マクルーハン

マクルーハン

 マーシャル・マクルーハン(1911-1980)。カナダの英文学者として研究者としてのキャリアを積んでいたが、1960年代以降、『グーテンベルクの銀河系』『メディア論』などの文明論的色彩の濃い論考を出版して以降、メディア論の第一人者となった。

 「メディアはメッセージである」「クール/ホット」「グローバル・ヴィレッジ(地球村)」などのテーゼが著名。

「メディアは人間の拡張 extensionである」

 設計研第4回で、アラン・ケイの「メタメディア」という構想が、マクルーハンのメディア論の影響を受けていることが言及されている。

鈴木健

 彼が(アラン・ケイがパーソナル・コンピュータの構想のことを)メタメディアといっているのは、実はマクルーハンのメディア論の延長線上なんですね。マクルーハンのメディア論自体には、もちろんコミュニケーションの話もあります。「地球村(グローバル・ヴィレッジ)」などがそうですね。しかしマクルーハンの理論の中心的なテーゼは、身体論から出発している。有名なテーゼに「車輪は足の延長である」云々というものがありますが、彼はメディアを身体の延長として捉えているんですよ。

東:

 まったくそのとおりです。マクルーハンの問題意識において、コミュニケーションの拡大は必ずしもは中心的ではないと思います。

 むしろ、鈴木健さんが好きな話に繋げれば、彼は神経接続系なんですね(笑)。彼は、機械やメディアによって身体が拡張すると捉えている。彼の主著に、"Understanding Media: The Extensions of Man"(『メディア論―人間の拡張の諸相』(みすず書房、1997年、新訳 asin:4622018977))というタイトルの本がありますけれども、マクルーハンのメインの問題意識はこちらでしょう。

鈴木健

 そうなんです。そして、アラン・ケイは、マクルーハンの『グーテンベルグの銀河系』(みすず書房、1986年)を半年間なにもしないで読みこんで、メタメディアという概念を思いついたといいます。メディアの上にメッセージがあるというマクルーハンの議論をもとに、そのメディア自体を一人ひとりがつくることができたら、すごいことなんじゃないかと彼は考えて、それを可能にするデバイスをつくろうと思った。つまり彼の頭のなかにはハードウェアが最初からあって、コミュニケーションは二の次の問題だったんですね。

 マクルーハンによるメディアの定義は、「メディアは人間の拡張 extensionである」というものだった。つまり耳や目といった人間の感覚を延長化したものがメディアであるということだ。たとえば衣服は皮膚の拡張、車輪は足の拡張であり、こうしたものもマクルーハンの定義によればメディアに含まれることになる。

 マクルーハンは、こうしたメディアの受容形式が、(どのようなメッセージ(内容)を伝達するかとは無関係に、)人類の身体性や知覚、そして社会関係のパタンを規定する、という一種の「メディア決定論」を論じる。

 このマクルーハンの考え方によれば、近代という時代・文明は、グーデンベルグの活版印刷というメディアの形式によって規定されている。まず、アルファベットという表音文字によって世界が分節化し、それを文章というかたちで線的に構造化することで合理性が生まれる。そして大量印刷によって、画一的で単線的な情報伝達が大規模に可能となり、個人は共同体から切り離されることとなる(外爆発)。

 こうした近代のメディア的特性を、マクルーハンは視覚中心的で、「ホット」なものと呼ぶ。情報の精細度が高く、受け手の参加度・介入度は低い、という意味である。近代は、視覚中心的で他の諸感覚が抑圧される傾向が強い、といささか疎外論的に診断される。

 しかし電子メディア(テレビ)は、聴覚中心的(クール)であるとマクルーハンはいう。つまり、情報の精細度は低く、受け手の側の参与度が高い。受け手の側によって補完される度合いが高まる。こうした電子メディアの特性によって、視覚に虐げられていた諸感覚の相互作用と統合が取り戻されることになるとマクルーハンは論じる(内爆発)。

 テレビの与えるリアリティとシンクロナイゼーションによって、再び人々は共同体性を取り戻すとされる。マクルーハンは電子メディアが「世界をひとつの村ないし部族に縮小し、すべてを瞬間的に知り、あらゆるものごとに参加する」という。これがマクルーハンのいう「グローバル・ヴィレッジ(地球村)」である。

「メディアはメッセージである」命題とルーマン

 倫理研委員の北田暁大は、著書『<意味>への抗い』(せりか書房、2003年 asin:4796702563)のなかで、こうした一見すると「技術決定論」的とも受け取れるマクルーハンのメディア論を、ルーマンのコミュニケーション理論によって再解釈し、新しいメディアリテラシー論の視座を提示している。(ルーマンのコミュニケーション理論については、isedキーワード「繋がりの社会性」参照のこと。)

参考文献

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