系、コンピュータセキュリティ、プライバシー問題。2003年度には、経済産業省商務情報政策局長諮問研究会である情報セキュリティ総合戦略策定研究会委員、情報処理推進機構の情報システム等の脆弱性情報の取扱いに関する研究会幹事を務め、Web Application Security フォーラムの発起人となるなど、一貫してセキュリティとプライバシー問題に関する社会的な仕組み造りに参画。技術的・工学的ソリューションと社会的啓蒙の両輪を跨いだ鋭敏な議論を展開する、類稀な存在。その一端は個人の立場で書かれているはてなダイアリー(http://d.hatena.ne.jp/HiromitsuTakagi/)(→現在は「高木浩光@自宅の日記」に移行)で伺える。

技術で線引きして共存を図る

 高木浩光です。私は技術屋ですが、「技術屋が倫理を語る」ということは普段ないんですね。それでもこれまで倫理研に参加してきて、私からなにを発言できるのか、といつも必死に頭を回してきました。そこで今日はとにかく話題をいろいろと用意してきました。

 構成は二本立てでいきたいと思います。まず前半はこれまでの議論との連続性の強い内容です。倫理研第3回・第4回の共同討議で、「私的領域のつもりで書いていたコミュニケーションが、突如として公共領域に引っ張り出される可能性が常にある」というCMCの特性が議論されました。つまり、インターネットは公/私の区別がつけにくい。だから問題が起きやすいということです。この問題を、「無断リンク禁止」対「アンチ無断リンク禁止」という視点から再整理してみたいと思います。

 後半はいままで出てこなかった話題で、プライバシーの話をします。RFIDの問題が一昨年くらいに盛り上がったのですが、ここでもさまざまな現象が見られました。それを振り返ったうえで、情報社会の設計を市民がどうやっていくのか、そして「倫理」との関係はどのように考えればいいのかを考えたいと思います。そして、匿名性の話も最後にする予定です。

不正アクセス禁止法

 無断リンクの話をする前に、「不正アクセス禁止法」の話から入りたいと思います。「不正アクセス」とは次のように定義されています*1

不正アクセス行為とは、次の各号の一に該当する行為をいう。

一 アクセス制御機能を有する特定電子計算機に電気通信回線を通じて当該アクセス制御機能に係る他人の識別符号を入力して当該特定電子計算機を作動させ、当該アクセス制御機能により制限されている特定利用をし得る状態にさせる行為( (略))  

二 アクセス制御機能を有する特定電子計算機に電気通信回線を通じて当該アクセス制御機能による特定利用の制限を免れることができる情報(識別符号であるものを除く。)又は指令を入力して当該特定電子計算機を作動させ、その制限されている特定利用をし得る状態にさせる行為((略))

 この法律では、「アクセス制御機能により制限されているような利用を、し得る状態にさせる行為」と不正アクセスを定義しています。第一号は、「他人のパスワードを入れる」という意味です。パスワードを入れないと使えないようになっている利用を、別の人間がパスワードを入れて使うというわけですから、これがいわんとすることは明確ですね。次に二号を見ると、これはパスワードを入れずに、セキュリティの脆弱性を突いて同じようなことをする行為をいわんとしています。しかし、これがちょっとよくわからない。このよくわからなさが、最近の不正アクセス事件の東京地裁での判決などでいろいろ議論があったところなんですね。

 さてこの法律は2000年に施行されたわけですが、興味深い点が見られました。この法律ができたことによって、もともとあったネットの倫理観が急速に固まっていった現象がそれにあたります。顕著に現れたのは2002年1月から12月くらいまで繰り返し起きた騒動で、「企業の顧客ファイルがネットで丸見えになっていて、そのことが2ちゃんねるに書き込まれる」というものです*2

 たとえば、ある会社のアンケート入力画面があるとします。アドレスバーには、"http://…/cgi-bin/catalog.cgi"というURLが表示されている。ファイルが丸見えになっているというのは、この最後のcatalog.cgiを削ったURLにアクセスすると、そのディレクトリに存在しているファイルの一覧が見えてしまうことを指しています。よく皆さんが使うGoogleツールバーの「上へ」ボタンでも同じことですね。たとえば「data」というディレクトリがあるのが丸見えになって、これをクリックしてみる。するとcatalog.csvというファイルがあって、そこに個人情報がまるまる保存されていたりするわけです。

