ised議事録

11-121. 設計研第6回:村上敬亮講演(1)

題目:「縦の社会を横につなげる~なめらかな国家の『設計』を目指して~」

設計研第6回:縦の社会を横につなげる~なめらかな国家の『設計』を目指して~

村上敬亮 MURAKAMI Keisuke / 設計研第一回~

http://www.nikkei.co.jp/digitalcore/report/030603/01.html
経済産業省資源エネルギー庁総合政策課 課長補佐(前 商務情報政策局情報政策課 課長補佐 / 東京大学先端科学技術センター 客員研究員

 1990年東京大学教養学部卒、通商産業省入省。以後、資源エネルギー庁石油部計画課配属(湾岸危機対応)、資源エネルギー庁企画調査課(地球温暖化条約対応)、産業政策局消費経済課(PL法制定)、工業技術院国際研究協力課を経て、1995年から機械情報産業局に配属、情報処理振興課にてソフト産業の振興に携わる。留学(ミシガン大学経済学部修士課程)を挟み、一貫して情報政策担当部署に勤務。ITスキル標準策定、政府調達制度改革、コンテンツ・ファイナンス、オープンソースEnterprise Architecture(EA)、ICタグの政策策定に携わりつつ、2003年6月から経済産業省商務情報政策局情報政策課。日本の情報政策の中核を担う。2005年6月から現職。



 村上です。よろしくお願いします。

 いまの産業社会の中で、会社、行政機関、大学、業界組織、市場をはじめとした様々な日本の組織・仕組みが柔軟に立ち回れなくなっている。この問題に、ITを活用しながらどうアプローチしていくか。それが実は、タテの社会をヨコにするという話にも繋がっている。本日は、そういう問題意識から、僕の考える「情報社会の設計」についてお話しをしたいと思います。

 実は、この議論、これまで設計研でしていた議論と非常に近い。そこで、前半では、これまでの議事録を自分の視点から再編集してみました。それで結構面白いと思っていたのですが、司会の鈴木さんから、それだけでは、「これまでの話の焼き直しに終わる」と怒られてしまった(笑)。そこで、後半に、何のために情報社会を設計するのかという目的論を付け加えました。具体的には、「アルチザン的非アルチザンの再来」「プラットフォームの再構築」「脱物質化社会・共生基盤の構築」という3つの切り口を提示したいと思います。

1. これまでの議論の私的整理

1-1. 問題意識:産業社会の現状と縦割り構造

 今日の表題は「縦の社会を横につなげる」というものです。いいかえれば、縦割りの組織構造をどう横につなげるかということです。

 日本社会には「○○産業」「××産業」という縦割りの多元主義的な仕切りが存在し、たとえば家電マーケットなり、航空宇宙産業なり、医療業なりの縦割り産業がある。さらにそれぞれの中では、有力な企業や系列企業群が群雄割拠して、経済学でいう独占的競争をしている。何か問題が生じると、そこに繋がる業界団体がうまく調整をし、監督官庁や族議員とうまく話をまとめ、各業界内における独占的競争の状態を維持。サプライサイド(生産側)にレント(利潤)が残る仕組みが維持されるよう誘導する。各産業内に貯められたレントは、自分自身の将来への研究開発投資と雇用所得という形で消費者の購買力に還元し、新産業を生み出す活力源とする。(図:問題意識:「産業」社会の現状)。

図:問題意識:「産業」社会の現状(1)
図:問題意識:「産業」社会の現状(1)



 歴史的に見れば、こうした「仕切られた多元主義」のメカニズムを活用し、新しい縦割り産業を絵の右側に足していくように、石炭産業、鉄鋼、船舶、自動車、電子・電気機器など重要産業を順に離陸させてきた。通産省も産業の仕切りの維持や業界内外の資源の再分配に関して歴史的な役割を担いながら、高度成長期から80年代くらいまで、日本全体として、こうした独自のイノベーションサイクルを構築。その結果、あらゆる物品を自国内で生産できる、世界で稀に見る国家を作り上げることに成功したわけです。

