ised議事録

08-208. 倫理研第5回: 共同討議 第2部(2)

存在の匿名性を擁護することに根拠はあるのか

東浩紀(以下、東):

 わかります。無数の真実からでは選べない、といったその無力感が極端になると、サイバーカスケードが発生するわけですね。一般的な認識とは逆に、マスメディアはむしろそれを防ぐ装置だといえる。
東浩紀
東浩紀

 それはいい。ともあれ僕がずっといっているのは、認知限界の問題です。きわめて簡単にいえば、「数が多すぎて判断できない」ことが情報社会の問題の根元にあるんじゃないか、ということです。目利きにせよマスメディアにせよいくらか回避策はあったとしても、これは私たちが向かう大きな方向性だと思うんですよ。それは僕がisedを通じてずっと持っていた現状認識でもある。

 ただ、ちょっと話をもとに戻したいんですが、僕はいまここで、「数が多すぎて判断できない」ことが情報社会の問題の根元にあるんじゃないか、といたって単純なことを述べているんです。

 社会の複雑性に直面して、判断できない人々が大量に出現したとき、どのようにうまく社会の秩序を保つことができるのか。情報社会論では、「インターネットは個人の力をエンパワーメントする」とよくいわれます*1。こういうと、従来の能力が増幅されるかのような印象がありますが、僕はその言葉は裏返しの意味で捉えるべきだと思う。現在では、社会が複雑になりすぎているので、情報技術でエンパワーメントしないといままでどおりに社会生活を送ることができない。それが問題なんですよ。たしかに、目利きやマスメディアもこれから存在し続けるかもしれない。しかし、この基本線は揺らぐことはないのではないか。まずはその大きな認識から出発したい。

 だとすれば、「存在の匿名性」を守ること、つまり個人情報をなるべく渡さないということに、いかなる根拠があるのか。いいかえれば、監視社会に反対する根拠はなにか。プライバシーを守る根拠はなにか。これが僕の関心の中心であり、また、僕が司会をしてきたせいだと思いますが、isedのここまでの議論の底に流れているものでもある。

 存在の匿名性の問題は、それだけを見ればもっともらしい問題です。自分でいうのもなんですが、「表現の匿名性存在の匿名性を分けるべきである」という「情報自由論」の主張は、悪くない線を突いている。しかし、はたして本当にそうなのか。もし個人情報を提供しなければ世界の複雑性が処理できないのだとしたら、存在の匿名性など守っている場合ではない。

高木:

 そこを両立させるための技術は以前から研究されていたと思うのです。ただ私が問題にしているのは、なぜそれが普及しないのかということです。研究と事業は別物ですから、アイディアはあってもそれは実装されないことが多い。どうも「そういう社会になっていくんだからしょうがない」という流れになってしまっているのではないか。私の立場からは、技術的にできることは、もっとやるべきだというほかないのですが。

小倉秀夫(以下、小倉):

 私としては、なにも個人情報を渡さなくても済むのではないか、という気がします。いろいろな観点がありますが、第一に、しょせんAmazon的な方法が提供するのは統計的計算の結果でしかありませんが、Amazonと信頼できる目利きと、はたしてどちらが主観的にグッとくるのかは意外と実証されていない問題であるということ。第二に、Amazonのライバル企業が出る可能性もあるということ。たとえば、ほとんどAmazonと同程度の条件だけれども、購入履歴については配送した瞬間に破棄する、といったようなものですね。おそらくそれはやっていける気がするんです。もちろん一方で、データサービス事業などはさすがに個人情報を握っていないと不都合もあるでしょう。そういう意味では個人情報は素直に渡したほうがいい。それはコスト削減にも繋がるという議論も一方にあると思います。

加野瀬未友(以下、加野瀬):

 Amazon的なものは要するに趣味の領域ですよね。生きるうえで必要不可欠ではありません。それなら選択を委ねてもいい、というマスメディア的な方向に向かうと思うんですね。つまり趣味の領域に関していえば、小倉さんの「個人情報を渡さなくとも目利きに頼ればいい」という見解に同意するんです。

 しかし、たとえばこれが仕事の領域だと話は別です。個人情報を提供しなければ仕事もやっていけないとなると、これは問題になってくるという気がします。

小倉:

 たとえば職安でそれをやるとどうなるか。

加野瀬

 そう、職探しのマッチングサービスですね。実際、すでに仕事探しのサイトはそうなりつつあるわけですし。

崎山伸夫:

 職安的なものは行政サービスにも広げることができますね。公的サービスが連絡先以上の個人情報を収集してマッチングをするとなると、公平性の問題がでてくると思います。またそうしたサービスが、純粋なマッチング、つまり単純な経済効率性だけを目的に運用されるとは限らない。いわゆる区別する・差別するといったことが介入してしまうかもしれない。あるいは治安維持という動機付けが入ってくるかもしれない。これは懸念すべきことだと思います。