 これは非常にずさんな事例ですが、当時はたくさん見つかりました。公的機関、会社、大学、テレビ局など、そうそうたる企業がやっていたわけです。しかし情報を漏洩してしまった側は、当初「ハッカーの仕業なんだ」と主張します。するとそのまま報道されてしまうので、ニュースだけ聞いている人は、本当になにかハッカーのせいで情報漏洩が起きたんだと思ってしまうわけです。それに対して2ちゃんねるの人々は、「けしからん、ファイルが丸出しで漏れ漏れになっていることを、もっと世間は認識するべきだ」と考えた。その結果2ちゃんねるでは、「どこぞの企業が漏洩している」という暴露大会が毎週開かれることになりました。たとえばGoogleでとあるキーワードで検索すると、この種の丸見えが見つかるよ、ということが次々と書き込まれていきました。

高木浩光
高木浩光
 さて、これが不正アクセス禁止法とどう関係するのかです。暴露大会が起きると、なかにはこういう暴露行為に対して、「それは不正アクセスなんじゃないか」という指摘が掲示板に書き込まれることもあったわけです。すると反論として、「いや、これは不正アクセスじゃない。なぜなら不正アクセス禁止法のいう『利用の制限を免れた』わけではないのだから」という論拠が持ち出されました。このような議論が繰り返しなされて、だんだん「これは不正アクセスではない」という解釈が増えていった。このようにして、この法律の趣旨がネットを舞台にして広く世間に知られていくという現象だったと思います。

 マスコミのほうでも、最初は状況がよくわからなくていろいろな報道がありました。しかし、だんだん「この手の漏洩が起きたらこのパタンだね」という学習が働いて、おかしな報道は減っていきました。決定的だったのは、警視庁ハイテク犯罪対策総合センター所長が中日新聞の取材に対し、「名簿を道端に置くようなものだ」という発言をしたことにあります*3。この発言によって、「この手の指摘をしても不正アクセスではない」という認識が浸透していった。そして現在では、この種の漏洩はほとんど見られなくなりました。暴露が大いになされることで、十分な対策が徹底されるようになったからといえます。

 では、もしこの暴露が不正アクセスとして扱われていたらどうなったでしょうか。法律の条文の読み方しだいでは、そう解釈することも可能だと思われます。つまり、ウェブサイトの運営者が公開するつもりのなかったファイルに、誰かがアクセスをしたとする。それは管理者の意図に反していると知りながら積極的にアクセスをする行為は、不正アクセスにあたるという見方もできなくはありません。しかし、それでは誰も問題を指摘しなかったと思われます。こっそりと見る人はいて、続々と情報は漏れ続けてしまったことでしょう。それと同時に、この現実は世間に知れ渡ることもなく、たまに起きたとしてもおかしな報道をされて、結局社会全体としては対策がされない、という悲惨な結果になったのではないかと思います。そう考えると、「不正アクセスに当たらない」という警視庁の発言はむしろ必要だったと考えることができるのです。

 しかし、さすがに暴露行為が放任され続けると、「法律で禁止されていなければ、なにをやってもいいのか」という声も出始めるわけです。実際、「ここが漏れている」と吹聴してまわることによって本当に被害が出てしまう。たとえば体のスリーサイズや個人的な悩みが書かれたような非常にセンシティブな情報*4や、おとなのおもちゃの通販の購入履歴といったものまで、世に出てしまったんですね。本来は情報漏洩を撲滅するための行為だったはずが、結局あえて事件を起こしているというのはどうなんだ、という抗議が出てくる。しかし、そうはいってもこれを不正アクセスとして禁じてしまえば、社会から漏洩はなくならないわけです。

 ともあれ不正アクセス禁止法をめぐって、議論はこのような平行線を辿ったわけであります。

無断リンク禁止教*5

 この不正アクセス禁止法をめぐる構図は、無断リンク禁止の議論と似ているところがあります。無断リンクを禁ず、という態度を取る人が一方にいる。他方に「無断リンク禁止なんて無効だ!」と主張する反無断リンク禁止派の議論があって、その堂々巡りによく似ていると思うのです*6

