ised議事録

08-217. 設計研第5回: 共同討議 第1部(4)

予測市場にみるアーキテクチャ設計思想――動物的な公共性

井庭:

 顧客やサービス次第で、企業のスケールの大小は決まる。これが近藤さんのお話でした。いまのはてなというのは、3つのバランスで成り立っていると思うんです。はてなが望んでいることと、はてなに望まれている「こういうイメージであってほしい」ということ。そして、はてなをより良くしたいというロイヤルティ。最後に、その要望に応えるだけのスピード感。その3つがあって初めて成立している。そしてそのスケールがどこまで広げられるかという話だと思うんです。ユーザーがどんどん増えてきて、やりたいことが増えてきて、「はてながこうあるべきだ」というイメージが増えてくれば増えてくるほど、その結果ある程度のスケールがないと開発スピードも追いつかないという論理ですね。つまり、単に規模の大きい小さいという話はあまり本質ではないのかなということを考えました。

 またこれは別に考えていたことなのですが、いまGoogleがインターネットのネットワーク性を壊していると思うんですね。たとえばなにかを調べたい場合に、昔であればネットサーフィンでいろんなページを順番に見ていた。リンクをたどって散歩してみることで、初めて全体像がつかめるという世界だった。けれどもGoogleのような全文検索の検索エンジンになると、なにか検索単語に引っかかったものを見るだけになる。ひとつ検索結果を見終わったらGoogleの検索結果に戻って、今度は2個目を見て、また戻る。Googleの検索結果とその先のページを行ったり来たりするだけになってしまっている。要するにこれでは情報がネットワーク化されていることに意味はなく、単なる巨大な情報のデータベースに検索をかけて、引っかかったものを上位から見ていくというスタイルになっているんです。現在はネットワーク社会といわれます。たしかにインフラはネットワークによっていろんな人がアクセスしやすくなった。しかし情報自体はあまりネットワーク化されていないんじゃないかという気がしてならない。

井庭崇
井庭崇
 そのときはてなの話というのは、実はそこをもう一度ネットワーク化しようという話に聞くことができて、そこが面白いと思うんです。たとえば予測市場を噛ませるというのは、一見すると昔からのマーケットという仕組みを組織に入れるということですから、一見逆行しているかのように見える。けれどもそれはアイデアを出す人とそこに投資する人、そしてそのやりとりを吸収してなにかを実現する人をすべて結びつける役割を果たしている。これはどういうことか。さきほどハーシュマンのVoiceの話をしましたが、なにかいいたいことがある人がいたとしても、それを集約することが出来なかったわけですね。数が増えてスケールがどんどん大きくなってしまうと、それを把握できなくなってしまうという量的限界があるからです。そこにマーケットのメカニズムを入れることでフィルタリングをする。これはアイデアを選ぶほうからすれば自動化になりますし、一方参加してどんどん取引をしている人にとっては、自分のメリットを満たしつつ全体を良くするという話にもなる。

 これを前回のイノベーションの話につなげてみたいと思います。イノベーションを起こすとき、銀行や金融機関が果たす役割が大きいといわれています。シュンペーターがかつて指摘しているように、ふだんの収益は日常業務をこなすことでほとんど費やしてしまうので、イノベーションにかけるお金はない。そこで銀行がお金を貸してあげることで、飛躍するためのリソースが手元に来る。だからジャンプできるんだ、と。これがいわゆる経済学的にみたイノベーションの「てこ」(レバレッジ)になるわけですね。

 そこでこの銀行以外に、イノベーションの「てこ」はないのかと考えます。するとはてなアイデアというのは、アイデアを「てこ」にすることがうまく実現できている。単に会社の社員10人が考えるアイデア以外に発想がたくさん出てくるというだけではありません。どのアイデアがいいのかという選別にまでみんな参加してくれる。これは企業の側から参加者にモチベーションを与えるという上手なかたちで、「アイデアを集めてさらにそれを洗練させていく」という方法論が可能になっていると思うんですよ。つまりイノベーションをより速く、そしてみんなのニーズに合うかたちで実現するということです。金銭的な「てこ」ではなく、知識・情報的な「てこ」。これは非常に面白くて画期的な試みだと思いました。