 ところがこの構造は、80年代以降だんだんと調子が狂いだします。「縦割りの産業」を新たに生み出すネタがなくなってきたからです。たとえば、自動車でテレマティクスをやろうといった瞬間に、自動車業界はもちろん、電機業界も関係しますし、通信ビジネスも関係しますし、その上でサービスを展開しようとすればグルメ業界なども関係してくる。まったく新たに造船業を始める、自動車業を始めるのと違い、既存の縦割り業界の利害が渾然一体となってくるわけです。たとえ話ですが、テレマティクスはトヨタだけではできないので、ある電気会社と組んでやろうとする。トヨタがある電気会社と組むのであれば、日産は誰と組んでやるのか。しかし、電機業界はどこもトヨタと組んでやりたいので、みんなそこに寄り付こうとする。そこでトヨタもいろいろな提携相手を睨みながら動くことになる。ところがトヨタ自身は、電機やグルメ情報に関しては素人だし、徹底してやり抜くほど自動車以外のビジネスへの思い入れもないから、組み方も中途半端になってうまく回らない。しかも、他の自動車会社も、自動車業界としての横並び意識から、似たようなことを無理矢理どこかの電気会社と組んで始めようとするから、同じように中途半端なものが自動車業界内のあちらこちらに乱立することになる。やるべきことは各産業を横に貫く新しい産業づくりなのに、こうして、いずれの試みも利用者の求めるレベルに達しないまま中途半端に終わり、新しい産業としても自立しきれず、マーケットとして成立しない。

 特に90年代の日本は、ネットビジネス、新たな金融サービスなど様々な局面で、これを繰り返してきたという問題がある。もはや新たな縦割りを横にひとつ増やすアプローチではなく、ヨコに突き刺すアプローチが必要なのに、この良くできた縦割りの構造が邪魔になっているわけです(図:問題意識:「産業」社会の現状(2))。



図:問題意識:「産業」社会の現状(2)
図:問題意識:「産業」社会の現状(2)


昔、マイクロソフトの対抗会社でもあるサンの社長のスコット・マクネリー氏が経済産業省を来訪された際、「なんて日本の電機業界は、10社で固まってWindowsと別のプラットフォームを作らないんだ。そうすれば、Microsoftに対抗できるプラットフォームなんて簡単に作れるのに。なぜみんなMicrosoftについていくのか」といっておられました。しかし、これは、彼がいうほど簡単な企業戦略の問題ではない。「ヨコ串を刺して自ら新たにデファクトを作ろうとしても、社内を動かすのが大変。Windowsのような既に確立したデファクトに乗って既に確立した縦割り産業に自分たちも参入するんだという絵で説明した方が、はるかに社内の説得が楽」という日本の産業社会の体質に深く根ざした構造的な問題なんだと思います。

 この「仕切られた多元主義」を、かつて積極的にサポートしてきたのが経済産業省だとすれば、それを積極的に壊して次の時代に進める役割を担うのも経済産業省の役割なのではないか。僕自身は、そう思っているわけです。

1-2. 背景:EAと情報家電

EAEnterprise ArchITecture エンタープライズ・アーキテクチャ

 この縦の構造を横にするための活動例として、これまで設計研で、EAEnterprise ArchITecture エンタープライズ・アーキテクチャ)と情報家電という二つの話を紹介させていただきました。まず、これらについて、簡単に振り返ってみたいと思います。

 IT投資は本当に企業競争力向上に貢献するのか。一時期はいろいろな議論がありましたが、いまは、ITが役に立つか立たないかは、ITそのものの作り方に加え、どうやら、それを活用する企業経営の問題だというのが定説になりつつあります(IT投資動向の評価と事例に興味のある方は、経済産業省の「CIOの機能と実践に関するベストプラクティス懇談会」がよくまとまっていますので、是非ご覧ください)。

 企業の側でも、もはや企業内や系列などで縦割り構造を残したままビジネスをしても顧客の要請にはついていけない。また、その状態のままでITの導入にお金をかけるから、何の効果も出ないと考え始めています(「部門内最適化段階」)。必要なことは、事業部の壁を越えて、新しいビジネスや新しい経営管理を考えること。そのため、各事業の機動性を損なわないようにしながら全社的に市場の変化に対応できる体制を作ること(「全体最適化段階」)。そうしようとすれば、逆にITという新たなツールの活用は避けて通れない(背景:企業におけるEAという試み)。

