ised議事録

08-203. 倫理研第5回: 共同討議 第1部(1)

表現の匿名性存在の匿名性――倫理研の公/私をめぐる議論

東浩紀(以下、東):

 今日はGLOCOM forumという公開イベントの一環として開催しています。はじめてisedに参加されるオブザーバーのかたも多いと思いますので、まず簡単にised@glocomの位置づけを説明したいと思います。このised@glocomという研究会は、基本的には情報社会の新しいパラダイムを学際的に模索するという目的で開かれて、実践家、研究者、エンジニア、弁護士といったさまざまなかたに参加いただいています。ですから必然的にその議論はすれ違うわけですが、そこから新しい情報社会論の共通言語を探ろうとしています。

東浩紀
東浩紀

 isedには倫理研設計研の二つの部会があります。倫理研はこれまで4回開催してきたのですが、ある程度中心的な問題が見えてきています。最初は、「情報社会倫理」といっても一体なにを問題にすればいいのか、といった感じでした。しかし次第に、「情報社会における公共性とはなにか」という問いにテーマが収斂してきました。

 簡単に要点を振り返ると、まず、倫理研第3回で、公共的な空間は情報社会、とくにインターネットにおいては成立しにくいんじゃないか、という問題提起が北田さんによってなされました。それ受けた共同討議では、公共性よりもむしろ私的空間をどう確保するかが問題なのではないか、といった論点が出されました。インターネットでは公/私の区別が曖昧になる。たとえばmixiに私的な内容を書いたとしても、その書き込みがどこかにコピペされてしまえば、それだけで公的なものとしてみなされてしまう。では、インターネットにおいて私的領域をいかに確保すればいいのか。

 第4回では、このような議論を受けて、アクセス・コントロールという処方箋が提案されました。しかし、はたしてそれで解決されるだろうか。第4回の最後、まさに今日発表された高木さんがクリティカルな発言をされました。それは、むしろいまはアクセス・コントロールを求めない人たちが大量にいることではないか、という発想の逆転でした。公的な発言をするわけではないけれども、多くの人と繋がりたい、発言を見てもらいたいという、「繋がりの社会性」に支えられた存在。多くの人と接続したいけれども、その発言に公共的な価値は持たせたくないという、二律背反した欲望がある。そのような欲望が満ちているときに、公的空間と私的空間をアクセスコントロールで分けようという話は、成立しにくい。では、その欲望を踏まえながら、ネット上の公私はどう分けるべきか。そしてどうコントロールされるべきなのか。ここまでの議論は、このように進行してきています。

 さて、今回の高木さんの講演は、公共的なものと私的なもの、匿名的なものと顕名的なものの区分をどう作るか、がテーマでした。前半は、無断リンク儀礼的無関心などのウェブ・コミュニケーションの話。後半はRFIDを挙げつつ、物理的世界におけるコントロールの話。別の簡単で言えば、前半が「表現の匿名性」、後半が「存在の匿名性」についての話になっていました。

 前半の問題は、ここまでの倫理研と連続性が強い内容です。「繋がりの社会性」的な問題、ネットにおける公/私をどう分けるのかという問題ですね。この問題については、高木さんは技術的な解決でなんとかなるだろうという結論でした。しかし、厄介なのは後半です。存在の匿名性、つまり、消費行動における個人情報やプライバシーの問題。これは今後どちらに落ち着くのかわからない。チェックアンドバランスも機能していない。こちらをどうするのか、という問題提起をされていたと思います。

 高木さんも触れてくださいましたが、この「存在の匿名性」「表現の匿名性」という対概念は、僕がいまから2年くらい前に「情報自由論*1で提案したものです。そして最近さらに考えていることがあって、「IT-PLUS」という日経のサイトに書きました(東浩紀「匿名は本当に悪か?」(IT-PLUS))。それはこういうものです。今日の議論に関係すると思うので、少しお話します。

 まず、顕名と匿名の対立について歴史的に考えると、顕名はコミュニティ的、匿名はマーケット的なものと言うことはできないか。たとえば、ある集団が、政治的にものごとを決定する、合意形成や――このGLOCOM FORUMのテーマがまさに「情報社会の合意形成」ですが――意思決定をしていくときは、参加者が顕名でないと話にならない。しかし、物を買う・サービスを提供するという場合は、コミュニティとコミュニティのあいだの関係になるので、参加者は匿名でもかまわないし、実際にそうなされてきた。そして、顕名=コミュニティ/匿名=市場という構図は、人類社会的にも長いことバランスが保たれてきた。

 しかし、情報技術の発展のおかげでいまではコミュニティ・サービスを容易に実現できるようになりました。つまり、マーケットのコミュニティへの囲い込みをグローバルな規模でできてしまうようになった。それこそがITの特徴です。結果として、コミュニティとマーケット、共同体の内側/外側の境界が崩れてきている。いま「安全・安心」ということが大変に注目されているのも、誰が他人で誰が身内なのかがわからない、という心理が急速に高まった結果生じているものだといえます。

 例を出します。たとえば本を売るとする。いままでの本屋はマーケットに対して売っていた。自分の知り合いだけを相手にしていたら商売は成立しないからです。だから顧客は匿名でしかなかった。しかしいまでは、何百万人と顧客がいても全員コミュニティに囲い込めるようになっている。それなら、本を売る場合もコミュニティ的な顕名性を追求したほうがいい。付加価値を付けられるし、きめこまかいサービスも可能になる。そういうロジックが急速に高まってきている。これが個人情報やプライバシーの問題の大きな背景ですね。

