ised議事録

01-1415. 設計研第7回:共同討議第2部(6)

さいごに(2)――石橋啓一郎村上敬亮・八田正行・鈴木健から

東:

 それでは、石橋さんお願いします。

石橋:

石橋啓一郎
石橋啓一郎

 はい、僕は体調崩していたので後半はお休みをいただいていて、それは残念だったのですが、今日最後の回で復帰することができましたし、isedに関わることができてうれしかったです。

 今日はいろいろな議論がありましたが、僕はほとんど全面的に鈴木さん万歳なんですね。社会の生態系のようなものは、情報環境によって変えることができると思いますし、実装することもできると思います。今日これだけ議論ができたのは、鈴木さんがコンセプトを出して、手を動かしてつくっていたからこそです。でなければ、「そういうこともあるかもね」という酒飲み話で終わってしまう。真剣な議論をするのは難しいことです。ということで、鈴木さんには全面的に賛成なんです。

 僕は昔工学系の研究室に所属していたのですが、そこは「こういうことをやります」と発表すると、「それは誰にとってうれしいの?」と聞かれるというちょっと変な研究室だったんです。普通の工学系であれば、最後にグラフを書いて、「前の技術よりも自分の開発したほうがグラフで上に来るので、勝ちました」といって終わるのが通例です。しかし、「誰かを喜ばなければいけない」というポリシーの研究室で育つことで、常に「これは誰が嬉しいんだろう」と思うようになったんですね。陳腐な例ですが、「新幹線によって人間は幸せになったか」という議論がありますよね。大阪まで日帰り出張できるようになったが、それって幸せなのかという問題。楠さんもおっしゃっていましたが、技術でものづくりをする人たちは、たいがい直接的で具体的な要求事項があって、それを満たすことで「誰かが幸せになる」という話をしています。しかしこれだけ情報技術が世の中に根を張るようになると、「果たして俺がやっていることはいったいなんなのか」と考え続ける人たちもいるでしょう。そういう人たちは、100年200年前に終わっている議論を知らず分からずの状態で、それでもなんとか仕事をしているわけです。isedの議論というのは、こうした状況を解消するひとつのステップになると思います。そんなisedプロジェクトに関わることができて、とてもうれしかったというのが感想ですね。

東:

 ありがとうございます。僕と石橋さんはまったく出自が違い、本来であれば両者の共通言語を探すだけでも難しいところでした。そのふたりがこの同じ席についていることそのものが、たいへんに意義のあることだと思います。isedは公開ブレインストーミングのようなもので、ここにいることで、多領域からの仮想反論が大量に頭にインプットされてくる。みなさんにもisedの経験がそのように活きてもらえればうれしいと思います。

 村上さんはいかがでしょうか。

村上:

村上敬亮
村上敬亮

 戦略の方向性として、みんな同じことを考えているなと思ったのですが、それを具体化するための段取りや、戦術の部分があまり議論できなかったので、その点は残念だと思います。戦略の方向性に関していえば、さまざまな表現のしかたがあると思いますが、まさに私が所属しているポジションのような、規律訓練型権力への反感という意味では皆さん一致していて(笑)、これをブレークスルーするための可能性として、ITに強い期待を持っている。それは情報社会の設計という命題と重ね合わされていて、それを突き詰めた結果、今日は宗教の次元にまで到達したんだと思います。ただ、長期的に見ると鈴木さん的な世界はひとつの明確なオプションであると皆さん思っていて、今日の議論について方向性という点でいえば大筋で同意している。これは僕自身も反対がないということがよくわかったんですね。

 さて、具体的な戦術に関していえば、今日の議論は、人間はそのままの他人を受け入れられるのかというきわめて難しい議論になりましたが、その状態にどうやって移行するのか、どのような時間間隔で戦術を打つかという部分で、二点議論したかったことが残りました。ひとつは東さんの言葉を借りれば、最初の一撃はどこから来るのかという論点です。この論点をじっくり取り組まないと、鶏と卵の話ではないですが、「とにかく卵さえ産んでいれば鶏もできる。なんとかなるだろう。いやでもそれはおかしいよね」といったあたりが深められない。以前八田さんは、再定義可能なルールをシェアできる構造を設計するといったことをおっしゃっていましたが、そのあたりが議論になると思います。そこにはいろいろなパターンがあると思うので、きちんと実証的な研究をしていかねばと強く思いますね。

 また私自身、経済産業省という縦割りをつくってきた組織にいながら、これを横に繋げるような仕事をやらなくてはいけない立場にあります。その経験からいうと、「場の編集者」をどう育てるかということに日々心を砕いているんですね。要はある程度密度の濃い空間を維持するための空間演出法のようなものです。そうしたセンスを持った編集者や演出者といった人材を育てるというとき、自分の立場だと倒錯的にならざるをえない。その役割を担うのは別段行政機関でなくてもいいと思うのですが、日々現場へ行くにつけ、そういう場の編集者の育成とプレースメントを担う名伯楽を、日本社会全体から見てポジショニングさせる必要があると思うんです。この点について、もうすこし議論してみたかったと思いますね。