図:背景:企業におけるEAという試み
図:背景:企業におけるEAという試み

 まさにこのポイントへの「気付き」を得るのが、スライドにあるステージ2の部門内最適化企業群からステージ3の全体最適化企業群というステップに登っていく部分になります(詳細は、「CIOの機能と実践に関するベストプラクティス懇談会」)のP6/7を参照)。

 EAとは、企業全体を、このステージ2の部分最適の集合体から、ステージ3の全体最適段階へ組み替えるにあたって避けて通れない、全社的な業務・システムの設計文法に相当します。

 EAという経営管理的な発想が経営者ではなく情報システム屋から出てきた背景には、次のような問題意識があります。これまで、たとえば家電メーカーでは、冷蔵庫事業部とテレビ事業部といった事業部ごとに、バラバラのシステムと設計書とフォーマットを使ってみんな各事業部のビジネスに都合のいいようにITの導入を進めてきた。しかし、いざ横割りで事業を一緒にやろうといったときに、たとえば顧客データベースひとつとっても、顧客番号は違うし、情報の保存法・利用法もバラバラだし、まったく共有できない。「設計図はどうなっているんだ、探して来い」といっても、設計図自体の書き方がバラバラ。お互いに全然読めない。ひどい場合、事業部毎に担当しているソフト開発会社が違うので、そもそも設計図の用語・様式がまったく違う。更にひどい場合、実際に設計したのは下請企業なので、親請企業の手元に開発した際の設計図が残っていません、なんていう事例もある。これでは事業部横断的なシステムが作れるはずもない。そこでEAでは、ユーザー自らがイニシアチブをとって、ベンダに開発を丸投げする前に、企業全体の業務とシステムのAs-Is(現状)モデルとTo-Be(理想)モデルのふたつを全社共通の言語・文法で記述しておこうという話になるわけです(図:EAの機能イメージ図)。

図:EAの機能イメージ図
図:EAの機能イメージ図

 まずビジネス・アーキテクチャ(政策・業務体系)から入って、たとえばテレビ事業部は何をやっているのかを調べる。そこからデータ・アーキテクチャ(データ体系)、アプリテケーション・アーキテクチャ(適用処理体系)、テクノロジー・アーキテクチャ(技術体系)といった具合に、物理的なシステムの話に降りていきながら、それぞれの事業部はどこの会社のどういうコンピュータを使って、何をやっているのかという現状を書き出す。すると事業部ごとにバラバラのものが出てくるので、今度は、たとえば5年後、10年後にどうしておきたいのかという理想図を描くわけです。一度理想図を描いておけば、各部のシステムの更新期が3年から5年に一度あるとして、1回の更新ごとにその理想状態に徐々に近付ければいい。必要に応じて理想図自身にも修正を加えてメンテしておけば良い。このように、組織全体の業務とシステムを共通の言語でまず書き出してみるのがEAなんですね。

 ただし、こういう話は、まさに経営を巻き込まないと、情報システム部隊だけでは縦割り事業部に邪魔されて作れないと。

 「まずは組織全体で業務とシステムの全体像を設計しよう、なんて当たり前じゃないか。」という方も多いかもしれません。しかし、サラリーマンになってみるとよくわかることですが(苦笑)、そもそも隣の島の机の人たちが日頃の業務でなにをやっているかなんて、なかなかわかるものではありません。ましてや部屋や事業部が変わればなおさらです。さらに、システムのこととなると、その現場ごとに勝手につくられてきているので、もうまったく隣のことなどわからない。