 たとえば2003年11月にいわゆる「ネットの儀礼的無関心*7をめぐって、ブログ界隈で大きな議論になりましたね。リンクをあえてしないという配慮が必要なんじゃないかという提案に対して、賛否両論が出たわけです。このときすでに、前回までの倫理研にも出た論点は見られました。たとえば「『多くの不特定多数の人には見つかりたくないけれども、自分がまだ知らない人にもちょっとは見てほしい』という要望があるので、アクセス・コントロールだけではすべてのニーズを満たすことはできない」というものです。技術者たちのあいだでは、その実装についての議論がすでになされていました。

 ともあれ無断リンクをめぐる議論は繰り返し起きているわけでして、最近は「モヒカン族*8というキーワードがなにやら話題になっているようです。これは一種の技術至上主義者のことで、たとえば「インターネットはリンクを禁じていないアーキテクチャなのだから、無断リンク禁止というのはナンセンスである」と主張する人たちのことを指しています。つまり、「禁止されていなければ自由だ」という考え方を基本とする人々です。このように無断リンク禁止をめぐっても、不正アクセス禁止法のときに見られたような議論の衝突が見受けられます。

 この問題について、私なりの視点で整理してみたいと思います。まず、無断リンク禁止という主張は実は2種類ある。個人のサイトの場合と官公庁やマスコミサイトに見られる場合があって、このふたつをきっちりと分けて議論しなければダメだと思うんですね。

 まず事例から紹介しましょう。たとえば「ITmedia」という、IT系のマスメディア・サイトがあります。そのサイトに掲載されている「二次利用(リンク・転載について。)」というところを見てみましょう。そもそもリンクは二次利用なのかという問題もありますが、「ITmediaへのリンクを希望する場合には、お名前、連絡先、リンク元となるウェブサイトの内容及びアドレス、リンクの趣旨などを連絡して、承諾を得る必要があります」と書いてあるわけです*9。それを見た私は「ああそうですか」と思って(笑)、早速このお問い合わせページに名前と連絡先だけを書いて、リンク元の内容・趣旨も書かずに問い合わせをしてみたんですね。すると三日ほど経ってお返事が来ました。「特に事前に連絡の必要はございません。ただし以下に従ってください」とたらたらと長い文章が付いていました。これは機械による自動応答ではなくて、誰かがコピーペーストで送っているのでしょう。しかし、これはけしからんと思うわけです。本当に事前に審査する気もないにもかかわらず、こういうことを書いている。無断リンク禁止といいながら、実態はこんな状況なわけです。

高木浩光
高木浩光
 また産経新聞社の件もあります。いわゆる個人ニュースサイト産経新聞の記事に直接リンクしていたのに対し、産経側は「やめなさい」という警告を送った。すると、それが祭りとして盛り上がったものです*10。またスラッシュドットジャパンには「リンクトピック*11」という記事カテゴリーがあるのですが、そこで2002年に日弁連無断リンク禁止を打ち出したことが批判的に話題になりました*12祭りになったあと、すぐに日弁連はポリシーを修正しています。いわれるとすぐに修正するぐらいですから、たいして考えもないポリシーだったということでしょう。

 さらに日本政府のサイトを見ると、この種の各省庁のリンクポリシーなるものがいっぱい書かれています。サイトによっては「事前に許可を得ること」と書いてありますし、「かならずトップページにリンクしてください」、つまり直接個別のページにリンクするな、ということを書いているところも多い。それから「原則自由」という書き方もあります。「原則自由」というならなにも書かなくてもいいのではないかと思うのですが、「事後にかならずご連絡ください」「できたら連絡ください」と頼んでいるところが多い。連絡したところでそれをちゃんと読むのか疑問ですが、ともあれリンクについてはなにかしら書いているところが非常に多いのです。

 実例を見ます。私の勤務先の「産業技術総合研究所」は役所系の研究所ですが、そのサイトにも「リンクについて」ということがしっかり書かれています。「ご利用条件」という項目です。この条件というのは、とにかくウェブサイトを立ち上げたら書くものだということになっているのでしょう。とりあえず著作権について書かれていますが、しかし著作権なんて当たり前のことしか書くことはない。免責事項はともかくとして、「ほかになにかあるかな、それじゃあとりあえずリンクについてでも書いておくかな」という話になる。

