ised議事録

01-145. 設計研第7回:共同討議第1部(1)

はじめに――社会契約を支える慣習(Convention)の問題

東:

 2004年10月からスタートしたこのisedも、いよいよ最終回です。今日は鈴木さんが講演をされているので、半年ぶりに僕が設計研の司会に復帰しています。

 鈴木健さんは、東京大学大学院総合文化研究科の博士課程に在籍しながら、PICSYなどの実験的なプロジェクトを進められており、最近では『InterCommunication』に社会契約論の論考を寄稿するなど、幅広い活躍をされています。また別の文脈では、かつて柄谷行人氏を中心にしたNAMという運動組織があったのですが、実は鈴木さんは、その『NAM生成』という書籍に新しい地域通貨のシステムを考案する論考を寄せていました。僕がはじめて彼の名を知ったのは、その本です。

 さて、鈴木健さんの講演は、「なめらかな社会の距離設計」というタイトルのものでした。パワーポイントのスライドが70枚近くあるという、大変力の入った講演で、isedの最後を締めるのにふさわしいものだったと思います。内容は多岐に渡っていたので、討議に入る前にいくつかリマークしておきたいと思います。

 まず、鈴木さんの発表は三部構成でした。実践編と理論編、そして最後はSF編といったところですね(笑)。鈴木さんは「なめらか」という言葉を単一のキーワードにしていたので分かりにくいのですが、最後のSF編を除くと、鈴木さんの議論はふたつの議論に分けることができます。

 第一の系は、まさに文字通りの「なめらか」――鈴木さんが使うあのかたちは、日本語的には「なめらか」ではなく「なだらか」だと思うのですが(笑)――についてです。鈴木さんは、内と外の境界がなくなり、共同体が消滅することを「なめらか」と呼んでいます。コミュニケーションがゼロかイチかではなく、もっとアナログ的に制御されるようになるということですね。これはそれほどラジカルな提案ではありません。そもそも、私たちの言語はたえず再解釈の可能性に開かれているものなので、本来そういうものだとも考えられます。そこで鈴木さんは、「我々はそのアナログ的制御を支援する技術を手に入れたので、もっとうまくできるはずだ」と提案しているわけです。STNやGalapagosといったコミュニケーション支援装置、鈴木さんの言葉を使えば「なめらかなメッセージング」は、この議論の系にあたります。

 しかし、鈴木さんは「なめらか」というとき、もうひとつ別の議論もしています。それは媒介の消滅ということです。こちらが第二の系です。

 媒介とは貨幣と主権者のことです。PICSYはある意味で貨幣の消滅を目指すプロジェクトです。貨幣を分割可能なものにしてしまうのですから。他方、社会契約論の再構成という問題意識は、主権者の解体を目指したものだと言えます。既存の社会は、コミュニケーションなり権力関係なりを単一の媒介に集中させる状態にある。これを解体しようというのが、鈴木さんの提案の基調低音なんですね。

 あと、いくつか僕の感想を述べておきます。社会契約論について、鈴木さんは、ロックとルソーを対峙させ、ロックの社会契約論をラジカルにする方向で「Web 4.3」を提案しました。ただし、Web 4.3では生殖の問題がネックになると留保しています。これは大変にクリティカルな指摘です。ご存知の方も多いかと思いますが、ロックの議論は、のちにヒュームから「社会契約は慣習(コンベンション convention)に基づくものにすぎない」と批判されました。ヒュームはロックの社会契約説に対して、「前世代の国家への忠誠心を、いかにして次世代が継承するのか」というより根元的な問いを投げかけ、それは慣習だと答えたのです。言いかえれば、ロックは社会契約を暗黙に支える慣習をないがしろにしていると批判してわけですね。慣習は、世代や家族といった生殖の問題と深く関係しています。つまり、ロックは世代や家族の問題を考慮していないというわけです。

 このヒュームのロック批判は、ロックを援用した鈴木さんの議論にもそのまま適用できるのではないかと思います。ロックとルソーを対立させるだけではなく、そこにヒュームも絡めないとダメなわけです。鈴木さんの提案は実に個人主義的です。個人を単位として情報技術を使った場合、現在の我々の社会をラジカルに再構成できる、それが鈴木さんの提案です。しかし、人間は単独で生まれてくるものではない。男と女が生殖し、子どもが生まれてくるというプロセスが不可避的に存在する。そしてそれは、家族や世代、そして慣習の問題に直結している。この問題を配慮しないと、社会契約は絵に描いたもちに終わる。このヒュームの立場というのは、言いかえれば一種の保守主義です。ここからは、白田さんの問題意識に接続可能ですし、井庭さんがしばしば言及するハイエクの「自生的秩序」の議論にも繋げることができるでしょう。