 それが極端に顕在化した例が、銀行同士のシステム統合なわけです。いざA銀行とB銀行が合併してみようと思ったら、そもそも各銀行の中で、どの業務にどういう用語とどういう帳票が使われているのか、それをシステムがどう処理しているのか、実は各銀行の内部の話ですら全然わかっていなかった。だから統合して一番大変だったのは、そもそも各社の中の業務とシステムを洗い直すことだった。加えて、やっとわかった業務方法とシステムの両方を更に両行間でより合わせるのはとんでもなく時間のかかる作業だった。だったら常日頃からEAという形で業務やシステムに使うボキャブラリー、現状を整理しておこうじゃないかと言うことになり、日本で最初に「EAをやろう」と叫んでくださったのが、東京三菱銀行の田中常務だったわけです。

 普通は、各組織内のあまりの不透明さに、業務とシステムにヨコ串をさすのをあきらめてしまう。しかし、銀行統合のような場合はやらざるをえないので、EAのようなものも根付くようになる。こういうところからEAの動きは始まりましたが、最近では、広くいろいろな企業にも波及しています。たとえば、松下さんもEAを採用されています。縦割り事業部制をやめて、物流・流通サービスまで含めて事業を一体化しようとするとき、業務インフラとしての全社共通のシステム構築が必要になります。しかし、いざ社内を見てみると、何がどうなっているのかさっぱりわからない。それでいて松下以外の事業者に、システム構築のサービスしているのもひどい話じゃないかということで、2000億円ほど資金を投入してEAで全体を設計しなおそう、ということをしているわけです。

 このように、様々な企業が、EAを活用して、事業における部分最適から全体最適への組み換えに当たって、縦割り・タコツボを打破するための組織全体の設計図を書こうという動きが、やっとあちらこちらで始まろうとしているわけです。

 しかし、この設計研でも指摘されたとおり、「情報社会の設計」というフェーズから見ると、実は、このEAの議論にも限界があります。以前設計研EAについて言及した際にも、「社会との関係から見ると、結局、EAも若干スコープの大きい部分最適を作るっているに過ぎないのではないか。より大きな部分最適を制度的に再生産しているだけなのではないか」という批判がなされました。つまり、EAは、経営者から見て全体最適と言っているに過ぎなくて、経営者や会社という範囲を超えて社会全体の動きを再編集する動きには役立たないのではないか。松下ウェイは松下ウェイで、トヨタウェイはトヨタウェイで、というだけのこと。そこだけいくら応援しても、社会全体の可視化やヨコ串を刺す動きには繋がっていかないのではないか、そういう問題意識ですね。

 そこで、オープンソースの構造と比較するという議論が出てきました。第2回の設計研で、八田さんは、オープンソースがうまく働いているのはメタコンテキストが存在するからだと論じています。メタコンテキストのストラクチャがしっかりしていれば、その上で部分最適を一生懸命やっている人々がどのように動いても、自動的にあるひとつの大きな動きに編集されていく。そういうある種異質な全体最適というものが出てくる。EAのような経営者による「全体」の定義とイニシアチブを必要とする「全体最適」と、オープンソースのように自律的にいろいろな動きを編集していく「全体最適」とは質が異なるのではないか。そこから環境管理型権力、自生的かつ自律的な秩序の発生、といったような議論に移行していったわけです。

情報家電:イノベーションの三段階

 EAについてのご紹介はこのくらいにしておきましょう。もうひとつの縦割りの例題として、情報家電の話をこの研究会でさせていただきました。情報家電で出てきた問題は二つあります。ハードとソフトが縦割りのまま依然バラバラであるということ。そして、イノベーションはもはやサプライサイドではなく、消費者がリードしているのではないかということ。この二点です。

 簡単に復習します。たとえば「新三種の神器」という言葉がありました。フラットパネルディスプレイは出てきた、デジカメは出てきた、新たな三種の神器の登場によって家電メーカーは全員大きな利益をあげるはずだった。ところが、現実には、家電屋さんはあまり儲かっていない。大きな利益を享受できたのはほんの一瞬です。たしかに、今年に入って、消耗戦をやって勝ち抜く企業が明確に見えてきたので、「勝ち組」と「負け組」がはっきりしてきました、という論評に変わり始めてはいます。しかし、その勝ち組をとりあげても、「勝ち」の本質が消耗戦・体力戦にある限りは、あっというまにアジア企業が同じようなものを安くつくりはじめるでしょう。これはもう、金融力の問題になってきます。国際的な分業体制の定着に伴う、ある種のデフレスパイラルが構造的に出来上がってしまっているわけです。

