ised議事録

08-2111. 設計研第5回: 共同討議 第2部(4)

プラットフォーム企業の公共性――ネットワーク外部性にもとづく再配分モデル

鈴木健

 それでは最後の論点に移りたいと思います。近藤さんは講演の最後に、新しい会社論を展開されていました。ひとつは、これまで株主・会社・消費者と切り離されていた関係が、同心円的な関係になってくるのではないかというなめらかの話(図:株主・会社・消費者とは違う会社組織?)。もうひとつはそもそも資本主義の仕組み自体が変わっていくという話ですね(図:人、知識、情報)。チープレボリューションによって資本の重要性が崩れ、「社員・ユーザー・消費者」に統治された会社が生まれてくるのではないかという、かなりチャレンジングな議論をされていると思います。この点について、皆さんのご意見を聞きたいと思います。

図:株主・会社・消費者とは違う会社組織?
図:株主・会社・消費者とは違う会社組織?

図:人、知識、情報
図:人、知識、情報


楠:

 手前のスライドですが、たとえば岩井克人の『会社はこれからどうなるのか』(平凡社、2003年 asin:4582829775)にこんな例がありました。イギリスの広告代理店に要は無駄遣いをしている創業者がいて、株主が追い出しにかかったという話なんです。しかしそのクリエイティブ部門というのは無駄遣いしていた兄弟が握っていて、追い出された彼らは独立した。その数年後、結局元の広告会社の株は紙くずになってしまった。そしてそのスピンオフした兄弟のほうの会社に拾われたというんです。

鈴木健

 それはマネジメントのバイアウトや独立という話ですね。ただ近藤さんはもっとすごいことを言っているんですよ。たとえばはてなというプラットフォームにアイデアを出してくれた人に対して利益を分配するべきなんじゃないか、と。

東:

 いま岩井さんの話が出ましたが、岩井さんは株主主義ではない立場ですね。一方、株主主義でいいという立場で、たとえば吉田望さんが『会社は誰のものか』(新潮社、2005年 asin:4106101211)という新書を書いています。

東浩紀
東浩紀
 この本で吉田さんは、電通の社員だったけれども独立したと書いてある。そのきっかけは、電通が上場したことだそうです。つまり、電通が上場したことが納得いかんということです。その理由として吉田さんは、広告代理店は資本を大量に集めてもしかたがないと書いています。この発想は近藤さんの発想に近い。クリエイティブな業務は、上場して資本を集めて資金をぐるぐる回したから拡大するというものではない。資金があっても投資するぐらいしかやることがない。すると「実はあそこは投資で成立しているんだよ」という話になってしまう。たとえば「電通は実は株で儲けている。広告は実は赤字部門だ」という方向へいく可能性もある。おそらく吉田さんはそういうことを懸念されて辞めたと思うんですね。

 だから近藤さんの発送は必ずしも特殊ではなくて、そういう発想をする人が多いのかもしれないな、と思います。

鈴木健

 そうなんですが、近藤さんはもっと別のことをいっているんです。どういうことかというと、これは独立をして独自のサービスをするということではなくて、むしろアフィリエイトのかたちに近い。たとえばはてなプラットフォームを運営していて、そこに対してアイデアを提供するとはてなが実装する。そしてそのアイデアの提供者に配当も配られる。これはアイデア版のアフィリエイトといいますか、Amazonアフィリエイトとは意味が違うけれども、ある種のエージェント的なことをはてなはやっていくのではないか。

楠:

楠正憲
楠正憲
 配当を払うべきかどうかは議論の分かれるところですね。さっきの投機の議論とつながってくると思うのですが、ユーザーに配当してしまうことによってむしろアイデアのクオリティが下がってしまうのではないか。また、本当の非連続的なアイデアというのはむしろやはり社員から生まれてくるんじゃないかとも思います。

村上:

 配当を払うとクオリティが下がるというのは?

楠:

 要はセルフモチベートされているから質の高いアイデアを提供するんだと思うんですよ。対価を求めてたくさんの人が入ってくると、投機的振る舞いのように別のインセンティブでみんなが動き始めてしまう結果、ノイジーになってしまうのではないかと。

井庭:

 つまりこれは出版社モデルなんですよね。僕らがこういう本を出したいと要望を出すと本を作ってくれて、一部その売り上げが返ってくるというサイクル。それが本以外にも使えるんじゃないかという話に見える。

鈴木健

 しかも著者が出版社を通す。

東:

 なるほど。自費出版みたいなものですね。

井庭:

