ised議事録

01-1413. 設計研第7回:共同討議第2部(4)

PICSYと富の再配分の問題

白田:

白田秀彰
白田秀彰

 さきほど「松井が稼いで、たまたま松井にラーメンを食べさせていたおばちゃんがすごく儲かる」という話がありましたよね。ただ、その例はそもそもおかしいと思うんですよ。鈴木さんは人間の能力に大きな差はないといっていましたが、私も実際そう思うんです。申し訳ないけれども、白田秀彰松井秀喜の年収の差がどうしてこれだけあるのか、非常に不本意なんですよ(笑)。実際、松井は小さな国の国家予算並みに稼いでいるわけです。しかし、それっておかしくはないですか。一人の人間が球をパコーンと打つと、国家予算がポンと下りてくるというシステムは異常だと皆さん思いませんか。つまり不完全な市場システムには、ある突出した部分に莫大な投資が集まるという構造があるわけです。もちろんこれには利点もあると思いますが、市場経済の大きな欠点でもあると思います。

 さてPICSYの導入された世界では、おそらく極端な投資の集中という現象は起きないのではないかと思います。市場というのは、非常に情報量の少ない貨幣というインデックスを使って、投資を集めたり報酬を払ったりするシステムです。だからいまの株式市場がまさにそうですが、「値が上がっている」という情報だけで買いが入るために、ますます値が上がってしまうという、ポジティヴ・フィードバックが増幅されてしまうわけです。もちろんそれで儲けている人も沢山いますが、資源の最適配分という観点でみると、非常に不効率になっていると思います。これに対して、PICSYが現在の貨幣と比べてより情報量の多い貨幣となり、さまざまな要素を勘案しながら配分されるようになるとすれば、松井秀喜に大量のお金が集まるという構造にはならないのではないかと思います。

鈴木:

 ただ松井秀喜にお金が集まるというのは、PICSYでどうこうできる問題ではないんですね。むしろSTNの話、つまりマスメディアの問題のほうに近い。松井秀喜はテレビに出て、あれだけ活躍している。しかもみんなテレビを見ている。スポーツで競争が行われているところに、非常に大きな注目が集められ、そこにお金が集まるという構図があるわけですよ。

白田:

 私がいいたかったのはそういうことです。

楠:

楠正憲
楠正憲

 報酬が能力比例でないというのは、本当にそうだと思うんです。それはなぜかといえば、競争自体がなめらかではなくてステップだからですよね。たとえば二軒のラーメン屋があって、行列のできるラーメン屋と誰も並ばないラーメン屋があったとしましょう。物理的な組成でいえば、両者はほとんど変わらないし、味もたいして変わらない。隣に行列のできるラーメン屋がなければ、並ばないほうのラーメン屋に行列ができるのかもしれない。能力で見ればそうなんだけれども、実際には「何杯のラーメンを売ったか」というところで大きな差がついてしまう。しかも現実には認知限界の問題があるので、行列のできる店が暖簾分けをして、ブランドになっていくことで、どんどん行列のできるラーメン屋が日本中に散らばっていくわけです。

東:

 それは富の再配分の問題ですね。それも国家の機能のひとつでしょう。つまりPICSYには、富の再配分と暴力の抑制という、ふたつの国家の機能が欠けている。

鈴木:

 PICSYは貨幣なので、暴力の調整に向かないのは当然なんですよ。

近藤:

近藤淳也
近藤淳也

 ただ、これまで支払いという行為に上がってこなかった行為を拾い上げてほしいという期待もあると思うんです。交通事故の例でいえば、朝ほうきで掃いていたので事故が防げたとしても、いまの社会では通常貨幣取引は絡んでこないわけですよね。PICSYには、こうした行為をカバーする可能性はないんでしょうか。「ちょっといいこと」を拾い上げる機能といいますか。

東:

 環境全体にコンピュータを埋め込めば可能でしょうね。ただ、果たしてそれで社会はまともに動くのかどうか。

石橋:

 確認したいのですが、ベキ法則というものがありますね。松井秀喜があれだけ稼いでいるのは、多分ベキ法則に従っているからです。ではベキ法則というのは、PICSY的世界では起こらないのでしょうか。僕は起きるんじゃないかという気がするんです。

