| 講演:村上敬亮 「縦の社会を横につなげる~なめらかな国家の『設計』を目指して~」 | |
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| 1 | 村上敬亮 講演(1) |
| 2 | 村上敬亮 講演(2) |
| 3 | 村上敬亮 講演(3) |
| 共同討議 第1部 | |
| 4 | 「情報社会の庭師」――「自生的秩序」と環境最適化 |
| 5 | 「内的なコミュニケーション・ゲーム」を回転させ、インフラビジネスを維持するという二層構造 |
| 6 | サービス化という大きな波――鈴木健からの応答 |
| 7 | サービス化、経験経済、洗脳社会? |
| 8 | 消費社会の理想形態をめぐって――ライフスタイルのトータルマネジメントサービスとしての宗教 |
| 共同討議 第2部 | |
| 9 | 智の再配分、固有名、帰責性、「民主主義 2.0」――東浩紀からの応答 |
| 10 | 智のオープン化がもたらす、智(象徴資本)の再配分と富(経済資本)の再配分の乖離 |
| 11 | 固有名の果たす「帰責性」という機能 |
| 質疑応答 | |
| 12 | 質疑応答 |
設計研第6回のテーマは、産業政策と情報化である。
村上敬亮は、経済産業省の官僚という立場から、日本の家電産業をケースとする。日本の家電産業では、縦割りの産業構造が堅牢に築かれてしまっているため、MicrosoftやApple(iPod)やGoogleといった企業と競争するには硬直化しすぎていると村上は診断する。そこで処方箋として、既存の日本的経営の枠組みを脱却し、横に繋がるプラットフォームを構築すべしと提案する。また最後に、情報化の向かうべき方向として、「モノをなるべく消費しない経済へ」という命題を検討に値すべきものとして挙げている。
共同討議第1部は、まず井庭崇から、これまでの設計研の議論は、第1回の石橋から今回の村上まで、いうなれば「自生的秩序」(ハイエク)を醸成する場や環境やプラットフォームの設計を対象としてきたことが確認される。それを井庭は、「情報社会の庭師」というメタファーで表現する。
次に東は、村上の「内的ゲーム」の議論を受け、コミケを例に議論を勧める。コミケというのは、同人誌という内的なコミュニケーションを活発化させつつ、印刷所というインフラが実質的に富を蓄積するという、いわば二層構造的な市場と呼べる。この二層構造を活発化させるというとき、「消費者は人間でもあり動物でもある」というダブルスタンダードが設計研では適用されているのではないかと東は指摘する。
さらに鈴木健は、情報化とともに、経済のサービス化(=モノの所有権の転移しない)が全面化することを示唆する。たとえば衣服や雑貨がすべてレンタル宅配されるようなサービスなどである。これに対して東は、サービス化の問題は原理的に悪徳商法を区別できない点にあるという。情報財やサービスは、モノそれ自体に対価を払うのではない「経験経済」(パイン/ギルモア)であって、これは突き詰めればカルトへの寄進やお布施と変わりがない。たしかに宗教はかつて生活のトータルマネジメントでもあった。はたして消費社会の理想形態は、「洗脳社会」(岡田斗司夫)なのか。
こうした議論を経て、続く共同討議第2部では、東浩紀から設計研の議論の枠組み全体についての批評が加えられる。曰く、実は設計研の議論が扱っているのは、社会の設計ではなく、組織やコミュニケーションの最適化だけではないか。社会が向かうべき目的や守るべき価値の議論は、市場原理をマジックワードとして片付けるのみであって、情報化の真の問題や限界について議論していないのではないか。
こう問題提起したうえで、東は問題を一歩進める。たとえば設計研が称揚する「オープン」というモデルは、事実智の再配分(コラボレーション)に寄与している。しかし、ロールズの配分的正義に対する批判に見られるように、それは組織の境界(コミュニティの枠)を前提とする。これは智の再配分にも当てはまるだろう。すなわち設計研はオープンという議論をしているようで、コミュニティの枠という限界を持っていると指摘するのである。
そこで東は、真にコミュニティの枠が取り払われる「なめらか」な社会を想定して議論すべきと提案。そのうえで、設計研第3回でも触れた、固有名や帰責性の問題を提起する。真にオープンですべての人々が繋がる社会では、固有名の記述力は弱まるために、「誰々の責任でこうなった」という固有名に対する帰責性が薄くなってしまうだろう。それは固有名の持つ、再定義可能性を想起させる機能も薄まることを意味する。またオーサーシップ(作者性)が創造性を喚起するという機能も希薄化するだろう。もし今後我々がオープンな社会へと進展するとき――ブログやSNSや予測市場といった諸情報技術を結集し、「民主主義 2.0」のようなものを実現できるかもしれないが――、固有名の持つこれらの機能はどうなるのか。東はこのように問うのである。