ised議事録

12-1010. 倫理研第7回:共同討議第2部(2)

繋がりの社会性」としての嫌韓問題

辻:

 国際比較的な話を付け加えたいと思います。決して日本だけが繋がりの社会性を強く持っているというわけではなく、それぞれの国にもあるという話です。たとえばケータイというのは繋がりの社会性が現れる端的なメディアです。繋がっていないと不安だという心理は、ケータイメールの場合きれいに相関します。同じような傾向は、Perpetual Contact*1という北欧各国のケータイ事情を紹介したものにも見受けられる。それを読むと、ケータイ大国である北欧圏のユーザーにも、メールが返ってきたらすぐに返信をしなくはならないとか、常に持ち歩いていないと不安だといった声があるんですね。

辻大介
辻大介
 むしろ海外の場合は、ケータイ的な繋がりの社会性の空間と、メッセージをやりとりする討議の空間は棲み分けているのではないでしょうか。しかし、日本の場合は繋がりの社会性がさまざまな空間に染み出してしまっている。であるならば、繋がりの社会性的な空間と討議の空間を切り分けるやり方を考えられないか。その意味では、共通IDを用いて顕名的な空間と匿名的な空間を切り分けることは有効かもしれません。

東:

 繋がりの社会性と匿名性はおそらく関係がない。ケータイのほうが実名性は高いのに繋がりとして使われていますね。

辻:

 たしかにそうですね。

加野瀬:

 共通IDで討議の空間をつくっても、おそらく不満が生まれて匿名空間に流れると思います。実例を挙げれば、2ちゃんねるのSNS板にはmixiのスレッドがアホみたいにあって、mixiで感じた不満がこれまたアホみたいに書いてあります(笑)。東さんは2ちゃんねるのことを「悪口で繋がる自由」*2とおっしゃていた。しかしmixiは顕名で繋がる社会性になっているので、ポジティブなことで繋がるしかない。顕名的な空間だと、ネガティブなことは絶対に許されないわけです。

東:

 そしてネガティブな欲求は2ちゃんねるに流れていく。

加野瀬:

 2ちゃんねるmixiというのはポジとネガの関係だと思います。それが客観的に分かるので面白い。

東:

 それは面白い、というかあまりに分かりやすくて面白くない話ですね(笑)。mixiに嫌韓コミュニティはないのでしょうか。

加野瀬:

 そういえば調べたことはないですね。

北田:

北田暁大
北田暁大
 近いものはあったと思いますが……。

東:

 大きな現象にはなっていない。

北田:

 そうです。

加野瀬:

 やはりネガティブなことは顕名だとやりにくいわけだ。

東:

 見事に分かれていますね。

崎山伸夫(オブザーバー):

 補足しますと、mixiにも「嫌韓」という名前のコミュニティはあるんですが、「嫌韓」という語による検索からは外れています。それで嫌韓関連のコミュニティの人が大騒ぎしているようです。

東:

 なるほど、そういうコントロールはされているわけですか。

加野瀬:

 たとえばmixiだと、企業誹謗中傷コミュニティはすぐに排除されてしまうでしょうね。かといってmixi内で議論ができるかといえば、批判がネガティブにとられてしまうので議論しにくい空間です。高木さんの回で議論した、mixi K氏退会問題がまさにそうです。逆にブログは外部から批判されることを前提にした人たちが多い。だからこそ議論できる。つまり身元の特定されている場所としてmixiを見た場合、共通ID制度のような顕名的な空間では逆に討議することはできないんじゃないか。顕名的な空間では、ポジティブなことしか語ることができないからです。

東:

 となると、日本では、匿名の2ちゃんねるでも議論できないし、顕名のmixiでも議論できない。いったいどうなっているのか(笑)。

 いずれにせよ、そのようなコミュニケーションの条件に対して、倫理研は処方箋を提示できないものか、と思ってやってきたわけです。しかし、できるわけがない(笑)。そういう条件であるということがますます確認されただけ。それが、この一年間の結論なんでしょうかね。

高木:

 嫌韓のことはあまり詳しくはないのですが、どんどん広がっていると思います。ただこれは必ずしも本気で思っている人たちばかりではなくて、あるときは嫌韓的な発言を2ちゃんねるで行い、mixiでは全然そういうことには興味がないかのように振舞う人がいるということです。こうなったひとつの背景には、日本社会では「マスメディアが情報を強くコントロールしている」という不信感が非常に強いことがあると思います。だからあれだけ嫌韓が盛り上がり、「自分はだまされていたのではないか」と興味を持つ人が増えていく。そのようなマスコミ不信現象に過ぎないのではないかという気がします。国やマスコミが情報を隠すことなく、フラットにあらゆる意見を平等に出していれば、嫌韓のような現象は起きなかったのではないでしょうか。