 ともあれ、情報社会を匿名性という切り口で考えていくと面白い。公的空間と私的空間の境界、共同体の内側と外側の境界、共同体と市場の質的な差異が崩れて、その境界が再定義されうようといういま、匿名性はひとつの重要な軸になっていると思います。今日の講演は、そこにさまざまな話題を提供していただけました。

 なお、今日はゲストとしてJCA-NETの崎山さんに来てもらっています。というよりも、ここでは、isedではいつも最後に質疑応答をしてくださっている常連のかた、と紹介したほうがわかりやすいかもしれません(笑)。今日は崎山さんに長めのコメントをしていただきたいと思っています。

 それでは、まず高木さんの講演に対する簡単な質問、コメントからどうぞ。

辻大介

辻大介
辻大介
 素朴な疑問で恐縮なのですが、「無断リンク禁止論争」は日本だけの現象なのでしょうか。要は、日本に特殊な問題・現象なのか、それともある程度ネット文化に普遍的に見られるものなのか、という点に関心があるのですが*2

高木浩光(以下、高木):

 「勝手にリンクしたので告訴する」という事例はありました。ただ、これは新聞社が記事に対するディープリンクをされたので告訴したものです。一般市民のあいだで無断リンクが論争の火種になっているかは、私も把握できていません。

加野瀬未友(以下、加野瀬):

 ちなみに、講演のなかに「文科省無断リンク禁止を認めている」云々の話があったと思います。実際、日本の小中学校のサイトにはたいていリンク禁止と書いてあって、それを見て子供達は無断リンク禁止を学んでいるみたいですね。

東:

 なるほど。

 僕からも質問ですが、新聞が無断リンクディープリンク(記事に対する直接のリンク)を禁止するのはまだわかります。その根拠は広告でしょう。つまり、トップの広告を見せたいと。しかし、官公庁は存在そのものが公的なものです。つまり、いろいろな人に情報をバラまく、あるいは多くの人から見られることがミッションであるはずです。それなのに、どういう根拠で無断リンクを禁止しているんですか。

高木:

 この手の批判はスラッシュドットなどで繰り返し行われていて、その批判を受けてリンクポリシーを変えたところもいくつかあります。しかし、「原則リンク自由ですが、リンクしたら事後でもよいので連絡して下さい」という項目を残すところが多いんですね。連絡してどうなるのか知りませんが、おそらく届出を受け付ける業務を維持したい、という事情があるんでしょう。もしかして、それをやめたら誰かのクビを切らなきゃならないのかもしれない。

東:

 解せないですね。そもそも、官公庁のお知らせなんて駅にたくさん置いてあって、誰でも持っていけるわけです。それと同じだと思うんですが。

高木:

 そうですね。「リンクをトップページに限定する」という主張もよくわからない。おそらく、本当になにも考えていないんだろうと思います。

 こんな事例もありました。以前スラッシュドットで、「文化庁がトップページ以外へのリンクを機械的に拒否」というストーリーがあって盛り上がりました。実際はCMS(コンテンツ・マネジメント・システム)の出来が悪く、cookieを有効にしていないと直接リンクできなかったんですね。つまり、文化庁側は意図せずにやっていた。その後ITmediaさんが取材をして、文化庁ディープリンク禁止という意図はなかった、という釈明が出ています*3。このように、ちゃんとした担当に聞けばおかしなことはいわないんです。おそらく、はじめに誰かが書いてしまったポリシーを直していない、というだけのことだと思います。

 ちなみに、いま東さんがおっしゃった「マスコミは広告を根拠にしている」という話も本当はおかしい。もし自分の著作物が直接リンクされたとき、第三者から見て誰がこれを書いたのかわからないとしたら、それは自分の不利益になります。ディープリンクが困るのはマスコミに限らない話です。だから、がんばって工夫をするわけですよ。最近は「パンくずリスト*4といわれていますが、画面の一番上に「ここはどういうサイトか」「サイトの階層構造でどのあたりか」を表示したりする。こうした方策を勉強するわけでしょう。広告も同じで、トップページにだけ広告を貼って記事本体には広告がない、というマスコミサイトも以前一部にはありましたが、それではよろしくないわけです。現在ほとんどのサイトでは記事すべてに広告が載っていますから、実はもう直接リンクされても問題ないはずですが。

加野瀬

 ただ、トップページの広告料を一番高くしているので、そこに人が来なくなるのを気にしているんじゃないでしょうか。

東:

 新聞も場所ごとに広告料が違いますからね。

高木:

 それも工夫すればよいことだと思います。実際に特定記事への直接リンクが増えれば、そこに高い広告を載せればいいと考えることもできる。本来そうやって対応していくべきなのに、サボって無断リンク禁止だといっているのでしょう。某新聞社のかたに伺ったときも、「そんなことはわかっている。内部からもいっているけれども、なかなか変わらない」とおっしゃっていました。

*1:註:東浩紀表現の匿名性存在の匿名性情報自由論第9回)」(『中央公論』、2003年4月号)

*2:註:リンクフリーを考える - [笑えるサイト]All About福士雅人によると、「リンクフリーという言葉は和製英語です。日本で独自に生まれた言葉」であるという。すくなくともアメリカや韓国では、それに値する言葉や慣習もないと語られている。

*3:註:News:文化庁、「ディープリンクを拒否するつもりはない」

*4:註:「トップ > 会社概要 > 採用情報」といったように、ウェブサイト全体における当該ページの位置を示すもの。「ヘンデルとグレーテル」でパンのくずを撒いて道を覚えたことに由来する言葉。以下の解説を参照のこと。→IT用語辞典 e-Words : パンくずリストとは 【topic path】 ─ 意味・解説

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