可視化

可視化

設計研第2回 「オープンソース=生産プロセスの可視化」(鈴木健

重要なのは、僕は可視化、つまりVisibilityの上昇ということだと思うんですね。ソースコードというのは単なる成果物であって、ソースがオープンになっているだけではないと思うんです。ソースを生み出す生産プロセス、たとえば議論した内容やコードを書いた途中のコードといったものも含めて全て公開されるということ。この生産プロセス全体を通じた可視化するのが、いちばん面白いところだと思うんですよ。

 江島健太郎さんのCNETのblog(CNET Japan Blog - 江島健太郎 / Kenn's Clairvoyance)で、K社のYさんというかたの言葉が引用されているのですが、ここでの議論に通じるものなんです。「人は見られていると、キレイでいようとする。例えば、在庫がいつでも誰からでも見えるようになれば、現場に緊張感が生まれて在庫がだぶつかなくなる。だからITでビジネスを可視化するんです」という言葉です。まさにこの可視化がどこまで有効かというものを考えたいんですね。

 ひとつはコピーコストの問題があって、ソフトウェアには無駄が認められるから、可視化をするメリットは大きい。もうひとつは、コースという経済学者の「取引コストの経済学」というのがあって、要は市場での取引と企業組織の内部での調整という2つの経済活動があるとき、その両者のバランスは取引コストの多寡によって決まるというものです。可視化によって取引コストの扱いはどう変化し、組織のサイズや最適化のありかたはどう新しく変化していくのか。また設計研の第1回でも触れたんですが、アジャイル開発手法というのがある。これは組織内プロジェクトに対しての可視化の手法です。こうした可視化がどこまで有効かということですね。

 こうした生産プロセスの可視化という議論は、オープンソースのライセンスをめぐる議論とは別のものとして、独立的に議論できるはずです。


設計研第3回 「競争政策としての可視化」(村上敬亮

 1)第一に、産消逆転によってユーザー側のプレイヤーが増え、全体が不透明化しているとき、とにかく徹底して可視化をやるということです。これはおそらく個々のマーケットのプレイヤーがやってもあまり利益につながらない部分でしょうから、政府がやるべきでしょう。ただし繰り返しますが、これを政府がやるというとき、たとえば役人である僕がやるということに限らない。政府がやるという意思の下で、その能力を持った人が実行していただければいいのであって、役人がやるかどうかは別問題です。

 そのために必要なのは、それぞれのプラットフォームのミッション自体を上手に社会的なコンセンサスにしていくことです。そのミッションの出来がいいとき、政府がどこまで踏み込むかはケースバイケースです。たとえばEAや参照モデルを提案しながら、個々のミッション達成のために必要なエレメントやアーキテクチャの配置まで政府が担当すべきか。それはそのとき次第でしょう。

 さらに、そこで出来上がったものをプロセスへと汲み上げていく必要があって、その成熟度を上げていくという作業も求められます。これも政府が踏み込むかどうかはその都度の話です。

 いずれにせよ、「可視化・見える化」のニーズが強いところに向けて、全体はこういうことになっているんじゃないかと仮説を提示していく。たとえばメーカーさんは「情報家電が売れない」とおっしゃるけれども、それは要するに上半分の台形を乗せて考えていなかったからじゃないか、といったような仮説を出していくことで、全体の構図を可視化する作業をやっていく。

情報の非対称性」の解消

 可視化というのは、経済学でいうところの「情報の非対称性」を解消するという命題と関連している。情報の非対称性が存在する市場では、市場取引の成立が困難となるため、結果として市場メカニズムがうまく働かない。情報化による「コンシューマー・エンパワーメント」によって「賢い消費者」を生み出すことで、市場原理のブーストアップをはかることができる、というわけである。(関連isedキーワード「情報の非対称性」/「コンシューマー・エンパワーメント」)

可視化/メタ化(カプセル化・モジュール化

  

 東浩紀は、可視化、すなわち情報量が増大し、選択や決定が自己責任で一元化されることで、ある種の宿命論的な心理が生まれることが指摘している。(関連isedキーワード「積極的自由」/「消極的自由」/「宿命」/「リスク社会」)

 

 さらに、もう一方で、メタ化(カプセル化・モジュール化)によって、人々のリスク意識・セキュリティ意識が増大していることも指摘されている。情報技術によって設計されるアーキテクチャは、次々と多層レイヤー化・相互無関連化されて管理されていくことで、環境管理化をうながす「リスク感覚や不安の増大」を招いているのではないかとも指摘している。

 僕の「メタ化」への注目は、消費社会における「繋がりの社会性」の議論に限らず、設計の議論にも関係してくると思います。それを「モジュール化」と呼んでも、あるいは「パッケージ化」でも「プラットフォーム化」でもいいんですが、メタ化の作用は、基本的にはあるレベルをブラックボックス化することにあります。ここから下のレイヤーは隠して、あとは上のレイヤーだけでやりましょう、というわけです。情報技術はこうした作業をとても容易にする。しかし、その過程があまりに早すぎるために、人々はついていけないのではないか。それが基本的にいまの社会に存在するリスク感覚や不安の原因だと思うんです。

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