 しかしアイデアを出した人はリスクを取らないわけです。そのアイデアが商業ベースに乗りそうであれば、会社側がそれを実装しましょうという話になって、実装されたらアイデアを出した人にリターンがある。アイデアを出す側にリスクはない。だからいいんだと思う。自費出版のモデルを出版以外のものに適用するという話はあったけれども、はてなは実装の近いところまで達しているということではないか。

東:

 コミュニティサービスはネットワーク外部性*1で拡大する。mixiにしてもはてなにしてもそうだけれども、実際には、そのコミュニティは会社が提供するものの何十倍もの価値を持ってしまっている。「他の人がはてなをやっているから俺もはてなを使う」という連鎖が生じていることによって、はてなのサービスは、はてなという会社が持っている以上の価値を持っている。ここにポイントがあると思います。

 とはいえ、これはコミュニティ・サービスに限らない。そもそもブランドとはそういうものです。プラダが提供する価値以上に、プラダのバッグは高い値段で取引される。それはなぜかというと、「あの人がプラダを持っているから私もプラダが欲しい」という人間が世界中にいるからです。ただ、このネットワーク効果による収益は、消費者には還元されない。プラダのバッグが売れたら、その儲けはプラダがすべて持っていく(笑)。それがブランド商法の本質ですね。

 しかし、そうなると、ネットワーク外部性のメリットを直接享受するのは創業者だけということになる(むろん、ユーザーも間接的には享受していて、だからコミュニティは成長するわけですが)。ところが、はてなアイデアで近藤さんが模索されようとしているのは、それをユーザーに還元するためのシステムだと思います。ネットワーク外部性の効果で成長したサービスがあるとき、その収益を創業者がガメるのではなくて、ユーザーに分配することはできないか。それが近藤さんが考えていることではないか。

 そしてこれは、情報社会の設計のうえできわめて大事なことではないか。さきほどの倫理研でも議論になったのですが*2mixiがある有名なユーザーを強制退会させた事件があった。もちろん、強制退会は約款的に問題はない。mixiは私企業だからです。しかし、100万人規模のユーザーがいるとき、「いやこちらは私企業だから勝手に誰でもやめさせられるよ」というのは果たして許されるのか。そこでは、「ネットコミュニティを支える私企業の公共性」という、別の問題が生じる。近藤さんは、この「私企業が持つ公共性」に対して大変自覚的だと思います。というより、企業は公共的な存在であるべきだ、という思想がはてなの根底にあるんでしょうね。

 これは「ネットベンチャーはもっと公共性に目覚めよ」という道徳的な話でもない。はてなが面白いのは、そこにはてなアイデアなどのシステムを入れたところにある。そこから考えられるのは、ネットワークの外部性をうまく使うことで、むしろ公共性を再定義できないかということです。プラットフォーム・ビジネスは、ユーザーに支えてもらってはじめて大きくなれる。ならばそれに対してリターンを返すのは当然であって、それが新しいタイプの公共性ではないか。

鈴木健

 なるほど。たとえばはてなはまだそれほど大きく儲かってはいませんが、マイクロソフトはものすごく儲かりすぎてしまったゆえに使い道がなくなって、訴訟リスクも減ってきたので株主に還元したわけですよね

*3

 そこで次に株主に還元しないという道はないか、ということですね。たとえばNTTが電話加入権を廃止しても、それはゼロの価値にしかならない。そうではなくて、ユーザーがネットワーク外部性を構築し、もしはてなが大成功して十分なお金を稼いだとき、それを株主ではなくてユーザーに還元するといったことが起こりうるのかどうか。

東:

 そういう問題だと思います。実際に、マイクロソフトくらい大規模になると、株主も人数が多いし、多額の配当をするとケインズ的な乗数効果が生じて景気がよくなる、という話もある。

村上:

 僕がこの絵に触発されて考えていたのは、また別のことなんです。18世紀的にいえば、会社という看板の下で人も金も技術もすべて会社の経営者が一体的に管理されていて、その3つは不可分なものだったわけです。しかし最近はその流動化が起きていて、人と金と情報がバラバラのサイクルで会社の内外を出入りするようになっている。そしてそれを株券という単一のルールでは統一できなくなってしまっている。つまりこの株券というところに、人・金・情報という価値がすべて乗らないことが大きなネックになってきているんですよ。

村上敬亮
村上敬亮
 たとえば人の循環に関していえば、人材の流動化を促進させたひとつのメディアはストックオプションでした。お金の流動化に関していえば、第二次世界大戦直後の世界には産業金融と間接金融しかなかったところに、VC(Venture Capital ベンチャー・キャピタル)ができたことで異なるモチベーションと異なる論理で金を独自に流す仕組みができた。そしていまITによって、情報の分流化をアクセレートする仕組みができはじめている、と。

