ised議事録

04-09設計研第3回:議事録

(開催:2005年4月9日 国際大学GLOCOM / 議事録公開:2005年6月11日)

概要

 第3回設計研では、情報社会デファクト・スタンダード化をケースに、「情報社会における設計とはなにか」をめぐって議論が提示される。また「市場原理/消費社会」や「正当性/正統性」「賢い消費者」などの諸概念をめぐって、設計研立場と倫理研立場(東・鈴木謙介)の差異が際立つことで、情報社会論の前提を掘り下げるかたちとなった。

 まず楠正憲の講演は、設計の複雑性がテーマとなる。すなわち情報社会における標準や規格といった設計プロセスは、現在では市場におけるデファクト・スタンダードをめぐる競争のさなかに置かれており、きわめて複雑で俊敏ものであることが記述される。具体的には、PCやインターネットの歴史からベンチャー支援政策、iPodやセキュリティの例を出しながら、抽象的には、経済学・経営学における「経路依存性」や「破壊的イノベーション」などの概念などが参照され、最終的には、情報社会に主体的な「設計者」や「設計」は存在せず、そのガバナンスの困難が結論づけられる。

 それを受けた共同討議第1部では、まず八田真行から、「デファクト・スタンダードがサブオプティマルな解で膠着してしまった場合、そこに再定義可能性はないのか」という問いが提出される。次に村上敬亮から、経産省の産業政策をベースに、「可視化によって情報の非対称性を克服し、コンシューマー・エンパワーメントを行い」、「プラットフォームの形成によって、流動性を上昇させる」といった政策が説明されることになる。

 さらに第1部後半では、東浩紀によって大きく3点の批判が提示される。

 1)(消費社会論の補助線を引きながら、)消費者を支援すれば市場原理は最適化されるというとき、その「賢い消費者」という前提は自明のものか。

 2)デファクト・スタンダードは「経路依存性」を持つ。それは単に市場競争に勝ち残ったというだけであり、正統性(legitimacy)を持たない。

 3)設計者は「存在しない」のか。設計者という主体が社会的に「必要」とされてきたのは、責任=原因を措定することによって「そうではなかったかもしれない社会」を構想するための余地を残すためではないか。環境管理型権力の問題を考えるとき、設計者の不在という認識は妥当か。

 こうした批判に対して、たとえば井庭崇は社会システム論の枠組みを使って「設計を、主体ではなく、設計プロセスの連鎖として捉えるべきではないか」と問い、石橋啓一郎近藤淳也は「市場競争による正当化はありうるのではないか」と主張する。正統性と、経路依存性あるいは正当性をめぐる対立を残したまま、第1部は幕を閉じる。

 続く共同討議第2部では、まず鈴木謙介が現代社会の特徴として、「データベースによって自己を規定する宿命論」という欲望のあり方が台頭していることを指摘。市場による流動性は、革命的な「アーキテクチャの再定義」の契機をもたらさないと論じる。さらに東浩紀は、「mixi」に「電車男」、「アフィリエイト」などの事例を出しながら、こうした現代消費/情報社会の特徴を、倫理研キーワードである「繋がりの社会性」によって記述する。そして、「設計者は不在か」という問題をこの消費社会論と並行させ、「つながり」への欲望をセットした初期設定(最初の一撃)が不透明であることを問いかける。さらに、この「欲望生成の論理」を、設計研のメンバーが正当性を認める「マーケット・メカニズム(市場原理)」と区別する必要があることを提案するのである。

 最後に、倫理研キーワードでいうところの「繋がりの社会性」的な消費/情報社会の浮上という現象を、設計研キーワードの「無限のメタ化」によって捉えなおすという接合が行われる。つまり、無限のメタ化にかえって人々は耐えられなくなり、動物化やリスク意識の肥大が進行してしまうのではないかという仮説が最後に提示される。



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