ised議事録

11-128. 設計研第6回:共同討議第1部(5)

消費社会の理想形態をめぐって――ライフスタイルのトータルマネジメントサービスとしての宗教

東:

 鈴木さんがモノからサービスへというとき、本当に重視している点は、井庭さんが指摘したような粘着的な顧客関係じゃないですか。普通の言葉でいえば、顧客を囲い込めるかどうかが問題で、従来のモノの売買は顧客を十分に囲い込めないけど、これからはすべての財の売買で顧客が囲い込まれるようになる、と言いたいわけでしょう。

鈴木:

 その話をすると、そもそも最初に楠さんは、産業をどういうふうに盛り上げるのかという質問をされていた。そこで今日の村上さんの提案は三点あったわけです。一番目は会社でどうやって楽しく働けるのかというもので、これは価値の話ですね。それから三番目の脱物質化という議論にも価値が入っています。それに対して二番目のプラットフォームの話というのは、そうすることで産業競争力が上がりますよ、という最適化の話になる。そもそも最適化それ自体が目的としてあって、粘着的な顧客関係があるほうがCRMもできて経営を最適化できるという議論が一般的ですが、しかし僕は逆です。むしろ社会システムのほうを変えたいという価値が先にある。ただ価値をうたうだけでは世の中変わらないので、最適化という話にしなくてはいけないんです。ただ、最適化の話をいくらやってもしょうがない。最適化を目指すのは、あくまでも価値を社会的に実現するための道具なんです。

東:

 つまり鈴木さんは、みんながやたらと繋がった世界になることを価値とみなしている。

鈴木:

 そうではない。むしろ我々がモノを売ったり買ったりサービスをしたりということは、そもそも繋がっているんですよ。そうであるにもかかわらず、その現実を我々は認識していないということが問題だと思っています。それを認識できるようなシステムにしたい、認識できるように人間の知覚を変えていきたい、ということを僕は考えている。自分がやっていることは馬鹿だということを気付けるようなシステムにしよう、と。

八田:

 馬鹿というのは誰が決めているんですか?

鈴木:

 それは自分で考えるんです。

楠:

楠正憲
楠正憲
 馬鹿の定義とは、情報が非対称*1ということですか?

鈴木:

 馬鹿であることに気づくというのは、自分がコーヒーを買ったりするとき、実は地球の裏側でどのような生産活動が行われているのかについて想像を働かせるということです。

東:

 ホワイトバンドみたいだな(笑)。

鈴木:

 ホワイトバンドはただのキャンペーンであって、まさに記号消費ですよ。コーヒーがここまで運ばれてくるとき、実際には人間の労働の連鎖が複雑に存在するわけであって、それをちゃんと可視化して人間の日常生活に混入させたい。これは伝播投資貨幣の話ですが。

井庭:

 それはいいと思うんですが、はたしてそれは体験化・サービス化によってできるのか。

東:

 だから鈴木さんがサービスの話で言いたいのは、顧客の囲い込みでしょう。

鈴木:

 いや、僕は囲い込みが本当にいいのかどうかは微妙である、と問題提起をしていますよ。

東:

 ただ、顧客囲い込みの究極は宗教でしょう。宗教はライフスタイルのトータルマネジメントですよ(笑)。すごいシステムなんですよ。

鈴木:

 そう、メタの究極ですよね。

楠:

 それはカルトを前提にしているからではないですか。

東:

 キリスト教にしても仏教にしても、システム化された世界宗教というのは生まれたときから死ぬまで完全にケアしてくれる。世界観も用意してくれるし、学校も友達も配偶者も用意してくれる(笑)。まさにライフスタイルのトータルマネジメントであって、完璧なサービスです。

 ただ近代社会は、こうしたトータルマネージメントから切断されて個人を生み出したからいいんだ、という議論もあったわけです。

鈴木:

 ありましたね。200年くらい前にあった気がします(笑)。

東:

 鈴木さんの話を聞いていると、どうもこのトータルマネジメントの復活を画策しているような気がします。僕はそれに乗れないですね。

楠:

 自分で宗教を選べればいいのではないでしょうか。

東:

 宗教ってそういうもんじゃないんじゃないですかね。誕生の時点でいきなり洗礼されるわけで、選択肢もなにもあったもんじゃないでしょう。その後に嫌だったらやめてもいいと言われても、普通はその価値観こそが刷り込みされるわけで、中立的立場から選ぶわけではない。生活空間がのっぺりと繋がったサービスの連鎖で覆われるというのは、極端に言えばそういう事態を招く。

鈴木:

 ただ言論の自由近代国家では正当化されて、これが政教分離させようというロジックが通用した理由になりました。その後の選択性に関しても、情報の公開性に関しても、民主国家は担保しようと頑張っていたわけです。

八田:

八田真行
八田真行
 要するにこういうことではないか。いままでの設計研の議論では、環境管理型権力という議論がでてきました。そして鈴木さんのおっしゃっていることは、環境管理型権力がこれからの商品として出てくるということですよね。

鈴木:

 そうです。

八田:

 以前私は環境管理型権力の条件として、退出可能性のない環境管理型権力は正当性を担保できないのではないか*2論じました*3。ということは東さんは、退出可能性がなければ正当性がないということを懸念されているのではないか。つまり鈴木さんのサービスをめぐる議論と、東さんの正当性がないという議論は、どこまでもいっても平行線だと思うんです。

