ised議事録

01-1414. 設計研第7回:共同討議第2部(5)

さいごに(1)――井庭崇楠正憲近藤淳也から

東:

 さて、本当に残る時間もわずかになりました。今日は鈴木健さんのラジカルな提案をきっかけに、さまざまな議論が交わされました。

 それでは最後に、お一人ずつ、今日の議論だけではなく、ised全体をまとめての話をいただけますか。井庭さんからお願いします。

井庭:

井庭崇
井庭崇

 僕は一番初めの回からずっと一貫した関心をもっていて、それは「自生主義的な社会設計」とでもいうべきものです。ハイエクは自生的秩序という言葉を使っていますが、要はがんじがらめの社会主義のようなかたちではなくて、ある程度の枠組みの中で自由に選んでいけるといった仕組みのことですね。ハイエクは抽象的設計の重要性を指摘していて、法がまさにそれであるといっています。

 このハイエクの議論を踏まえたうえで、情報社会における社会設計のポイントになるのは、プラットフォームとコミュニケーション・メディアと内面的なパターンの3つではないかと思います。第一のプラットフォームとは、インターネットや情報ネットワークといった場のことです。第二のコミュニケーション・メディアとは、ルーマンのいう「貨幣」や「権力」の機能に相当し、コミュニケーションの連鎖を促すもののことです。情報社会では、オープンソースのコンセプトやライセンスがこれにあたると思います。オープンソースというのは、ソフトウェアの改良が改良を呼ぶというように開発が繋がっていくものだからです。第三の内面的なパターンというのは、アレグザンダーのいうパターン・ランゲージのことです。ものをつくる行為を内面的に支えてくれるものということですね。

 プラットフォームとコミュニケーション・メディアと内面的なパターン。これらに共通する特徴は、抽象的であるということです。これらは「あれしなさい、これしなさい」と具体的な内容に踏み込むことはなく、その上でいかようにもやることができるという意味で開かれている。ただし、そこにはある程度の制約があって、参加の敷居を下げているわけです。情報社会はこうした社会を開いたと思うんですよ。情報社会というのは、誰もがこの3つを組み合わせつつ、「プロトタイプ」をつくることができる社会なのではないでしょうか。今日の議論にしても、たとえば鈴木さんのPICSYというのはまさにそのプロトタイプにあたるわけです。PICSYというアイディアを考え、それをシミュレーションし、実際に人が参加できるゲーミング・シミュレーションのようなかたちに実装する。周りの人は、そこでPICSYを実際に体験してみて、PICSYの良し悪しについて議論できる。こういったことはすごく面白いと思うんですね。

 こうした設計研の試みがいろいろな場所に広がっていくことで、社会設計の想像力が喚起されていくといいなと思います。僕は「万人がつくる社会」というテーマで講演をしたのですが、いまの話はまさにそのイメージに近いものです。誰もがプラットフォームをつくり、コミュニケーション・メディアをつくり、パターンをつくることができる社会。石橋さんの最初の問題提起は「設計の場を設計する」というものでしたが、最初から最後まで、設計研は一貫して同じ議論を辿りながら、議論の具体性を増していったんだと思います。ということで、大変面白かったというのが僕の感想です。

東:

 井庭さんは社会的シミュレーションのお話をしてくださったわけですが、今日はまさにその実例が来たというわけで、とてもうまくまとまったと思います。

 それでは次に楠さんからお願いします。

楠:

楠正憲
楠正憲

 私もPICSYプロジェクトに関わってきたのですが、その背景には、世の中の不合理を是正し、PICSYという土台によって別の自生的秩序をつくることができるんじゃないかという期待、あるいは欲望のようなものが常にあったからです。これはいまでも根強く持っているんですね。今日はたまたまPICSYの矛盾を指摘するような発言ばかりをしましたが、それだけ自分もなにかアーキテクチャによって世の中を良くしたいという欲望、望ましい方向にコントロールしたいという欲望を持っているからなんだと思います。