 こうした状況を見て私が思うのは、実際には「なにも考えていないんだろう」ということです。もともと、産業技術総合研究所の利用条件はもっとひどかったんですね。リンクした後の報告を求めるようになっていました。ですが、私が内側から「これはだめですよ」といったところ、「許可願い不要」に変わったのです。「なぜこんな制限をつけているのか」と当時聞いてみたところ、どうも変なところからリンクされるのが嫌らしいんですね。たとえば、アダルトサイトから産総研にリンクされたくない、とかでしょうか(笑)。それに、リンクしていないただの文章で、「これは産総研の研究成果を使っています」などと嘘を書かれた場合は、それはそれ自体が問題なのであって、リンクは関係ない。これはウェブ以前に昔からあるトラブルで、トラブルを避けたいというのなら本当は、こういう嘘を書かないでくださいと利用条件に書くべきところなのですが、それをせずになぜかリンクしないでという条件だけは付けたがる。公序良俗に反するところからリンクするなかれ、という文章は結局残っているのです*13

 国立感染症研究所は特にひどかった。Wordファイルが置いてあって、「この様式にリンク申請をかいて、FAXしてください」と書いてあるわけです(笑)。これもまた批判があったらすぐにやめてしまった*14愛知万博のサイトも、「個人サイトからのリンクを固くお断りします」といっていました*15。現在も「トップページにリンクしてください」と書いてある。なぜそうなのか、理由をもっとしっかりインタビュー調査してみたい気もします。

 こうしたメンタリティを、「無断リンク禁止教」と呼びたいと思います。リンクポリシーのような文書を書く「様式作成事務員」といった職種の人々には、どうもこうしたメンタリティを持つ人が多い。これはこれで困ったことです。さらに、このリンクポリシーなるものが、役所や大きなメディアでこういうのが書かれていると、見よう見まねでどんどん広がってしまう。問題は、最初につくられたダメなものがモデルになってしまう結果、のちのちまで普及してしまう構図があるということです。

 まだある。文部科学省の委託事業の報告書で、「校内ネットワーク活用ガイドブック」というものがあります。小・中・高校教育の情報化への対応についての内容なんですが、「著作権の保護」という記述があって、「リンクについて」と言及されている*16。どうしてもなにかしら書かなくてはいけないと思うからなんでしょう。こう書いてあるわけです。

ホームページのリンクについてはホームページの性格が万人に公開を前提としているものであり、ホームページのリンクには著作権がないものと考える、とするのが一般的である。しかし、リンク集などには作成者がいるわけで、作成したリンク集に著作権があるとする主張もある。従って、リンクを張る際には、該当ホームページの作成者に許諾を得ることを原則とすることが望ましい。許諾の際には「リンクに際し回答がない場合は許諾されたものと見なします」といったことをよく電子メールで行うが、この場合もきちんと作成者から回答があったもののみにリンクを張るといった習慣を徹底しておく必要がある。いざトラブルとなった際には、書面できちんと許諾がなされていたかどうかが焦点となるからである。

 「リンク集には著作権があるからリンク先の許諾を得るのが望ましい」というのは、もうわけがわかりません(笑)。つまり、「『回答が無い場合は許諾したものとみなします』というのではよくない。許諾があったものだけをリンクするという習慣を徹底しておく必要がある」ということなんでしょう。小中学校の教育でこうもいってしまっては、大変な影響力があります。これはどうしてもやめさせたい。しかし、これをいくらやめろといっても、無断リンク程度の話題になるとぜんぜん力が及ばない。せいぜいスラッシュドットで「祭り」にするくらいしかないのが現状なのです。「致命的というほどではないダメなものをやめさせるのは、とても難しいわけですね。

 一方、反無断リンク禁止を掲げる人たちは複数の根拠を元にしていると思われます。4つあげておきましょう。

  • 1) まず、「リンクは参照にすぎない」という根拠です。Webで誰でもアクセスできるようにする行為は著作物の公表であり、公表された著作物は誰でも自由に引用、参照することができる、というわけです。逆にリンクしなかったら参照してもいいのか、という問題もあるでしょう。そもそも公開された著作物を引用して、引用だけして参照しないのはおかしい。だから無断リンクは当然である、という論理ですね。
  • 2) 次に、「間違った法的根拠を持ち出す行為を是正する」というものがあります。リンク禁止の根拠として、著作権があたかも関係しているかのようにリンクポリシーなどで書かれることがある。それは誤りだということを知らしめなくてはならない、というものです。
  • 3) さらに、インターネットのリテラシーや教育的関心という根拠もあります。いわく、無断リンク禁止という環境で育っていくと、インターネットが公共の場だという意識を欠落したままの表現がまかり通るようになり、いろいろと問題が起こる。Webで表現するからには公共を意識するリテラシーは欠かせない。それを知っていただくためにも、無断リンク禁止というやりかたはありえないということを、知らしめなくてはならない。これがいわゆる「モヒカン族」と呼ばれる技術至上主義的な人々の立場かと思われます。
  • 4) 最後に、公的機関はすくなくとも無断リンクを禁じるべきではない、という立場です。すなわち、新聞社や官庁のようなところは非常に影響力が大きい。しかも本来、本人達は必要ないと思っているのに、担当者たちがなんとなく無断リンク禁止にしている。これは撲滅する必要がある、という考えですね。

