ised議事録

01-149. 設計研第7回:共同討議第1部(5)

タコツボ化に歯止めをかけるには

石橋:

石橋啓一郎
石橋啓一郎

 ただSTNに限っていえば、結局は煮詰まる方向に行くように思います。これまでのSNSには、2ホップ3ホップ先にいる鏡的な友人をわざと可視化するような機能はなかった。しかし、STNはもっと簡単に自分の鏡を見つけるためのツールに見えてしまうんです。

楠:

 それは鈴木さんが今後STNをどのようにオプティマイズしていくかによるでしょう。ただ、おそらくその人の欲望を反映したものでなければ、それはやはりノイズになってしまうのでしょうね。

鈴木:

 そうなんですよね。ノイズになるか、鏡になってしまうのか、そのバランスが難しいんですよ。

東:

 それに事業化を考えると、結局はタコツボを強力に生成する装置のほうがいい(笑)。

鈴木:

 実際そのとおりなんですよ。mixiはまさにそうして巨大化している。

東:

東浩紀
東浩紀

 それが今日の議論の中心だと思います。かつて国家はビジネスではなかった。だからタコツボをやめろと強制的に命令することができた。しかし、その方向はちょっとよくないよね、ということでみなの意見が一致し、国家は小さくなることになった。しかし、それれでは、「タコツボをやめろ」という強制力はどこからくるのか。

 さらに厄介なのは、国家や民族や言語そのものがタコツボになっているように見えることです。先月アメリカに行ってからずっと考えていたのですが、これだけネットワークが発達したというのに、知的な言説はまったくといっていいほど国境を越えていない。日本人がなにを考えているのか、アメリカ人はまったく知らない。これは技術的な条件によっては変わることはないんですよ。なぜなら好奇心の問題だからです。

近藤:

 タコツボを壊すきっかけとしては、結局タコツボ間の争いになるのかなと思います。たとえばダイレクトリンク禁止という意見の人がいます。それに対して、そうではない人もいます。これはタコツボの状態ですよね。しかし、たまに両者のあいだで論争が起こる。そうすると、最後に判例のようなものができますよね。そういう判例が蓄積されていくうちに、あまりにおかしな判断というのは出なくなっていく。ということは、むしろ争いをもっとやるべきなのかもしれません。

楠:

楠正憲
楠正憲

 ひとつのタコツボにしか所属できないとすると、問題は非常に深刻だと思うんですよ。しかし多元的帰属ができるのならば、違う可能性があります。たとえば私はMicrosoftというタコツボにいると同時に、日本というタコツボ、時にはGLOCOMというタコツボにもいるわけです。それぞれ非常に異質な空間で、Microsoftでは少なくとも言語的には日本人以外の人たちと、共通のテーマについて議論をしています。このとき、自分はタコツボごとのスイッチを切り替えているのだろうか。それとも自分の中で、Microsoftの楠と日本人の楠をうまく人格的に一貫性を持たせているのだろうか。それはわかりませんが、ともあれ多元的帰属をしている場合のタコツボというのは、ひとつの煮詰まったタコツボに所属している場合に比べると、だいぶ健全ではありうると思うんです。

鈴木:

鈴木健
鈴木健

 それはあると思います。しかし、僕は「伝播」ということにこだわっているんですね。というのも僕の考えでは、世界の相互作用の関係は非常に強くなっているからです。自分がなにか物を売って、その人がまた物を売ったというのは、かなり強い影響力を持っている。しかし、人間は1ホップ先しか見えないわけです。自分の売った物がどう使われているのかを知っているわけではない。自分の買っているものが一体どこでつくられているのかを知らないわけです。タコツボというのは、いいかえれば1ホップしか見ないような世界がたくさんあるということです。それはそれでもいいのかもしれない。ただ僕はその状況に、2ホップ3ホップ先に対する想像力を加えてみたいんですね。つまり、自分が誰から影響を受けているか、だれに対して影響を与えているのか、その見える範囲をもっと広げましょうということです。

楠:

 たぶん議論のレイヤーを分けなくてはいけないと思うんですよ。まずひとつは、繋がりを可視化することによって、繋がることに対する欲望を喚起するというレイヤーがある。もうひとつは、自分とは直接関係の深くない範囲に対して、興味やモチベーションを持つというレイヤーです。前者と後者は異なるレイヤーなんですよ。前者の道具としてみれば、Googleであっても脱タコツボ的な使い方はできるでしょう。情報技術は、アーキテクチャ的にはタコツボを越える道具として使うことができる。しかし、後者の欲望のレベルで煮詰まってしまうわけです。

石橋:

 たとえば2ホップ3ホップ先まで見えるようにするとおっしゃるけれども、STNは周辺から自分の興味に近いものを寄せ集めてくるわけですよね。それはサンスティーンデイリー・ミーと呼んで批判したものと同じではないかと思うんですよ。Googleは自分とはまったく関係のない情報が検索結果の1位に出たりするわけで、自分の興味のないものであっても無理矢理表示されるわけです。むしろGoogleのほうが遠くのほうを見ることができるツールだとはいえませんか。

鈴木:

 それはもちろんそうです。GoogleよりもSTNの方がタコツボです。でもそれは意図しているものなんですよ。一方にタコツボの世界があって、他方にGoogleのフラットな世界がある。「なめらか」というのは、その中間をつくりたいということなんです。つまりいまのご指摘は、「なめらかなSTNは、フラットなGoogleよりもステップ寄りだよね」ということで、それはそのとおりだというしかない。しかし、僕はその中間をつくろうとしている。

井庭:

井庭崇
井庭崇

 ではこういう質問はどうですか。PICSYは価値を伝播させるわけですが、本当に2ホップ3ホップ先が見えてくるのでしょうか。PICSYは購買力という数値に落とし込んでしまうので、想像力を喚起させる効果は微妙になってしまうと思うんです

鈴木:

 モチベーションの問題と、実際に見えるかどうかというのは別問題です。たとえばRFIDでトラックしていくという可視化の方法もある。これなら実際に見ようとすれば見える。しかし、人間は可視化のためのツールを持っていたとしても、実際に見るインセンティブを持たないこともあるわけです。PICSYによってトラックするモチベーションが生まれれば、みんななんらかのツールを使って数ホップ先を見たいと思うようになると思う。

楠:

 それは非常にきわどいのではないでしょうか。SNSのタコツボ論の延長線上でいえば、PICSY上だとNホップ離れていても色々な影響が起きますから、「見ず知らずの人の影響を受けるのはたまらない」と思う人も出てくると思うんですね。そうすると、相互にブロック化する事態が起こるんじゃないかと。

鈴木:

 なるほどね。

東:

 といったところで、そろそろ休憩の時間です。盛り上がってきたところで申し訳ないのですが、ここでいったん休みましょう。

 共同討議第二部は、白田さんのコメントから始めたいと思います。



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