 だからこそ、企業の側も必死なって、金融力の問題にすまいと、まずは設計ノウハウを守ろうとする。フラットパネルディスプレイに関していえば、15型や20型といった小型のものを切り捨てでも、とにかく虎の子の40型、50型、60型のような部分は守りたい。だからこそ、たとえばシャープの亀山工場などでも、中を絶対に見せないように、よしんば社員であっても工場内の違うセクションには絶対に入れないなどの工夫を積み重ねて、必死に知的財産を守る努力をしているわけです。亀山工場のまわりの丘には、カメラを持って立っている怪しいおじさんがたくさんいるんですよ。だから工場の側も、どうやって死角を作るかといったことまでやっている。そこまでやらなければ守れないほど、いま家電の世界ではコモディティ化が進み、価格競争が起こって、みんなの努力が磨り減りやすい市場が制度化されている。

イノベーションの三段階

 なぜこんなことになっているのか。こうした問題意識から現状を観察してみると、DVDとPCではまったく異なるビジネスモデルで競争をしているということが見えてきます。この話を整理するために、イノベーションの三段階というものを考えてみたいと思います(図:情報家電問題が提起していたもの)。

図:情報家電問題が提起していたもの
図:情報家電問題が提起していたもの

 まず、第一に、安い労働力を前提にした、規格化製品の大量生産・大量消費を実現する段階があります。60年代、70年代の三種の神器の時代ですね。力道山がテレビに映る、あっちの家もテレビを持っている、さあ買いたい、さあ作れ、さあ売るぞ。それを作るための安い労働力も地方に豊富にありますし、作れば作っただけ利益に繋がる、という時代です。いまの中国も似ていますね。

 ところが、だんだん市場が飽和してきて、テレビも冷蔵庫もみんな持っている時代が来る。そうすると、第二に、技術革新とその成果の規格化で独占的競争を展開するという次の段階が訪れます。たとえばビデオのVHSをバージョンアップして、DVDにしましょう。DVDをまた次世代のDVDにしましょう。VHSもDVDも「録音・録画機能」という意味ではまったく同じものだけれども、技術革新によって世代を変えることで、独占的競争の構図を次世代の技術で新たに作り直し、VHS産業をDVD産業へと組み替える。そうすることによって、次世代でもサプライサイドにレントがたまる構造を維持し、あくまで供給者側がイノベーションのリーダーシップを握る。何度も標準化競争をやって、規格化をやって、その中でうまく棲み分けることをさんざんやったのが、いまのDVDです。

 ところが90年代、この動きと並行して、日本のコンピュータ産業がその中身をすっかりPCに奪われるという事態が発生しました。ここで第三のイノベーション・スタイル、知識の囲い込みにより革新性の早さを競うスピード競争の段階が来ます。たとえば、5年前にはWindowsはもとよりインターネットなんてまるでさわったこともなかった僕の母親が、いまでは平気でインターネットを見て、グルメ情報を調べ、デジカメのデータをパソコンで編集している。その変化の早さは相当なものです。そのスピードを支える上で重要なことは、グルメ情報を提供する・検索するといったサービス自体をMicrosoftが規格化し提供しているわけではない、という点です。たしかに、Windowsは、セキュリティはひどいし、使いにくい。しかし、勝手にサービスを考えた人が、勝手に乗ってきて、勝手にビジネスを始めることができる。動きの遅いテレビの変化を待つより、自らWindowsの上でソフトを動かしサービスを考えた方が商機を逃さない。