東:

東浩紀
東浩紀
 それは分かります。朝日・岩波的な価値観は戦後日本社会では、あまりにも長く支配的だった。それに対する解毒剤として、2ちゃんねるの果たした役割は大きいと思う。それはまったく否定するつもりはありません。しかし、いまの嫌韓には、最初にあったそのようなチェック機能は少なくなっているんじゃないでしょうか。途中からは単にカスケード的に大きくなっているだけではないか。

 たとえば、ベストセラーになった『マンガ嫌韓流』(山野車輪 著、晋遊舎、2005年 asin:488380478X)がありますね。ニューヨークタイムズで記事になったのもあれがきっかけなんですが、僕は『論座』のコラム(2005年10月号)のために小林よしのりの新刊も同時に読んだんです*3。しかし、実際読んでみると、小林よしのりははるかにまともで真剣である(笑)。その理由は簡単で、小林よしのりの方が色々調べているからなんですよ。文献も読んでるし、当事者の話も聞いている。日本の国益も真面目に考えている。それに対して、『嫌韓流』はネット上のソースが一次資料なんです。

加野瀬:

 まとめサイトですね。(笑)

東:

 そう。『マンガ嫌韓流』の作者は、本当の意味では韓国に関心なんて持っていないんじゃないか、と僕が思うのはそのためです。「韓国について語っている日本のサイト」に関心を持っている人でしかない。繋がりの社会性というとき、僕はここに問題の本質があると思う。

 僕は『論座』で「嫌韓厨は外交に関心がない」と書いたのですが、「いや、おれたち関心あるよ」と反応している人がいました。しかし、僕の思うに、彼らは「外交について書いてある日本のウェブサイトに関心がある」だけなんですよ。外交そのものに関心があるわけではない。政治問題で、本当の意味での一次資料にあたるのはかなり難しい。朝日新聞の政治欄を読んでコメントを言うだけなら、僕でもできる。それはいわゆる床屋談義であって、本当の意味で政治について語ることとは違う。それに対して小林よしのりは、朝日・岩波的な価値観や、政治的な情報コントロールの虚妄を突くということを意識的にやろうとしていた人ですね。だから小林よしのりは、一次ソースに数多くあたっているわけです。

 いまの嫌韓厨は、二次・三次・四次のソースを見ているだけでしょう。それは2ちゃんねるの持つチェック機能の延長線上とは考えにくいんです。むしろ現在の嫌韓は、リンクや引用がたやすいネットというシステムが生み出してしまった現象ではないか。日本では昔から、とにかくこういうメタコミュニケーションというか、プチ批評みたいなものが育ちやすいと言われているのですが、ネットがそのうまい受け皿になっている。

北田:

北田暁大
北田暁大
 嫌韓には、本当にその歴史観が正しいかどうかは別にして、最初のうちはマスコミに対する相当の対抗意識があったのかもしれない。しかし、いま『嫌韓流』を読んで喜んでいるような中高生ぐらいの子には、まったくマスコミに対する意識はないと思います。そういうものとは切れたところで、ただ自動的になんとなく繋がっているような気がするんです。あのマンガは加野瀬さんも言うとおり、まとめサイトにすぎない。およそ新しい知をもたらすようなものではない。ネットですでに知っている人が、もう一度それをまとめサイトで見ているようなノリを感じましたね。

東:

 まさしくそうでしょう。

加野瀬:

 あれだけの部数が出たら、それ以上の声が届いていると思いますね。

東:

 将棋倒し的に広がってしまう。

加野瀬:

 それが、政治現象になってしまう。

東:

 そうなんですよねえ……。

 いや、ため息をついている場合ではなかった(笑)。白田さん、いかがでしょう。

*1:註:邦題『絶え間なき交信の時代』(NTT出版、2003年 asin:4757100884

*2:註:倫理研第4回: 共同討議 第2部(3): 陰口で繋がる自由――繋がりの社会性という日本的欲望、加野瀬氏による「悪口で繋がる自由」についての言及は以下。→ARTIFACT ―人工事実― : 欲しいのは「陰口で繋がる自由」

*3:註:東浩紀「『嫌韓流』の自己満足」(『論座』10月号、朝日新聞社

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