情報社会

情報社会

情報社会論的な整理

経済的

 情報社会論の歴史を紐解くと、起源は1960年代に遡る。米国では経済学者マッハルプの『The Production and Distribution of Knowledge in the United States』(1962年)が、またほぼ同時期の日本においては、民族学者・比較文明学者であった梅棹忠夫の『情報産業論』が公開され、ここでの主な論点は産業論であった(=サービス産業、情報産業という新たな産業/職業層の誕生)。

 またこの流れは、ダニエル・ベルの『脱工業社会の到来』や、「プロシューマー(生産=消費者)」の登場を予言するアルビン・トフラーの『第三の波』といった、「未来学」的なものとの連続で捉えられ、一時期の社会ヴィジョンの中核を担った。

 ちなみに世界的に「情報社会」という言葉をつくったのは、官僚ののち、世界的な未来学者として知られることになった増田米二であった。

 ただしこれら初期情報社会論における情報技術イメージは、メインフレームのコンピュータであったり、テレビなどのマスコミュニケーション、またベルであればゲーム理論やサイバネティクス、OR(Operations Research)やシミュレーションなどの管理工学的な側面から主に捉えられていた。

 より現代に近い時代の経済的な情報社会論、たとえば90年代アメリカの繁栄とシリコンバレーの成功を背景にした)ニューエコノミー論やIT革命論などは、以下に述べる技術的な変動に影響をされつつ、「情報技術の進展が、組織形態・意思決定・就労&消費スタイルを変える」という議論を展開するものが多い。

技術的(ハッカー的)

 その後、現代の情報技術を支える代表的なものは「パーソナル・コンピュータ」と「インターネット」となるわけだが、その技術と文化の発展を担ってきたハッカーたちの思想というのは、1xNのマスコミュニケーションに対してNxNのコミュニケーションへとコンピュータを解放し、全体的な管理ではなく「自律・分散・協調」や「e2e(エンド・トゥ・エンド)」(そして近年であれば「創発」)を志向するものである。これらはヒッピー・ムーブメントなどの反体制・反近代的な思想――学校教育や病院制度などの近代システムの限界を指摘する社会批評家イヴァン・イリイチの書、『コンヴィヴィアリティのための道具』(渡辺京二・渡辺梨佐 訳、日本エディタースクール出版部、1989年)→asin:4888881480がしばしばパーソナルコンピュータの思想の原典として挙げられる――に支えられていた。

社会(学)的

 こうした「情報技術の変動が、社会の変動を引き起こす」という技術決定論的なロジックに対し、主に社会学やメディア論の見地から批判的検討を行う研究も多い。技術と社会の相互作用的な側面にフォーカスをあて、新しいジャーナリズムを展望するもの(たとえば水越伸「デジタル・メディア社会」(新版、岩波書店、2002年)→asin:4000240013)や、「情報社会論」それ自身が産業社会をドライブするイデオロギーに駆動されている面に着目するもの(たとえば佐藤俊樹「ノイマンの夢・近代の欲望――情報化社会を解体する」(講談社選書メチエ、1996年)→asin:406258087X)といったような、一種のメタ情報社会論的な研究が展開されている(また、上記のハッカー思想に対する批判的検討についてはisedキーワードの「カリフォルニアン・イデオロギー」、法や情報政策の領域での展開は「レッシグ」を参照のこと)。

 また、大衆社会論や消費社会論、監視社会論・権力論、さらに自由をめぐる思想といった大きなテーマ群と情報社会の問題を串差したものとして、東浩紀の著作「自由を考える――9・11以降の現代思想」(大澤真幸 共著、NHKブックス、2003年)→asin:4140019670や「情報自由論」(『中央公論』連載、2002年7月号-2003年10月号(全14回))が入り口となる。

 さらに、ヴァーチャル・リアリティーのようなFace to Faceなコミュニケーションや身体性を伴わない状況が拡大することで、近代市民的な人々のアイデンティティが変容していくといった文化論的な視点から情報社会を捉えるものや、情報化を軍事化・産業化に続く近代文明の段階とみなした上で、包括的な文明論・社会システム論的アプローチを展開する公文俊平の「情報社会学」などがある。

参考