 別の例で考えてみましょう。遠隔医療のケースで似たような問題が起きてくる。せっかく大画面ディスプレイとデジタルカメラが家にあるのであれば、「こういうソフトをこういうふうに使えば遠隔医療ができる」。そう考えた人は、果たして、PC屋さんに行くだろうか、テレビ屋さんにいくだろうか。そもそもいま売っているものをディスプレイと呼ぶべきか、テレビと呼ぶべきかというのも実は微妙な問題で、「ディスプレイをテレビとして使っている」というのが正しいんです。しかし、テレビ屋さんはテレビをテレビとして売っているという意識から離れない。だから遠隔医療用ディスプレイを使っている人が、テレビ屋さんに「大型ディスプレイをこうやって使いたいんですけれど」と持ちかけても、テレビ事業部の中でたらい回しにあってしまう。そして、最後に良心的なテレビの技術屋さんにたどりつくと、「気持ちはよく分かるけれども、いまのテレビはそうなっていない。そうしてほしければ放送業界全体を仕切ってから来てください」という話になってしまう。

 仕方がないのでPC屋さんに行くと、今度は、拍子抜けするくらい簡単に、「勝手にどうぞ」といわれる。それで勝手につくると、あちこちから「できが悪いな、ここのインターフェースもオープンにしろよ」などと内外から文句を言われるけれども、ビジネスとしては立ち上がってしまう。また、そのときの経験や文句が次のヒントになって、Windowsの方の改良も進む。このふたつの選択肢があれば、どんなにできが悪いと文句を言われても、やはりやる気のある多くの人が、PCのほう、ネット上のサービスのほうへと進んで行くわけです。

 その結果なにが起きたのか。「ながらメディア」という言葉を皆さんご存知かと思いますが、テレビを観ながらPCをするのか、PCをしながらテレビを観るのか、特定の世代を選び出すと、昨年、後者が前者を逆転したといわれています。DVD・TVの場合、もちろん技術的には完璧なのかもしれない。しかし、DVD・TVの開発側はこう言うでしょう。「次世代のDVDになるまで待ってくれ。そこまで待ってくれたら、品質の絶対に落ちない立派なものを作ってあげるから。その上で遠隔医療をやったらどうですか。だから待ってください。」ということになる。しかし、サービスをしたい側から見れば、そんなものは待てない。できが悪くても、セキュリティが悪くても、Windowsでクレジットカード決済でやれるところまでやってみよう、という話になる。これをMicrosoftの側から見れば、技術者の誇りとして全部自分が作るんだなどと息巻かなくても、お客さんの方が勝手に知恵を持ってきてくれるという構図になっているわけです。簡単に言えば、ビジネスアーキテクチャがクローズではなく、外の変化に対して常に開かれたオープンな構造になっているんです。

 ただし、僕自身も、すべての産業がこのPCのような3番目のイノベーションの段階に収斂するとは思っていない。やはり大型ディスプレイのようなものは、時間をかけて設計し、工場でラインを整え、大量生産をして……という時間のかかるプロセスがありますから、すべて第三世代の競争に移行するかといえば、そうはならないと思う。

 しかし、この2番目と3番目の間に立って、一体どういうゲームをしていくのかという問題と、さきほど述べた「縦割りと横割りをどうつなぐか」という問題は、大変に関係性が深いと思うわけです。なぜか。縦割りの論理は、DVDのように制度化したシステムのなかで規格化された商品を生産する場合に、強みを発揮します。しかし、これは動きの早い複雑な状況になると、いちいち縦割りの構造に新しいサービスを埋め込んで解釈しなければならない。でもそれを始めると、放送業界の秩序だ何だといろいろな縦割りの障害が出てきて身動きが取れない。これがいま家電メーカーで起こっている話なのです。これは大事な論点なので、後ほど戻ってきます。

情報家電:上下の分離

 以上の議論というのは、イノベーションが消費者のニーズで起きていて、そのスピードについていけないプレイヤーが置いていかれる、という話になります。そしてもうひとつが、上下の分離という話です。次の図を見てください(図:上下の分離)。

図:上下の分離
図:上下の分離

 これはディスプレイを例にしたもので、第3回の設計研で紹介したものです。下半分の台形というのは、皆さんがよく意識するブランドメーカー・セットメーカーが集まっていて、上流(図では一番下の方向)の部品や原料メーカーまで遡ると、高度な技術をもった中堅・中小企業を要する日本が圧倒的に強い。したがって、サムソンフィリップスなどのブランドメーカーの競合はいるけれども、下の台形にいる日本企業がうまく摺り合わせて上流を囲い込めば、ディスプレイのマーケットは日本のものだ。これが、非常にラフなにまとめた経済産業省の「新産業創造戦略」の主張のひとつになります。

