ised議事録

08-205. 倫理研第5回: 共同討議 第1部(3)

mixiに公共性はあるか

東浩紀(以下、東):

 それでは討議に入ります。今日の議論は、表現の匿名性存在の匿名性というふたつのレイヤーに分かれているので、討議もその順番で進めたいと思います。最初に、「無断リンク禁止問題」や「儀礼的無関心」について扱いましょう。インターネットでは、意図しないかたちであるページがリンクされてしまう、繋がってしまうという性質がある。これをどう扱えばいいのか、といった問題について考えましょう。続いて、存在の匿名性の問題へと移ります。そして議論の最終的な着地点として、この両者の問題の結びつきが明らかにできたら、と思っています。

 それでは小倉さんからどうぞ。

小倉秀夫(以下、小倉):

小倉秀夫
小倉秀夫
 無断リンクをすることが著作権違法になるかどうかという問題は、すでに10年前に議論されています。結論は「リンクは著作権侵害にならない*1、ただしフレーム内リンク*2などについては異論がある」というところで決着しています。最近、経産省の傘下で「電子商取引に関する準則作成委員会」というものがあったのですが、そこでも同様の結論になりました。またディープリンク*3についても同様です。法律上はこのようにカタがついているわけです。

 ただ法律が許すからといって社会的にやってよいかというと、これは別問題になります。「いい・悪い」という問題はおよそ4つの段階から構成されているからです。1)技術的に「できる・できない」、2)法的に「合法か・不法か」、3)倫理的に「やるべきか・べきでないか」、4)経済的に「やって得か・得でないか」の4つですね*4

 たとえば技術的に無断リンクは可能ですし、法的にも問題はない。しかし倫理的にやってよいかどうかになると、これは難しい。さらに無断リンクをされてしまう側が経済的に「得ではない」と判断した場合、技術的に「できない」ようにしたいと考えても、不思議ではないわけです。たしかに「無断リンクがいやだというなら、技術的にそうできないようにすればいいだけではないか」という主張は一見正しいように見えます。しかし、それでは技術的な工夫を凝らせる人しか、その恩恵をこうむることができません。それはそれでねじれた社会ではないかという気がするわけです。

 となると倫理的なところで歯止めをかけるという話になります。たとえば「儀礼的無関心」のような提案はあってもいいと思うんです。つまり、リンクをすることが妥当かどうか、リンクする前に常識的に判断してリンクを控えることも必要だ、と。また新聞社サイトや公的機関のサイトに「リンクをしてはいけない」という主張がされていた場合、そこには正当性はあまり感じられませんから、これを批判するのもかまわない。さらにこうした場合もある。常識的に見て、仲間内だけでしか閲覧されていないであろうサイトがあったときに、これにいきなりリンクをしたとします。すると「リンクはやめてください」と運営者からいわれますね。そのとき、「そんなことをいう権利はない」と頭ごなしにリンクした側が反論して、荒らし行為をしたとする。しかし、それは批判されても仕方がないと思うわけです。

東:

 とはいえ、無断リンクそのものの良し悪しを考えても、あまり意味がないかもしれません。むしろその現象を通してなにを見るかが重要です。

 高木さんが今日問題にされたのは、「パブリックとはなにか」ということでした。たとえばこういう議論がある。ウェブにファイルを置いた以上、ウェブはパブリックな空間なのだから、誰もがアクセスできる状態にしておくべきだ。インターネットはそもそもそういうアーキテクチャになっている、と。しかし問題は、無断リンクされたくない人々が存在し、また前回の倫理研でも話題になったように、他方では、リンクされたい、繋がりたいという欲望を抱えた人々も大量に存在しているという事実です。

東浩紀
東浩紀

 このように現在のインターネットは、リンクをされたい人々とされたくない人々、あるいはリンクをコントロールしたい人々がさまざまに混在している。これをどういうかたちで安定化させるのか。それが高木さんの問題提起だったと思います。

小倉:

 しかしその問題は、インターネットではじめて出てきたわけではない。たとえば露出の多い服を着た女性が、なおかつ肌をジロジロ見られたくないと訴えている。それに対して、「そもそも見られるようなアーキテクチャのもとで歩いているのが悪い」といいきってよいのか。その問題と同じではないかと。

