| 講演:井庭崇 「自己革新的な社会に向けての教育とメディア ~コミュニケーションの連鎖によって『つくる』ということ~」 | |
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| 1 | 井庭崇 講演(1) |
| 2 | 井庭崇 講演(2) |
| 3 | 井庭崇 講演(3) |
| 共同討議 第1部 | |
| 4 | 「なめらか」な社会――情報社会の執拗低音 |
| 5 | 「つかうメディア」から「つくるメディア」へ――江島健太郎からの応答 |
| 6 | 新たなる「説得のためのメディア」――その必然性と動機づけを探って |
| 共同討議 第2部 | |
| 7 | 「分業」と「コラボレーション」 |
| 8 | 「情報社会論の球体」――東浩紀からの応答 |
| 9 | 軍事技術というインベンション――人類社会はなぜコミュニケーションの欲望にシフトしたか |
| 10 | 情報技術の外部はどこにあるのか――環境問題という限界 |
井庭崇は、「コミュニケーションの連鎖によって万人がつくる社会」「ユビキタス・イノベーション」というヴィジョンを提示する。そして、コラボレーションとシミュレーションを軸に、新しい教育とメディアのイメージを提示する。
共同討議第1部では、まず新しく司会となった鈴木健から、「なめらか」な社会というヴィジョンが提示される。続くゲストコメンテイター江島健太郎は、自らの開発するグラフィカル・プログラミング・ツールを紹介し、こうした新しいメディアが、大衆とエリートという二項対立を「なめらか」にするというヴィジョンを提出する。
第2部では、設計研第3回に引き続き、情報社会論の前提を掘り下げる議論が行われる。東浩紀は、設計研の描く情報社会の未来イメージが、『コミュニケーション能力の拡張』という同時代的欲望の内側に捕らわれているのではないか、と問う。そこで東が論じるのは、というのも、たとえば60年代のSF、未来学、哲学を参照するとき、かつて情報技術は自然を管理する技術としてイメージされていた。しかし環境問題や軍事問題といった条件が、「人間と人間の関係(コミュニケーション)」の欲望を満たすものとして、情報技術の方向性を規定してきた。
倫理研のキーワードである「繋がりの社会性」にせよ、「情報社会」において、私たちはコミュニケーションのイメージに縛られている。東はこの構図を「情報社会論の球体」と呼びつつ、情報技術・コミュニケーション・市場では解決できない領域、つまり「情報技術の外部はどこにあるのか」という問いを投げかけるのである。
さて、今回、多少残念だったのは、東氏の「誤解」(?)です。
確かに、「情報社会論の球体」に対して自覚的であるべきという東氏の警鐘は、胸を衝かれるものでした。が、以下の点が気になりました。
・インベンションとイノベーションの二元論
・リアルとバーチャルの二元論
・「ものをつくる」という行為とコミュニケーションの差異の強調
・「コミュニケーションの連鎖」を新しい概念とする理解(誤解?)
作業概念としての二元論の有効性等は、私も認めるところですが、しかし、現在の思潮は、上記の例の何れにおいても、相反概念ではないこと、差異はないこと、或いは「コミュニケーションの連鎖」は人類というより生物発祥以来存在すること等々に気が付き始めている過程であって、それらにおける重要な結節点あるいはキーワードとして、「情報」に注目しているということではないでしょうか? 何れも釈迦に説法で、東氏も理解されているところだと思うのですが、如何でしょう? 次回の議論を楽しみにしております。