ビッグブラザー

ビッグブラザー

isedキーワードリトルブラザー」と同内容)

 ビックブラザーとは、ジョージ・オーウェルの未来小説『1984年』(早川書房、1972年 asin:4150400083)で描かれた監視コンピュータシステムのこと。オーウェルは、思想警察が人々の生活・内面を徹底的に監視し、「真理省」が歴史を書き換えていくという全体主義的な監視社会を描いた。

 そして東浩紀は、いままでの監視社会論はこのビッグブラザーをモデルにしており、「巨大な国家に市民が監視される」という図式を取っていた、と「情報社会論」のなかで指摘する。これはフーコーの「パノプティコン(一望監視施設)」のモデルとも類比的なものだった。(→isedキーワード規律訓練」参照のこと。)

 しかし現代の情報化においては、こうした図式は必ずしも成立しない。なぜか。まず、監視カメラや生体認証技術、そしてデータストレージなどが極めて低コストで入手・管理できるようになった。そして携帯カメラを誰もがもち、それをネットワーク上に簡単にアップし、誰もがブログを書くようになった。そして現代の人々は、9.11テロ事件や少年犯罪などを受けて、監視がなければむしろ安心できないというセキュリティ意識を持つに至っている。

 その結果、いまでは市民同士が互いに監視しあう社会が訪れようとしているのである。これを東は、全体主義的で中央集権的に君臨するビッグブラザーに対して、監視主体の遍在する「リトルブラザー(複数形の「ズ」をつけることもある)」と呼ぶ。

 こうしたリトルブラザーのモデルについては、他の論者も同様の指摘を行っている。たとえばハワード・ラインゴールドの『スマートモブズ』(NTT出版、2003年 asin:4757101031)では、情報機器によって群集(mob)がエンパワーメントされ、従来に見られなかった賢い集合行動が可能になっているということだが、その秩序の創発のために必要なのは、「相互監視」のプロセスであると述べられている。またデイヴィッド・ライアンは『監視社会』(青土社、2002年 asin:4791760085)のなかで、監視技術による「社会的オーケストレーション」という概念を提示し、現代社会の秩序は偏在する監視技術なしには成立しない、と指摘する。

情報社会の新しい憲法――リトルブラザーよりもビッグブラザーのほうがマシか

 倫理研第5回では、「認知限界」をめぐる議論によって、「存在の匿名性は擁護できない」ことが、情報社会倫理を考える新たな軸足となった(→isedキーワード「存在の匿名性」について)。

 そこで白田秀彰は、機微な情報の解析に手を触れる「リトルブラザー」が偏在するよりも、完全に非人格化された判断だけが行われる「ビッグブラザー」に、存在の匿名性を集中的に委ねたほうが、いくらかマシなのかもしれない、という仮説を述べる。そのビッグブラザーを拘束する設計こそが――国民国家というリヴァイアサンを縛る憲法のように――情報社会における存在の匿名性を擁護するということになるのではないか。こう白田は論じるのである。

白田:

 ある倫理観に基づいて、私たちは「個人情報を取るのはけしからん、監視社会はよくない」というけれども、それは違うのかもしれない。ある特定の個人が別の特定の個人を監視するリトルブラザー的な社会になるよりも、完全に非人格化されたビッグブラザー*4のほうがましである、という考え方も可能かもしれない。

東:

 それはもうビッグブラザーではないんですよね、非人格的ということであれば。別の言葉を考える必要がありますね。

白田:

 今日の東さんの話と、いま私が話していることはそれほどブレていないと思うんです。そして、この方向性が実現してしまうのではないかと感じているわけです。たとえば、いま私たちは日本国に生きていて、かなり高程度の自由と繁栄を謳歌している。しかしたとえば400年前の人間に対して、子供が生まれたら役所に届け、自分の収入や支出についていちいち帳簿をつけて役人に報告した上で税金を納め、定期的に自分の身体について調査することが義務であり、車を運転するのに免許がいるといったら、大変な束縛だと感じるはずです。しかし私たちはそう感じない。それと同じことだと思うんです。

 これからは、現実界の人間としては、いずれかの国家に所属している一方で、社会の複雑性を縮減するための情報システムにも所属するようになるでしょう。それは選ぶのではなくて、自動的に割り振られるのかもしれない。そして現実の国家にも淘汰競争が起きるように、そのシステムも何世代か盛衰を繰り返す。その過程で、近代の自由主義国家が掲げる大原則のようなものが、電網界においても発見されるに違いありません。そうした世界がくるためには、むしろ個人情報を渡すことはやむをえないという世界観を受け入れるところから出発する必要がある。これが情報社会倫理なのではないかと思います。

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