 しかし現状では、この情報の部分で貢献してくれた人に対してインセンティブをアップするのがうまくいっていないんです。この人の流動化の部分はまだ取り繕うことはできていたけれども、情報を回す、知恵を回すというところはまったくノールールのままだった。つまり近藤さんの絵に戻って考えると、東インド会社からはじまって現代の株式会社のところまで、従来的な資本の論理に対してなんとか整合的なルールを持ち込むことができたけれども、いま情報の部分でつまずいているんだと思うんです。たとえばネットサービス事業者のかたがよくおっしゃっているのは、「こんなに貢献して付加価値もつけているのに、なぜ通信会社に全部利益を持っていかれるのか」ということです。人とモノと金を確実に動かしているところに収益が返りやすいという構図ができていて、情報の部分にはついてこない。この問題こそが、オールドエコノミーと新しいものづくりやソフトパワー的な流れが結び付かない障害そのものではないか。そんな気が僕はしてならないんです

鈴木健

 なるほど。「人のレイヤーで見ればここを境界にしたほうがリーズナブルだ」「お金の面で見るとここで切ったほうがいい」というように、人・お金・情報の切り分けが複数のレイヤーで可能になってしまうということですね。それは未来的で面白い議論だと思います。

東:

 村上さんは「別のこと」とおっしゃったけれど、いまの話は僕の言ったことと繋がると思います。重要なのは、私企業が提供するサービスにユーザーがどんどん付加価値をつけるような動きが出てきたとき、それをどう捉えるかという問題です。製品を作り、それが売れて収益が出てそれで終わりなのであれば、収益がすべて企業に帰するのは当然でしょう。しかし、ITの特徴は、ユーザーが付加価値をつけるところにある。そのとき、はたして「ユーザーが付加価値つけてくれてラッキー」ということでいいのか。むしろ、ユーザーに対するリターンのシステムをうまく構築することで、付加価値を増大させることはできるないか。こういう問題ですね。

楠:

楠正憲
楠正憲
 ただ、こういうこともいえます。なぜGoogleGoogle MapをAPIで提供しているのか、なぜAmazonAPIを提供しているのか。それはネットワーク外部性が重要だとすれば、そこを握ることにレントがあると想定して、彼らが余計なコストをかけられるからなんです。それによって、結果的に消費者に還元されている面が明らかにある。完全競争があれば競争価格に均衡するはずなんです。なぜなら最も多くオーバーバリューを提供したサプライヤーが、デファクトをとるはずだからです。

鈴木健

 まだまだ議論を続けたいのですが、時間も過ぎているのでまとめに入りたいと思います。いまや情報の流れは人や金の流れとともに多層化しているので、ひとつの企業というかたちでは収まらなくなっている。こう東さんや村上さんはおっしゃっている。ただ、実はそれは中世もそうだった、と今日の倫理研で白田さんが指摘されていました((註:

倫理研第5回: 共同討議 第2部(3)))。つまり近代は所有権によってその複雑な関係を統治したのである、と。人や情報やお金をすべて財産処分して売り払うために、所有権として権利をまとめてしまったのが近代だったわけです。そして情報社会においては、その近代的なものがまた中世的なものに戻るのではないか、という「新しい中世論」も議論されました。この議論は、実際に会社を売却するということが難しくなるという話にもつながってくるわけです。

 今日の話の流れが本当に最後まで行き着くのかどうかは、最終的には統治や所有権といった問題が大きなネックになってくるんだと思います。そしてこの統治に関わるのが、明日のシンポジウムでテーマになっている「合意形成」になるでしょう。それでは最後に近藤さんからひとことお願いします。

近藤:

東浩紀
東浩紀
 そうですね、私はどこかで勉強したことを踏まえてサービスを実装するというよりも、いつも問題が生まれるたびにどうするかを考えて、いままでサービスを提供してきました。今日はそうした試行錯誤のプロセスについてお話させていただいたのですが、そこからこれだけのいろいろな議論をして頂き、とてもたくさんのインプリケーションをもらったと思います。自分のしていることもすこしは意味があるのかなと思った次第です。どうもありがとうございました。

東:

 最後にディレクターの立場から挨拶します。

 今日は倫理研設計研の同時開催で、時間もいつもより短めなのですが、内容的にはかなり重複し、二つの研究会の議論が交差した重要な会になったと思います。サイモンの認知限界の話、ネットワーク外部性と公共性の話や、所有権の話など、いくつか論点も整理されてきました。次回からまた通常の開催に戻るわけですが、残り数回になってきたisedの議論がどこに着地していくのか、楽しみにしていただきたいと思います。

 本日はどうもありがとうございました。


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