ised議事録

03-12倫理研第3回:議事録

E3
(開催:2005年3月12日 国際大学GLOCOM / 議事録公開:2005年5月14日)

講演資料

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概要

 倫理研第3回のテーマは、「公共圏の確立(不可能性)」から「私的領域の確保」へである。北田暁大は電子公共圏の不可能性を論じ、CMC上の社会哲学としてサイバーリベラリズムを提唱する。討議では、80年代論や2ちゃんねるSNS、ネット心中論などのケースを挿入しつつ、情報社会公準として「私的空間の確保」が見出される。

 まず北田暁大は、「ネット公共圏」はそもそも原理的に不可能であると論じる。なぜならCMC空間では、コンテクスト操作の闘争が前面化し、繋がりの社会性が上昇してしまうからだ。そして現状のCMC空間を、闘争主義的/多元主義的(脱社会的コミュニタリアンたちが増大する空間として捉える。そこで「公共圏は無理だが、コミュニタリア二ズムの跋扈を許容するのでもない」とするとき、北田は情報社会におけるリベラリズムを提唱する。すなわちコンテクストを調整する、という機能主義的な意味でのリベラリズムを、情報社会倫理/設計哲学として構想するのである。

 続く共同討議第1部では、白田秀彰鈴木謙介から、講演への応答が行われる。白田からは北田の「ゆるいリベラリズム」に対する批判が、鈴木からは北田リベラリズムの再整理が行われる。抽象的議論が展開されつつも、東浩紀は「情報社会リベラリズム」というテーマを、北田の近著『嗤う日本の「ナショナリズム」』を紐解きながら、80年代メディアにみるアイロニー感覚という話題と接合することで、具体的なメディア論へと落とし込もうとする。最後に東は社会学者・宮台真司を参照し、リベラル/アイロニー的感性の文脈を明らかにする。

 第2部では、リベラリズムを実装/実現するための具体的な議論へと移行。2ch/blog,SNSの比較検討や、ネット自殺への介入問題を検討することで、北田の問題提起した「公共圏の不可能性」は、「私的領域が公的領域に侵食されること」あるいは「公的空間と私的空間の溶解」として再構成される。そこではフリーライダー/反社会的なものの線引きが曖昧化し、パターナリスティックな介入が容易になることが問題とされる。そこで情報社会倫理的課題として「いかに私的領域を確保するか」という公準が導き出されるのである。



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