 しかし、ちょっと考えてみたい。上半分のサービス業の台形を忘れてはいませんか、と。たとえば松井証券Googleでもいい。たとえばNOVAセットトップボックスによる遠隔教育をいま進めています。悲しいかなセットトップボックスを使おうと思ってテレビメーカーに行っても、NOVAのソフトをどうやって入れるか相談に行ってもなかなか相手にしてくれない。いまは、やっとのことで某社さんに独自のセットトップボックスをつくってもらって、わざわざテレビの上にNOVAのためのセットトップボックスを乗せているわけです。では次に、河合塾駿河台予備校が独自のノウハウを駆使した遠隔教育をやりたいといったらどうするのか。ネットを通じて観光ガイドをやりたい、グルメガイドをやりたいといった業者が出てきたときにどうするのか。そのたびに、テレビの上に各社のノウハウがつまったセットボックスを乗せていったら、一体テレビの上に何台のセットトップボックスが並ぶのか。きりがないわけです。上下の台形が分離していることのデメリットはこうしたものです。

 本当は上のサービス業のプレイヤーが、下の情報機器業の層へとスムーズに入っていかなければなりません。しかし、上の台形でビジネスをしている方と話をさせていただくと、皆さんおっしゃるのは、「家電メーカーに行くとたらい回しにあう。誰のところに行けばいいのかがそもそもわからない。テレビの話だといって技術者のところに行くと、放送を変えたいなら放送業者さんのところに行けと言われてしまう。その点、携帯電話事業の方が、色々いいたいことはあるが話を聞いてくれる分まだましだ。」ということなんです。上の台形と下の台形を縦につなぐビジネスプロセスが描けないという悩みがあるせいで、新しい付加価値をつくるビジネスモデルが出てこない。はてな近藤社長をはじめ、価格COMの穐田社長、楽天さん、Yahooさん、いろいろな方ががんばっているけれども、テレビを彼らのビジネスのプラットフォームに使う、という話にならないわけです。せっかく上でイノベーションを起こそうと思って頑張っている人が、下でものをつくってがんばっている人の利害とうまく相乗りできない。下半分だけで摺り合わせをしても仕方がない。これもまた、冒頭で問題にした、放送は放送の、ITはITの、教育は教育の、医療は医療の、といった産業毎の「縦割りの多元主義」がきれいに構築されすぎている弊害といるでしょう。

モノの品質からサービスの信頼へ

 ここで起きていることを別の切り口からとらえると、「モノの品質からサービスの信頼へ」という要約もできると思います。たとえばiPodの例を考えてください。なぜ、ウォークマンを作った日本が、iPodを作れなかったのか。よく考えてみると、iPodには技術的なイノベーションはたいしてありません。それどころか、iPodそのものをもっとよく見てみると、指紋がつきにくいことで有名なiPod裏面の鏡面体は、新潟の中小企業が作っている。中身のハードディスクについては、東芝が作っている。それ以上、何か機能的に新しいものがあるのか? デザインやブランドを別にすればあまりないわけです。自分も使っていますが、重たいし、熱は持つし、充電池の性能も驚くほどいいわけではない。それみてごらんなさいといわんばかりに、半年も経たないうちに日本の家電メーカーが、大きさ・容量の面から見てはるかに性能がいいものをリリースしたわけです。しかし、やはりiPodのシェアが日本国内で半分を超えている。これはなぜか。

 近藤さんがこの研究会でおっしゃったように、PCにしてもTVにしても携帯にしても、これだけめまぐるしく商品の世代交代が進むようになると、最低限の性能が満たされていれば、あとは、いまの世代の製品がそのときその瞬間最高スペックであることよりも、後々、きっと必要なサービスとの連携や機器との接続を保障してくれるだろうと思われることの方が重要です。最低限必要なタイミングで直してくれれば、いまこの時点で多少熱いとか重いといったことはどうでもいいわけです。それよりも、むしろちゃんと音楽ダウンロードサービスが実現されるのか、自分に必要なサービスやイメージを提供してくれるのかどうか、そういうものに付加される部分の方が消費者にとっては大事な点になる。ダウンロードサービスをレコード会社に丸投げしている日本の家電メーカーよりも、上下の台形の違いを越えて、ITunesに自らコミットするAppleの方が、高く評価されるわけです。それに加えて、広告も含めたデザインセンスもポイントでしょう。