 設計研の議論は常に難しいものだったと思います。たとえば私の回はしどろもどろになってしまいましたが、討議では設計者とは誰かという議論へとループしていきました。今日の話も、結局タコツボを是正するはずのPICSYによってタコツボ化するんじゃないの、という議論になった。社会設計の議論は難しいわけです。それとは違って、コンピュータ・システムの設計が比較的簡単なのは、実現すべき要件定義が非常にはっきりしている点にあります。お客さんもはっきり存在していて、適応される領域もはっきりしているので、システムの設計は進めやすい。たとえば証券取引所のシステムであれば、何百万というトランザクションが発生し、こういう機能があればよくて、こういうインターフェースがあればいい、という段取りがはっきりしています。しかし社会システムの場合には、そもそもどの状態が望ましいのかという合意を取り結ぶことが非常に難しいわけです。お客さんはたくさんいて、しかもそれぞれ考え方は異なる。なおかつ、強い非対称性があります。たしかに誰でもプロトタイプをつくることができるのかもしれない。しかし、実際にコードの書ける人とコードの書けない人が存在し、それでもステイクホルダーとしては両者とも同じように大切であるような局面が多々あるわけです。

 これは倫理研の議論とも繋がってくると思うんですが、おそらくこれまでエンフォースメントする力というのは相対的に弱かったと思います。しかし、いまその力はユビキタスやITの力によって強くなっている。ここでも非対称性というのは非常に大きくなっていると思います。これまでその力はそれほど実行されず、運用レベルにおいて小さな革命権とでもいうべきものがそこかしこにあったのではないかと思うんですね。法律もある程度人の心次第で案配されていたわけです。しかし、これからは法の自動実行への社会的な欲望が大きくなって、どんどんエンフォースメントの仕組みがいまの国家制度の枠組みの中にたくさん入ってくるでしょう。いまの自動改札機は頑張れば通り抜けることができますが、これからは開かない改札だって簡単につくることができる。昔の本屋さんは、万引きするやつは本を読みたいから持って行かせよう、というポリシーのところもあった。人間の場合はこうした運用をすることも可能ですが、機械はできないわけです。つまり情報社会というのは、ルールをつくる人の側の力は増していく一方にある。そのルールを提案するリテラシーにも、非対称性が拡大している。こうした状況において、今後どうやって社会的なコンセンサスをつくっていくのか。自分の欲望を突き詰めて考えるうちに、これは結構まじめに考えなければいけないなと思いました。

東:

 設計研は、「場の設計」から始まって、最後に「社会契約の場の設計」という大きなところに来た。情報技術がこうした社会設計のエンフォースメントを強くする一方で、むしろ目的そのものの設計はシビアになるという意見は、まさにそのとおりだと思います。設計研は最後まで、目的の設計の謎に直面したままでした。

 では、近藤さんはいかがでしょうか。

近藤:

近藤淳也
近藤淳也

 自分はなぜisedに呼ばれたのかなと思っていて、どれほど内容のあることがいえるのか分からず不安でしたが、個人的にはすごく面白くて楽しかったです。7回の議論を通じて思ったのは、やはり社会が大きく変わっていくのは確実だということです。社会を変化させるというとき、問題点や不満といったものがその原動力に変わるのではないかと思うんですが、isedでは具体的な内容がずいぶん出てきたんじゃないかなと思っています。さらに、今後どうすればいいのかというアイディアすらいくつか出てきていると思います。ですから、次に興味があるのは具体的な行動ですね。これからの情報社会においては、やはり起業家が今後大きな役割を担うのではないかという気がします。産業革命のときも、起業家の人々が社会を変える役割を担った。だから、isedで議論された内容を起業家に伝えることや、よりたくさんの起業家を生み出していくことがこれからは大事でしょう。いまの世代が活躍すればするほど、次の世代を生んで社会の変化を促進させるはずなので、自分もそういう役割を担うことができればいいなと思いますね。

東:

 僕は、isedへの参加は、近藤さんにとって一種のCSR(企業の社会的責任)だと思ってもらえればいいと思っていました(笑)。というのも、まじめな話で、はてなやmixiといったプラットフォームビジネスは、私企業でありながら新しい公共性を帯びた存在になりつつあるからです。それはこれまでの公共性とはまったく違うものですが、おそらく今後の社会でとても重要な役割を果たすでしょう。

 ですから、近藤さんがこの場に来てもらえたことは、僕にとってとても重要なことでした。またなにか機会がありましたら、是非一緒に仕事をさせてください。

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