嗤う日本のナショナリズム

嗤う日本のナショナリズム

(isedキーワード「嗤う日本の「ナショナリズム」」と同内容。)

書籍情報

 その内容については、isedキーワード「ネタ的コミュニケーション」を参照のこと。

東浩紀

(北田さんは)最近では『嗤う日本の「ナショナリズム」』(NHKブックス、2005年 asin:4140910240)という話題の本を上梓されていますが、これは、2ちゃんねる論として書かれた小さな論文を拡張して、60年代の連合赤軍から80年代のメディア文化論をつなげて、現在の2ちゃんねるにいたる流れを記述されているところに特徴があります。そのなかで北田さんは、とくに80年代のアイロニカルなテレビ的感性に着目されているのですが、そこで発達した「お約束」的なネタを「笑いつつ笑わない」といった二重感覚が、90年代後半以降の2ちゃんねるに移植されたときにどう変化したのか、鋭い分析をされている。


 

論文情報

上記の北田による書籍は、以下の論文を下敷きにしている。

論文要約

倫理研モデレーターの鈴木謙介によるものは以下

(1)2ちゃんねるには奇妙なまでの反左翼的な振る舞いがあふれている。

(2)しかしながらその背景にあるのは思想としての反左翼ではなく、建前的なコミュニケーションをズラして楽しむという80年代サブカルチャーを背景とした「嗤い」のアイロニーである。この嗤いを前提として共有できるかどうかが、巨大な内輪空間のメンバーとそうでないものを区別する。

(3)しかしここ2、3年に限って2ちゃんねる的コミュニケーションが前景化する背景にはもう一つの要素がある。それが、90年代半ば以降に登場してくる、コミュニケーションの接続から大文字の意味体系を喪失させ、繋がっていればそれでいいといったような種類のコミュニケーションである。

(4)こういった「繋がりのための繋がり」が接続されるコミュニケーション*1の場においては、あらゆる「嗤い」が接続のためのネタとして消費されるという状況が生じる。その意味で2ちゃんの反左翼は、左翼が嫌いだからではなく、単にネタにしやすいからネタにされているというだけのことだ。

(5)しかしこの種のアイロニーは極限まで突き詰められると、アイロニーで暴かれる「本音」へと駆り立てられるロマン主義に化ける可能性がある。鶴OFFの「とにかく折れ」といった盲従的な振る舞いの要求は、ペーター・スローターダイク的な意味でファシズムを呼び出した背景に近いものがあるのではないか。

参考

*1:編註:isedキーワード「繋がりの社会性」参考のこと。