 反無断リンク禁止という主張は、このように複数の理由からなされています。そして、しばしばこの根拠がごっちゃになってしまう結果、問題が生じていると思うんですね。実際、極端に反無断リンク派の人々は、個人サイト無断リンク禁止というとき、「まったくそれはお話にならない。なんの配慮もする必要はない」という厳しい主張をしがちだと思います。しかし、それは新聞社や官公庁の話と個人サイトの話を混同している。つまり、複数の論拠を一緒くたにしてしまっている。そこでまず私がいいたいのは、なんのために反対しているのかという前提を分けて議論しましょう、ということです。

 そのなかでも私が強く批判したいと思うのは、最後の4)官公庁やマスコミの問題です。無断リンク禁止教なるものが普及してしまう理由を考えてみます。おそらくそこには、新聞社や官公庁の無断リンク禁止ポリシーを見た一般人が、自分の個人サイトでも無断リンクを禁止するのが妥当だと考えるようになる、という構図がある。まずこの点が撲滅されない限り、このリンクをめぐる議論は永遠に続いてしまう。そうなると、倫理研でずっと議論してきたような、「ウェブコミュニティを私的なコミュニティと公的なコミュニティを分けよう」ということも実現不可能になってしまうのです*17

 どうすればこの問題は解決するのかというと、私の考えはこうです。まず、無断リンクはやってもよいということをデフォルトとしてみんなが理解する。そして無断リンクを好まないのであれば、直接リンクが技術的にできないようなアーキテクチャをつくり、私的な範囲でコミュニケーションをしたい人の領域は犯さないようにする。このアーキテクチャによる棲み分けこそが解決策だと思うわけです*18。そのためには、そもそも技術的な保護がない限り、無断リンクを禁止することは無理であることを理解していただかなくてなりません。となるとまっさきに理解するべきは、真似をされる原因をつくっている官公庁とマスメディアです。本当にその責任は重いと思います。

 では次に、公的領域は無断リンクをしてもよいとして、私的領域はどうでしょうか。「儀礼的無関心」というのは、「リンクせずにそっとしておいてあげることも必要かどうか」という議論でした。この問題に関連してはいろいろな議論がありましたが、そのひとつは「技術的な手段で区分けが可能ではないか」というものです。たとえば、完全にユーザー登録した人だけが閲覧できるようなアクセス・コントロールの仕組みです。常にログインした状態で使うようなものを想定すればいいと思います。そのシステム上では、誰がどのブログをどの程度見ているのかを機械的に調べることができますから、その頻度がある程度上がらない限りコメントできないようにすることもできる。また、普段から見ている人でないとある以上から先に入っていけない、というアクセス・コントロールもできる。これらはすべて実現可能でしょう。こういうことができる、ああいうこともできる、と技術者はずっといっているわけです。

 このように、技術者たちは無断リンク禁止を無意味であると主張します。「技術的に解決できるのだからやればいいんだ」という人がいる一方で、現実には技術的な解決策を持たない人たちが困っている。そこで喧嘩になるわけです。それでは、さっさとサービスを実装してしまえばいい、という以外にない。はてなでもやってみてはどうでしょう、と思うんですね。

 いざ実際に始めるとどういうことが起きるんでしょうか。たとえば自分の嗜好を偽ってアクセスすることを繰り返して、「仲間」と判定されるように仕向けるかもしれない。このような振舞いは流行るのでしょうか。また、自分の見られないところでなにかが書かれているのが気になって仕方がない、という人たちもいますね。mixiでも似たような話はありました。しかし、リアル社会でも事態は同じです。自分が入ることができないところで、いろいろコソコソと行われているわけですから、それがネット上でも同じことが起きたからいまさらどうなんだ、という話もある。とにかく、このようなアーキテクチャが出てきたとき、なにが起こるのかは興味深い。今後も様子を見てみたいと思っています。

