ised議事録

12-1012. 倫理研第7回:共同討議第2部(4)

倫理研の議論を振り返って

東:

東浩紀
東浩紀
 ちょうど倫理研の終わるころに嫌韓の話が盛り上がってきたのは、偶然ではないと思います。第1回の倫理研では、鈴木謙介さんがサイバーカスケードの話をしました。そのころから、実は一部ではずっと懸念され続けていた。いまそれがいきなり具体的に表出してきたわけです。しかも、国際問題にまで発展しそうな例として出てきた。他方で、僕と北田さんも、また同じような時期に国外の人に嫌韓について尋ねられた。これらは偶然のようでいて、偶然ではありません。情報社会のフェイズが少し変わってきているということが、ここには現れていると思います。

 さて、ここまでの話を聞いて小倉さんいかがでしょうか。コメントスクラムの巨大なものが嫌韓厨ではないかと思うのですが。

小倉:

 空気の小さいものがコメントスクラムだと思います。コメントスクラムでも恣意的に空気がつくられ、それが本当に空気としてあったのかどうかは分からない。

加野瀬:

 コメントスクラムには、空気というか流れをつくる人がいますね。「ここでこれだけの人が批判しているのだから、こいつは悪い奴なんだ」という空気をつくろうとする人です。

小倉:

 そのために自作自演をする人たちがでてくる。

東:

 それは共通IDで止められますか。

小倉:

 一線を越えたときには止められるかもしれません。

東:

 どうでしょう。弱い抑止力に留まりそうですね。

小倉:

小倉秀夫
小倉秀夫
 ただ、一人二役を抑止できるだけでも大きいと思います。一人二役で済めばいいですが、実際には一人何役やっているのか分からない。

白田:

 誰かが傷を負ったとき、そこへ集中攻撃をして犠牲にしてしまうというトレーニングは、みんな小学校・中学校・高校で経験してきているからね。

東:

 いじめもまさにカスケードですね。そういえば、一時期、日本社会論ではいじめも注目されていた。あれも他の国にはあまりないと言われていた。実際にはあるのかもしれませんし、僕はよく知りませんが、ここで議論されていることとは関係しそうですね。

白田:

 いまネットワーク上で活動している日本人は、学校というシステムの裏面として、誰かの傷を発見して空気をつくり上げていくというトレーニングを受けてきた。つまり、空気を誘導して攻撃をさせるということに関して非常に長けているわけです。イコールそれがネットワーク上でのリテラシーに長けているという雰囲気になっていやしないかと思いますね。

東:

 以前、白田さんは、2ちゃんねる的な「ネタでスルーする」リテラシーに長けてどうするのかと批判をされていました*1。その認識は正しい。空気を読むリテラシーに長けても仕方がないんですよ。

白田:

 いまでもすべての学校でやっているでしょう。なんだか学校批判になってしまいましたが。

小倉:

 ただ国内ですら、そのリテラシーを共有している人はごく一部に限られています。2ちゃんねるにアクセスしている人は、2ちゃんねるリテラシーを知っているかもしれない。しかし普段アクセスしていないような人たちはどうか。彼らがふとしたきっかけで白田さんの名前で検索し、悪いことが書かれているスレッドが立っているのを見る。するとそれを信頼してしまう可能性もあるわけです。国内であっても、「2ちゃんねるはネタでしかない」と知らしめる必要がある。実際企業関係はかなり気にしていることは間違いありません。企業のしかるべきセクションに、自社に関する話題を定期的に検索させているといった例はすでにあるわけです。

加野瀬:

 さすがのGoogleも、「ここはこういう場所です」という文脈までは教えてくれませんからね。

高木:

高木浩光
高木浩光
 「ここの空気はこういうものです」といった格付けを、サイトごとにブラウザが自動的に表示するようにしてはどうだろう?(笑)

加野瀬:

 サイト信頼度ランキングのような格付けですかね。

高木:

 「信頼」だとすこし異なるかもしれない。やはり空気でしょうか。

加野瀬:

 「ネタ度」と「ベタ度」のゲージがある(笑)・

東:

 (笑)。面白い話ですが、実際には、それもまた読みの対象になるだけで無理でしょうね。

 さて、そろそろ時間です。いずれにせよ議論は尽きませんが――というより、むしろ議論は尽きてしまってきていて、落ちるところに落ちたかな、と思います。最後に、蛇足と言われるのを覚悟で、順番を遡りつつ、もう一度倫理研の議論をまとめさせていただきます。

 匿名性、自由、監視社会といった抽象的な問題については、実は第6回で議論は一段落が尽きました。今回は表現の匿名性の話をしていましたが、第6回は存在の匿名性について議論をしていました。表現の匿名性の問題が公共空間の管理の話に繋がるとすれば、存在の匿名性の問題は私的空間の確保の話に繋がると思います。その点を具体的に展開したのが、第4回の加野瀬さんの回と第5回の高木さんの回でした。その前はといえば、この段階ではまだあまり議論のフレームができていなかった。しかし第3回と第2回では、北田さんと白田さんに、それぞれ情報社会の公的空間をどのように再構築するのかという問題意識で話をいただいています。そして、そもそもの最初はといえば、鈴木謙介さんから、そういう再構築がいま求められているという総括的な問題提起を、まさにサイバーカスケードを例にしてしてもらったのでした。そういうわけで、今日は、まさに第1回での問題提起に、円環のように戻ってきた感があります。倫理研は、本当に、いつも同じ話をぐるぐるとしてきたわけです。

 そして、その1年間の円環の結論はといえば、こんな風にまとめられるのではないかと思います。情報技術は、表現のレベルにおいては、基本的に「繋がりの社会性」、あるいは「言論の予測市場」を強化するばかりである。とくに日本ではそうである。その背後には、技術的な問題と社会的な問題がある。他方、存在のレベルにおいては、現在の消費社会やポストモダン化を前提とするかぎり、監視社会化に反対する根拠はそれほどない。となると、これからの私たちは、緻密に張り巡らされた環境管理型社会のなかで、繋がりの社会性をもとめて「安心・安全」なコミュニケーションを紡いでいくことぐらいしかできなさそうだ……。というわけで、一年間議論してきましたが、大変に暗い結論が出てしまったわけです(笑)。とはいえ、こんな結論でよいはずもなく、これからは、この倫理研の成果を踏み台として、各委員のみなさんが突破口を見つけてくれるものだと、ディレクターとして信じています。

 では最後に会場から質問を受け付けて、倫理研を締めたいと思います。

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