鈴木健

 なるほど。Googleがネットワーク性を壊しているという話についてですが、これはある程度統計的にみることができると思うんです。たとえばはてなのあるひとつのページに対するアクセスとして、Googleの検索結果やはてなのトップページ、あるいはてなアンテナはてなダイアリーのトップページにあるランキングから誘導されるアクセスが一方にある。また一方に、ローカルなコンテンツ同士のリンクがある。はたしてどちらのPVのほうが多いのかを見ることで、はてなの「ネットワーク性」を測ることができます。またはてなダイアリーには、東さんが大変気に入っているキーワードの仕組みがあります。つまりキーワードを経由することで、個々人のプライベートな日記がはてなダイアリーの全体性につながるという話ですね。

東:

 井庭さんの話を受けて、議論をはさみたいと思います。

 はてなアイデアの話はとても優れていると思いました。その判断は、以前にはてなキーワードを褒めていたものと同じ理由からです。そのとき僕はこう言いました。人は基本的に自分が書きたいことしか書きたくない。リンクもしたくない。別にネットの全体像も見たくはない。はてなコミュニティの全体像も見ようとは思わない。けれどもはてなキーワードのシステムは、自分の書きたいことだけを書いていると、いつのまにかキーワードによって他人の日記と結び付けられていき、はてなというコミュニティに引き入られていくような仕組みを作っている。あらかじめはてなの全体を意識していなくても、全体に参加するようになっている。だからいいというのが、僕の意見でした。

 はてなアイデアも同じ路線だと思いました。ユーザーの立場からすれば、「はてなのサービスのここを改善してもらいたい」ということを発言しているだけであって、自分の欲望をぶつけているにすぎない。しかし、獲得ポイントを最大化しようとすると、「他の人がなにを欲望するのか」「はてなはそれを聞いてくれるだろうか」ということも必然的に考慮に入れざるをえない。はてなアイデアはそのような構造になっている。

 近藤さんの人間観は、この点で見ると、はてなキーワードからはてなアイデアまで一貫しているわけですね。それはとても興味深い。なぜか。これは一般的にネットに関していわれていることですが――そして倫理研も問題にしていることですが――、「ネットに公共性を導入しなければいけない」といった議論があります。ネット・ユーザーももっと世界全体について考えなくては、といった類の話です。しかし近藤さんは、おそらくそれを断念していると思うんです。結局のところ、ユーザーは自分のプライベートなことしか考えていない。自分のことしか考えていない。しかし、自分のことだけを考えた結果、いつのまにかある種の公共性に奉仕するような構造をつくれないだろうか。そう近藤さんは考えているんじゃないか。その思想がいいと思うんです。

 僕は、この発想そのものは、規模が小さいからできる、できないという議論の軸には収まらないと思うんですね。今日の講演は、社員と社員、社員とユーザー、日本と世界という3つのパートに分かれていた。そして、社員と社員をなめらかにするといっても、10人の規模だからできるんじゃないかという疑問が出てきた。それは妥当な疑問です。スタンディングで会議をするという話がありましたが、100人になってスタンディングで会議は可能なのか。普通それはパーティです(笑)。しかし、はてなとユーザーの関係は、はてなが小さいサービスだからできるという規模ではない。はてなとユーザー間の関係に焦点を据えて、議論を普遍化すると面白いと思います*1

 近藤さんは、僕の言葉でいえば、「動物的」な欲望にドライブされている人間を前提としながら、いかにしてその行動をコミュニティの維持と結びつけるか、という問題意識でアーキテクチャを設計されている。僕としては、具体的な会社運営の方法ももちろんですが、こうした哲学や思想に興味があります。

近藤:

 まず鈴木さんがおっしゃった、どちらのトラフィックが多いのかという点からお答えします。はてなの場合、ユーザーの種類が二通りにきっぱり分かれているんです。ひとつは井庭さんのいうネットワーク的に使うユーザーですね。自分のブログを自分の興味のままに書き、たまたまリンクになったキーワードをたどって、他に同じようなことを書いているブログを読む。あるいはその相手とコミュニケーションを始める。そのようなネットワークを伝う行動をとるのは、基本的にはてなコミュニティのユーザーです。一方で、はてなダイアリーキーワードを見る人はかなり外部から来る人が多いんです。要するにGoogleなどの検索エンジンである言葉を検索し、それについての情報を知りたいと思って訪れるユーザーですね。このように、はてなにアクセスする人は2つに分かれている。ブログからネットワークを周遊する人というのは、はてなユーザーが多い。キーワードページには、検索エンジンなどのグローバルなランキングから情報を欲して訪れた人が多い。このように分かれているのかなという気がしています。