 はたしてアーキテクチャによる技術的解決が提案されることで、議論の堂々巡りは解消されるのでしょうか。結論としては、この問題を解決するには技術的に棲み分けをするのが一番いい、と私は思います。

*1:註:情報処理推進機構:セキュリティセンター:不正アクセス対策 - 「不正アクセス行為の禁止等に関する法律

*2:註:高木浩光のSOI(School of Internet)での講義「安全なWebアプリ開発の鉄則 2004 - ファイル丸見え漏洩」を参照のこと。

*3:註:「相次ぐ個人情報流出 “お寒い”企業の危機管理 警視庁 『道に置くのと同じ』」 (中日新聞、2002年7月4日)以下引用:「(略)ハッカー被害との見方も出たが、背景を探ると多くは「サーバーの設定ミス」(専門家)などで、知識や注意不足が原因。情報技術(IT)社会のお寒い情報セキュリティー事情が浮かび上がる。(略) 道端に名簿を置いていたのと同じ-。原哲也警視庁ハイテク犯罪対策総合センター所長の説明は明快だ。一連の流出情報はサーバーの公開部分に置かれ、誰でも見られた。最低限の防御もしていないケースが多く、企業の相談で「法的に不正アクセスと判断できるものはない」という。」→参考:高木浩光のSOI(School of Internet)での講義「安全なWebアプリ開発の鉄則 2004 - 「道端に置くのと同じ」 (?)」より。

*4:註:このプライバシーに踏み込むようなデータのことを、「機微な情報 sensitive information」と呼ぶ。白田秀彰プライバシーに関する私論 II : Hotwired」より。

*5:註:「無断リンク禁止教」は高木の造語。→「高木浩光@茨城県つくば市の日記」跡地 - アドレスバーへの無理解が広げる「無断リンク禁止教」

*6:註:この無断リンクをめぐる問題のまとめサイトとして、「リンクは禁止できるか? - 羊堂本舗 ちょき」や、「「無断リンク禁止/直リンク禁止」命令に関する想定問答集」/続…などを参照のこと。

*7:註:はてなダイアリー - 儀礼的無関心とは。また加野瀬未友ARTIFACT ―人工事実― | 無断リンク禁止命令に対する想定問答集」で紹介されている「続・「無断リンク禁止/直リンク禁止」命令に関する想定問答集」での解説を参照のこと。

*8:註:以下のはてなグループのキーワードを参照のこと。→モヒカン族 - モヒカン族

*9:註:その後ITMediaはこの問いかけに対応し、2005年09月30日に、この利用規約を改定したとのこと。→改正後の規約・「ITmedia Information:利用規約」 後日、この件については「高木浩光@自宅の日記」にてレポートされる予定。

*10:註:スラッシュドット ジャパン | 産経新聞社が「無断リンク」に警告スラッシュドット ジャパン | 産経新聞法務部:記事への直リンク禁止はあくまで要望

*11:註:スラッシュドット ジャパン: 検索 - リンクトピック

*12:註:スラッシュドット ジャパン | 日弁連が無断リンク禁止を打ち出す

*13:註:講演後、この「リンクについて」という文面は改定され、「 産総研ウェブサイトへのリンクは、原則として自由です(許可願い不要)。但し、産総研ウェブページ(ウェブサイト)がリンク元サイトの一部と誤解されるようなリンクはお断りします」となった。

*14:註:スラッシュドット ジャパン | 感染症情報センターがリンク申請制を取りやめ

*15:註:スラッシュドット ジャパン | 愛知万博が個人サイトからのリンクを「固くお断り」

*16:註:校内ネットワークを活用しよう - 調査研究報告書「高木浩光@茨城県つくば市の日記」跡地 - 垣間見える文部科学省関係者の著作権意識程度でも同様の問題を指摘している。

*17:註:isedキーワード「公/私」参照のこと。

*18:註:加野瀬未友倫理研第4回講演で論じた「アクセス・コントロールisedキーワード)」と同様。また加野瀬の別所での考察は以下。→ARTIFACT ―人工事実― | 自分が想定していないリンクを拒否するシステム/コメント欄の高機能化

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