 松井秀喜の場合、甲子園の頃から敬遠されていたので、その時点からみんな松井に注目して投資をするようになりますよね。すると競馬と同じように、投資が集中すれば結局配当は少なくなると思うんですよ。ただ確実に配当はもらえるのでいいかとみんな判断して、投資は集中するでしょう。こうして投資の対象になるプレーヤーは、ベキ法則の上方にいくようになり、結果として富の集中は防げないのではないかと思うんです。

楠:

 ポジティブ・フィードバックの要素はたくさんあるような気がしますね。

井庭:

井庭崇
井庭崇

 なんだかんだいって、松井が繰り返し食べていたラーメン屋ということは、松井はそのラーメン屋を選択しているわけですよね。そして、松井に選ばれたものを提供していたという意味で、やはりそのラーメンは松井の血となり肉となり、なんらかのかたちで貢献していた。それはいいんですよ。しかし、PICSYはすべてが投資になるわけで、ちょっとでも芽が出そうな人にみんなが投資をするようになると、投資される人とされない人の格差が大きく広がる社会になってしまうわけですよね。つまり、鈴木さんの理想としてはなめらかな社会を志向していたのに、結果的にはそうではなくなる可能性があるということです。

 過去に誰が成功し、どのような貢献があったのかという過去を振り返るだけのシステムならば問題はないでしょう。しかしそのシステムが実動し、意思決定の際に必ずその貢献の度合いが考慮されるようになると、かなり状況は変わってくると思うんですよね。

白田:

 たとえば、みんなが松井に松坂牛を売りつけようとしたとする(笑)。でも、人間の能力って投資に応じて伸びていくものですかね?

東:

 そうではないですよね。

白田:

 さらにもうひとついえば、松井に投資が集中すると、他のプレーヤーには配分が行かなくなるわけですよね。フィギュアスケートには、最近話題の女子選手が出てきているようですが、その子が強くなりそうだという話になると、スケートメーカーは他の同じ世代の子達には靴を売らなくなりそうです。しかし、そんな状態ではその子の人気どころか、フィギュアスケートという競技自体の人気すら危うくなりませんかね。

東:

 投資といっても、松井が食べないとしかたがないわけでしょう。松井の前に食事をいっぱい並べてもだめで(笑)、松井に物を買ってもらわないといけないわけですよ。

石橋:

 あるいは松井にラーメンを食わせているおばちゃんに物を売ってもいい。

東:

東浩紀
東浩紀

 なるほど!(笑) それはすごい世界だ。松井が高校生で頭角を現してくると、松井が通うラーメン屋に物を売りつける奴が大勢現れるわけだ。

井庭:

 松井周辺の社会的ネットワークがポイントになってくるわけですね。新しいSNSの使い道も出てくる。

石橋:

 ラーメン屋に物を売りつける奴が大挙として現れるというのは、Webの世界でもすでに起こっていることですよね。SEO対策のようなかたちで。

東:

 つまり、みんながSEO対策ばかりをする世界になる。Search Engine Optimizationが生活の基本になってしまう(笑)。

石橋:

 まさに近藤さんは、「自分を評価してくれそうな人に着いていく」という戦略が得になるのが問題だという話をされていましたよね。

東:

 はてなは13人だからいいけれども、これが1300人程度の規模になれば、それはかなりの効果を持つわけですよね。

楠:

 はてなは比較的まだ多くの人が同じような仕事をしていると思うんですよね。コードを書き、仕様も書き、他にもいろんな仕事もするといったタイプの仕事です。しかし、これが会社の規模が大きくなると、マーケティングと営業とコード開発者がいたとき、「この売上に貢献したのは、すばらしいポスターを俺がつくったからだ」と思う人もいれば、「俺が客の所に20回足を運んだからだ」と思う人もいれば、「俺がバグのないコードを書いたからだ」と思う人もいるわけです。この状態で、本当にピアレビューによって合理的に配分できるのか。その正当性はどこにあるのかを考えると、これは非常に難しいと思います。

鈴木:

 ふと思ったんですが、現実の資本市場のベンチャーキャピタルの場合、「この人は将来行けるだろう」という予測は、実際どれくらいの確率で一致するんでしょうね。

東:

 そのギャップはPICSYの世界ではあまり問題にならないと思いますよ。多分、保険というか、ポートフォリオが組まれるだけでしょう。松井だけに物を買ってもらってもリスクがあるので、それをヘッジするために、松井の周辺の人、松井よりすこし成績の落ちる人、松井と同じ街に住んでいる人といったポートフォリオを組んで、その集団に物を売るようになるんじゃないかな。

鈴木:

 それでも、松井が本当にうまく行くかどうかは不確実ですよね。

楠:

 ただ予想が当たるにせよ外れるにせよ、ベキ法則が働くことには変わりはないと思いますね。

 これは別の話になるのですが、2年ほど前に、PICSYが人事制度に使えるんじゃないかというブレインストーミングをしたんです。そのとき問題になったのは、PICSYでは経済的インセンティブによって人間が動くということを前提にしているけれども、実際人間のモチベーションはもっと非常に複雑なものだということでした。現実というのは、ミクロ経済学の想定しているような合理的な人間ばかりではないわけです。たとえばゲマインシャフト的な世界では、給料が低くても団結が固く、会社が大変になれば大変になるほど給料は下がるけれども、かえってみんなやる気が出てくるという話があるわけです。たとえばカネボウは、あれだけ厳しい状況にあると報道されていたのにもかかわらず、ほとんど売上は落ちなかったと聞きます。カネボウには9000人の社員がいて、大体7000人はお店の店頭で化粧品売う人達だった。彼女たちは固定給です。固定給ですが、「いま会社が大変だから」と逆に懸命に仕事をしたそうなんですよ。

 PICSYというのは、暗黙の了解としてゲゼルシャフト的な社会を前提としています。それが最も経済全体として効率的であるのかどうかは分かりません。ただ少なくとも、カネボウ的なゲマインシャフトの世界に、インセンティブ制やPICSYのような仕組みを導入すれば、間違いなく社内の空気はギスギスしてしまって、足の引っ張りあいが始まるだけなのかもしれない。

鈴木:

鈴木健
鈴木健

 僕が目指しているのは、ゲマインシャフトゲゼルシャフトの中間なんですよ。そしてどちらかといいえば、僕はゲマインシャフト的なものを擁護したいんです。つまり、僕は貨幣システムには本当は興味はないんですよ。僕が新しい貨幣システムを提案しているのは、ゲマインシャフト的なものを擁護するには、むしろ貨幣システムのようなゲゼルシャフト的なほうにメスを入れる必要があることに気が付いたからなんです。

石橋:

石橋啓一郎
石橋啓一郎

 もうひとつ確認したいことがあります。つまりいま議論になったように、ベキ法則の話となめらかの話は、それぞれ独立の事象だと思われるわけです。つまり、なめらかな社会であってもベキ法則が残ることはありうる。これについて鈴木さんはどう思いますか。

鈴木:

 実はまだ考え中です。ある程度貧富の差はあったほうがいいとも思うんですよね。みんながフラットになってしまって、みんなが同じ一票を持っているという状態はよくないと思うんです。これはPICSYGoogleのPage Rankも同様ですが、要するに重み付けは必要だということですね。

 僕の考えでは、お金を使うということは社会に対するある種の投票行為なんですね。お金を持つべきではない人が大量のお金を使うというのは、社会にとっては悪い投票行為に等しい。それに対して、お金を持つべき人が大量のお金を使うのであれば、これは社会全員が同じ額のお金を持って物を使うよりも、ずっといい社会になると思うんですね。つまり僕が考えたいのは、お金を持つべき人にどうやったらお金を集めることができるのかということです。いまの社会は、そこがずれてしまっていると思うんですね。

石橋:

 そうすると、松井秀喜の例は適してないのかもしれませんね。

鈴木:

 そうですね。昔はゴダールを例に使っていたんですよ。でも、ゴダールを誰も知らなくなってしまったので、使うのをやめてしまったんです。

東:

 それはそれで大変に問題ですね(笑)。

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