Winny

Winny

 日本でもっとも多くユーザがいるとされるP2Pファイル共有アプリケーション。Winny自体については以下などを参照のこと。

 また倫理研第1回: 共同討議 第3部(2)でディレクター東浩紀は、「Winnyは、マスコミレベルでは反社会的なソフトだと思われているようですが」と前置きしているが、これは昨今の著作権強化の流れのなかで、特に2004年のWinnyの開発者47氏が逮捕されたことをめぐる背景を指している。東や設計研モデレーターの石橋啓一郎は、こうしたWinnyに対する反社会的なラベリングに対し批判的に捉えている。


 以下は、このWinnyの「反社会的」側面についてではなく、「脱社会的」側面についてフォーカスする。

キャッシュ・アーキテクチャのインセンティブ設計とフリーライド

 倫理研第1回: 共同討議 第3部(2)で、石橋は次のようにWinnyの設計思想を要約している。

石橋:各ユーザーが利己的に活動していると、キャッシュをたくさん持っている状態になる。キャッシュは第三者への中継というWinny内的には公共的な目的にも使われるもので、これのための領域を多く提供するほど、自分もより多くダウンロードできるというインセンティブまで用意されている

 Winnyでは、自分が直接1対1で交換しているファイル以外にも第三者の交換経路をリレーする仕様になっている。これは単なる負荷分散の意味だけでなく、Winnyの普及を促進した要因としてのソフトウェア設計上の特徴とも言われている。

 というのは、NapsterやWinMXなどの「交換型」のアプリケーションでは、ユーザ同士でファイル交換のために相互交渉が逐一必要だったため、ユーザ間のファイル所有の多寡によって交渉力の非対称性が生じ、結果としてファイルをより多く持つもの同士が閉鎖的なネットワークを形成する方向へ向かいネットワーク形成が広がらなかった。それに対してWinnyでは、ユーザ間の直接交渉を排除し、キャッシュを開放すればするほどより多くダウンロードできるというインセンティブをアーキテクチャ上に組み込むことによって、以下のように東がいう「2タイプの人間」の共存がWinnyのネットワーク上では可能となっている。

東:たとえば、Winnyとそれ以前によく使用されていたWinMXを比較してみます。P2Pネットワーク上に、コンテンツを持っていないがダウンロードだけはしたいというフリーライダー的存在の「くれくれ厨」と、大量のコンテンツと高速の回線を持っている「ネ申」の2タイプの人間がいる

 なぜこの仕様がクリティカルかというと、日本では現行法律上、送信可権を侵害しなければ刑法上で摘発されることはないことから、その法律の網の目を突こうとすると「自分にダウンはするが自分からアップは一切しない」というフリーライド的行為の利得が最大となる。しかし当然P2Pネットワークに参加する者がすべてこれを目指せば、交渉ゲームは破綻してしまう。Winnyは、この交渉ゲームのジレンマ問題を解決したといえる。

 こうしたWinnyの設計は、まさにレッシグアーキテクチャという言葉で示した、人々の内面的な規範によらない、無意識的なコントロールを可能にした側面を如実に現すものといえよう。しかし、WinnyはこうしたP2Pのフリーライド問題を解決すると同時に、誰もがフリーライダー的であるような社会空間を設計してしまったのではないかと、以下のように東は指摘するのである。

東:というのも、いまの僕たちの社会は、とにかくみながフリーライダーになりたい、つまり脱社会的存在でありたいが、しかし社会全体はまわってもらいたい、という都合のいい欲望を抱えているわけです。そのご都合主義が露骨に表面化したのが2ちゃんねるなわけですが、Winnyは、まさにそういう精神でまわる箱庭をつくってしまったわけですね。

キャッシュというアーキテクチャの欺瞞性

 倫理研第1回: 共同討議 第3部(2)では、Winny独特の設計仕様である「キャッシュ」のある種の欺瞞性について高木浩光から2点指摘されている。

「本来の設計思想とは異なる意味において用いられている」といこと。

高木:Winnyも、ファイルをコピーして拡散させる仕組みを「キャッシュ」と自称しているわけです。しかしあれはキャッシュなのか。あれは、誰も消せないようにコントロール不能にするための分散化されたストレージである、というのが本来の狙いであるにも関わらず、それをあえて言わないでいる。「キャッシュ」と呼ぶことで何か適切でまともなことをやっているということを錯覚として起こさせている、という議論が立てられると思うんです。

ユーザに犯罪性を認識させにくくする「放流システム」であるということ。

Winnyでは、流通の仕組みが受け取る行為と切り離せない構造になっている。受け取る行為によってファイルが拡散するのであり、各ユーザの受け取る行為のひとつひとつが流通の仕組みを支えている。しかし、ユーザはそのことを認識していない。「自分は単に受け取っているだけだ」と勘違いしている。一部の専門的ユーザは認識しているだろうが、大半は理解していない。あるいは、理解することを避けながら使っているだろう。

これはうまく作りこまれた仕掛けである。Winnyでは、5月30日の日記にも書いたように、(日本ではWinMXによる「ファイル共有」としての利用がいまひとつ普及しなかった経緯から、)ファイルを暗号化してキャッシュさせるという仕組みによって、「ダウンロードするとそれが新たな拡散に加担することになる」という事実を、ユーザに認識させにくくする工夫がなされている。

 高木はこのようなWinnyの性格を、「ソフトウェアの定事件の裁判所判断に関わらず、また、法規制のある・なしにも関わらず、Winnyと同様の性質を持つプログラムは、倫理的に人々に受け入れられるものと言えるかどうか」というようにその存在の倫理を問うている(はてなダイアリー - 「高木浩光@茨城県つくば市の日記」跡地 - キャッシュと嘘とファイル放流)。

2ちゃんねるWinnyの社会的構築性

 倫理研第1回: 共同討議 第3部(2)で、さらに東は高木のWinnyに対する、

 そしてこの設計は、ほとんどがROMで匿名的存在という「2ちゃんねる的な精神」を、みごとに反映させたものであって、2ちゃんねるからWinnyの設計思想が出てきたのは必然である

という経路分析を重視する。この点については以下の引用を参照のこと。

 以下に引用する。

2ちゃんねるにおける「神!」という表現は、単純に純粋な賞賛の意味で使われるのとは違うだろう。しばしば軽犯罪を犯した有名人などに対して「神!」と言うこともある。「祭」を楽しみたい人たちが、祭を起こしてくれるネタを提供してくれる主を「神!」と呼ぶのである。神と呼ばれるに値する行為は、誰にでもできるわけではないことでなくてはならない。その一つが、犯罪、あるいはそれに類する行為ととられかねないリスクを犯す行為である。リスクを犯してまで自分たちを楽しませてくれる人、それが「神!」である。自分たちはリスクを被らないで済む。簡単なところでは、たとえば、テレビの特定の番組を話題にしている場で、注目のシーンをキャプチャしてアップロードしてくれる人を、「神!」と呼んだりする。

そこに見えるのは、自分は侵害行為に加担したくないという倫理観(あるいは安全意識)を持ちながら、自身の欲望は達成しておきたいという考え方だ。Winnyは、まさにそういう人たち向けなシステムだったと言えよう。

 

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