東:

 なるほど。いかがですか、高木さん。

高木浩光(以下、高木):

 それがまさに儀礼的無関心で盛り上がった話題だったと思います。「無断リンクは技術的にできなくすることができる」という提案については、たしかにいくらかそのとおりなんです。仮に新聞社サイトがディープリンクされたくないというのであれば、本当にやればいいだけだと思います。いますぐにでもcookieなどを導入すれば、簡単に直接記事にアクセスすることはできなくなる。一回トップページに飛ばしてしまえばいいだけなのです。ただ本当にやってしまうと、トータルのアクセス数がかえって減少するというように、結局は悪い影響を及ぼしてしまう可能性がある。そのことを社内でもわかっている人がいるのでしょう。だから実際にはやらない。それなのに、ありもしない理由でディープリンクを禁止してしまっている。そしてこれが個人の世界にも影響を与えている、という変な構造があると思います。

高木浩光
高木浩光
 また個人間の話については、「技術的に解決できるのだからやればいい」というのではなく、単に「やればいい」と思います。どこかが本当にそういったサービスを始めてみればいいと思うんですね。ビジネスモデル的には難しいのかもしれませんが。

小倉:

 最近のブログサービスでも、そうした機能がついているそうですね。

加野瀬未友(以下、加野瀬):

 「DI:DO」というサービスですね。これはとても細かいアクセス・コントロールが可能で、たとえば1ヶ月アクセスしていないユーザーは読めない、といった制限ができる*5。小倉さんはさきほど「技術的な解決は、そのようなスキルを持った人しか利用できない」とおっしゃっていましたが、いまやそうした初心者向けに多数のブログサービスがあります。だから実際には、ユーザー側の技術的解決のニーズに対してサービス側が意識をすればいいはずです。

 ただ問題は、サービスを提供する側、技術を持っている側が、こうしたニーズを意識してくれていないところにあるのではないか。もちろん仮に技術があったとしても、それに見合うビジネスモデルがなければ開始に踏み切れないということもあるでしょう。また前回の講演ではコメント投稿機能の強化を提案しました*6。ブログのコメント欄は、名前とアドレスさえ入れれば誰でも投稿できるし、二重投稿であろうとなんでもできる。その状態が長く続いてしまっています。これも、アーキテクチャで本来解決できるはずの問題なんです。しかし、その多くは手付かずで放置されてしまっている。だから重要なのは、「技術があるのになぜ使わないんだ」というのではなく、サービス側に働きかけていくことだと思うんですね。

東:

 無断リンクの問題は、煎じつめれば「不愉快だからいやだ」という感情的な問題である。それならばいくらでも解決可能だろう、と。

加野瀬

 ただ崎山さんの挙げたK氏退会事件などは、まさに「不愉快だから」という理由で排除されてしまったわけですよね。また高木さんが挙げた例にしても、「アダルトサイトからリンクされるのは不愉快なので無断リンク禁止」という論理が成立してしまっている。たしかに無断リンクも不愉快だからいやだというレベルの議論にすぎませんが、むしろ現状としては、不愉快ということがどんどん前面に押し出されてしまっている気がします。

小倉:

 不愉快を排除したいという論理は、たしかに公的サービスの場合には許されないと思います。しかし、私的なサービスの場合はどうか。mixiは私企業の運営する私的なコミュニティにすぎないわけですから、誰を排除しようと、そのこと自体をまわりがあれこれ批判することでもないと思うんです。

東:

 さきほどからお聞きしていると、そこで議論が分かれていますね。mixiのようなコミュニティ・サービスにある種の公共性を求めるのか、それとも企業の私的なコミュニティにすぎないのだから、別にどうでもいいじゃない、と考えるか。ふたつの立場がありうると思います。