 いま消費者は、軽いとか、記憶容量が大きいというモノ単体としての品質や性能よりも、サービスも含めて本当に欲しいものを連れてきてくれるかどうかのビジネスプロセス全体への信頼感を大事にしている。鈴木健さんの言葉をそのまま借りれば、従来の経済では「情報をモノに憑依させる」というビジネスモデルだった。しかし、時代は、「ものの品質からビジネスプロセス全体への信頼」に移行してしまっている。今度は、「情報がモノではなく消費者のライフスタイルそのものに憑依」しないと、消費者ついてこない。Appleは結局iPodというモノを売りたかったわけですが、モノをつくるだけなら縦割りのままでよかったわけです。しかし、モノがサービスやライフスタイルといった要素に直接ヨコ展開してくる、その要望応えてくれるという信頼によって消費者が企業を選ぶ時代になると、技術だ品質だ性能だといくらがんばっても、結局、モノ作りの技術力だけではマーケットを連れて来ることはできない。情報家電問題を例として僕が主張したいことは以上になります。

時代を巡る「タテ」と「ヨコ」の争い

 さて、いま話題のネットとメディアの融合でも、実は同じようなタテとヨコを巡る暗闘が起きていると考えています。いままでコンテンツの世界というのは、放送は放送、出版は出版、音楽は音楽という構造でした。放送は放送で流すときのフォーマットや著作権のルールがあり、出版は出版で流すときの原稿の書式、原稿の流し方、印刷料の払い方、印税の払い方があり、音楽は音楽で記録メディアの様式や原盤権の設定をはじめとする独自の著作権処理ルールがあるなど、それぞれルールが縦割りに存在していた。しかし、メディアが融合するようになると、映画をDVDで流し、CATVでも流し、劇場でも流し、カタログを本にして、ということが、ゲームでも、音楽でも、出版でもいろいろな形できるようになる。これをいちいち異なるデータフォーマット、著作権処理をしていたら大変です。しかし、放送業界は放送のやり方を貫きたいし、音楽業界は音楽業界の、出版業界は出版業界のやり方でそれぞれやろうとする。その調整を延々としているうちに、今度は現場で作っている方がいやになってしまうわけです(図:時代を巡る「タテ」と「ヨコ」)。

図:時代を巡る「タテ」と「ヨコ」
図:時代を巡る「タテ」と「ヨコ」

 さりとて、顧客不在のまま、どの方式がベストかといった制度論争を続けたところで、実際に作品が消費者に届くようにならなければ、良い悪いの勝負もつけようがない。その手前の段階で、どっちがいいとか悪いとか、制度論争のための制度論争をいくらやっても、制度屋の自己満足にしかならないわけです。

 現実には、こうしたコンテンツ産業の縦割り構造は、ITの出現によって徐々に変わろうとしています。ホリエモンはなんだ、三木谷社長は案外ひどいじゃないか、思う方も多いのかもしれませんが、御本人の言動やキャラクターに対する評価は別として、ネットとメディアの融合という彼らの主張自体は極めて当たり前のことなんです。それを「何をやりたいかわからないのにマネーゲームだけしているのはけしからん」、と仰っている見識の方を僕は疑う。

 大事なことは市場のニーズにいち早く応えることであって、縦割り業界の伝統あるやり方や伝統ある組織を守ることではない。ましてや、放送だ通信だ音楽だと縦割り同士が我を張り合っている場合ではない。むしろホリエモンさんや三木谷さんのお陰で、そういう縦割りは縦割りのままでは維持できないという動きの萌芽が、コンテンツ市場では見え始めていると思います。このように、今後、様々な分野で横と縦をめぐる争いはますます深刻化してくるでしょう。

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