崎山伸夫
崎山伸夫
 またマスメディアにしても、いまは匿名的に放送を受信することができますが、地上デジタル放送に完全に移行すると匿名ではなくなる。現在の技術水準では、各視聴者にそれぞれ違った内容を送ることは難しいとしても、数十年後はわかりません。そうなると、「デイリー・ミー*2的な関心だけではなく、治安的な関心からメディア空間の分断がつくられる可能性もある。

東:

 そういう具体的な問題については、もういくども話してきたと思うんですよ。

 そのうえで、ここで議論したいのは、そうした状況が出現したときに、――僕たちが生きているあいだに出現すると思いますが――、そこに批判すべき問題を見いだす根拠はなんなのか、ということです。個人情報を渡さないほうがいい、という価値観を前提としているならばいいけれども、もしそうでないとすればどうか。たとえば、テレビのチャンネルが無数に増えて、個人の趣味嗜好をテレビ局に、あるいはプロバイダかどこかに送らざるをえないとどうしようもない世界が来たとする。そのとき、「それはいけない。もっと社会を広く見渡す視点を持とう」といったところで、「で、社会ってどこよ?」という話にしかならない。「なら数千個のチャンネルを観ろというのか」と切り捨てられるのが関の山です。

 それでも、もし僕たちが環境管理型の秩序維持を批判しなくてはいけないというのならば、その根拠はなんなのか。

高木浩光(以下、高木):

 そこで私たち技術者や研究者は、すべて比較の問題として扱うわけです。これよりはあっちのほうが、相対的に問題がすくない。その比較の積み重ねで技術論をしているだけなんですね。そのとき、もっとプライバシーを侵害しなくとも済むアーキテクチャが採用されなかったとして、それを明らかに問題だといえるのか。現実的に考えると、「明らかにまずいとはいえないが、やったほうがいいのにもかかわらず、実際にはやられていない」という類の主張は通りにくいわけです。まして運動にするのは難しい。「このサービスでいいのか」と自ら疑問に思うことのない人々が大半だとすれば、そうした運動は起きようもないんです。

東:

 難しいですね。情報社会について真剣に考えれば考えるほど、プライバシーを守るべきだと簡単にはいえない。みんなが不愉快にならないようにコミュニティを分断するのであれば、インフラの提供者はユーザーの趣味嗜好を正確に把握するためにむしろ個人情報を取るべきだ、という話になってしまう。「俺は匿名で表現したい」という人がいたとしても、「匿名を許す人だけが集うコミュニティをつくったので、登録よろしく」というわけです(笑)。表現の匿名性を守ろうとしても、まわりまわって存在の匿名性が犠牲にされる。ここが難しいわけです。

 表現の匿名性は、おそらく技術的に解決できる。しかし、存在の匿名性は泥沼を抱えている。さまざまなサービスを並列させるという発想そのものが、実は存在の匿名性を脅かす。もちろん技術的な解決は個別にあると思いますが、この原理的な構図は変わらないのではないか。

高木:

 そしてそれを問題だという根拠はない、と。

辻大介

 愚直な例に置き換えてみたいんですね。「なにを買うべきかを選択する」という例だと、さほどクリティカルな問題のように感じられないからです。

 たとえば、人に殺されるのを避けるためのシステムというものを考えてみる。人々の個人情報をつぶさに把握して、統計的に殺人を犯す確率の高い人間を探し出すシステムをつくったとします。もちろん、自分は誰かを殺すつもりなどないという人が大多数でしょう。すると、ほとんどの人は安全になるからという理由で個人情報を渡すだろう、というロジックは成り立つ。「殺人は減るのだからいいじゃないか。あなたはもともと殺人などする気はないだろう? あなたは殺されなくなるんですよ」、と。

 そしていま東さんが問われているのは、そのシステムに対する個人情報の提供をやめさせる理由はなにか、ということですよね。

東:

 そのとおりです。いままではコミュニティの境界が比較的明確だったので、個人情報を渡さなくとも、危険な人間とそうでない人間を分けることが可能だった。しかしその見分けがつかなくなってくる。となると、情報によって判断をするしかない。つまり、いままでは町内会的な視線がセキュリティサービスを提供していた。これを情報技術で代替するためには、個人情報が必要となる。だとすれば、それに歯止めをかけるにはどうすればいいのか。

 といったところで、そろそろまとめに入らなくていけません。白田さん、ここまでの議論を聞いていかがですか。

トラックバック - http://ised-glocom.g.hatena.ne.jp/ised/09080820