東:

 いまの市場は匿名的で退出可能性に満ちている。それは粘着的ではないからです。僕がモノを買ってもその事実は誰も知らないし、いちいちDMを送ってくるわけでもない。

鈴木:

 それはサービスの切り替えができるかどうかという問題ですよね。だから僕は前回の倫理研で述べたように、ライフログを自分のサーバで持ち、個人情報を自己管理したほうがいいと思うわけです。企業がデータを持ってしまうとそこに最適化されてしまうので、退出ができなくなる。自分がデータを持って自分で管理していれば、企業を乗り換えることができる。

楠:

楠正憲
楠正憲
 ただそれは鈴木さんがとても優秀だからであって、自分でプログラムを書くこともできればサーバを運用できるからではないか。

鈴木:

 いやそうじゃないんですよ。現状でもAというADSLのサービスからBというADSLのサービスに変えることはそれほど難しくありませんが、実際にはほとんどいない。それは携帯電話ではポータビリティの議論になったわけです。つまり、ポータビリティという仕組みを加えることで解決できるんですよ。

村上:

 いい例なのか分かりませんが、たとえば松下の街の電気屋さんは、取り替えてあげるわ、教えてあげるわで、実際にはここでいうサービスに近かった。でもこれは家電量販店の安いコモディティを売りまくるモデルに負けてしまったわけです。どちらがよいと思いますか。

東:

 そのとおりですよ。その問いを鈴木さんに突きつけたい(笑)。鈴木さんはハイパー情報化された小売チェーンをイメージしているように聞こえる。

鈴木:

 まあ、小売ではありませんが。

東:

 昔は近所の商店街の電気屋と仲がよくて、クーラーから炊飯器まで全部東芝や松下になっていた。僕個人としてはそこまで昔の話はわからないけれど。ところがいまでは、モジュール化とまでいかなくても、テレビは東芝を買って、HDDレコーダーはPanasonicを買って、と平気でみんなやっている。

鈴木:

 今後それが逆になってうまくいくのであれば、それはそれでアリですよね。松下は製造業が直結しているから選択肢がないわけで、中間にエージェントが入れば、ありとあらゆる製品を扱えるようになります。そうするとソニーも使えるし、選択肢の幅は広がる。おそらく囲い込みといっても、それはサービスの囲い込みであってモノの囲い込みにはならないわけです。それが村上さんの図にもあった、横の連結を実現するプラットフォームということですよ。

東:

 いま議論されているのは、消費社会の理想的な形態についてですね。鈴木さんの理想状態は、「今日のあなたの服のスタイルはこれです」と毎朝衣服が届けられて、それを着ればバッチリというもの。これはまさに昔と同じですね。出入りの呉服屋がいたわけでしょう(笑)。しかしいまの僕たちの生活は、そこは自由になっている。すべての服を同じブランドで統一している人はあまりいない。バラバラに服を買って、適当に組み合わせて生活しているわけです。つまり鈴木さんは、出入りの呉服屋をIT化して復活させ、トータルコーディネート・サービスを導入したほうがみんな幸せじゃないですか、と提案しているわけですよね。

鈴木:

 僕は消費者としては幸せですね(笑)・

井庭:

 さきほどの宗教の話に戻りますが、宗教にもふたつあると思います。カルトのような囲い込むタイプと、キリスト教や仏教のように日常生活に解き放たれて、日々人々が持つようになるタイプの二種類です。この区別は重要で、囲い込み型というのはここの施設にいてずっとなにかやりなさいというわけですが、それに対して世界宗教はプラットフォーム型というか、その上で弁護士になれたり、先生になれたり、いかようにも生活できる。サービスも同じことで、「これを着なさい」と囲い込まれてしまうものもあれば、それによって人々が自由になったり、可能性が広がったりすることもあると思うんです。

井庭崇
井庭崇
 僕が東さんの環境管理型権力の話を聞くたびに思うのは、権力の裏側もあるということなんですね。いいかえれば、「環境管理型可能性増幅装置」のようなものもあるのではないか。アーキテクチャは権力のほうに偏って使われてしまうがために、ついつい権力に注目が行ってしまうのですが、ネガティブなものに対してポジティブなものもある。逆に拾えば、サービス化の話はいい話に聞こえるのですが、ネットで接続されればすごく洗脳されてしまうというネガティブな効果もあるのではないでしょうか。

東:

 そうですよね。

 それにしても、さきほどトータルコーディネートの話をしながら思ったんですが、実は鈴木さんの理想は、村上さんが提案していることの逆ではないか。鈴木さんは同じつもりで話していたけれども、それは村上さんも指摘するように、かつて松下の系列店に似ている。

鈴木:

 かつての系列店は、生産から小売まで垂直的にやっていたわけです。それに対して村上さんのいうプラットフォームというのは、プロバイダーのようなエージェントがあいだに入って、CDも売る、本も売るというかたちになる。これは直列から三層構造になって、村上さんの図のようになるんです(図:プラットフォームビジネス)。ですからこの両者は違う話になると思います。


図:プラットフォームビジネス
図:プラットフォームビジネス

 ということで議論は盛り上がってきたのですが、ここで休憩を挟みつつ、第2部に移りたいと思います。このあとは東さんのコメントから始めましょう。


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