 ただ、鈴木さんはこの点では一貫しているとも言えます。というのも、鈴木さんは最後に、サイボーグのエピソードに言及しながら、生物学的な条件が変化すれば議論の枠組みそのものが変わってしまうと指摘している。どうやら鈴木さんは、社会契約をラジカルに再構成するために人間を変えようとしているのではないか(笑)。確かに、それもまた魅力的な話ではあります。

 いずれにせよ、今日は鈴木さんは、情報技術は私たちの社会関係をラジカルに変えてしまう、そのラジカルさに直面せねばならない、と一貫して主張していました。これはまさに、isedの最終回に相応しい問題提起だと思います。

 それでは討議に入る前に、簡単な質問からお願いします。

石橋:

石橋啓一郎
石橋啓一郎

 おかしな表現かもしれませんが、2.5個の質問があります。ひとつめに、鈴木さんは「病気と薬と処方箋」という比喩をよく使われていますよね。情報技術というのは「劇薬」のようなものであって、それ自体はよい面も悪い面も両方持っている。いまはまだ病気を治す「処方箋」をつくるのは難しいので、まずは「薬」をつくるところから始めよう、というお話だと理解しています。それでは今日鈴木さんが提案されていた、STNやPICSYや構成的社会契約論といったものは、この「薬」にあたるのでしょうか。

鈴木:

 そのとおりです。ただし構成的社会契約論については、「薬のつくりかた」のような抽象的な議論になっていますが。

石橋:

 では残る1.5の質問です。まず、「なめらか」ということが僕にはまだよく分からないのですが、次のような例は「なめらか」といえるのでしょうか。かつて『Noと言えない日本』といった議論がありましたよね。簡単にいえば、日本社会は欧米に比べると曖昧さを持っており、相手との距離をはかりつつ行動する文化を持つ、といったような話です。さて鈴木さんから見ると、日本はアメリカよりもなめらかな社会ということになるのでしょうか。しかし、同時に日本社会は個人主義的ではない社会だともいわれます。鈴木さんの考えでは、なめらかな社会契約というのは個人主義を徹底したものですよね。だとすると、果たして日本は「なめらか」だといえるのでしょうか。

 そして残る0.5の質問というのは、その「なめらか」なるものの正統性についてです。鈴木さんが「個人主義」という立場を採用されているのであれば、これはすでに多くの議論を経た正統性を持っています。しかし、その個人主義の立場から「なめらか」を徹底していくとき、「なめらか」という思想自体のレジティマシーはどう考えているのか。この最後の質問は大きな議論になるかもしれませんので、いますぐ回答していただかなくても結構です。

鈴木:

 日本社会はなめらかなのかという質問については、半分Yesで半分Noというなめらかな回答になります(笑)。それはこういうことです。「この意見やこの人について、60%賛成・40%反対」という一個人の状態があったとします。たしかにこれはなめらかな状態ですが、それぞれの個人がそう思っていたとしても、その寄り集まった集合は、もはやなめらかな社会ではないんですね。というのも皆があいまいな態度を取って、場の空気を読みながら行動するという日本社会の作法は、「空気」という全体性を持ち出してコントロールするという社会的方法といえるからです。こうした社会においては、個々人によるなめらかなコントロールの余地が残されておらず、空気を構成するメンバーシップを確定しない限り、人々は意思決定を実行に移すことができません。実行するためには、なにかを切り捨てるしかないわけです。

 むしろ「30%賛成・70%反対」としたほうが、むしろ実行可能性は高いんですね。実行とは、判断だけではなく、情報を得たり、意思決定をしたりといった行為も含みます。これら実行系というのは、個々人の意思を明示的に表出したほうが実現しやすいわけです。ということで、個人主義的な部分があったほうが、全体的にはなめらかな社会になるわけです。

石橋:

 こういうことですか。アメリカと比較すれば、個々人のレベルでみれば日本社会のほうがなめらかな状態にあるといえる。しかし、実行系に数値化や可視化を施すことによって、もっとうまくなめらかにできるということですね。

鈴木:

鈴木健
鈴木健

 そうです。本当のところは微妙ですが、アメリカはフラットな社会だと自認しています。日本はなめらかさをベースにしたコミュニケーションから構成されていますが、社会技術上の問題から実際には離散化している状態です。でも、アメリカもかなり離散化していますよね。このあたりの議論は微妙なところですが、ともあれアメリカにせよ日本にせよ、個々人のなめらかな意思決定が全体としては離散的な社会をつくってしまう。そこで僕としては、なめらかな意思決定を明示化することによって、なめらかな社会を実現したいと考えているわけです。



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