ised議事録

12-106. 倫理研第7回:共同討議第1部(4)

粘着を切り捨てる自由は正当化されるのか

小倉:

 まず三番目の粘着さんの点から述べます。たしかにその人格すべてを捧げて粘着しているのかもしれない。しかしそれを受け止める義務、つまり不快感を抱くことを許容する義務もまた負う必要はないのではないかと思います。

東:

 粘着が生きる自由を認めるなら、粘着を切り捨てる自由も認めるべきだということですね。

小倉:

 ブログのコメントスクラムと掲示板の炎上の違いについて、以前感覚的に述べたことがあります*1コメントスクラムというのは、自分の家の前でギャーギャーやられているような感覚があるんですね。自分の家の前で毎日抗議にきたり、ビラをまいたりする人たちに対して、やめろと言うのは当然の権利ではないかと思います。

高木:

高木浩光
高木浩光
 それについては、単純にコメント欄無しのブログにすればいいのではないですか。ただ途中でポリシーを変えると「コメント閉じやがった」と言われてしまうので、最初からコメント欄を設けないようにすればいいのではないか。

加野瀬:

 もしくはシステム的にそれを排除できるようなものですね。捨てアカウントを何度も取得して、執拗に粘着するような場合はかなり特殊です。普通は「IDを持っている人のみコメント可」などに設定すれば、粘着は自然に消えていきます。

高木:

 小倉さんはわざとコメント欄を開放しておいて、「コメントスクラムのような事例が起こるじゃないか」と実演していらっしゃると思うんです。しかしそれは特殊事例であって、本当にそれで困る人たちはいるのでしょうか。たとえば小倉さんの話ですと、企業に対するいわれのない批判といった例がリンクされていますよね。しかし、それはブログコメント欄でのコメントスクラムの話とはリンクしていない問題です。そこは区別したほうがいいと思います。

北田:

北田暁大
北田暁大
 小倉さんが想定されている最悪の状況といいますか、粘着君が出てきた場合の不利益はどういうものなんでしょうか。それはコメント欄やブログを閉鎖したりする人たちが出てしまうほどの不快さを生み出すということですか。

小倉:

 現実に、粘着に嫌気がさしてコメント欄を閉じたり、ブログ自体をやめたりする人が少なからずいます。

北田:

 その不利益は、共通IDを導入するほどの不利益だということですか。

小倉:

 そうです。

東:

 ひとことでいえば、それは不愉快ということですか。

小倉:

 少なくとも、現にそれで閉じている人がいるわけです。

東:

 しかし、現実問題としてブログを閉じる人がいるとはいえ、それで人が死んでいるわけでもない。法律を改正するほどのことだろうかという気もします。

小倉:

小倉秀夫
小倉秀夫
 それをいいだすと、匿名で表現が出来なくても死ぬ人は出てこないわけですよ。

東:

 うーん。それは違うんじゃないでしょうか。そもそも現状では、ある程度自由で匿名的な表現をできる状態がある。それを制限しようというのが小倉さんの提案ですよね。しかし、そこでわざわざ制限する理由はなにか。そこを聞いているので、制限してもしなくても人はしなないんだから等価だ、という話にはならない。

 いずれにせよ、ブログ全体の環境を変更しかねない大きな法律改正の提案の理由としては、書いている人の何%が不愉快な思いをしているから、というのはあまりに説得力がない。

北田:

 正当化の理由としては弱い気がしますね。

小倉:

 粘着さんのようなおかしな人がたくさんやってきても、ブログを維持できるような強い人たちはたしかに存在します。強い人は、いまの制度下でも立派にネットシステムの恩恵をこうむって情報発信できる。しかし、そうではない弱い人たちは、情報発信を抑制せざるをえない状態になっているわけです。

北田:

 言論の市場をある程度豊かな状態に保つべく、弱者救済をするということですか。

小倉:

 そうですね。

東:

東浩紀
東浩紀
  なるほど。それならば正当な理由になるかもしれない。

 しかし、それに対して「はたして本当にそうか?」というのが、白田さんの提起した残る1番目と2番目の質問ですね。

小倉:

 匿名ですと、おかしな発言をして批判を受けたときに、それでもなお自分自身の社会的な評価が低くならないという状態が保持されるわけです。明らかに反論をされている状態でも、同じ発言をずっと続けることに何の躊躇も覚える必要がない。だから粘着さんが堂々巡りをずっと続けてしまう。

東:

 現状では、堂々巡りの発言を抑止するシステムはないということですか。

小倉:

 そうです。粘着している人が常に最後に発言するかたちになっている。

東:

 しかし仮に共通IDシステムを導入したとして、それは止まるでしょうか。

加野瀬:

 個人情報を出してしまうといった分かりやすい基準がない限り、それは止められないですよね。

高木:

 小倉さんのコメント欄をたまたま見かけたところ、コメント欄にしつこく書いていた方が実名で批判を始めるというケースがありました。そういう事例もあるとは思います。

北田:

 それに粘着な人というのは、必ずしも誹謗中傷や名誉既存的な書き込みをしているとは限りませんよね。その場合は、実名であっても匿名であっても抑止にはならないだろうという気もします。

辻:

 白田さんの一点目の問題に絡めていいますと、近代的な討議空間では「誰が」というよりも「何を」言うのかが重視されるという話がありました。ただこの「何を」に着目するというのは、小倉さんが最初に区別された「表現の匿名性」と「匿名表現の自由」で分類すれば、後者によって実現されると思うんですね。つまり「どのような属性を持つ人が発言したのか」ということを隠すことで、議論の中身に手中することができる。そのためには仮名で隠せばいいわけです。仮名を使うことができるならば、近代的な討議倫理は保障される。つまり小倉さんの共通ID制度でも仮名を使うことができるわけですから、近代的な討議倫理は保障されるはずです。

 むしろ問題が生じかねないのは、前者の「表現の匿名性」の部分ではないか。はたしてその発言を「誰が」したのかが見えなくなること。つまり、表現主体が誰なのかが完全に追跡できなくなることこそが問題なのではないでしょうか。

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