東:

 キーワードとダイアリーの移動はどれくらいあるのですか。まずダイアリーを見て、そこに含まれるキーワードをクリックして、さらに同じキーワードを使っている他のダイアリーに移動して……と転々とするユーザーはどれだけいるのか。

近藤:

 わからないですね。そのデータはとれていないです。

東:

 もしそれが少ないとすると、悲しいですね。ダイアリーはダイアリー、キーワードはキーワードで便利だね、ということで終わってしまう。

東浩紀
東浩紀
 はてなダイアリーの僕のイメージは、以前近藤さんには個人的に話したことがありますが、Wikipediaウィキペディア)の下に、それぞれの項目に言及するダイアリーがぶら下がっている、というものなんですね。もしはてなキーワードが人々が知を持ち寄って辞書をつくるというだけのサービスであれば、Wikipediaのほうがはるかに大々的にやっていて、精度が高い。はてなキーワードが独特なのは、常にキーワードに言及するダイアリーへのリンクがアップデートされていることにある。そこに本質がある。逆も然りで、もしはてなダイアリーが単なるブログだとすれば、それは世界中にいくらでもある。はてなダイアリーが独特なのは、キーワードと結びついているからです。いわばそれは、ブログによって日々更新されるWikipediaなんですね。

 近藤さんがユーザーが二者に分かれているとおっしゃったように、そもそもダイアリーを読みたいという欲望とキーワードを読みたいという欲望は別物だと思うんです。Aについての情報を知りたいという欲望と、Aをネタにして他人とコミュニケーションをとりたいという欲望は、まったくの別物のはずです。しかし、はてなではその両者が結ばれている。それがはてなの素晴らしいところだと、僕だけ主張し続けているのですが(笑)。

近藤:

 定量的なデータはないのですが、定性的な話でいえば、あのキーワードをたどるのが楽しいという人が数多くいることは知っています。また東さんが「東浩紀」というキーワードを定期的にご覧になられて、なにを言われているのかをチェックしているといった話も小耳に挟んでいます(笑)。要するに、あるキーワードに興味をもたれているかたが、同時にそのキーワードについての人々の本音を知りたいというニーズを持ったとき、はてなキーワードの仕組みは非常に有用であることはいえると思います。

近藤淳也
近藤淳也
 東さんがはてなに一貫する哲学ということで、「自分のためにやっていたら自然となにかに参加している」という仕組みになっていると指摘されました。これはたしかに一貫して意識しているところなんです。そうしなければ、わざわざはてなでやる意味がないとすら思っています。たとえばブログのサービスを提供するにあたって、単なるブログレンタルサービスでは単なる交換可能な場所貸しにすぎない。ですからブログサービスのようなものをやる構想はかなり前からあったんですが、踏み切りませんでした。それではなぜはてなダイアリーを始めたのか。これはやはりキーワードの仕組みを思いついたからです。自分が日々の出来事を気ままに書いているだけで、普段は関係ない人への価値がつくられていくという装置。これを思いついたので、サービス開始に踏み切ったところは大きいんですね。

 ただ、これも決して「公共空間を構築する」*2といった目的ありきではありませんでした。「こういうものが要るからこういう場をつくらなくてはいけない」という方向からではなくて、「インターネットユーザーはあれこれいろいろやりたい。楽しい仕組みがあればいろんなことやりたい。もっと楽しい仕組みはいっぱいあるはずで、だからもっとあれもこれもつくってみよう」というスタンスから考えた結果の産物なんです。それでも、単なる自己満足で終わるようなお遊びに終わらないものにしたかった。誰にも見られずに、そのやっていた人だけが楽しかったというものではなくて、なにかそこでの活動が第三者にも価値を提供するようにしたい。そうした考えは根底にあると思います。つまり公共的なものをつくろうという目的意識ありきではなく、まずなにか面白いことをつくりたいというところから出発する。ただ、必ず誰かに役立つものにしたい。これは逆向きの発想なのかもしれませんが、結果的に東さんがおっしゃるような性格が出るように考えているんだと思います。

東:

 PodCastingの会議が1000人にダウンロードされる、というのは衝撃ですね。僕が知っているはてなコミュニティは、小規模というだけではなく、コミュニティに対して非常に能動的かつ、その意味を考えて参加しているユーザーが多かった。僕もそのひとりではありました。しかしそうした人はそこまで多くはならない。その時代に比べて、いまのはてなコミュニティの質は変わったと思います。