 さて、無断リンクの問題と、繋がりの社会性の問題は表裏だと思います。北田さんいかがですか。

北田暁大

 そうですね。崎山さんがおっしゃっていたmixiのケースに現れた問題は、mixiに限定される話ではないと思うんです。つまり、現状のコミュニケーション文化の文法を前提としてなんらかのコミュニティサイトをつくると、なかば必然的に「mixi化」してしまうのではないか。現状の文法というものを考えるとき、先ほどの「不愉快さ」がポイントになります。繋がりの社会性というのは、ある側面から見ると、「不快だ」「(相手の理解は)自分の意図と違う」といったどうしようもない理由づけが「正当な」ものとして前景化されていくコミュニケーション様式、ということができます。そうした論理、理由がコミュニケーションを駆動してしまうということが、現状のネット・コミュニケーションの特質といえるかもしれません。だとすればK氏の問題はK氏に限ったことではない。濃淡の差はあれ、ネット空間において日常的に現れてくるものではないか。

北田暁大
北田暁大
 ですから、mixiの問題はひとつの私企業の問題として片付けるべきではないと私は思います。むしろネット空間におけるコミュニティ形成をめぐる問題のプロトタイプといいますか、今後起こりうる事例のひとつとして扱うべきでしょう。

東:

 大切な指摘だと思います。無断リンクにしても繋がりの社会性にしても、それが問題になるコミュニケーション作法というものが背景に存在し、それがインターネットという媒体によって肥大化している。したがって、問題とすべきはこの背景のほうであり、mixiというサービス個別ではない。そう北田さんはおっしゃている。

 とはいえ、その背景とはなにかを問題にすると、いきなり「日本はムラ社会だから問題だよね」という話になったしまい、議論がぼやけてしまいそうな気もします。どうやら議論の方向性を変える必要がありそうです。

 辻さんが発言を求められていますね。どうぞ。

辻大介(以下、辻):

 その無断リンクの不愉快さがなぜ生じるのかを考えてみたいんですね。単に情報のリンクにすぎないものが、「仲良しさん」という人と人の繋がりのメタファーで捉えられているからではないか。

加野瀬

 そうなんです。リンクというのは単に情報のポインターを指しているにすぎないのに、なぜか人間関係をあらわすものになってしまう*7

辻:

 そう、関係なんですよね。高木さんの出した例に、ポルノサイトにリンクされるのは困るというものがありました。ですからこれは、「ポルノサイトと仲良しとは不愉快だ」という感覚として受け止められているのではないでしょうか。

加野瀬

 なるほど。それは個人サイトでも事情は同じですね。「リンクをする=仲がいい」というように解釈されている。

東:

 ブログのトラックバックは、日本ではまさにそのような理由で普及したんじゃないでしょうか*8木村剛氏のサイトにどんどんトラックバックを飛ばして、「おれも有名人の一角!」というように(笑)。

辻:

 また「トップにリンクする」という作法というのは、「玄関からせめて入ってほしい」という感覚を表しているように思います。こうした解釈を見るにつけ、どうやらインターネットは「プライベートな空間」というメタファーで捉えられているフシがある。

 K氏退会事件についていうと、高木さんもおっしゃるように、たしかに問題となった人物を排除するコミュニティがあってもいいとは思います。公開コミュニティに何度も参入しては排除されることを繰り返しても、その水準ではいい。しかし崎山さんが指摘されたかった問題は、mixiというメタコミュニティからも退会させられてしまった点にあるのではないでしょうか。

辻大介
辻大介
 こういうことです。もし近い将来、もしブログサービスが連携して顕名的なアーキテクチャを提供していった場合、それはネットがある種のメタコミュニティの審級となることを意味します。そのときあらゆるサービスがコミュニティ的・ムラ社会的な方向へ向かってしまうと、すべてのコミュニティから容易に排除されうる状態を招くことになる。それはさすがにまずい。であるならば、すくなくともメタコミュニティのアーキテクチャにおいては、コミュニティ的・SNS的な論理で動かしてしまってはならないはずだ。私はこのように崎山さんの議論を受け止めたんですね。

東:

 インターネットというアーキテクチャは日本だけで閉じているわけではないので、ムラ社会の論理が全面化するわけでもないでしょう。

加野瀬

 ただK氏退会事件の問題は、複数の人が「あいつは不快だ」と事務局に訴えたところ、「複数の人が不快だと思っているそうなので退会とさせていただきました」とすんなり通ってしまったことです。ですから仮にメタコミュニティができた場合も、複数人で不快だと叫べば排除することができるようになってしまうかもしれない。