 もうひとつの論点は、ITのもたらすフィードバックのスピード感について、より明確な言語を与える必要があるということです。たとえば今日の例でいえば、松井に対して急速にポジティブ・フィードバックがかかったらどうするのかという話がありました。これはおそらく常識的な倫理ではコントロールできない世界がくるのだと思います。他方、PICSYが人事システムとして機能するのは、タームが固定されているからだと思うんですよね。人事評価というのは、一回時間を止めたうえで、この一年間に関する評価を定めるという仕組みです。加えて「はてな」の場合は近藤さんというコレクターがいますから、極端な結論が出たら近藤さんが是正するだろうという補正も期待できる。そういった意味では、PICSYは人事評価ツールとして活きていくと思います。

 こうした論点について、ミクロの局面で研究と実践を推し進めていくことで、徐々に規律訓練型権力から環境管理型権力に移行する場を設計できるんじゃないかと思います。実際にはボトムアップしかないと現場を見ると思うんですよね。だからもしisedの次の段階があるとすれば、そうしたミクロの事例に基づくパターン研究をすることで、鈴木健的世界にいたるパスが見えてくるのかなと思いました。

 ということで、私自身は非常に自己否定している自分を肯定されたような気分に包まれております(笑)。

東:

 なるほど(笑)。ありがとうございます。いま挙げていただいた論点は、ぜひ僕自身で今後追求させてください。

 それでは八田さん、お願いします。

八田:

八田真行
八田真行

 isedに参加できてとてもよかったと思うんですが、僕個人の関心の方向はどうやら倫理研に近かったのかもしれません。これは我ながら驚いているんです。どうも場違いなところにいたのではないかというのは、ごく個人的に、率直にひどいことをいってしまえば、なめらかな社会には生理的に嫌悪感を覚えるからなんですね。それはなぜかというと、僕は一番年少であるにも関わらず、非常に保守的な世界観を持っているからです。それはわりと白黒はっきりした人達がせめぎあい、そのせめぎあっている状態がコンベンションによって維持されているような世界です。「とりあえず殲滅戦にはならないようにしようね」という程度にせめぎあっている世界といってもいい。これに対して、なめらかな社会というのはみんなどろどろと溶け合っているような感じがして、気持ちが悪いのです。

 別にそれはいいのですが、おそらくなめらかな社会にもそういう人間は存在します。では果たしてなめらかな社会が到来したとして、そういう人間が逸脱したり愚行を犯したりするための「愚行権」は確保されているのだろうか。僕はどう考えても確保できないだろうと思います。しかも、その社会に移行するには「最初の一撃」が必要とされるわけですよね。近藤さんはそれを黒船のようなもの、争いのようなものではないかと言われていましたが、これは汚い手段なんですよ。実際、そのようにして移行した社会というのは、一切の逸脱する自由を許さない。それはカンボジアのように、どこかで見たことのある風景ではないか。なめらかな社会は現段階では夢のような世界ですけれども、実際インプリメントすればとんでもないことになるんじゃないかという強い直感を抱きます。でも、それをうまく説明することはできなかったので、今日は黙っていました。

 もうひとつ言いたいのは、なぜ鈴木さんがサイボーグの話をお出しになるかわからなかったんですね。ただ、僕らは結局人間の限界についてずっと語っていたんだと思います。限定合理性や愚行権もそういうことです。人間は限界があるから愚行を犯すわけですね。それなら、人間の限界を変えるほうが簡単ではないか。要するに、人間の脳みそに限界があるのであれば人間の脳みそを拡大する。人間の体力に限界があるなら身体をいじる。そういう方向に議論を向けたほうが、どちらかといえば議論はすっきりする。もちろんそれはそれでまずい方向だと僕は思うのですが、鈴木さんにはそちらの議論のほうが向いておられるのかもしれません(笑)。

東:

 ありがとうございました。八田さんは、最初の研究会から退出可能性の確保が重要だと主張されていたので、いまのは当然の反論になりますね。それならば、もっと早く発言してもらえばよかった(笑)。

 そして最後の論点。isedは、まさにその人間の限界について考えてきたような気がします。情報技術の拡張に人間が追いつくにはどうすればいいのか。これがised全体を通したテーマではなかったでしょうか。

 鈴木さん、最後になにかありますか。

鈴木:

鈴木健
鈴木健

 それでは一言だけ感想をいわせてください。この場所を設定してくれた東さんに感謝したいと思います。僕はいままでこういうことをしゃべる場所がなかったので、結構辛かったんです。みんなと議論できる場所をつくっていただいて、本当にありがたかったです。井庭さんもいってくれたのですが、僕が今日のようなことを議論したい理由は、単にそれを説得しているのではなくて、実装系を提案しているんですね。実は他にも実装の可能性はある。それを議論して実験していくことは、他の誰でもできることです。僕はそういうことをもっとみんなにもやってほしいなと思っているんですね。isedというのは、まさにそういうことをするための土台になったのではないかと思います。今後僕もその作業に関わっていきたいです。長い間、ありがとうございました。

東:

東浩紀
東浩紀

 ありがとうございます。今日はもう大幅に時間も超過していますので、聴衆のみなさんには申しわけないのですが、質疑応答はなしとさせてください。

 そして、僕からは最後、感謝の言葉だけに留めておきたいのですが、ised全14回、およそ1年半もの長いあいだにわたって、委員のみなさん、そして聴衆のみなさん、本当にありがとうございました。この成果を活かして、また今後、新しいプロジェクトをどんどんと立ち上げていきたいと考えています。そのときには、また皆さんにお声をかけさせてください。

 長いあいだ、どうもありがとうございました。

(会場より拍手)



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