 その理由が違いが分かりました。PodCastingで会議を聞いている人のなかには、もちろんはてなというコミュニティを愛している人もいるでしょう。しかし1000人という規模になると、単にポイントを増やしたいとか、単にグラフの動向を知りたいから聞いている人もけっこういるはずです。

 かつては、能動的なユーザー、「はてなは他のブログサービスと違う。はてなコミュニティは俺たちがつくるんだ」という人々がはてなを支えていた。うるさいユーザーたちですね(笑)。しかし、もうその規模ではない。そのときにコミュニティの能動性を取り戻すためにはどうすればいいか。そこで近藤さんが出した答えが、予測市場なんだと思います。

井庭:

 はじめに「予測市場に投機家はいるのか」と伺ったのですが、まさに同じような話です。もともとはてなが好きで参加していた人たちだけでコミュニティは構成されていた。そのうちポイントを貯めるための人たちが入ってくると、いわゆる金融市場のように投機目的の人々が増えてコミュニティが変質してくる。それはとても面白いと思う反面、バブルを生み出すというか、危うい側面を持っていると思います。そのことを東さんは、「近藤さんが戦略的にコミュニティの質を変えているんじゃないか」と捉えたわけですね。

東:

 戦略といえるほど意図的だったかはわかりません。ただ、ある種本能的にやっているのは間違いないと思う。……と、ご本人が目の前にいるのに言うのも変ですが(笑)。

 いずれにせよ、はてなそのものに意味を見出す人間を増やそうと思っても、それには限界がある。これは原理的な問題です。ポストモダン社会にはいろいろなサービスが存在していて、人々はそれを自由に選ぶことができる。他方で、「はてなが流行っているからはてなにとりあえず入ってみました」というユーザーは増えていく。しかしいくら増えたところで、クレームの質は上がらない。どうやって質をあげるのかといったときに、株式市場のモデルを近藤さんは取り入れた。

 たとえば、近藤さんは最後に、社員・ユーザー・消費者に統治される会社はもはや地方自治体に近いとおっしゃっていた。たしかにそうなんですよ。ただ地方自治体には郷土愛がある。他方、予測市場に郷土愛はない。そこにあるのは、いつのまにか他人がに関心を持たざるをえないようなアーキテクチャだけです。したがって、これは、郷土愛が衰退した共同体でいかに自治体運営に人々巻き込んでいくか、という問題への一種の回答になっていると思います。この解には普遍的な含意があります。

鈴木健

鈴木健
鈴木健
 むしろそれは近藤さんが普遍性を追求している結果なんだと思うんです。さきほど「方向は逆ですが」と近藤さんはおっしゃったのはそういうことです。近藤さんは、自己満足に終わるようなものはつくりたくないという。つまり多くの人が使うようなものになるということは、あまりにもはてなを愛している人のためにサービスをつくってはいけないということを意味する。そういう普遍性を求めたからこそ、はてなアイデアのような仕組みを近藤さんはつくったのではないか。

東:

 僕たちは近藤さんを代弁しすぎだね(笑)。

 とはいえ、いまの話はちょっとミスリーディングかもしれない。たくさんの人が愛するサービスといえば、たとえばGoogleがある。Googleはデータベースに徹している。つまり、Googleのユーザーは、とくにGoogleという何ものかにコミットしなくてもいいようになっている。逆に言えば、それがGoogleの懐の深さですね。Google MapのAPIをぱっとばらまいちゃうのも、そういうことではないか。

鈴木健

 それはそうなんですが、その点も先ほどから近藤さんが答えています。機械による自動化と人間による介在というバランスがあって、その比率はこの何十年間で変わっていくだろうと。いまはGoogleに勝てないので、はてなでは人の知恵を借りる方法でやっている。ただ将来的にはGoogle的な手法も導入していく可能性がある、と暗におっしゃっていたわけです。

 ……ということで、どうも近藤さんの考えを代弁し続けてしまいましたね(笑)。ここでいったん討議前半を終了したいと思います。

*1:註:isedキーワードised@glocom - 予測市場: 「大企業にも応用可能」という指摘は、むしろ事実は逆である。」参照のこと。山口浩の指摘は、予測市場は小組織から大組織に普遍化できるのではなく、むしろその逆であるというもの。

*2:註:倫理研第3回北田暁大講演による、「ネット公共圏」の議論を参照のこと。→倫理研第3回: 北田暁大 講演(1)

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