辻:

 しかもそのメタコミュニティ的な顕名システムというのは、基本的には公的な議論の場を確保するという目的に資するはずのものです。にもかかわらず排除の論理が働きうるとすれば、そこは仲良し同士のおしゃべりの場となんら変わりがなくなってしまう。実にねじれた帰結というべきで、「公と私の分節」というテーマを追求して構築された空間のはずなのに、むしろ排除の論理が幅をきかせる空間になってしまうわけです。

東:

 いま加野瀬さんがおっしゃったことはこうですね。たとえばGoogleの検索結果で、自分のことを批判する日記が上位にランクされている。これは不快だと思ったら、この日記のランクを下げろとGoogleにクレームメールをガンガン投げる。するとそれが実現してしまう、と。

加野瀬

 実際に「悪徳商法マニアックス」というサイトがまさにその被害をこうむっています。「Google八分*9という問題として知られていますね。

高木:

 私のブログも、最近Googleで出ないページがあるんですが……(笑)。

高木浩光
高木浩光
 それはさておき、mixiの退会問題については、特殊な事情もあると思います。それは、招待制はもはや意味があるのかという問題です。というのも規模が小さいときには、私的に招待した人を集めて特定のコミュニティをつくり、自由に運営することもありえたわけですよね。しかしこれだけ規模が大きくなってしまうと、その意味での招待ということに意味はなく、ある種の公共性も帯びてしまう。にもかかわらず、mixiには中途半端に招待制というものがあるせいで、「気に入らない人は招待を取り消す」という権利がいまでも通用してしまう。つまり、もはや招待制という基本のやり方が破綻しているだけなのかな、という気もします。

東:

 なかなかmixiの話題から離れられないようですが(笑)、ここで問題になっているのは、私企業の公共性をネットベンチャーでどのように考えるかという問題ではないでしょうか。

 たとえば、トヨタが欠陥自動車をつくったら、これは大変な問題になる。つまり、自動車企業に公共性がある点については、一定のコンセンサスがある。しかしSNSやブログサービスはそうではない。しょせん小さな企業の運営しているものだし、強制退会されても人が死ぬわけではないと見なされている。しかし他方では、ユーザー数だけ見ると、公共性を帯びてもおかしくないほどの規模に成長しているわけです。

小倉:

 ただ私企業としては、「100人を退会に追い込むような人がいたとしたら、その人を残すよりは排除する」という選択も当然ではないかと思います。その企業が公共性を帯びているからといって、「100人が退会するリスクを背負ってでも、何人も排除するな」という主張はどこまで通じるものでしょうか。

東:

 とはいえ、企業の公共性とか社会的責任とはそういうものではないでしょうか。短期的な利益に結びつかないとしても、やらなくてはいけないことがある。

小倉:

 しかし、トラブルメーカーを排除して全体の顧客数を保持するということであれば、従来の企業もそう選択していると思います。

東:

 しかし、コミュニティへの加入そのものが商品なのだから、ちょっと事情が違うんじゃないですか。

高木:

 そうですが、mixi以外のほかの選択肢がある場合はそれでもいい、ということも可能です。今回の場合、なにもmixiそのものから退会にせずとも、そのコミュニティに入会できなくする技術的な対策をとればよかっただけなんです。崎山さんもそのように指摘されていましたが。

東:

 ただ、mixiはいまや、100万人のコミュニケーションを支えている。だとすれば、mixiの活動は一種の公共性を帯びているといってもおかしくない。そう考えると、たかだか数人が不快というので強制退会にするのは問題かもしれない。

小倉:

 その数人のレベルで全体に影響が及ぶとmixiの経営者は判断したわけで、それが妥当かどうかはまた別の問題です。ただ、「mixiの規模は公共性サービスにあたるので、数人の不快感を理由に強制退会をしてはいけない」という縛りをかけるとなると、それは私企業には厳しすぎる気がします。

崎山伸夫:

 強制退会させるかどうかは私企業の自由でいいでしょう。しかし問題は、K氏が退会されるに至った要件は客観的に定義できるかだと思うんです。というのも、K氏の行動は特に問題的だったとはいえない。誰かを誹謗中傷したわけではなく、誤りを指摘しているにすぎなかった。ということは、事後的に「苦情があったから云々」という前に、客観的に「こういうことをすると退会になります」と定義することはできないことを意味するわけです。

崎山伸夫
崎山伸夫
 となると、これはK氏だけの問題ではありません。これでは他のユーザーも、どうすればmixiを使い続けることができるのかがわからない。つまりユーザーに対して予測不能な退会リスクを与えるわけで、これは私企業としてもケアする必要がある。ですからこれは「私企業の自由」では片付けられない問題ではないか。

 そしてもっと大きな問題は、こうした主観的なものを押し通すムラ社会的な論理が、私企業の判断を超えてもっと公的なレイヤーに横滑りされた場合だと思うんですよ。

小倉:

 私はmixiに加入していないので約款がどうなっているのかわかりませんが、たいていのコミュニティの場合、どうとでも取れる条項によって退会できるようになっているはずなんですね。

東:

 うーん、どうなんでしょう。そもそも、これは法律の問題ではないと思います。その水準でいえば、退会の是非はどうでもいい。

 それでもここでmixiの公共性を問うてみたいのは、それがネットワークの外部性*10によって成長してきたからです。mixiは大量のユーザーを獲得していますが、mixiがよく出来ているからmixiをみなが使っている、という単純な構図ではない。むしろ、「あいつも入っているから俺も入る」というかたちで、mixiのサービスには付加価値が莫大に生み出されている。この莫大な価値は、ユーザーのコミュニティが支えている。

 となると、コミュニティ・サービスは誰のものなのか。法的にはmixiイーマーキュリーのものかもしれない。しかしそれは法的な事実でしかない。現実にmixiの生み出す資産を誰が支えているのか、という事実とは対応していない。これは、最近話題の、会社はだれのものか、球団はだれのものか、といった議論とパラレルですね。

小倉:

 ただ、「あいつがいるから俺も入る」というロジックがあるのならば、「あいつがいるから俺はやめる」という声もありえますよね。こうした声を無視することは、ネットワーク外部性によって立つサービスであればあるほど難しいわけです。ですから客観的に退会条項を定めるという面倒を避けて、曖昧な条項を入れておくのが常になっている。これは一般に批判できることなのかどうか。

高木:

 mixiの経営者がこのK氏をご存知だったのかどうかは、重要な分かれ目になるでしょうね。よく知らないのに退会させていたとすれば、これは大変なことかもしれない。昔から知っていたとすれば、退会処分にしたらどうなるかの予想もついたと思われます。

加野瀬

 しかし、この際mixiの判断は横においてもいいんじゃないでしょうか(笑)。

東:

 mixiの判断は法的には問題ない。これは誰も問題にしていない。

加野瀬

 私企業としては問題ではないとしても、もしそれがもっと上のレイヤーに移行した場合にどうなるのか、という問題ですよね。崎山さんも指摘されていますが。

東:

 その雛型としてmixiについては議論してきたわけですね。

*1:註:たとえば「無断でリンクを張ることは著作権侵害となるでしょうか」(提供:社団法人著作権情報センター)yaや、後藤斉「リンクについて「リンクは自由!」」などのドキュメントを参照のこと。

*2:註:htmlの「フレーム」と呼ばれる表示方法を用いて、自サイト外のコンテンツをブラウザの一画面のなかに表示することで、「リンク先の著作物がリンク元の著作物であるかのような誤解を生ぜしめる」ことを指す。「電子ネットワークの知的所有権法 FAQ」によれば、「かつて、米国において、商用ニュースサイトのトータルニュース社が、自社が集めてきた広告とともに自社のページのフレーム内に他社のニュースを掲載したとして、ワシントンポストなどがトータルニュース社を1997年6月に訴えたという事件(トータルニュース事件)があります。もっとも、この事件も和解で終了していますので、著作権法違反という裁判所の判断が下されたわけではないことに、注意して下さい」とされている。

*3:註:ディープリンクとは、「Webサイトのトップページ以外(たとえばニュースサイトの個別記事など)がリンク先になっているハイパーリンクのこと」(IT用語辞典 e-Words : ディープリンクとは 【deep link】 ─ 意味・解説より引用)その合法性については、2002年にはドイツやデンマークで、検索エンジンがディープリンク問題で起訴された(独でも“ディープリンク”裁判が活発に~検索エンジン会社に不利な判決ニュース検索エンジンのNewsboosterにリンク禁止の仮命令)。しかし、ドイツではその後合法との司法判断が下されている(スラッシュドット ジャパン | ドイツでディープリンク合法の判決)。

*4:註:レッシグの「四規制力説」に対応する。isedキーワードアーキテクチャ」や、倫理研第2回: 白田秀彰 講演(1)での解説を参照のこと。

*5:註:【レンタル日記】DI:DO:サービス概要より引用すると、「ひみつ日記機能の他に、18歳以上と年齢を登録しているDI:DO会員にしか閲覧できないようなアダルト制限機能、注意書きを読んでCookieを書き込まないとページが閲覧できないようにする一般公開制限やパスワードでのアクセス制限、記事単位での公開期限設定機能、ロボット検索避けタグの挿入機能・RSSによる更新情報配信の停止選択など多彩なアクセスコントロール方法を提供してい」るとのこと。

*6:註:加野瀬未友の提案については以下を参照のこと。→倫理研第4回: 加野瀬未友 講演(3)

*7:註:別所での加野瀬の発言を以下に引用する:「昔のテキストサイト界隈では、よく文中リンクを単に情報のポインターとしてではなく、人間関係のリンクとして見る傾向がありますが、この傾向は記事別の個別リンクが発達した現在でもまだまだそういう傾向は見受けられます。ちょっと思ったのが、リンクを「人間関係リンク」として見る人というのは、実際の人間関係とは別に、ウェブ上にもう一つの人間関係があると見てるんではないだろうかということ。「ファッションリンク」「見せアンテナ」とかと同じで、「見せ人間関係」とでも言うような」(ARTIFACT ―人工事実― | ウェブ日記が読者に与える妄想力-見せ人間関係-

*8:註:トラックバックとは、元は米国のブログツールMovable Typeが実装した技術で、ブログの記事間で相互リンクを形成しつつ、「相手にリンクしたことを通知する」機能のこと。このトラックバックだが、そもそも日本では普及しない、といわれていた。たとえば「勝手リンク禁止」「リンクフリー」という慣習は日本だけに存在する(リンクフリーを考える - [笑えるサイト]All About)といわれるように、日本人はとりわけリンクに対する心理的障壁が高いといわれていたからである。また鈴木謙介は2003年に、「なんで日本ではTrackbackが受け入れられないのか(中略)一つは技術的に理解しにくいということ、もう一つは「明示的に」引用を伝えるというその明示性が馴染まないんじゃないか(中略)レーティングもそうだけど、ディベートの伝統のない社会では、他者を評価する/他者からの評価を受けるということに関して非常にナイーブだ。あらゆることについて言えることだけど、意見への評価と人格への評価を切り分けられないし、議論→喧嘩みたいなことがフレーミングを抜きにしても起こる」(SOUL for SALE :: rating)と分析していた。しかし一方で、トラックバックを実装したMovable Typeの開発者から見ると、トラックバックの数自体は日本でもひけを取らないようだ。というのも、「日本はトラックバックが多く、挨拶やお礼代わりに使われている。儀礼を重んじる日本ならではだろう」と『AERA 2005年5月30日号(朝日新聞社)』のインタビューで指摘している。「議論」ではなく、「お礼や挨拶」の代わりにトラックバックを使う振る舞いは、日本のほうが盛んのようである。

*9:註:「悪徳商法?マニアックス」という悪徳商法関連の情報サイトが、Googleの検索結果から削除された。これはウェディング社が名誉毀損の訴えをGoogle社に行ったといわれ、問題となった。(Google 八分 の確認と対応の方法)。もともとは圏外からのひとこと(2003-10-03) - 「Google八分の刑」という難問で、ESSA氏が生み出した言葉である。→参考:圏外からのひとこと(2005-03-28) - 「圏外からのひとこと」Google関連記事集

*10:註:isedキーワードネットワーク外部性」参照のこと。

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